人生は長いようで短い、と人は言う。しかし、それは人の感じ方次第なのだ。例えば私の場合、既に充分生きてきたように感じている。好きなビールもたらふく飲んだ。音楽も聞いた。旅行にも行った。もう行きたいと思う所はほとんどない。幸か不幸か、それでもまだ生きているのである。明日、ポックリ逝けるのであれば、それでもいいと思っている。しかし、朝になると目覚めるし、特段、健康上の問題もない。
どうしたものだろう。そうだ、京都へ行こう。嫌、違った。そうだ、童話を書こう! そう思うのだ。
2年半程前になるが、このブログに野良猫の花ちゃんが登場した時期がある。その場所を私は「にゃんこ村」と命名し、気に入っていたのである。その頃から、花ちゃんを題材にした童話のイメージがふくらみ始めた。
あまりに馬鹿馬鹿しいので、何度も止めようと思ったが、どうもそのイメージを制御できずにいる。
童話と言っても、それは、ある程度の年令を重ねた人向けのものである。そして、その童話には1つの軸があって、それは私の文明論に関わるものだ。あえてジャンル分けをするとすれば、「文明論的動物ファンタジー」ということになる。
そもそも、そんなジャンルは存在しない。私が勝手にそう言っているだけなのである。しかし、逆の見方をすれば、これから私が書こうとしている童話は、地球上に80億人が住んでいるとしても、私以外は絶対に書こうと思わない、若しくは私以外、誰にも書くことのできない物語なのである。
童話のタイトルは、「猫と語る」。
まだ、1行も書き始めてはいないが、このブログに連載しようと思っている。これは、私にとって、ある和解の試みなのだ。
この童話を書くことによって、そしてそれを公開することによって、私は再び、大恥をかくことになるだろう。しかし、私は既に恥をかき通してきたし、生きるということは、大なり小なり、恥をかくものではないか。
近日、公開予定!