文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

猫と語る(第3話) にゃんこ村の不思議

 

- 花ちゃんは、人間の言葉を話すことができるんだね! せっかくだから、あそこのベンチに座って、少し話さないか?

 

花ちゃんはうなずくと、ベンチに向かって歩きだした。私が先にベンチに腰を下ろすと、花ちゃんはベンチに飛び乗り、私の右隣りに座った。

 

- そうね。あたしたちには、話さなければいけないことが、沢山あるみたい。まず、にゃんこ村のこと。

- にゃんこ村?

- そう。ここら辺は、にゃんこ村という場所なの。それは、動物の世界と人間の世界が交錯する場所なのよ。だからあたしたちは、こうして話すことができているの。でも、実はあたしも驚いたのよ。

- ・・・と言うと?

- あたしは今まで、何人もの人間に話しかけてきたわ。でも、あたしの言葉を理解してくれたのは、おじさんが初めて。

 

少しの間、花ちゃんは黙った。私は彼女の背中を撫でた。花ちゃんは、気持ちよさそうに眼を細めた。

 

- もしかすると、おじさんの前世は、猫だったのかも知れないわね。

- えっ、俺の前世が・・・。

- そう。だって、見るところおじさんは猫背でしょ。それが証拠。

- ちょっと待ってくれよ、花ちゃん。確かに俺は、若い頃から姿勢が悪い。でも俺は、前世だとかそういうことは、信じないたちなんだよ。

 

花ちゃんは、私の膝に手を置くと、爪を伸ばして引っ掻いた。

 

- おじさん。1つだけ守ってもらいたいルールがあるの。ここ、にゃんこ村ではあらゆる先入観や固定観念は捨てること。思い込みがいかに馬鹿馬鹿しいか、おじさんはそのことを知ってるんじゃないの? 第一、猫であるあたしと人間のおじさんが、現にこうして会話をしている。そのこと自体、説明がつかないでしょ。でも、そんなことって、実は沢山あるのよ。おじさん、だから心を開いて。

 

私は、返す言葉が見つからなかった。花ちゃんの言う通りだと思った。世界は広く、神秘に充ちている。人間はまだ、ほんの少ししか知らないのだ。

 

- 分かったよ、花ちゃん。できるだけ、努力してみる。約束するよ。

 

花ちゃんは、私の膝から手を離して、言った。

 

- 分かってくれて嬉しいわ。ところで、おじさん。チュール持ってない。

 

私は、急いでムーミンの刺繍がほどこされた黒のショルダーバッグを開いた。そこには猫グッズが詰まっている。通常、このバッグにはカリカリ、チュール、紙の皿、ゴミ袋、そしてセロハンテープを入れている。花ちゃんがスリスリをしてくれるのは嬉しいのだが、すると私のジーンズに花ちゃんの体毛がべったりと付着してしまうのだ。黒のジーンズをはいているときには、特に目立ってしまう。帰宅後にそれを掃除機で除去しようとしたこともあったが、なかなか取れない。そこで私は、セロハンテープをぺったんぺったんとやって、花ちゃんの体毛を除去する方法を考案したのである。

 

私が差し出したチュールを花ちゃんは、舌を素早く動かして、舐め取っていく。花ちゃんの舌の動きに合わせてチュールを絞り出していくと、チュールはあっという間になくなってしまう。丁寧に絞っていくと、最後に花ちゃんの舌が私の指先に触れるのだった。ザラッとした感触があった。

 

- おいしかったかい?

- ええ、とっても。実は、おじさん・・・。おじさんにお願いがあるの。

- 何? 何でも言ってごらん。

- あたし、人間の世界がどうなっているのか知りたいのよ。人間が住んでいる世界がどうなっているのか、あたしに教えて欲しいの。

 

人間の世界。私は一瞬、返事をためらった。簡単なようで、それをどう説明すればよいのか、思いあぐねたのである。でも私は、それを説明する漠然としたイメージを持っていた。

 

- 分かった。いいよ。説明してあげる。でも、それは簡単なことじゃないし、少し時間のかかることなんだ。それでもいいかい?

- いいわ、ありがとう。

- でも、花ちゃん。どうしてそんなことを知りたいの?

- 実はね。あたしの来世のことなんだけれど。あたしは、人間に生まれ変わるための秘密の呪文を知っているのよ。死ぬ前にその呪文を唱えれば、あたしは来世において、人間に生まれ変わることができる。もう一度、猫として生きるか、来世は人間として生きるか、迷っているのよ。

- へえ、そうだったんだ。でも、どうして人間になんか興味を持ったんだい?

- だって、人間はチュールを持っているでしょ。カリカリだって。それを猫は持っていない。人間から与えてもらうだけ。だから、あたしは人間の世界を知りたいの。

- 分かったよ、花ちゃん。少し考えて、今度会ったときから、少しずつ説明させてもらうよ。

 

そう言って、私は花ちゃんに別れを告げた。立ち去ろうとする私を、花ちゃんはいつまでも見送っていた。

 

立ち去る私を見送る花ちゃん