数日後、私は再びにゃんこ村を訪れ、いつものベンチに腰かけていた。手にはかりんとうの袋を持っている。サクサクとした歯触りを楽しみ、その後にやってくる黒蜜の甘さを堪能しているのである。このかりんとうは、特蜜2度がけ製法によって作られた特別なものなのである。もう止めようと思いつつ、つい手が伸びてしまう。
実は、私のダイエット経験は長い。お腹をへこませようと思って、かつて自転車に凝ったことがある。10台近く乗り継いだ。ロードバイクに乗って、1日に136キロ走破したこともある。最近は便利なデジタルメーターがあって、自転車でもスピードや走行距離を計測することができるのだ。136キロも走ると、痛烈な空腹感に襲われる。そして私は、とんかつ屋へと駆け込み、自分もお店の人も驚くほど、とんかつをむさぼり食べたのだった。結果として、私のお腹は一向にへこまない。そのときの経験から、私は、運動をしてもダイエットはできないという教訓を学んだのである。
結局、かりんとうの袋も空になってしまった。私は立ち上がって、食べこぼしたかりんとうを衣服から払った。何となく気になったので、地面に落ちたかりんとうを眺めた。すると、小さな破片を2匹の蟻(アリ)がせっせと運んでいるではないか。彼らは協力しながら、一つの方向へかりんとうの破片を運ぼうとしている。その先には、きっと彼らの巣があるのだろう。
私は立ち上がって、辺りを見渡した。この広いサッカー場ほどもある場所で、私がここに来て、かりんとうを食べこぼすなどということを蟻たちが知るはずはない。すると、彼らはこの場所のいたるところにいて、何か食べ物、甘い物が落ちていないか、くまなく探しているということなのだろうか。私は、蟻たちの営みに圧倒される思いだった。
駐車場の南の端に、桜の老木が立っている。その方向から、一匹の猫が私の方に向かって、トコトコとやってくるのが見えた。手を振ると、その猫はニャーと声をあげた。花ちゃんだった。
- お腹すいているかい?
- ええ、とっても。
私は紙の皿を地面に置き、その上にカリカリをたっぷりと注いだ。花ちゃんは、一心不乱にそれをむさぼった。食べ終わった花ちゃんは、ベンチに飛び乗り、私の右隣に座った。私は花ちゃんの頭を軽く撫でてから、言った。
- それじゃあ、始めようか。人間の世界についての話。今日は1回目だから、レッスン1というところだね。
- ええ、お願い。このレッスンは、何回くらい続くの?
- さて、それは俺にも分からないけど、4~5回かな。
花ちゃんは頷いて、私の顔を見上げた。
- まず、人間が生まれると、その子は生活共同体に属することになる。生活共同体というのは、生活を共にする人間集団のことで、その最小単位は家族ということになる。多くの場合、家族は同じ家に住んでいる。親がいて、子供がいる。それが家族だ。家の中にいれば、雨や風を凌ぐことができるし、冬は暖かく、夏は涼しい。昼間は働いている人間も、夜には大体、家に帰る。そして、家族は家の中で夕食を共にする場合が多い。
- 人間の住む家というのは、そういうものだったのね。あたしたち野良猫には家がないから、とても羨ましいわ。
- うん。雨の日や風の日は、家って本当にありがたいなと思うよ。確かに家は、人間にとって必要なものだと思う。でも、家族にはいろんな問題があるんだよ。
- あら、そうなの?
- うん。子供が小さい頃はいい。その時点での親子関係は単純だ。親は子供を100%支配する。そして、子供は親に100%依存する訳だ。赤ん坊や小さな子供は、生きていく上で必要最小限の知識さえ持っていないから、それは当然のことだ。しかし、子供は急速に成長する。すぐに食べていいものとそうでないものとを識別できるようになるし、体だって大きくなる。そこで、親子関係に変化が生まれる。親の方は相変わらず100%子供を支配しようとするけど、子供の方は親への依存度を減らしていくわけだ。そこで、「敵対性の否認」という問題が発生するんだよ。
- 何それ? あんまり難しい話はやめてよ。何しろ、あたしは猫なんだからさ。猫でも分かるように説明して!
- 分かった、大丈夫だよ。やさしく説明するから。まず、敵対性というのは、利害関係が一致しないことなんだよ。例えば、親は子供に家業を継がせたいと思う。子供は家業ではなく、別の仕事に就きたいと思う。こうした場合、親子の間で利害関係は対立していることになるよね。この利害関係の対立のことを敵対性という訳だ。次に、否認ということだけれど、これはある事柄が実際には存在しているのに、それを認めようとしないことなんだ。つまり、敵対性の否認というのは、実際には利害関係が対立しているのに、その対立を認めようとしないという意味なんだ。よく「お母さんはあなたのためを思って言っているのよ」という発言があるけど、これは典型的な敵対性の否認ということになる。
- なるほど。それは分かったけれど、そんなことばっかり言うと女性から嫌われるわよ。
- 忠告、ありがとう。でも、この話はね、政治学者の白井聡さんの説なんだよ。文句がある人は、白井さんに言って欲しい。
- あら、随分と逃げ腰なのね。それで、敵対性の否認を回避するためには、どうすればいいの?
- それはね、子供が成長するように、親も成長すればいいんだ。それができない、つまり親が成長できない事例において、問題が発生すると思う。これは俺自身の考え方だけれどね。子供は成長するにつれ、親への依存を低めていく。それと同じように、親は子供への支配を低めていく必要がある。やがて子供は大人になる。その時点では、支配や依存という関係は解消されていなければならない。誰かを支配しようと思ってはいけない。誰かに依存しようと思ってもいけない。誰かのために生きようと思ってはいけない。自分のために生きなければいけないんだ。
- ふうん。人間の世界も、結構、大変なのね。
- 猫の場合は、子供がある程度大きくなると、母猫が子猫を突き放すよね。それって、人間の場合よりも自然の摂理にかなっていると思うよ。
- そうかもね。でも、成長するっていうのは、どういうこと?
- それはね、同じ場所に留まらないってことだと思う。A地点からB地点へ移動する。同じ考え方ばかりしていては、人間は成長しない。過去の自分を否定しなければ、成長はできない。例えば、毎日、カンナを使って柱を削っている大工さんがいたとしよう。昨日と同じように削ろうと思っていては、その大工さんは成長しない。昨日のやり方よりも、きっともっといいやり方があるに違いない。そう思って、新しい技術を目指している大工さんであれば、成長できるってことなんだ。
- 分かったわ。でも、少し疲れた。
- そうだね、レッスン1はここまでにしておこう。
私はそう言って、花ちゃんの背中を撫でた。