文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

猫と語る(第9話) 幻想共同体

 

黒三郎の言葉は、私の心に重く響いた。確かにこの地球上において、人間は最低の存在なのかも知れない。しかし、それは人間がミッシェルの夫を殺害したからではない。人間だって他の動植物を食べなければ、生きてはいけない。そして人間たちは、多分、ミッシェルの夫を食べたのだろう。イノシシの肉は、しし鍋とかぼたん鍋として調理され、とてもおいしいらしい。もちろん、そんなことをミッシェルや猪ノ吉に言う訳にはいかない。そのことではなくて、私は、人間が起こす戦争について、思いあぐねていたのだった。

 

敵の肉を食べる訳でもないのに、つまり、自分たちが生きていくために必要という訳ではないのに、人間は他の人間を大量に殺戮する。しかも戦争は、同種の生物である人間同士の間で行われるのだ。何という理不尽だろう。そんなことを考えているうちに、2週間が経過していた。しかし私は、意を決して、にゃんこ村にクルマを走らせたのだった。

 

クルマを降りると、早速、黒三郎がバサバサと羽音を立てながら、舞い降りてきた。

 

- 随分、久しぶりじゃないか。オッサン。もう来ないのかと思っていたよ。

- うん。でも、俺には花ちゃんと約束したことがあるんだ。まだ、その約束を果たせてはいない。

- 知ってるよ。人間の世界について説明するっていう、例の話だろ。

- そうだ。木の上で聞いていたのか。別に構いはしないけど。

- ああ。俺が、花ちゃんを呼んできてあげよう。猪ノ吉にも声を掛けていいかい?

- 俺は構わないよ。猪ノ吉がそんな話に興味があるんだったらね。

- カァー!

 

黒三郎は一声鳴くと、空高く舞い上がっていった。そして、トンビのように空で円を描くと、崖の方に向かって舞い降りて行くのだった。

 

ベンチに座って待っていると、南の方角から花ちゃんがトコトコとやってきた。猪ノ吉は北の方から、ノシノシとやってきた。黒三郎も一緒だった。花ちゃんは、私の足元にスリスリをしてから、ベンチの上に飛び乗った。猪ノ吉は黙ったまま、地面に寝そべった。

 

- さあ、それじゃあ始めてくれ。

 

黒三郎が、そう私を促した。

 

- うん。人間はね、集団的な生き物だと言える。既に、生活共同体と利益共同体については説明した。ところが、人間が形成する共同体には、もう1つの種類があるんだ。俺は、それを幻想共同体と呼ぶことにした。そう呼ぶからには、まずは、幻想について説明しなければならない。幻想とは、仮説のことだ。例えば、世界はこうなっているのではないかとか、こうすれば人間の世界はうまくいくに違いないというようなものさ。しかし、未だにその正しさが証明された仮説は存在しない。つまり、全ての仮説は大なり小なり、間違っているってことだ。それでも、そのような仮説を自ら信じる人、誰かに信じ込まされる人は、後を絶たないんだ。そして、その仮説、つまり幻想を共有する人間集団が生まれる。仮説を立てること、幻想を構築すること、その行為自体は悪くない、と俺は思う。しかし、その幻想に執着して、自らの頭で考えなくなることが問題なんだよ。人間の世界においては、日々、多くの発見や発明がなされる。それらの新しい知識を反映させて、全ての幻想は再検証されるべきだが、実際には、そうはならない。ひと度構築された幻想は、その幻想を基盤とした権力を生むからだ。そして、権力者たちは自らの権益を守るために、幻想をそのままの形で維持しようとする。これが、幻想共同体の宿命なのだと思う。

- 幻想を構築したとして、それを少しずつ良くしていけばいいんじゃないの、ニャン。

- うん。確かに、そういう考え方はある。一般に保守と呼ばれる立場だ。悪い所があったら、少しずつ、それを修正していけばいいという考え方だ。しかし、そのような考え方が正しいという保証はない。例えば、積み木を使って、大きなお城を作ったとしよう。しかし、お城の土台を構成している1つの木片に誤りがあった。さあ、どうやって、それを取り換えることができるだろうか? たった1つの木片を交換しようとすれば、その積み木のお城全体が崩れてしまうよね。だから、少しずつ良くしよう、少しずつメンテナンスしようとしても、それは無理なんだ、という考え方がある。この立場は、フランスで論議されたエピステモロジーという思想だ。俺は、この立場の方が正しいと思う。例えば聖書には、最初の人間はアダムとイブだと書かれている。しかし、アダムもイブも存在しなかったという前提に立った場合、聖書自体が成り立たない。聖書は、その全体を書き直さなければならない。

- ブヒー!

 

猪ノ吉が、鼻を鳴らした。

 

- それでは、どうすればいいんだ?

- そうだね。人間は幻想を構築する生き物だ。しかし、未だにその正しさが証明された幻想は存在しない。そうしてみると、古い幻想を捨てて、新しい幻想を生み出すしか方法はない。1から、いや、ゼロからやり直さなければならないんだよ。1つのたとえ話がある。「シーシュポスの神話」と呼ばれる話だ。昔、神々の逆鱗に触れてしまった、シーシュポスという男がいて、彼は罰を受けることになる。彼は、大きな岩を山頂まで押し上げなければならない。しかし、山頂に達すると、その岩はたちまち山肌を転がり落ちてしまう。シーシュポスは山のふもとに戻り、また、山頂目指して大きな岩を押し上げなければならない。この作業は、永遠に続く。まさに、人間と幻想の関係を象徴するような話だと思う。

- 知らなかった。人間も大変なんだな。カァー。

- もう少し、具体的に話してみて。ニャン。

- うん。幻想共同体には3つの典型例がある。1つ目は、宗教団体だ。宗教の起源の1つは、呪術にある。古代の人間は、とてつもない困難に直面していた訳だ。医学がないから、身体的な苦痛と直接的に向き合わなければならなかった。そこで、自分の願いを叶える方法として、呪術に依存した訳だ。同じような理由で、祭祀という集団的な呪術も発達した。そして、祭祀を司るシャーマンが登場する。これがシャーマニズムと呼ばれる個人崇拝の文化だ。加えて、神話が登場する。それらを様式化して、宗教が生まれる。こうして、世界中の民族が、全ての人類が、宗教に依存して集団を形成していたんだ。だけど宗教は、幻想に過ぎない。未だに文字を持たない部族も存在するし、彼らは本気で宗教を信じているだろう。しかし、その他の、つまり文字を持つ文明圏に暮らす人々にとっては、最早、宗教が幻想に過ぎないことは、自明の理だ。それでも文明圏において宗教が存続しているのは、権力がそうさせているからだ。文明圏に暮らす人間は、そろそろ宗教を卒業するべきなんだよ。宗教団体が持つ権力構造を解体すべきなんだ。幻想共同体における2つ目の典型例は、イデオロギー集団だ。中でも最大規模を誇るのは、共産主義を標榜する集団だろう。彼らは共産主義を科学だと主張する。だから正しいのだと。しかし、そうだろうか? 彼らは人間の歴史を物と労働を基軸に考えているようだけれど、人間の歴史って、そんなに単純なものではない。文化人類学が解き明かしつつある様々な事柄の方が、余程リアリティーがあると俺は思う。物や労働ではなく、人間の歴史は魂と身体を基軸に積み重ねられてきたに違いない。だから、人間はもう共産主義を捨てるべきなんだけれど、ここでもまた、権力が邪魔をする訳さ。そして、幻想共同体における3つ目の典型例は、国家だ。

- 国家って、何? ニャー。

- 国家は、領土と、国民と、憲法によって構成されている。線引きをして土地を区切り、領土の範囲を決める。そこに住む人間をその国の国民だとする。そして、国の運営に関して権力を持つ者たちに合理的な制限を加える為に、憲法を定める。こうして、1つの国家が成立する。

- ブー、ブー。ちょっと待ってくれ。この場所は、日本だろう? イノシシであるワシだって、それ位のことは知っている。そして、日本という国は、確実に存在するのであって、それは幻想ではない。

- そうだね。そう思いたいよね。でも、現実は違う。領土については、他国との間で争いがある。国民は海外旅行をしたり、移住したりする。そして、憲法は守られない。それでも、日本という国は本当に存在しているのだろうか。国政選挙があったって、半分の国民は投票にすら行かない。本当に日本人は、日本という国家を認識しているのだろうか。この点、俺は悲観的な見方をしている。

- どうして、そんなことになるんだ? カァー。

- 1つの理由として考えられるのは、国家ではなく、別の枠組みで考える人が少なくないってことだ。例えば、国際企業に勤めている人は、国家よりも企業に対する従属意識が強いだろう。宗教団体に属している人は、そちらの方に意識が向く。共産主義者も同じで、彼らにとっては日本という国家よりも、イデオロギーに基づく階級闘争の方が大切なんだと思う。それと、日本に限って言えば、もう1つ大きな障害がある。それは、日本が独立していないってことさ。先の戦争で日本はアメリカに負けた。それ以来、日本は巧妙かつ狡猾な方法で、アメリカに支配されているのさ。言わば、日本は未成年の状態にある。自分のことを自分で決められない子供と一緒だ。個人にとっても国家にとっても、一番大切なことは、成長するってことだよ。そして成長するためには、成人として、独立していなければならない。他の国に従属している国は、無駄に時間を過ごしているだけで、一向に成長しないんだ。先の戦争から、日本はもう78年もの長い時間を無駄に過ごしてきたのさ。ふう。ため息が出る。

- ため息が出る。ニャー。

- ため息が出る。カァー。

- ため息が出る。ブー。

- そろそろ、話をまとめよう。人間が形成する集団は、大きく分けると3種類あって、それは生活共同体、利益共同体、そして幻想共同体なんだ。実際にはその複合形態や、過渡的なものもあると思うけれど、共同体が成立するための本質的な要素は、生活、利益、幻想の3種類しかない。そして、あらゆる共同体の中で、最も真理に近いと思われるもの、それは国家なんだよ。真理に近づくためには、我々はもっと国家について考える必要がある。本当の国家においては、金持ちが貧乏人を助ける、強者は弱者をいたわる、チャンスは平等に与えられる、権力は公正に行使される。そうあるべきだと思う。それらの事柄を一言で表わすとすれば、それは正義という言葉が適切だと思う。正義を実現する。人間の世界においては、そのために国家が必要なんだ。

- 人間の世界って、大変なのね。

 

花ちゃんはそう言って、どこか遠くを見つめた。