文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

猫と語る(第10話) 遥かなる真理

 

1週間が過ぎ、私は色づき始めた木々を眺めながら、にゃんこ村のベンチに座っていた。花ちゃんは私の足元にいて、黒三郎と猪ノ吉も一緒だった。

 

- 花ちゃん、それじゃあ最後のレッスンを始めよう。人間の世界を説明するに当たって、どうしても言っておきたいことがあるんだ。それは、真理についての話だ。

- 真理って何? ニャオ―。

- うん。それが、なかなか難しい。前回は、正義について話したけれど、正義っていうのは、相対的なものだ。その時々の現実に応じて、それは変化する。これに対して、真理とは絶対的なものであって、普遍的で、正しく、重要なものでなけりゃならない。絶対的な正しさ、そんなものが存在するのだろうか。そういう疑問も湧いてくる。物理学上の原理こそが真理だと考えている人もいる。万有引力の法則みたいな奴さ。でも俺は、そうは思わない。確かに、万有引力の法則は発見された。しかし、それによって人々の暮らしは楽になっただろうか。例えば、俺たち全員は、2つの眼を持っている。

- ブヒー! 確かにそうだな。黒三郎にも2つの眼がある。

 

猪ノ吉がそう言うと、一同、互いの顔を見比べるのだった。

 

- うん。そういうことはね、事実に過ぎないんだ。事実と真理は違う。万有引力の法則にしたって、それは事実に過ぎない。また、例えば正三角形の3つの辺の長さは等しい、ということもある。けれどもそれは、ただの概念に過ぎない。真理とは、もっと崇高なものであるはずだ。

- 回りくどいことを言わずに、結論を教えてくれよ。カァー。

- ごめん、ごめん。正直に言うと、俺が不勉強だからか、それとも俺が馬鹿だからか、理由は分からないけれど、俺は真理について的確に説明する言説というものに出会ったことがない。仕方がないので、自分で考えることにした。その結論とは、全ての生き物が幸せになる方法、それこそが真理だということだ。

- 全ての生き物には、カラスも含まれるのか?

- もちろんだよ。カラスもイノシシも猫も含まれる。そして、人間も。そういう世界が実現できたとすれば、それ以上、一体何を考える必要があるだろうか?

- ニャー、ニャー! あたしはおじさんの考え方に賛成だわ。みんなで幸せになろう!

- そうだね、花ちゃん。でも、真理っていうのは、とても遠くにあるんだ。

- どうして?

- うん。理由は、いくつか考えられる。俺たち生き物には、ざっくり言って40億年の歴史がある。それぞれの生物が、それぞれの進化を遂げてきた訳だけれど、それはとても長い時間をかけて、複雑なプロセスを経て、今日の形になっているんだ。人間は一生懸命、研究を続けてきた訳だけど、残念ながら、未だに身体とは何か、生命とは何か、分かっていないのさ。そして、地球はあまりにも広大だ。それは人間が理解できる範囲をはるかに超えている。だから、人間にできることなんて、本当にちっぽけなことだけなんだよ。

- それで真理は遠いってことなんだな。ブー、ブー。

- それじゃあ、真理に到達できる可能性、つまり人間に希望はないってことなの? ニャー。

- う~ん。それは、とても難しい質問だね。ただ・・・。

- ただ?

- 人間には、人間だけに許された能力ってものがある。それはね、前の世代の人々が作り上げたこと、考えたこと、知識なんかを次の世代に引き継ぐ能力のことなんだよ。例えば、10年前の猫が考えたこと、100年前のカラスが考えたこと、千年前のイノシシが考えたことを君たちは知ることができるかい?

- それはできない。ニャー。

- それはできない。カァー。

- それはできない。ブヒー。

- でもね。人間にはそれができるんだ。どうしてかって言うとさ、それは人間が文字を持っているからなんだよ。人間は、大昔から様々な事柄を文字によって、記録してきたんだ。そして、後世の人々はそれを読むことによって、先人たちの知恵を学ぶことができる。だから、人間は先人たちの知恵を受け取って、それをより良いものにして、後世の人々に受け渡すことができるんだ。バトンリレーのようなものだね。そして、あえてこの能力を言うとすれば、それは知性という言葉が適切じゃないだろうか。人間の歩みは遅い。だから、未だに真理はとても遠くにある。でも、知性によって、人間は真理に近づくことができる。

- 一体、どこへ行けば文字を読むことができるの? にゃん。

- 本屋さんとか、図書館とか。そういう所に行けば、何万冊という本が置いてある。一生をかけても読み切ることはできない位さ。

- そんなに沢山の本ってものがあるのね。ニャオ。

- そうだよ。こうしている今でも、無数の人々が文字を書き、文字を読んでいる。

- 分かったわ、おじさん。人間は文字を持っている。文字によって、人間は成長できる。その力は知性と呼ばれるもので、それは人間にしか許されていない能力なのね。だから、人間は知性によって、真理に近づくことができる。それが、人間が持つ希望だと・・・。おじさん、大切なことなの。はっきりと答えて!

- その通りだよ、花ちゃん! 俺は、そう考えている。

 

そう答えると、花ちゃんの瞳がキラリと光った。

 

- このレッスンを締め括るに当たって、最後にもう1つだけ言わせて欲しい。結局、人間の世界においては、まず、誰かが仮説を作るんだ。そして、仮説は拡大して、幻想を生む。幻想に賛同する者たちが、集団を作る。集団の中には、権力が生まれる。権力は必ず腐敗して、その集団を破滅へと向かわせる。こういう破滅志向の構造が存在する。宗教がそうだし、イデオロギーもそうだ。アカデミズムにも同じことが言える。だから、人間は共同体の中に埋没しては駄目なんだよ。そこから離れて、根本から考え直さなければ間違ってしまうのさ。その方法が、自らの魂に配慮するってことなんだ。王様は裸だ! そう主張する勇気を持たなければいけない。権力に勝るもの。それは、個々人が持つ魂以外にない。だから、いつだって人間は、魂から出発して、真理を目指すべきなんだよ。魂から真理へ!

- なんだか、今日のおっさんはカッコいいなあ。カァー、カァー、カァー。

 

それ以上、私に続ける言葉はなかった。私は、言い尽したのだった。