本棚をゴソゴソ探していると、奥の方から目当ての本が出て来た。三島由紀夫の「行動学入門」である。(以下「文献2」)
恐る恐る頁を開いてみると、用紙は既にこげ茶色に変色しているのだった。活字の小ささにも驚かされた。昔の文庫本は、今より一回り小さな文字で印刷されていた。奥付を見るとそれは第13刷で、発効日は1984年9月15日とある。丁度40年前である。ちなみに定価は260円。昔は本も安かった!
これはちょっと読む気になれないなと思いながら、目次を見てみると、この本は3部構成になっていた。
第1部: 行動学入門
第2部: おわりの美学
第3部: 革命哲学としての陽明学
とりあえず第1部に目を通し始める。そして私は、いつしかこの本に引き込まれていたのである。
ところで行動に関する三島の思想は、行動学としての陽明学と、武士道としての葉隠を背景に持っている。本稿においては、文献2の第3部、すなわち「革命哲学としての陽明学」という小論文をベースに、三島が陽明学をどのように理解していたのか、そこに焦点を当てて考えてみたい。
陽明学の始祖は王陽明(1472-1529)で、彼は明の時代の浙江省に生まれた。陽明は知性主義を脱却した人であり、書斎に籠る学者タイプの人間ではなく、波乱万丈の人生を送った。このように陽明学は中国で生まれた訳だが、それは長い年月を掛けて、日本に定着したのである。
- 陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。(文献2:P. 194)-
- 陽明学はもともと志那に発した哲学であるが、以上にも述べたように日本の行動家の魂の中でいったん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。(文献2:P. 226)-
次に陽明学の中身だが、ポイントは2点あるように思われる。まず、陽明学は人間の心の中に良知があると考えた。良知とは、善悪を識別する良心的作用であり、心の中に住む聖人の声であり、宇宙の根本原理である。そして、良知を突き詰め進化させると、人は太虚に至る。この太虚を目指す心的な動きを帰太虚という。太虚とは良知の極致であり、創造と行動の原動力であり、生死を超越した正義のことである。死に直面したニヒリズムとも言える。
2つ目のポイントは、知行合一(ちこうごういつ)である。知とは認識のことで、行とは行動を指す。すなわち、認識と行動を一致させよという思想なのだ。これは「知ッテ行ハザルハ未ダコレ知ラザルナリ」という言葉に置き換えることができる。例えば、政府の政策は間違っていると知っていたとしても、その認識に基づいて行動を起こさなければ、それは知らないのと同じだ、ということになる。但し、何にでも自分の認識通りに好き勝手に行動せよ、と言っている訳ではない。ここに言う行動とは、命を懸けたものであり、原則としてそのチャンスは一生の間に1度しか訪れない。その例として、文献2では大塩平八郎の例を挙げている。
江戸時代のことだが、何年も飢饉が続いた。反乱が起こると困るので、幕府は他の地域から米を江戸に集めるよう命令を下した。大阪の豪商たちは米を買い集め、それを幕府に販売し、暴利を得ていた。結果、大阪では多くの餓死者が出た。大塩平八郎は大阪の役人と掛け合ったが、大塩の陳情は聞き入れられなかった。思い余った大塩は自ら所有していた蔵書1200部や家財を売却して、その代金を貧民に分け与えた。しかし、その効果は焼石に水だったのである。
- 大塩平八郎は天保八年の二月十九日、兵を起こして大阪市中に火を放ち、貧民救済のためにほとんど望みのない暴動を企てたのであった。まず豪商の家に放火し、蔵を破壊し、金穀を四散した。しかしそれは貧民の手には渡らず、徒党の中で金を掴んで逃げたものがたくさんあった。(文献2:P. 205)-
- 大塩の行動は義によって立ったとはいいながら、その蜂起の二つの大目的、腐敗した権力者の打倒と貧民救済とは、二つながら果たしえず、むしろすべて逆目に出た。(文献2: P. 204)-
- 三月二十七日の黎明、数十人の捕手がやってきたので、彼(大塩)は養子格之助の胸を刺した後、自らも喉を突いて火をはなち火中で憤死した。ときに年四十五歳であった。(文献2:P. 206)-
このように惨憺たる結果に終わった訳だが、一体、誰が大塩の行動を非難できるだろう。なお、陽明学を志し、行動によって命を落とした著名人としては、他に吉田松陰や西郷隆盛らがいる。
さて、三島は陽明学の今日的な意義について、次のように述べている。
- われわれの戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである。(中略)しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。(文献2:P. 214)-
このような記載に、三島の本音が潜んでいるように思う。
- われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の蔭に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬ってきた。われわれは西洋に対して戦うというときに何をもとにして戦うかを、ついに知らなかった。そして西欧化に最終的に順応したものだけが、日本の近代における覇者となったのである。(中略)われわれはこの陽明学という忘れられた行動哲学にかえることによって、もう一度、精神と政治の対立状況における精神の闘いの方法を、深く探究しなおす必要があるのではあるまいか。(文献2:P. 227)-
上の引用箇所における近代化という言葉をグローバル化に置き換えてみると、三島の指摘はそのまま現在の日本の状況に合致するように思う。
ところで、帰太虚や知行合一という陽明学の思想は、自らの魂に配慮せよと主張したソクラテスの思想、自ら毒杯を飲み干して死んでみせたソクラテスの行動と合致してはいないだろうか。陽明学は「真理は自分の中にあり」とも述べている。
ちなみに三島は、決行の6日前に投函された作家の村上一郎氏に宛てた手紙の中で、最近はプラトンのパイドンを読んでいると述べている。それは、死の直前のソクラテスを描いた作品なのである。
文献2: 行動学入門/三島由紀夫/文春文庫/1974年(第1刷)