三島の複雑で難解な思想を、どう言い表せば良いのか。三島自身、何とか多くの日本人に分かってもらおうと努力した訳で、その一例が「文化防衛論」なのだと思う。三島のそのような努力にも関わらず、彼の思想が人々に理解されたとは言い難い。三島はそのことを死の直前まで嘆いていたに違いない。
さて、人間の本性について、性善説と性悪説があることは前に述べたが、この点、私は人間には善悪双方の特性があるのだろうと思う。例えば、フロイトはそれをエロスとタナトスという用語を用いて説明した。陽明学においても、汚れた心の中にも良知というものがあって、人間はそれを自らの心の中に発見し、育てるべきだと考えられている。
人間を何かにたとえてみようと思う訳だが、そこで私が思いついたのは、泥水である。人間とはあたかも泥水のように、箸にも棒にもかからない不定形な存在なのだと思う。結局のところ、男も女も旺盛な性欲を持ち、自分勝手で、ほとんど何も理解することができない。おまけに人間は狂いやすく、他者を殺すばかりか自ら死のうとさえする。そんな動物を、人間以外に私は知らない。
泥水を水槽に入れてみたとしよう。それは汚らしいばかりで、そんなものに興味を持つ人はいない。しかし、その水槽を放置しておくと、次第に泥だけが水槽の底に沈殿していき、上部には無色透明の水が現われる。陽光を浴びれば、その水はキラキラと反射して輝くに違いない。但し、水槽を揺すったり、中の水をかき混ぜたりした場合、泥水はいつまでたっても泥水のままなのである。
人間という泥水を、泥と水とに分離すること。すなわち、人間の中に潜む悪徳と良心とを分離し、良心を育て上げること。それが文化を育むということだと思うし、それには一定の環境条件が必要なのだと思う。その条件を以下に述べてみよう。
1.まず、人間集団がある訳だが、これは出入り自由の、言わば開放系の集団であってはならない。文化は閉鎖系の集団が価値観を共有することによって、育まれる。
2.その閉鎖系の集団は、共通の言語を持っていなければならない。閉鎖系の集団の構成員は、何らかの価値観なり美を発見した場合、それを言語化するに違いないのだ。そして、その言語が共有されることによって、集団の構成員はその価値観なり美を認識することが可能となる。
3.その閉鎖系の集団は、生命の危機に晒されていてはならない。そのような危険な状況にあっては、人は生命を維持することばかりに気を取られてしまうからである。また、その集団は、ある程度、経済的にも安定していなければならない。
4.文化を育むその集団は、長く存続しなければならない。何故なら、文化は伝承されることによって、その純度と完成度を高めるからである。武士道には千年の、古事記には千三百年の歴史がある。
5.その集団内において、言論の自由が保障されていること。それがなければ、その集団内のメンバーは、文化を醸成するという遠大な営為に参加することができない。
このように考えると、文化を育む環境条件の最も整った国、それは正に日本ではないかと思えてくる。日本は島国だし、江戸時代には鎖国をしていたので、正に閉鎖系の国だったのだ。また、日本には様々な方言があるものの、基本的には日本語を共通言語としてきた。そして、日本は恵まれた土壌と気候のおかげで、古くから稲作に従事してきた。稲は他の作物に比べ生産効率が良く、災害などの被害は避けられないとは言え、日本人は他の地域の人々よりも恵まれた食生活を送ってきたのである。日本の皇室が、様々な文化の担い手であったのも、彼らの生活が安定していたことにその理由があると思う。そして、日本においては革命も独立戦争も起こったことがないのである。仮に革命があったとしても、それは大化の改新と明治維新位のものである。
戦争を繰り返してきた西洋の諸国や、歴史の浅いアメリカにおいて、日本のように文化が発達しているとは考えにくい。また、中国には永い歴史があるが、建国は1949年である。加えて、毛沢東が推進した文化大革命により、文化的、歴史的な遺産は、片っ端から反革命的であるとの理由により、破壊されてしまったのである。ちなみに、1967年、川端康成、三島由紀夫、安倍公房、石川淳の4名は文化大革命に抗議し、学問芸術の自由を擁護すべきとする声明文を公表している。
そもそも美とは、人間社会において当初から存在するものではない。それは、多くの人が美しいと思い、美しいと解釈する共通の感性があるから、美しいのである。それは倫理も同じで、多くの人々が当然のごとく、そんなことをしてはいけないと思うから、それが共通認識となり、人々を規制するのである。つまり、美も倫理も、文化が産み出すのだ。
三島は最後の時、自衛隊の市谷駐屯地のバルコニーから声を張り上げて演説をぶった。それは、アメリカ人に聞かせるためでも、中国に向けてのものでもなかった。それは日本列島に居住し、日本語を母語とする私たちに向けてのものだった。