先月の末頃、三島由紀夫の遺作、豊饒の海を読み終えた。私は言いようのない充足感と共に、体から力が抜けて行くような、奇妙な感覚に捕らわれた。もしかすると、これは文学が到達し得る頂点なのではないか。そう思った訳だが、読了した直後の満足感から、そう錯覚しているのではないかという危惧もあった。こういう時には、何かを発言したり書いたりする前に、少し時間を置く必要がある。
その後、日を重ねるごとに私の印象は強くなり、2週間以上が経過した今、それは確信へと変わった。豊饒の海は、文学が到達し得る極点に位置する作品なのだ。
例えば、富士山をイメージしてみよう。麓から見上げるだけでも、素晴らしい山だ。しかし、富士山の本当の素晴らしさを実感するためには、山頂まで登ってみる必要がある。それと同じで、文学という山を理解するためには、その頂上まで上り詰め、下界を見下ろしてみなければならない。三島は5年の歳月を掛けて、一歩ずつ道を切り開き、登頂に成功した。そして、三島が作った登山道を登ってゆくと、私たち読者も山頂に至ることができる。
豊饒の海は長編なので、その素晴らしさを簡単に説明することはできないが、例えば、こんな風に言うことができる。人間世界を簡単に説明すると、そこには時間と空間があり、人間がいて、人間は集団を構成している。文学作品の多くは人間を表現し、哲学は人間集団をモチーフとする。また、空間を描くことは左程、難しくはない。私たちは、地図という便利なものを持っている。しかし、時間を認識することは、困難を極める。豊饒の海は、その人間にとって最も理解することが困難な、時間を表現しているのだ。
私は、文庫本の豊饒の海を持っている。多分、それは30年程前に購入したものである。当時、読みかけた記憶があるが、すぐに挫折した。豊饒の海の冒頭には、貴族の美しい少年が登場する訳だが、第一に私は貴族などという階級とは無関係に生きてきたし、第二に、私は美少女には興味があるものの、美少年に興味を持ったことはない。しかし、それでも気になって、10年程まえに、今度は全集版の豊饒の海を購入した。そして今般、やっと読み終えた訳だが、それは私にとって、人生の忘れ物を拾い集める作業に似ていた。
永年、意識しつつも読んでいない本は他にもあった。それは川端康成が記した「小説の構成」という本である。何故、この本が気になっていたかと言うと、それは川端の文体が原因だった。よく言われることだが、川端の文体はさりげなく、無駄がなく、それでいて読者をいきなり小説世界に引き込む力を持っている。そんな文章を、そしてそんな小説を、彼は何故、書くことができたのか。それは私にとって、謎だったのである。YouTubeの動画を見ると、川端は寡黙で、言ってしまえば口下手なのである。この爺さん、一体、何を考えているのだろう? その口ぶりや外見からは、全く理解できない。多分、生まれ持った性格や才能の問題なのだろう。私は、何となくそう想像していたのである。
そもそも、文芸誌における作家の対談などを読むと、彼らは彼らだけが知っている暗黙の了解のようなものがあって、奇妙な感じで了解しあっている訳だが、何故、彼らが通じ合えるのか、それは読者にはよく分からない。そういうものが多い。一体、文学とは何か、小説とは何か、その秘密を分かり易く説明してくれる人はいないものか。私は半ば憮然と、そう思ってきた訳だ。
そこで、今回、川端の「小説の構成」という本を読んでみた訳だが、驚いたことに、そこには私の疑問に対する回答が、ほぼ全て書いてあったのである。ちなみに、この「小説の構成」という論文は、1934年、川端が35才の時に執筆したもので、当時、文芸春秋において発表されたものらしい。私が読んだ単行本は、1983年の初版本である。ここには日本のみならず海外における文学理論などが、豊富に紹介されている。そして、川端がそれらの理論に対してどう考えるのか、何故、そう思うのか、事細かに記載されているのである。この本は、小説家を志そうという若者を読者として想定している訳だが、そこで語られる事柄は、小説とはいかにあるべきかという、そのロジックそのものなのだ。ちなみに川端は翌1935年、36歳であの名作「雪国」を書いている。若き日の三島は、きっとこの論文を読んで勉強していたのだろう。私は再び、人生の忘れ物を拾い上げたような気分になった。
また、別の文献によれば大正13年(1924年)に創刊された「文芸時代」という同人雑誌において、川端は大変興味深いことを書いている。
- 我々の責務は文壇における文芸を新しくし、更に進んで、人生における文芸を、或いは芸術意識を本源的に新しくすることであらねばならない。「文芸時代」と云ふ名は偶然にして、必ずしも偶然ではない。「宗教時代より文芸時代へ」この言葉は朝夕私の念頭を去らない。古き世に於いて、宗教が人生及び民衆の上に占めた位置を、来るべき新しき世に於いては文芸が占めるであろう。-
25才の青年川端は、大志に燃えていたのである。
この箇所に私が注目した理由を、少し述べておこう。人間とはそもそも、形を持たない泥水のような、若しくは粘土のような存在である。例えば、ある女の赤ん坊がいる。彼女は将来、裁判官になるかも知れないし、犯罪者になるかも知れないし、レズビアンになるかも知れないのである。そんなことは誰にも分からないのである。無限の可能性を持っているとも言えるし、元来、人間には形、様式というものはないのだ。そのような人間に様式を与え、統制するため、人類はいくつかの方法を生み出した。暴力、法律、宗教、文化などがそれである。便宜上挙げたこの4種の中で、あなただったら何によって統制されたいだろうか? 私は、暴力は嫌だし、現代の日本は法治国家だと言われているが、実態はお寒い状況にある。宗教によって洗脳されるのも嫌だ。すると残るのは、文化ということになる。文化、文芸によって、日本の社会を構築すべきだということを、既に若き日の川端は考えていたのである。これ、三島の文化防衛論と似ていないか?
作品に注目した場合、三島は豊饒の海によって、師匠である川端を超えたと思う。三島があと2年早く豊饒の海を書き上げていれば、ノーベル文学賞は三島の手に渡っていたのではないか。そんなことを思ったりもする。しかし、そんな三島を育てたのは、川端なのである。
川端と三島。この2人には、壮絶な物語があって、いつかそのことも紹介したいと思っている。