文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

大いなる無意識

 

昨年の暮れから、川端康成にはまってしまった。三島由紀夫の「文化防衛論」に関するシリーズ原稿をこのブログにアップしていたので、三島からその師匠である川端に興味の対象が移ったのである。川端の作品を年代順に読んで行こうと思って、まずは「伊豆の踊子」から読み始めた訳だが、どうもそのラストシーンの説明がつかない。解説書も読んだが、どの本にも私が求める解釈は記載されていなかった。厳密に読めば読むほど、謎は深まるのである。「雪国」も読み直したが、こちらのラストシーンは、もっと謎めいている。

 

川端が描く小説世界は、川端自身の無意識の領域に属するのではないか。あらゆる常識や規範などを取り除いて、ひたすら自身の無意識の世界に身を沈めていく。そのような作業の結果として、川端の小説は出来上がっているのではないだろうか。従って、これを理論的に解明しようとしても、それは無理なのだ。そのような前提で考えれば納得できるし、換言すれば他にアプローチの方策はない。

 

川端は戦時中から戦後にかけての5年を費やして、源氏物語を原文で読破した。その辺りから、川端の作風は変化し、文学観も固まってきたのだろう。そして川端は源氏物語などの古典をモチーフとして、自らの執筆活動を進めた。

 

川端は、民俗学者である折口信夫とも交流があった。折口は日本の古典文学には、ある物語上のパターンがあると考え、それを貴種流離譚命名した。その概略は次の通り。(出典:魔界の住人 川端康成/森本穫/勉誠出版/2014)

 

・王の子(貴種)が、

・ある犯しによって、

・都を追放され、

・海辺を流離する。

・しかしやがて赦されて、都に帰る。

 

折口によればかぐや姫が登場する「竹取物語」もこのパターンによるという。このような古典における物語のパターンを用いて近代小説を創作するという手法は、三島由紀夫にも継承されている。例えば、三島の遺作「豊饒の海」の第1部「春の雪」の末尾には次のように記されている。

 

- 『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり(以下略)-

 

彼らは、何故、そのようなアプローチを取ったのか。

 

こう考えてみよう。昔の人々は、現代人よりも自然に生きていた。彼らは現代人のように法律や、科学や、様々なシステムに拘束されていなかったはずである。そして、ある範囲に属する昔の人々は、共通する無意識を持っていたのである。それはとてつもなく永い年月を掛けて醸成されたものである。これを仮にここでは「大いなる無意識」と呼ぼう。この「大いなる無意識」には、人間の本質が隠されている。従って、これを解明できれば、人間はもっと幸福に生きることが可能となるに違いない。そして、この「大いなる無意識」を探る手立ては2つあって、1つは神話や古典文学など、昔の物語を探ることである。もう1つは、現代人も睡眠中に見る夢である。そのような方策を取って、人間の無意識を解明しようと試みた人は、少なくない。

 

最初に無意識を発見したのは、精神分析フロイトだろう。私は、彼が作成した心の概念図のようなものを見たことがある。それは円形の目玉のようなもので、その上部にごくわずかな部分があって、それが意識を示す。そして、その下に位置する大半の部分が無意識だと説明されていた。簡単に言うと、人間の意識は1%しかなく、残る99%は無意識なのである。ちなみに、川端康成も一時期、フロイトを読んでいる。

 

フロイトと仲たがいをした分析心理学のユングは、精神病患者が夢に見るあるイメージと、神話の中に描かれるイメージとが共通していることを発見した。これらのイメージをユングは元型と名づけた。人々は、心の中に共通するイメージを持っていて、これは民族を超えて人類に共通するものだと考えたのである。そこから生ずる共通の無意識のことを彼は「集合的無意識」と呼んだ。

 

ユングより少し後に出てきた構造人類学レヴィ=ストロースは、神話の中にある構造を発見した。そして、無文字社会の人々も先進諸国における社会と同様に高度な文明を保持していると主張し、白人至上主義を批判した。

 

ピカソがあらゆる芸術的なチャレンジを行った後に出て来た米人のジャクソン・ポロックは、ヘラのようなものを使って絵具(あるいはラッカーのようなもの)を上からキャンバスに滴らせるという方法で、革新的で模様のような絵を描いた。彼の作画の方法はアクション・ペインティングと呼ばれ、彼は紛れもない前衛芸術家だったのである。しかし、彼の作画方法は、米国における先住民族のナバホ・インディアンが行っていた砂絵の技法と似ていたのである。

 

ゴッホに別れを告げたゴーギャンは、南海の孤島を目指し、そこで無文字社会の人々を描いた。

 

1970年代の前半に前衛を極めたマイルス・デイビスの音楽は、実は、アフリカン・ミュージックにルーツを持っていた。

 

つまり、この「大いなる無意識」を志向し、その謎を解こうと努めた人々は、心理学者、文化人類学者、画家、音楽家など、枚挙にいとまがないのである。そして、その大きな流れの中に日本の折口、川端、三島などを位置づけることが可能となるのではないか。

 

もしかすると、この「大いなる無意識」は、文化の基底をなしているのかも知れない。

 

但し、残念なことにこの「大いなる無意識」の存在を証明し、その構造を明らかにした者は、未だに現われていないのだろう。これは、人類にとって永遠の謎なのかも知れない。