シーン4で「私」は、次のように考える。「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼等の胸にも沁み込んで行くらしかった」。そして、シーン5で踊子が「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」と言う。踊子のこの言葉は、作品全体を決定づける程の力を持っている。しかし、本当に「私」はいい人だったのだろうか。
まず、シーン2において、「私」は宿の2階の窓から栄吉に向かって金包みを投げる。私は19才で、栄吉は23才である。(どちらも満年齢での表記)年上の男に向かって、上から金包みを投げるとは、なんと無礼なことか。
次に、シーン5において下田へ向けて移動するシーンだが、尋ねられた「私」は迷うことなく歩くのに楽な本街道ではなく、険しい近道を選択する。そもそも旅芸人の一座は、女の多い集団である。19才の男を主体とするのではなく、女たちの体力を考慮すべきなのだ。しかも栄吉の妻である千代子は、2か月程前に早産をしたばかりなのである。そのようなことに考えの及ばない「私」は、自分勝手で自己中心的な人物であると言わざるを得ない。下田に着いてから「私」は千代子を活動へ誘う。これは踊子と2人だけではまずかろうという配慮からだが、千代子は「体が悪いんですもの、あんなに歩くと弱ってしまって」と言って、活動へ行くことを断っている。
同じくシーン5で、一行が泉を発見する場面だが、先に泉を発見した女たちは「私」が水を飲むまで水に手を付けずに待っているのだ。四十女は「さあ、お先にお飲みなさいまし。手を入れると濁るし、女の後は汚いだろうと思って」と言う。「私」はこの発言に何ら反応することなく、真っ先に水を飲む。何という無神経な男なのだろう。
シーン7では、栄吉が黒紋付の羽織を着てやって来て、「私」は「私を送るための礼装らしい」と思う訳だが、これはそうではなくて早産の後に死んでしまった赤ん坊の四十九日をする日だから、栄吉はそのような礼装を身につけていたに違いない。これは、研究者がそう指摘している。
つまり、「私」はいい人どころか、世間知らずで、気が利かない、自己中心的な未熟者だったのである。
しかし、それでは本作品の作者たる康成が、上記の事柄に気づいていなかったかと言うと、そんなことはないと思う。作品内において、「私」がいかに未熟であるかということは上記の通り、繰り返し記述されているのだ。これは明らかに、作者が狙ってそう書いたとしか思えない。どういうことかと言うと、ここに本作品における視点の揺らぎがあると思うのだ。つまり、作中人物としての「私」の視点と、作品を執筆している小説家の視点と、2つの視点からこの作品は描かれていると思う。
現実的な話をすれば、康成が伊豆へ旅行したのは19才の時であって、「伊豆の踊子」が完成されたのは1926年2月である。誕生日(6月)前なので、完成時、康成は26才だったことになる。つまり、19才の時の未熟な自分を客観的に見る、7年後の、26才の康成の視点があるということだ。
通常、1人称で書かれる作品においては、語り手である「私」と作者の視点は一致する。また、そうであるべきだろう。しかし、「伊豆の踊子」においては、この2つが分離しているのだ。これは高等テクニックなのであって、成功していると思う。しかし、以後、康成は3人称で執筆しており、私が知る範囲で、1人称の作品は存在しない。
では、何故、そのようなテクニックを使ったのか。それは、踊子を輝かせるために他ならない。自己中心的で未成熟な「私」であるにも関わらず、そんな「私」に恋をし、「いい人ね」とまで言ってくれる。なんと健気で優しい少女だろうと思って、読者は感涙にむせぶのである。
ところで、研究者の間で論議のあったシーンがもう1つある。それはシーン1で、茶屋の婆さんの言葉を受けて、「私」が「それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ」と思う場面である。A説としては、これは「私」が踊子を金で買おうという意志のことであるとし、B説は、たとえ一夜でも、踊子を汚辱から救出したいという願いの表われだとする。私としては、26才の作者が作中の19才の「私」に言わせた偽悪的表現だと思う。19才の「私」に、そんな悪意はなかったに違いない。しかし、作中の「私」を陥れ、踊子の位置を底辺にまで突き落とすことによって、そこから誤解が解け、踊子が聖少女の位置まで上り詰めていくという作品のダイナミズムを狙ったものだと思う。