「眠れる美女」は、1961年11月、川端康成が62才の時に完結した中編小説である。「伊豆の踊子」を前期、「雪国」を中期とし、この「眠れる美女」は川端の後期における代表的な作品だと言えよう。
若い頃、この作品に接した私は、これは谷崎潤一郎の「痴人の愛」と並ぶ、近代日本小説における2大変態小説だと思ったものだ。もちろん、現在の私は、別の印象を持っている。一口に言えば、これは「老いの絶望」を描いた作品であって、川端作品の中で最も死に近接したものだと言えよう。
ちなみに川端は、芥川龍之介が自殺に際して遺書を残したことを批判した。遺書の中身が気に入らなかったのか、遺書を残したこと自体を批判したのか定かではないが、私は多分、後者の方だろうと推測している。文士たる者、表現すべきことは全て作品の中で伝えるべきだ。川端がそう考えたとしても、不思議ではない。実際、川端は遺書を残さなかった。では、川端にとっての遺書に相当する作品は何かと考える訳だが、それこそがこの「眠れる美女」だと私は思う。
そのあらすじは、以下の通りである。
シーン1: 主人公である江口(67才)は、海辺にある秘密の家の2階にいる。四十半ば位の女は小柄で声が若い。家の女は主人公である江口に対し、眠っている女の子の口に指を入れたり、起こそうとしたりしてはいけないと言う。また、もし江口が眠れないようであれば、枕元に置いてある眠り薬を飲めと言う。江口は、「眠らされ通しで目覚めない娘のそばに一夜横たわろうとする老人ほどみにくいものがあろうか」と自虐的に思う。女が去った後、江口は隣室へ入る。隣室の四方はびろうどのカーテンに囲まれており、幻の中に足を踏み入れたような感じだった。そして、布団の中には美少女Aが眠っていた。娘の美しさに江口は、息を飲む。江口も布団に入る。娘は全裸だった。江口は起こそうとして、娘の肩を揺さぶる。美少女Aは眼を覚まさない。江口にここを紹介した木賀老人は「秘仏と寝るようだ」と言っていた。江口はふっと赤ん坊の匂いを感じるが、そんなはずはなかった。江口には3人の娘がいて、娘たちが乳飲み子だった頃の記憶がある。
江口は、過去、愛人と京都へ駆け落ちしたことを思い出す。京都で彼女は親がよこした代理人に連れ戻される。その娘は、間もなく嫁に出た。偶然、その娘と再会を果たした時、娘は赤ん坊を背負っていた。その女は10年あまり前に死んだという噂を聞いた。
江口は、眠り薬を1錠だけ飲んで、眠りにつく。足が4本ある女に絡み付かれる夢を見る。続いて江口は、自分の娘が畸形児を出産する夢を見る。江口はうなされて、目覚める。江口は枕元に残っていたもう1錠の眠り薬を飲む。
シーン2: 半月ほど後、江口は再度、美女が眠る家を訪れる。美少女Bが眠っていて、江口は彼女がきむすめであろうと思う。江口は、娘の口の中に指を入れてしまう。江口はこの家の禁制を破り、娘を犯そうとするが、娘がきむすめであるしるしにさえぎられる。
江口は、自分を全く認めてくれない妖婦のような娘に、むなしいもの足りなさを感じる。娘は寝言で「お母さん」と言う。江口は、娘を嫁にやったあとしばらく、よその娘までが可愛くなった日々を思い出す。この娘もそんな時のよその娘の1人であるかのように思えてくる。江口には3人の娘がいたが、末娘のことを思い出す。末娘には2人の男友達がいた。そのうちの1人のアパートへ行き、末娘は犯されてしまう。その男と結婚するかと思いきや、末娘は間もなくもう1人の方の男と結婚した。江口は枕元の眠り薬を一度に2錠飲んだ。
シーン3: その8日後、江口は眠れる美女のいる家へ訪問した。3回目である。見習いだと言われる小さい美少女Cだった。江口は「16位かな」と思う。娘の若いからだには老人の死の心を誘う、悲しいものがある。江口は3年前の春のことを回想する。ナイトクラブで知り合った若い女をホテルに連れ帰ったのだった。女は商社に勤めるシンガポール人の夫と2人の子供を持っていた。翌朝、女は「ああ、死んだように眠ってしまったわ」と言う。
この眠れる美女の家を訪れる老人たちについて、江口は想像する。その老人たちは、世俗的には、成功者だろう。しかし、その成功は悪をおかしてかち得たものではないか。従って、ここを訪れる老人たちは心の安泰者ではなく、むしろ恐怖者、敗残者だと思う。つまり、眠れる美女は、そういうあわれな老人どもをゆるしなぐさめる仏のようなものではないか。翌朝、江口は家の女に、娘が飲まされているのと同じ薬を要求する。女は断る。
シーン4: 美少女Dは、大柄だった。江口は、男を「魔界」にいざないゆくのは女体ではないかと思う。江口は、眠り薬を2錠飲んだ。翌朝、江口は家の女に娘が服用しているのと同じ眠り薬を要求するが、女は断る。
シーン5: 江口は、眠れる美女の家を訪れる。四十半ば位の家の女と会話する。江口は最近、この家で老人が死亡したこと、家の者が死体を近くの温泉宿に運んだことなどを女に問い詰める。女は事実関係を認める。江口はこの事実を木賀老人から聞いたのだった。死んだのは福良という老人で、死因は狭心症だった。江口は女に「きっとその老人は魔界に落ちているよ」と言う。その晩、美少女は2人いた。美少女Eは肌が黒く、野蛮な感じがした。美少女Fの肌は白かった。江口は、今夜も眠り薬を飲んだ。江口は「この家などは得がたい死場所ではないだろうか。人の好奇心をそそり、世の爪はじきを受けるのも、むしろ死花を咲かせることではないのか」と思う。江口が悪夢にうなされ目覚めると、肌の黒い方の美少女Eが死んでいた。江口は飛び起きて隣室へ行き、呼び鈴を鳴らし家の女を呼んだ。朝の四時だった。女は美少女Eの体を運び出そうとする。江口は手伝おうとするが、女は断る。「お客さまは余計なお気遣いなさらないで、ゆっくりおやすみになっていて下さい。娘ももう1人おりますでしょう」と女が言う。
以 上