文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

背徳の美学(その12) 美女と踊子

 

川端康成は、日本人としての自己の無意識を探究した作家である。川端の作品が分かりづらいと言われる理由がそこにある。川端自身、次のように述べている。

 

- 自作を解説することは、所詮自作の生命を局限することであって、作家自らは知らぬ作品の生きものの所以を、縛り殺すのが惜しまれるのである。作家自身にとっても、作品はあらゆる生物のように尽きぬ謎である。-

 

書いた本人にとっても謎だと言うのだから、川端作品が読者にとって難解であるのは当然の帰結だろう。しかし、川端作品が永年日本人に愛され続けている理由も、そこにあるのだろう。つまり、作品において表現された川端の無意識が、日本人の無意識によって支持され続けてきたのだと思う。

 

では、全ての小説家が無意識によって小説を書いているのかと言えば、そんなことはない。例えば三島由紀夫は、1966年に行なわれた安部公房との対談の中で、次のように述べている。

 

三島・・・おれは、だけれどももう、無意識というのはなるたけ信じないようにしているのだ。

安部・・・信じなくても、いるのだ。

三島・・・そうか。無意識のなかに精神分析者なり、精神病医なりが僕のなかに発見するものは、みんな僕が前から知っていると言いたいわけだな。だから、無意識というものは、絶対におれにはないのだと・・・。

安部・・・そんなバカな。

 

「俺に無意識はない」とする三島の発言は、明らかに強弁である。三島だって人間なのだから、寝ている間には夢を見るだろう。但し、三島が意識的な作家だったことは間違いない。三島の作品や行動は、三島の意識によって、綿密に計画されている。

 

ところで、本稿においては「伊豆の踊子」、「雪国」そして「眠れる美女」の3作品のあらすじを掲載してきた。それぞれ、川端の前期、中期、後期を代表する作品である。但し、「雪国」の執筆時期については、未だその詳細を述べていない。そこには、若干、複雑な経緯がある。

 

川端は1934年(昭和9年)の年末から、「雪国」の執筆を開始した。当初は、複数の短編として文芸誌に掲載された。また、掲載された文芸誌は1誌ではなかった。当初の掲載紙の一部を列記してみよう。

 

夕景色の鏡/文芸春秋昭和10年1月号

白い朝の鏡/改造/昭和10年1月号

物語/日本評論/昭和10年11月号

(以下略)

 

例えば、「夕景色の鏡」の続きを読みたいと思った文芸春秋の読者は、次は改造を買わなければならなかったのである。当初は、これらの短編が同一作品であることすら、明らかにされていなかったのではないか。一応、作品が仕上がって、単行本が出版されたのは1937年である。現在、これは「旧版」と呼ばれている。それから11年後の1948年、改変が行われ、新たなバージョンの「雪国」が刊行された。これは「決定版」と呼ばれている。ところが、それから更に23年後の1971年になって、更に手が加えられた。これが本当に最後だという意味を込めて、このバージョンは「定本」と名づけられた。川端は1972年に自殺しているので、その前年ということになる。執筆から完成まで、足掛け37年を費やしたことになる。

 

1934年・・・執筆開始

1937年・・・旧版

1948年・・・決定版

1971年・・・定本

 

なお、川端のノーベル文学賞の受賞が決まったのは1968年で、その際、対象作品として選ばれたのは、「雪国」「千羽鶴」「古都」の3作品である。ということは、「雪国」はノーベル文学賞を受賞したにも関わらず、その3年後に手が加えられたことになる。一体、川端が何故そのようなことをしたのか、その真意は分からないが、現在、新潮文庫などで私たちが読んでいる「雪国」は、この「定本」なのである。ここでは「雪国」が主に執筆された時期と乖離の少ない「決定版」の出版時機を採用するとして、他の作品と比べてみよう。

 

1926年(27才)・・・「伊豆の踊子

1948年(49才)・・・「雪国」

1961年(62才)・・・「眠れる美女

 

あの純朴な「伊豆の踊子」から35年。川端作品は、クスリで眠らされている全裸の美少女と添い寝するという反道徳を極めるような世界に変質したのである。しかし、よく読むと「眠れる美女」には思わぬモデルが登場しているのだ。

 

それは私が作成した「あらすじ」のシーン3に登場する「16才ぐらいかな」と江口が思う小柄な美少女Cである。彼女のモデルは、伊藤初代ではないか。理由としては、彼女が小柄であることと、その推定される年令が16才であることだ。これだけでは、論拠としては薄弱である。しかし、同じシーン3にもう1人、少女が登場する。この少女について、私は不覚にも「あらすじ」の中で言及し忘れてしまった。美少女Cについての描写に続き、以下の記載がある。

 

- 老人はむかしこの娘より幼い娼婦に会ったのを思い出した。江口にそんな趣味はなかったが、客として人に招かれてあてがわれたのであった。その小娘は薄くて細長い舌をつかったりした。水っぽかった。江口は味気なかった。町から太鼓や笛が心をはずますように聞こえていた。祭りの夜らしい。(中略)

「お祭りだね。」と江口は言った。「お祭りに早く行きたいんだね。」

「あら、よくわかるわね。そうなのよ。お友だちと約束しておいたのに、ここへ呼ばれたんです。」

「いいよ。」と江口は小娘の水っぽく冷めた舌を避けた。「いいから、早くいっといで・・・。太鼓の鳴ってる神社だね。」

「でも、ここのおかみさんに叱られるわ。」

「いいよ。僕がうまくとりつくろっておいてやるよ。」

「そうですか。ほんとう?」

「君はいくつなの。」

「十四です。」 -

 

上の引用箇所において、「太鼓」という言葉が2回出て来る。少女はおかみさんに叱られることを恐れている。そして、年令は14才である。この条件に合致する少女と言えば、伊豆の踊子、薫をおいて他にはいない。

 

ああ、川端は何ということをするのだ。あの純真で、無垢で、健気な踊子を、作家の想像の中とはいえ、娼婦にしてしまったのだ。しかも、35年もの月日が経過している。私だったら、綺麗な思い出として心の奥底にしまっておくに違いない。

 

ちなみに、「眠れる美女」を書いたのはゴーストライターではないかという噂があった。その理由は、川端の原稿が普段よりも綺麗な字で書かれていたからだという。そして、そのゴーストを務めたのは、三島由紀夫ではないかというのだ。しかし、そんな噂話をする輩の眼は、節穴であったに違いない。「眠れる美女」の文体は、決して三島に書けるものではないし、上に記した通り、そこには伊藤初代や踊子の薫をモデルとした少女たちが登場するのである。