「文芸時代」が創刊された1924年、川端は若干25才だった。以下に紹介する川端の思想に触れると、彼がいかに早熟だったかが分かる。川端が提唱した文学理論は当時、とても新しかったし、その後、晩年に至るまで彼はこのような方法論に基づき、小説を書き続けたのだと思う。つまり、それ程、彼の文学理論は確固としたものだったと言えよう。では、適宜、私の注釈を交えながら、川端の思想を紹介しよう。
- 1924年(大正13年)10月、「文芸時代」が創刊され、新感覚派の運動が起こる。これは私小説などの個人主義リアリズムの否定などを目指した。また、新感覚派は、人間を生活意識から切り離して、解体された現実と自我とを、知的、感覚的に意匠化し、あるいは再構築しようと試みた。(文献2)-
- 川端康成は「文芸時代」の創刊号で、次のように語っている。
我々の責務は文壇における文芸を新しくし、更に進んで、人生における文芸を、或は芸術意識を本源的に新しくすることであらねばならない。(中略)「宗教時代より文芸時代へ」この言葉は朝夕私の念頭を去らない。古き世に於いて、宗教が人生及び民衆の上に占めた位置を、来るべき新しき世において文芸が占めるであろう。(文献2)-
上記の引用箇所を見ると、若き川端が世の中を良くしたいと切実に願っていたことが分かる。1924年から101年後の今日の現状を見ると、残念ながら川端の願いが実現したとは言えない。確かに宗教は衰退したが、かと言って、文芸が現在の私たちの生活の主要な位置を占めている訳ではない。その理由について、私には思い当たる節がある。つまり、宗教は容易に権力と結びつくが、権力に反発するのが文芸の本質だからである。但し、私は川端の青年らしい純粋な気持ちに深い賛意を持つのである。
- 政治思想のマルクス主義文学と芸術至上主義の新感覚派文学の対立という風に文壇意識では説明されている。(文献3)-
- 新感覚派は関東大震災ののちに盛んになったダダイズムや、表現派の芸術運動とつながりを持つ。従って、形式や技法において、在来の習慣を破る破壊的な運動であった。底流には虚無がある。(文献2)-
ダダイズムとは、伝統的な価値観の破壊を目指す芸術運動のことである。これは、後のシュールレアリスムへと発展する。また、表現派(表現主義)とは、作品中に感情を反映させて表現する傾向や、その運動のことである。従って、客観的に物事を見ようとした写実主義や自然主義とは異なり、主観的に物事を見ようとする運動であったものと思われる。新感覚派は、当時としてはかなり前衛的な立場を採っていたことになろう。
- 小説家の努力は日常の事実から真理を発掘するにあるというべきである。(川端の発言)(文献1)-
- (川端の発言)小説家は真理をより多く語るために事実を放棄し、真実を示すために現実を離れる事も必要となる。(文献1)-
川端のこの発言は、とても重要だと思う。日本の文壇や日本の学者たちの間には、未だに事実信仰が存在する。事実でなければ意味がない、と考える傾向のことである。この事実信仰が、かつての私小説を生んだし、現代のアカデミズムにも蔓延している。例えば、「伊豆の踊子」に登場する峠の茶屋の婆さんの本名はどうだったのか。こういうことを真剣に調査する学者がいる。そんなことは、「伊豆の踊子」という文芸作品の価値や解釈とは、何の関係もないのである。もっと言うと、川端が逗留していた温泉地の温泉の成分まで調べる人までいる。そんなことは、文芸作品の本質と何の関りもない。だから、大学教授は馬鹿だ、と言われるのだ。(三島由紀夫がそう言っている。)この傾向から、日本の文壇においては作品論が育たず、相も変わらず作家論が横行しているのだ。事実よりも真実を! 私は、川端のこの意見に諸手を挙げて、賛成である。
- (横光利一の発言)言葉とは外面である。より多くの内面を響かせる外面は、より多く光った言葉である。此の故に私は言葉を愛する。より多く光った外面を。さうして、光った言葉をわれわれは象徴と呼ぶではないか。此の故に私は象徴を愛する。象徴とは内面を光らせる外面である。此の故に私はより多く光った象徴を愛する。より多く光った象徴を計画してゐるものを、私は新感覚派と呼んできた。(文献1)-
横光利一は、川端よりも1才年上だったが、ほぼ、同年代と言って良い。思想を共有したこの2人は、長く盟友関係にあった。横光が死んだ時、葬儀委員長を務めたのも川端だった。このブログでは、かつて横光の「時間」という作品を取り上げたことがある。横光は優れた作家だったし、私は今も彼に対する興味を失っていない。横光と同じように、私たちは言葉を愛そうではないか。
川端は、大正14年1月に発売された文芸時代において、「新進作家の新傾向解説」という文章を発表し、新感覚派の思想を説明した。
-「新しい感覚」を説明するのに、たとえば既成作家が「私の眼は赤い薔薇を見た。」と書いたところを新進作家は「私の眼が赤い薔薇だ。」と書く、と例をあげる。そして、新感覚主義と呼ばれる文芸は、二つの要素を持つと断言する。1つは「表現主義的認識論」であり、いま一つは「ダダ主義的発想法」である。(文献4)-
- (表現主義的認識論) 自分があるので天地万物が存在する、自分の主観の内に天地万物がある、と云ふ気持で物を見るのは、主観の力を強調することであり、主観の絶対性を信仰することである。ここに新しい喜びがある。
また、天地万物の内に自分の主観がある、と云ふ気持で物を見るのは、主観の拡大であり、主観を自由に流動させることである。そして、この考へ方を進展させると、自他一如となり、万物一如となって、天地万物は全ての境界を失って一つの精神に融和した一元の世界となる。
また一方、万物の内に主観を流入することは、万物が精霊を持ってゐると云ふ考え、云い換えると多元的な万有霊魂説になる。ここに新しい救ひがある。この二つは東洋の古い主観主義となり、客観主義となる。いや、主客一如主義となる。かう云ふ気持で物を書現さうとするのが、今日の新進作家の表現の態度である。(文献4)-
若き川端がそんなことを考えていたとは、驚きである。そして私は、あの「雪国」の最後の1行を思い出すのだ。「踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった」。宇宙的な広がりを感じさせるこの一文は、もしかすると川端の「万物一如」という思想に立脚していたのかも知れない。
- (ダダ主義的発想法) ダダ主義の、時によると訳の分からない詩や小説の表現を、私は一種の「発想法の破壊」であると考へてゐる。(中略)
心理学説中でまだ年若い一派に「精神分析学」と云ふのがある。この派の学者は夢を分析するのに「自由連想」と云ふ方法を用ゐる。(中略)精神分析学者は、このとりとめもない自由連想に心理洞察の鍵を見出した。そしてそこに、ダダイストは新しい発想法を見出した、と私は思ふのである。(中略)
私たちは、ダダイストの「分からなさ」を喜んで真似ようと云ふのではない。そこから、主観的な、直観的な、感覚的な新しい表現が導き出さるべき暗示を見出すのである。(中略)そして、古い発想法から解放されようとするらしい新進諸氏の表現を、仮りに「ダダ主義的発想法」とでも呼んで、それを私の理論としてゐる。簡単に云ふならば、心象の配列法が、主観に忠実となり、直観的となり、同時に感覚的となって来たのである。(文献4)-
上の引用箇所における「精神分析」とは、言うまでもなくフロイトの思想を差している。無意識の存在を強調したフロイトの思想は、理性中心主義を標榜した近代西洋哲学に対する強烈なアンチテーゼとなった。理性なんて言ったって、無駄だよ。人間は無意識で動いているんだからさ、という訳だ。多分、川端はフロイトの自由連想法から小説の書き方についてのヒントを得たのだろう。例えば、「眠れる美女」を書いている時に、美女→伊藤初代→踊子の薫、といった連想が浮かんだのではないか。