1966年に行なわれた安部公房との対談から、三島由紀夫の発言を引用させていただく。
- 19世紀と20世紀の間に、フロイドがいるということが、とても大きなことでね。フロイドがあって、それによって文学が随分影響を受けて、そうして性の問題なんかでも、扱い方が変わってきた (中略) そして文学は自然主義文学なんかでも、遺伝の学説を引用したり、いろいろやってきたんだけれども、ああこれだというので、フロイドをつかまえていちおう安心した。ところが20世紀文学というのは、すべてフロイドを通しているけれども、フロイドがどうにもならなかったあとの問題に、全部ぶっつかっているというふうに感ずる (中略) 一度フロイドを通過していた性の意識というものを、どういうふうに文学者が受け止めるかというと、もうフロイドでは結局どうにもならないのだから、そこからいろいろな問題が出てくると思う (中略) 僕もフロイドを通ってきているということは、フロイドに止まっているということではなくて、フロイドがどうしても行けなかった先が、われわれの問題だということを言おうとしているのだな -
上記の引用箇所を読むと、あらためてフロイトの影響の大きさを感じる。フロイトの精神分析学は、心理学のみならず文学や哲学などにも多大な影響を及ぼしたのである。しかし、三島は、フロイトの先を見ていた。何故かと言うと、フロイトにも解決できなかった問題があるからだと言う。では、その問題とは何かと思う訳だが、残念ながら、この対談の中で三島はそのことについて語っていない。
三島がどう考えていたのかは分からないが、私には1つ思い当たる節がある。それは、フロイトの著書「人はなぜ戦争をするのか -エロスとタナトス-」という文庫本に書かれている。学術的とは言えないが、私の理解を以下に示してみよう。
そもそも、古代人も現代人も、生まれてきた時点における状態は、同じである。現代人のデフォルトが倫理的である、などということはない。人間も動物の一種なので、様々な欲望を持っていて、それは自然なことなのだ。しかし、人間が自然に行動すると殺人、レイプ、セクハラなどが蔓延し、社会が混乱する。そこで、文明の進展と共に、社会は個人に対して様々な制約を課す。それは慣習であったり、法律であったり、社会が共有する価値観だったりする訳だ。これらの規範は、個人に対し、強烈なストレスを加える。そもそも、それらの規範を作るのは時の権力者なので、それらの規範が正しいという保証はない。つまり、文明化が進展すればする程、その社会に生きる人々はストレスを感じ、心身に不調を来すのである。そればかりか、文明化の進んだ社会においては、人々の性的能力が低下し、婚姻率も下がり、人口が減少する。このままでは、日本に日本人がいなくなる日がやって来るに違いない。
日本の現状は、日本の文明が進んでいることの証左に他ならない。小中高生の不登校者は、30万人を超えるらしい。ビジネスパースンの間ではうつ病が蔓延し、毎年2万人以上が自殺している。これはもう、1億総精神病の時代なのだ。こうなってくると、何ら精神に不調を来していない人は、むしろその方が何らかの問題を抱えているのではないかとさえ思えてくる。
では、社会を原始の状態に戻そうという考え方もあり得るとは思うが、原始の社会とは犯罪が頻発する社会なのであって、現代の日本人がそれに耐えられるとは思えない。
この問題に直面しているのは日本のみならず、他の先進諸国も同じである。では、どうすれば良いのか。その答えは見つかっていない。また、人類がこのような文明病に苛まれるのは、人類史上、初めてのことであるに違いない。私たちは、とんでもない時代に生きているのだ。