文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

背徳の美学(その16) エロスと美

 

川端康成の文学世界を構成する要素として、私は、先の原稿で美、狂気、死の3つを挙げた。しかし、どうもしっくりこないのである。例えば、雪国においては芸者、駒子のなまめかしい肢体が描かれ、同時に駒子の弾く三味線の音も称えられている。この2つは、どちらも美しいのではあるが、どうも性質が異なるように思う。そこで、前者の方をエロスだと考えてみたい。

 

エロスにもいろいろある訳で、例えば、人間を性行為に走らせる誘因となるもの。そう定義することも可能だろうが、そればかりがエロスではない。例えば「伊豆の踊子」においては、主人公がマントの学生と親密になるシーンが描かれているし、老人の絶望を描いた「眠れる美女」において、主人公は美女たちを舐めまわすように眺めるが、性行為には及ばない。本稿においては未だ紹介していないが、川端には「虹いくたび」という作品があって、その中に次のようなシーンがある。

 

「お背なかお流ししましょうか。お父さまのお流しするの、なん年ぶりかしら・・・。」

 

ご想像の通り、これは父娘が狭い家族風呂で共に入浴するシーンである。娘は、もう充分に年頃なのである。そんな娘が、実の父親と一緒に入浴するはずはないとは思うが、何ともなまめかしい場面ではある。このような場面や感覚を全てひっくるめて、エロスと呼ぶのが良いのではないか。それは、磁石のプラスとマイナスが引き合うように、人々を互いに惹きつける力のようなもので、愛と呼んでも良いものである。これで1つ片付いた。

 

ちなみに、川端の後期の作品には、娘がよく登場する。この娘には、モデルがいたと言われている。川端康成は秀子夫人と結婚したが、子供はいなかった。一方、シングルマザーで娘を持っている人がいた。しかし、彼女には持病があって、必ずしも娘を育て上げる自信がなかったのである。そこで、その娘を川端夫妻は養女として迎えた。川端家に来た時、養女はまだ11歳だったが、その後、美しい女性へと成長した。戸籍上、彼女の名前は政子となっていたが、字画が悪いということで、麻紗子に改名した。

 

話を戻そう。さて、それでは美とは何かという疑問が残る。川端自身は「小説の構成」の中で美について、次のように語っている。

 

- 小説が美的表現でなければならないということは、要するに、精神的なものが感覚化されたものであるとともに、また感覚的なものが精神化されていて、内容と形式とが一体として美的感覚を呼び起こすものであるといってもよい。が、こういうことを改まっていうとなると大変に難しくなるので、凡そ美とは何か、などという設問に答える必要はないのである。そういう問題については、美学の本でも読んで貰えばよいと思う。-

 

これでは、さっぱり分からないのである。思うに絶対的な美というものは、存在しないのではないか。むしろ、人々が美しいと解釈するから、それは美しいのである。例えば、桜を見て、私たち日本人の多くは美しいと感じる。だから桜は美しいのであって、他国の人の眼には、左程、美しいと映らないのかも知れない。反対に、他国の人々が美しいと思って大切にしている何かを、私たち日本人は美しいと感じないかも知れない。すると、その美的価値観は、その国や地域における伝統や文化に根差していると考えるべきこととなる。

 

言葉の定義のような話で恐縮だが、エロスとは性や愛に関わり、人々を魅了するものであって、個人的な嗜好に影響される。他方、美とは、伝統や文化に影響されるものであって、人々に共通する感覚によって解釈されるものである。エロスは愛に近く、美とは文化、伝統に根ざしている。

 

このように整理すると、川端文学を構成する要素は、エロス、美、狂気、死の4種類に区分される。これらの要素は、時に反発し合い、時に融合するものだと思う。そしてこれらは、私たち日本人が持つ、無意識の世界を象徴しているのである。

 

1952年、すなわち敗戦から7年後、川端は戦時中を振り返って、次のように述べている。

 

- 私は戦ひがいよいよみじめになったころ、月夜の松影によく古い日本を感じたものであった。私は戦争をいきどほるよりもかなしかった。日本があはれでたまらなかった。 (中略) 空襲のための見廻りの私は夜寒の道に立ちどまって、自分のかなしみと日本のかなしみとのとけあふのを感じた。古い日本が私を流れて通った。私は生きなければならないと涙が出た。自分が死ねばほろびる美があるやうに思った。私の生命は自分一人のものではない。日本の美の伝統のために生きようと考へた。-

 

川端にとっての美とは、こういうことだったのだ。