文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

背徳の美学(その19) 銀の乳杯

 

前回原稿からの続きで、「虹いくたび」について検討する。

 

川端は自らの清野少年との経験から、何らかの精神的、性的な発育に関する問題が、同性愛を引き起こすと考えていたのだと思う。作中の竹宮少年は、女言葉を話す。そこから百子は、竹宮少年の中に同性愛的な匂いを嗅ぎ取る。百子は自分の中にも同じ匂いを感じ、そこで竹宮少年との関係を「同性愛の変形に落ち込んでいる」と思うのだ。また、竹宮少年は百子の中に母性を見ていたが、百子から自分の子を妊娠していると言われ「僕が子供じゃないか」と言って錯乱する。母親代わりの百子が自分の子を産むとなれば、百子は自分にとっての母親ではなくなるからである。そして竹宮少年は自殺するが、この場合、エロスの挫折が死を招いたと言える。

 

特攻隊員として沖縄で死んだ青木啓太の場合は、百子の乳房を元に作成した銀の乳杯を持って、戦地に赴いたのであって、この場合は、死がエロスを呼び込んだものと解釈できる。いずれにせよ、エロスと死の不可思議な関係が描かれている。

 

主人公の百子について、考えてみよう。百子には隠された心の傷があった。それは、百子が純潔を捧げた恋人、青木啓太から「なんだ。だめなひとだよ、あんたは・・・」と言われたことに起因している。これが百子のトラウマとなっていたのであり、その後、百子は男に対する復讐に出たように思われる。次々に美少年を誘惑し、そして捨てる。竹宮少年は、4人目の犠牲者だった。

 

しかし、ここで私には疑問が湧くのだ。啓太は何故、そんなこと言ったのか?

 

まず、銀の乳杯の行方を確認しよう。それは、完成されたのである。そして、啓太はそれを戦地にまで持参したのだ。それは、啓太の死後、軍から遺品として返却されたことが証明している。啓太は出陣の直前、銀の乳杯を用いて最後の酒を飲んだのか。それは分からない。しかし、飲んだ可能性が高い。また、仮に啓太が本当に百子を「だめなひと」だと思っていた場合、そんなことをするとは思えないのである。そもそも、特攻として死の直前にある自分に体を許してくれた女を、男が愛さないはずはない。

 

そこで、1つの推測が成り立つ。啓太は百子を心の底から愛していた。しかし、自分は死ぬ運命にある。百子と結婚など、できはしない。仮に百子が自分に未練を残した場合、百子はその後の人生を独り身で貫くかも知れない。百子には幸福になってもらいたい。自分に対する未練を断ち切ってもらいたい。そう願って、あえてあのような酷い言葉を投げつけたのではないか。このような前提でこの作品を眺めると、その本質は全く別のものになる。

 

そう思って、私は「虹いくたび」を読み返した。どこかに、啓太の言葉が逆説的な愛情表現であって、そのことに百子が気付く。そして、百子の性と精神が回復していく。そのことを暗示する箇所が、どこかに隠されているはずだ。そう思ったのだが、それはどこにもなかったのである。なんとなく百子は回復していくらしいのだが、その理由は曖昧で、この作品は腹違いの妹と会う場面で、幕を閉じる。

 

私の解釈は、多分、間違っていないのだ。そうでないなら、何故、川端は銀の乳杯というモチーフを掲げたのか。銀の乳杯は象徴なのであって、その象徴が意味するのは、啓太の百子に対する激しい愛情であるはずだ。川端の頭の中にも、当然、そのような意図があったに違いない。

 

可能性A・・・銀の乳杯について記述しているので、後は読者が気付くべきだと思った。

 

可能性B・・・文学的な理由で、川端はそのことに触れたくなかった。

 

可能性C・・・そのことを書けない事情があった。

 

理由としては、上記の3パターンが考えられるが、私としてはAとBの可能性は低いと思う。確かなことは分からないが、可能性Cについて、若干述べたいと思う。

 

敗戦後のことなので、当時、出版物に対してはGHQの検閲が行われていた。米国や米軍を非難するような表現は、一切、禁じられていたのである。よって、先の戦争を賛美するような表現も、規制の対象となっていたに違いない。但し、この検閲は昭和24年に終了したのであって、「虹いくたび」が書かれたのは翌昭和25年(1950年)である。ところが、参考文献によれば、検閲は継続されていたのである。

 

この検閲を実施していたのは、GHQ民間情報教育局(CIE)と呼ばれる機関だった。

 

- (前略)CIEの活動が、それらが改廃された1949年以降においても極めて大きな影響力を持っていたからである。CIEとは戦後日本で言論出版政策、教育政策、宗教政策を扱った機関で、それによって「ウォー・ギルト・プログラム」が推し進められた(以下略)-

 

参考:暴流の人/井上隆史/平凡社/2020

 

最早、本当のことは分からない。しかし、この「虹いくたび」という作品の基礎となる部分が素晴らしいだけに、私は、残念で仕方がないのである。