「古都」のシーン2について、再度、触れたい。太吉郎は、尼寺の一室に籠って、帯の図柄の下絵を描いていたのである。そこへ娘の千重子が、森嘉の豆腐を持ってやって来る。千重子はそれを湯豆腐にして、太吉郎に食べさせる。帰宅した千重子は、母であるしげに報告する。
「お父さんは、お習字していやはるようどした。」
既に老境に入った私などは、こういう箇所に心を動かされるのだ。千重子さん、そうじゃないよ。君のお父さんはね、帯の下絵を描こうとしているんだよ。そう教えてあげたくなる。若い千重子には、織物の歴史や帯柄の変遷など、あまり興味がないのかも知れない。そこで、自分の知識や経験に照らして、父のやっていることを「お習字」と表現したのだ。これは、とてもかわいい娘さんなのである。但し、太吉郎の妻であるしげならば、そこら辺の事情を飲み込んでいそうなものである。しげはこう応える。
「お習字な。」と、母は意外な風もなく、「手習いは、心が落ち着いてよろしおっしゃろ。わたしもおぼえがおす。」
こうしてしげも、千重子の「お習字説」に賛同してしまうのだ。結局、男の太吉郎が何を考え、何をしようとしているのか、千重子もしげもまったく理解していないのである。このような描写は、川端の実体験から来ているのではないか。思えば、この家族構成は、川端の実生活に符号する。
父・・・太吉郎・・・川端
母・・・しげ ・・・秀子
娘・・・千重子・・・麻紗子
千重子は捨子だったので、太吉郎との間に血縁関係はない。また、麻紗子は養女だったので、川端との間に血縁関係はない。太吉郎は尼寺に隠遁していて、妻や娘とは別居状態にある。川端は「古都」の執筆期間中、京都の借家に住んでおり、妻や娘と別居状態にあった。状況は、そっくりなのである。
証拠がある訳ではないが、多分、秀子と麻紗子は川端の仕事をあまり、理解していなかったのではないか。「伊豆の踊子」位は読んでいただろうが、「眠れる美女」ともなると、嫌悪していたか、若しくは読んでいなかったのではないか。そしてそのことを川端は、受け入れていたのだろう。それが「お習字」という言葉に良く表れている。微笑ましい家族である。
こんな話が残っている。川端が「雪国」を執筆していた頃のことだ。当時、川端は新潟県の越後湯沢の温泉地に逗留し、小説を書いていた。締め切りには追われるし、生活も楽ではなかった。電子メールなどという便利なもののない時代である。川端は何とか雑誌に掲載できる1回分の原稿を書き上げると、それを湯沢駅に持っていく。そして、上越線の車掌にチップを渡し、原稿を託す。妻の秀子はその列車を上野駅で待ち構え、車掌から原稿を受け取る。秀子はその足で出版社に行き、原稿と引き換えに原稿料を受け取る。そういうことをやっていたらしい。秀子夫人は、良妻だったのである。
もう少し、「古都」の登場人物について考えてみよう。
シーン6。太吉郎は上七軒のおかみに出会う。おかみは、少女を連れている。彼女は「ちいちゃん」と呼ばれる。「ちいちゃん」は舞子になる予定で、太吉郎は、きっと良い舞子になるだろうと思う。この「ちいちゃん」のモデルは、川端にとって初恋の相手で許嫁だった伊藤初代だと思われる。彼女の郷里である福島県の方言で、ハツヨはハチヨと発音されていた。そして、ハが省略されるとチヨになる。こうして伊藤初代は学生時代の川端が出会ったカフェ・エランではチヨと呼ばれていたのである。チヨだから、「古都」の中では「ちいちゃん」になったのだ。但し、年令に着目した場合、彼女のモデルは踊子の薫だとも言える。太吉郎が「あんたいくつや」と尋ねると、彼女は「中学の一年どす」と答える。中一と言えば13才。これを数えで言うと14才になる。薫がモデルだと思われる少女は、「眠れる美女」にも登場するが、川端が初代や薫に何故こだわり続けたのか、今一つ理解に苦しむところではあるが、それだけ川端にとって強烈な、一生引き摺り続けた経験だったのは確かだろう。
次に、準主役である苗子はどうか。苗子は幼い頃に両親を亡くし、孤児として生きて来たのだ。だからこそ、唯一の肉親であるふた子の片割れである千重子に思いを寄せたのである。苗子の心情は、孤児根性に思い悩んでいた若き日の川端と同じだ。苗子のモデルは、川端自身だと思う。そう言えば、「古都」のラストシーンは、「伊豆の踊子」のそれと共通点を持っている。「伊豆の踊子」は、二十歳の学生である「私」が学生のマントに潜り込み、涙を流すシーンで終わっている。「古都」においては、冷たい布団の中で千重子と苗子が抱き合うのである。前者は男同士、後者は女同士で、まるで反対のようではあるが、その本質は変わらない。孤独に耐えかねた人間が、人肌のぬくもりを求めて抱擁するのだ。このように考えると、あるいは、川端は「古都」の中で苗子となり、千重子と抱き合うことによって、自らの魂を救済したのかも知れない。
「古都」には、若い男も出て来る。帯職人の秀男である。秀男は、太吉郎にも率直に意見を言うような気骨のある青年である。そして、帯や芸術に関する秀男の才能は、太吉郎のそれを凌駕している。この秀男のモデルは、実は、三島由紀夫ではないかと思ったりするのだが、どうだろう?
「古都」が朝日新聞に連載されている最中、言語学の権威である新村出(しんむらいずる)氏が、朝日新聞にコメントを寄せた。新村氏はその中で「私の晩年を大いに慰めていただきつつある」と述べた。この言葉に、私は大いに共感するのである。年老いて、簡単な日常生活に身を置く者には、心の空白のようなものがあって、「古都」がそれを埋めてくれるように感じるのだ。あるいは、冒頭に記した「お父さんは、お習字していやはるようどした」という千重子の言葉に癒されるのは、老人の特権なのかも知れない。