文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

背徳の美学(その26) 悲しみと美

 

川端の実生活と川端文学における本質を考えてみると、次のようなステップが見えて来る。

 

ステップ1: とても悲しい。

ステップ2: その悲しみは、どうにもならない。

ステップ3: 夢幻の世界に入る。

ステップ4: 夢幻の中で、美を発見する。

 

簡単に補足しよう。

 

ステップ1: とても悲しい

私やあなたと同じように、若しくはそれ以上に、川端は辛苦を舐めてきた。「伊豆の踊子」の語り手は孤児根性に悩み、「雪国」の島村は生きている実感を持つことができず、「眠れる美女」の主人公は、老いの絶望の中にあった。

 

ステップ2: その悲しみは、どうにもならない。

頑張って克服できる種類の悲しみもあるだろうが、多くの場合、人間はそれをどうすることもできないのである。例えば、僧侶に犯されてしまった初恋の人。人間がどうあがいても、その事実を消すことはできない。特攻隊員として死んでしまった青年たちも、帰ってくることはない。

 

ステップ3: 夢幻の世界に入る。

現実から逃避するように、川端自身もそして小説の登場人物も、夢幻の世界に入ってゆく。(「夢幻の世界」とは、私が「深層の世界」と記してきたものと同義である。) 「伊豆の踊子」の語り手は、東京を離れて伊豆半島を目指した。「雪国」の島村は、国境の長いトンネルを超えて、夢幻の世界を目指した。川端自身、次のように語っている。

 

- 私は敗戦を涯(みぎわ)としてそこから足は現実を離れ天空に遊行(ゆぎょう)するほかはなかったようである。元来が現実と深く触れぬらしい私は現実と離れやすいのかもしれない。世を捨て山里に隠れる思ひに過ぎないであろう。-

 

ステップ4: 夢幻の中で、美を発見する。

伊豆半島に赴いた二十歳の「私」は、そこで踊子の薫と出会う。雪国に逃避した島村は、芸者の駒子に出会う。「眠れる美女」の主人公である江口は、秘密の家で全裸の美少女たちと出会うのだ。彼女たちは、美の化身である。一方、実生活の川端も、多くの美女たちと出会った。それは映画撮影の挨拶で川端家を訪ねた吉永小百合であり、養女の麻紗子であり、最後は銀座のラ・モールという高級クラブに務めるY子だったらしい。酒を飲めない川端はオレンジジュースを注文し、何もしゃべらず、じっとY子の手を握っていたとの話がある。これはいかにも川端らしい、いい話だと思う。

 

さて、このように書いてしまうと、それでは何も変わらないではないか、現実や権力と戦うべきではないのか、という批判の声が聞こえてきそうだ。そういう批判は、ある意味当然なのであって、川端の側に弁解の余地はなさそうである。しかし、川端にそのような能力はなかっただろうし、そのように批判する誰よりも、川端は深い悲しみを抱えていたのではないか。

 

このように考えてみると、川端文学は、悲しみから出発して、美を目指していたことが分かる。すると、どうしても美とは何か、という問題に突き当たる訳だ。川端は、そんなことを考える必要はないし、どうしてもと言うならば美学の本でも読め、と言っている。しかしながら、私が本屋を徘徊しても、美学の本などというものは、なかなか見つからないのである。これはもう、自分で考えるより仕方がないのではないか。

 

いきなり美とは何か、と考えようとしても、なかなかとっかかりがつかめない。そこでまず、美にはどのような種類があるのか、考えてみた。私の試論によれば、美には次の3種類がある。

 

自然の美

文化の美

人間の美

 

山登りをして、山頂から見渡した景色が美しかったとか、水平線のかなたに沈む夕日がきれいだったという経験は、誰にでもあるだろう。これが、自然の美である。また、音楽を聞いて美しいと感じたとか、美しい絵を見たと言う経験も一般的だと思う。これが、文化の美である。一番説明が難しいのが、3番目の人間の美である。これは、身体の美と心の美とに分類できそうだ。とりわけ女性の身体は、美しい。しかし、女性の身体が何故、美しいかと言えば、それは40億年に及ぶ生命進化の結果なのである。そう考えると、身体の美は、自然の美に分類すべきではないか。すると、人間の美の核心は、人間の心の美しさであることになる。

 

余談になるが、川端が作品中、主に追求していたのは、心の美である。川端が身体の美を追求したのは、私が知る限り「眠れる美女」だけだ。この作品は、老人が美少女と添い寝するという設定が反道徳的だったこともあってか、文壇での評価は芳しくなかったらしい。そんな中で三島由紀夫だけは、これを絶賛した。いかにも、ボディービルに励んでいた三島らしい評価だという気がする。

 

私はどうかと言うと、心の美の方が重要だと思う。金や権力とは無縁で、純粋で、健気な少女たちの心の美しさが、彼女たちの一瞬の言葉、しぐさ、行動に表われる。その一瞬の輝きにこそ、美が宿るのだ。

 

「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」と踊子の薫が言った。

 

「あんた、なにしに来た。こんなところへなんしに来た」と芸者の駒子が言った。

 

「ああ、苗子さん、あたたかい」と冷たい布団の中で千重子が言った。

 

これらの素朴さの中にこそ、普遍的な人間の美があるのではないか。