トランプ政権も2期目に入り、反知性主義という言葉を眼にする機会が増えた。但し、この言葉が意味する内実はとても複雑で、私自身、深い混乱に陥ったのである。何とか、この問題を整理してみようというのが、本稿の趣旨である。
そもそも、人間に知性は可能なのかという大問題がある訳だが、これはちょっと除外し、ここでは、知性とは単なる知識や自明のことではなく、人間がいかに社会を構築し、平和に、幸福に暮らすかという理性的な思考のことだと定義しておこう。
このように定義をすると、知性とは人間にとって必要不可欠なもので、人間を他の動物から区別する素晴らしいものだと言える。しかし、この知性が権威と結びつくところに問題がある。知性は大学を生み、大学が知的エリートを量産する。すると人々の間に知的格差が生じ、この格差が貧富にまで影響を及ぼす。すると知性から疎外された大衆の反逆が起こる。これが反知性主義である。
アメリカにおける反知性主義を歴史的に遡ると、それはマルティン・ルターの宗教改革にまで遡る。カトリックの権威主義的な教会の堕落に怒りを覚えたルターが、そもそもキリスト教の教えは聖書に書かれているのであって、それを牧師が勝手に解釈するのはけしからんと主張した訳だ。言ってみれば、ルターの主張は聖書に書かれている知性と、教会という権威とを分離せよ、ということだった。そこでルターが提起したのは「万人祭司」で、誰でも牧師になることができる、とするものである。厳密に言えば、ルターのこの主張は権威を批判しているのであって、知性、すなわち聖書に書かれていること自体を批判している訳ではない。よって、正確には反権威主義と言うべきかも知れない。
やがて、欧州でカトリックから迫害を受けていたプロテスタントが、大挙してアメリカ大陸に渡る。すると時の権力者がハーバード大学やイエール大学を設立し、牧師の養成を始めた。そこで再び、紛争が生じたらしい。このような宗教的、歴史的な経緯があるので、アメリカにおける反知性主義は、筋金入りなのである。ちなみに、プロテスタントの聖書原理主義的な特性は、今日の福音派に引き継がれ、彼らはトランプの支持母体となっている。
権力、権威、知性の3要素が複雑に絡み合って、人間社会の秩序が出来上がっている。これが私の見方である。例えば、国家権力があって、それが裁判所や裁判官という権威を創出する。そして、裁判官たちが判決文を書き、これが社会の秩序を維持する知性となる。権力 → 権威 → 知性 という順になる。また、マルクス主義といいう1つの知性が生まれ、それが権威となり、共産主義国家という権力を産むというパターンもある。これは、知性 → 権威 → 権力という順である。
上記の考え方に従えば、知性と権威は別物なのであって、打倒すべきは権威であり、知性そのものではない。しかし、現実にトランプが攻撃しているのは、両者を区別することなく、若しくは知性そのものをターゲットにしているようにも見える。そこに、トランプ政権の危うさがあるのではないか。最近、トランプが攻撃している知性やそれを司る権威、機関を列記してみよう。
・ハーバードなどの大学
・WHOやUNESCOなど、国連とその関係機関
・CNNはNew York Timesなどの主流派メディア
・気候変動関連機関(パリ協定からの離脱)
・司法、法曹界
・CDC(アメリカ疾病予防管理センター)/ワクチン問題
このように列記してみると、トランプ旋風が激烈で、広範囲に及んでいることが分かる。私などは遠く日本から見ているだけだが、米国民の不安や動揺は推して知るべしであろう。
1度目の「近代の死」は、1945年にヒロシマとナガサキで起こった。そして、現在、私たちは2度目のそれ、すなわち「近代の死」を目撃しているのかも知れない。