文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

魂の証明(その1) はじめに

 

最近、無力感に襲われている人が少なくないのではないか。私も、その1人である。イスラエル軍が、ガザ地区に地上侵攻したらしい。このようなニュースに接する度、私は自分が無力であることを思い知らされる。また、最新のニュースによれば、ウクライナ軍が東部地域の一部をロシア軍から奪還したらしい。一体、この戦争はいつまで続くのだろう。しかし私に、ネタニヤフやプーチンに電話をして、戦争や殺戮を止めさせる力はない。

 

日本国内に眼を向けてみても、事情は左程変わらない。私は、裏金と利権に塗れ、無制限に移民を増やそうとしている自民党が、ゴキブリよりも嫌いなのである。そこで、このブログにも国内政治に関する記事をしばしば掲載してきたが、この吹けば飛ぶようなブログで何を発信しようと、自民党の支持率に対する影響など、全くないのである。

 

圧倒的に、私は無力なのだ。

 

この単純な事実を前に考える訳だが、そうは言っても、この世の中にただ1人、私が自由に影響を及ぼすことのできる人間がいる。それは、私自身に他ならない。このことは、多くの人々に共通するのではないか。

 

では、私は一体何をどう考え、どう生きれば良いのだろう。そんな青臭い問いから出発し、これからシリーズ原稿を掲載してみようと思う。主な登場人物としては、ソクラテス三島由紀夫を予定している。この2人の死に方には、驚く程の共通点がある。何かと煙に巻くような発言を繰り返していた三島だが、その本音を読み解く鍵が、実はソクラテスにあるのではないか。ちなみに三島は決行前夜 (訂正:正しくは6日前)、親しい人に向けた手紙の中でプラトンパイドンを読んでいると述べている。そしてパイドンには、ソクラテスの死が描かれている。

 

ここで目次を掲載できれば良いのだが、まだ、そこまでの具体的なプランがある訳ではない。そこで、目次代わりに1つの配置図を示したい。このように物事を単純化する手法には、批判があってしかるべきだ。現実は、それ程単純ではない。しかし、このような図でも示さなければ、私が何を述べているのか、読者諸兄にご理解いただくことが困難であることも事実だと思う。