プラトンの著作「饗宴」は、第一級の哲学書でありながら、優れた文学作品でもある。その仕掛けは興味をそそるし、読み終えた後には深い余韻が残る。この作品を読むと哲学と文学の起源が同一だったと思いたくもなる。
古代ギリシャにおいては、男たちが集まって、酒を飲みながら政治や哲学の話をする習慣があった。それが本書のタイトル「饗宴」の意味である。ここでは、ソクラテスなどの哲学者に加え、詩人、弁論術に長けた者、医師、政治家などが集まる。しかし、参加者の多くは前日に酒を飲み過ぎて、二日酔いの状態にあった。そこで、酒は控えめにしながら、何か論議をしようということになる。そして、議題はエロスを賛美するということに決まる。その経緯は次のようなものである。
- これまで詩人たちは、神々を賛美しほめたたえる歌を作ってきました。ところが、これまで世に出た詩人はこんなに多いのに、エロスをほめたたえる歌を作った詩人は、一人もいないのです。エロスはとても古くて、とても偉大な神だというのにね。-
- 私たちのそれぞれが、左から右へと順番に、できるかぎり美しい話をして、エロスを賛美していくのがいいと思う。まず、パイドロスからはじめよう。-
こうして、参加者がそれぞれにエロスを賛美し始める。ちなみにエロスとは、ギリシャ神話に登場する男神の名で、異性間あるいは同性間の性的な愛、激しい欲望を意味する。但し、ここで主に語られるのは、少年愛と呼ばれる成人男性と少年(通常は12才~18才)との間で交わされる同性愛である。興味深い話が続き、最後にソクラテスの番がやってくる。
ソクラテスは、自分がディオティマという異国の女性から聞いた話を披露する。ディオティマは、エロスが神と人間の中間に位置する精霊(ダイモン)であると説明した後、「ここから先は、究極にして最高の奥義」をソクラテスに授けると言う。そうして彼女が話し始めたのが、「エロスの道」である。これは、人間がエロスから出発して、成長していくプロセスを示すものだ。ディオティマの説明に従って、その概略を記述しよう。
ステップ1: 若いときに、美しい体に心を向かわせるところから始める。(体の美)
ステップ2: 一つ一つの美しい体が持つ美しさは、みな兄弟のようにうり二つであり、いやしくも姿における美を追い求めようとするならば、あらゆる体における美しさは同一なのだと考えなければ筋が通らぬ。その後、彼は、心の美しさのほうが体の美しさよりも尊いと考えるようになる。(心の美)
ステップ3: そして彼は、若い人たちをより優れたものにしてくれる言葉を生み出すのだ。その結果、彼は次に、人間のふるまいと社会のならわしの中にある美しさを観察する。そして、それらの美しさはすべて互いに密接につながり合っていることを見て取るはずだ。(社会の美)
ステップ4: 彼は、人間のふるまいに続いて知識に心を向け、こんどは知識の美しさを見ることになる。(知識の美)
ステップ5: 彼は美の大海原に漕ぎ出して、美を観察する。そして、知恵を求める果てしなき愛の中で、たくさんの美しく荘厳な言葉と思想を生み出す。(思想の美)
ステップ6: 彼は、ついにエロスの道の終着点に到達する。その美は永遠であり、相対的なものではなく、身体の部分や言葉とか知識のようにも見えない。その美は、ほかのなにものにも依存することなく独立しており、常にただ一つの姿で存在している。(究極の美)
括弧内の言葉は、便宜上、私が付けたものだが、それらを列記してみよう。
体の美 → 心の美 → 社会の美 → 知識の美 → 思想の美 → 究極の美
このようにエロスから出発して、段階を経て、究極の美に至る。このステップは、一般に「美の梯子」とも呼ばれている。また、最後に到達する究極の美は、「美のイデア」のことである。イデアというのは、プラトン哲学における重要な概念で、究極的な何かを示す言葉であって、プラトンは美の他にも善、正義、勇気、真理などのイデアを措定した。中でも「善のイデア」はプラトンの哲学体系における頂点に位置づけられている。
またプラトンは、人間の魂は肉体に宿る前にイデア界にあって、イデアを見ていたものと考えていた。従って、人間が学ぶということは、何か新しい知識を得るということではなく、魂がかつて見ていたイデアを思い出すことである。これがプラトンの唱えた「想起説」である。
とても重要な話になってきた訳だが、恐縮ながらAI(Copilot)の説明を引用させていただこう。
・魂はイデア界に属する永遠の存在であり、肉体に宿る前に真善美のイデアを見ていた。
・魂がイデアを想起することで、真の知識と徳に至ることができる。
・特に善のイデアは、魂の目指すべき最高の目的であり、魂の向上はこのイデアへの接近によって達成される。
・よって、「魂に配慮する」とは、魂をイデアに向けて鍛え、真理と善に近づけることを意味する。
そうしてみると、プラトンのイデア論は、ソクラテスの「自らの魂に配慮せよ」という主張を論理的に裏付けていたことになる。また、この思想は「真理は私の中にある」とする陽明学にも通底するのだ。また、私が川端康成の文学を検討していた時に指摘したことだが、川端文学はエロスから出発して美に至る、ということだった。この点も、プラトンの「エロスの道」と繋がっている。
他の哲学や宗教がエロスを否定的に評価しているのに対し、プラトンはそれを肯定し、むしろそこから出発せよと言っている。この点にも私は賛同し、拍手を送りたいのだ。私の中で、何かが弾けたような気がする。そして私は、今、幸福感に包まれている。