前回の原稿で、私は、輪廻転生について東洋では仏陀が、西洋ではプラトンがこれを説き、両者の間に伝播はなかった。「不思議なこともあるものだ」と述べたが、どうやらこの理解は誤りだったらしい。訂正すると共に、お詫び申し上げます。
西洋の方を先に述べると、この輪廻転生という考え方は、プラトンよりも先にピタゴラス(紀元前6世紀頃)が同じようなことを述べていたのである。
- (前略)ピタゴラスは、魂が神的な起源をもつ不死なる自己同一者であること、犯した罪のために肉体という墓の中に落ちていること、この世にある間の全活動に対する倫理的責任を負うこと、やがてあの世で審判処罰があること、その償いは他の諸生物への輪廻転生により果たされること、あらゆる肉体的情欲から決定的に浄化された魂が初めてその神的な起源へ帰還できること、などを説いた、と考えられる。このような思想は、元々は、ユーラシア大陸に広く分布するシャーマニズムに由来すると思われる(後略)-
(参考文献: ギリシャ思想入門/東京大学出版会/岩田靖夫/2012)
上記の引用箇所を読むと、それはプラトンの「国家」の末尾で語られるエルの物語と近似している。これはエルという人の臨死体験に基づくもので、ある場所で魂に対する審判、罰則、次の生命への割り当てなどが行われる。
シャーマニズムがあって、それがピタゴラス派によって醸成され、ソクラテスやプラトンに伝承されたと見て良いだろう。
シャーマニズムに関する私の理解は、次の通りである。シャーマニズムの構成要素としては、神話、呪術、祭祀の3つを挙げることができる。当初はシベリア付近で確認されたが、その後、世界的な広がりのあることが判明した。
なお、かつてのアイヌ文化もシャーマニズムであった。そこには多くの神話があり、呪術や祭祀の習慣を見て取ることができる。ここで興味深いのは、プラトンのイデア論は、我々が現実に見ているものは、イデアの不完全なコピーだとするものだが、これはアイヌ文化におけるカムイという概念に似ている。カムイとは神のことだが、アイヌの人々は熊には熊の、鳥には鳥のカムイがいて、そちらが真実だと考えていた。
次に、東洋の方を考えてみよう。輪廻転生という考え方は、仏陀より前から存在したのだ。仏陀、すなわち仏教の前にインドにはバラモン教があった。そしてバラモン教は、既に輪廻転生に近い思想を持っていた。仏陀は、輪廻転生から解脱すべきだという思想を、付加したに過ぎない。バラモン教から更に遡ると、そこにはシャーマニズムがあったに違いない。
このように見てくると、まずシャーマニズムがあって、そこから哲学、宗教、科学へと分岐したことが分かるが、その線引きは曖昧だと言わざるを得ない。例えばピタゴラスは数字にこだわり、音楽理論を研究していた。ピタゴラスはシャーマン的であり、哲学者風であり、数字にこだわり、教祖のようでもあった。哲学の始祖はピタゴラスであるとする説もあるようだが、ソクラテスであるとする説の方が一般的らしい。
シャーマニズムまで遡ると、東洋も西洋もない。アフリカやその他の地域まで含めて、地球規模で、人類の営みの本質は、みな同じなのである。そして、誰か特別な人がこれを発展させた訳でもないことが分かる。哲学者も科学者も宗教家も、前の世代から受け継いだものに対し、少しだけ何かを付加したり、差し引いたりしてきたのではないだろうか。