文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

魂の証明(その10) 美、エロティシズム、死

 

哲学の世界では、人間が目指すべき究極のものを真善美であると考えてきた。それはプラトンから始まり、約2000年後のカント以降まで続いている。人間には目指すべきものがある。しかもそれは、究極の何かなのだ。そう考えたのは、三島由紀夫も同じだろう。但し彼はそれらを美、エロティシズム、死の3つであると述べた。このことは、三島の肉声が今もYouTubeに記録されている。

 

今日、11月25日は三島の命日でもあり、この問題を考えてみたい。

 

まず、美について。美とは何か。これを端的に定義づけることは難しいし、三島がどのように定義していたのか、その直接的な説明を私は読んだことがない。従って、この問題は私自身が考える他はないのだ。

 

例えば、美は存在しない、と考えることも可能だ。世界には、多種多様な事物や現象があるばかりで、それらに特段の意味はない。但し、多種多様な事物や現象のうち、いくつかのものに対して、人間は美しいと感じる。そうだとすると、美とは人間の感性が生み出すものだと言える。または、人間の感性の中にこそ、美の本質が内包されていると言えないか。

 

別の考え方もある。今度は、美の種類を考えてみよう。まず、眼に見える美がある。それは大自然であったり、女性の裸体だったりする訳だ。また、耳で聞くことのできる美もある。鳥のさえずりや音楽などがこれに当たる。それらとは別に、言葉によって表現される美というものもあるだろう。それは素朴な少女が発した彼女の内心を表わすものとか、言葉そのものの美しさや、詩や小説によって表現される美のことである。最後に、人間の行動に伴う美というものもある。私たちは誰かの利他的な行動に触れると、そこに美を感じるものだ。

 

さて、これで少なくとも4種類の美のあることが分かった。では、これらの美の中で、最も信頼できるものはどれだろう。時間がたてば、花は散るし、女性は年老いる。言葉の美と言っても、そもそも小説家などという連中は、皆、大嘘つきなのである。すると、行動によって表される美が、最も信頼できる美だということにならないか。三島は、そう考えていたのだと思う。

 

次は、エロティシズムだ。私にとっては、これが最大の難問だったのだが、幸い、三島が本音を述べていると思われる文章を見つけることができた。「葉隠入門」の中の「『葉隠』 四十八の精髄」という箇所から、引用する。

 

- 第二に「葉隠」は、また恋愛哲学である。恋愛という観念については、日本人は特殊な伝統を経、特殊な恋愛観念を育ててきた。日本には恋はあったが愛はなかった。西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、徐々に肉欲を脱してイデアの世界に参入するところのプラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、まったく肉欲と断絶したところの精神的な愛であって、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。従って、ヨーロッパの恋愛理念にはアガペーとエロースが、いつも対立概念としてとらえられていた。ヨーロッパ中世騎士道における女性崇拝には、マリア信仰がその基礎にあったが、同時に、そこにはエロースから断絶されたところのアガペーが強く求められていた。

 ヨーロッパ近代理念における愛国心も、すべてアガペーに源泉を持っているといってよい。しかし日本では極端にいうと国を愛するということはないのである。女を愛するということはないのである。日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながっている。もし女あるいは若衆に対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変わりはない。このようにエロースとアガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕(れんけつ)の情」という名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤をなした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊しているとはいえない。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信である。-

 

誠に驚くべき分析である。上記の引用箇所に「エロティシズム」という言葉は含まれていないが、私は、この箇所を読んだ瞬間、ああ、これが三島の言っているエロティシズムのことなのだと思った。

 

三島は、エロティシズムを単なるセックスの対極に置いていた。単なるセックスを動物的で低俗なものとし、対するエロティシズムの方を究極的で、純粋な精神の形態と位置付けていたのである。そして、そのエネルギーは天皇崇拝にまで結びつく訳だ。このようにしてエロティシズムは、国家、政治、天皇制と深く関わることになる。三島が自決の直前にバルコニーにおいて「天皇陛下万歳」と三唱した理由が、ここにある。

 

なお、引用箇所における「プラトンの哲学に完成を見いだした」とあるのは、プラトンの「饗宴」に記されたエロスの道(美の梯子)のことを差している。これは本稿の(その3)で取り上げたので、ここでは繰り返さない。いずれにせよ、三島がプラトンのみならずギリシャ哲学全般に精通していたことには、疑いの余地がない。

 

さて、残るのは「死」の問題である。

 

まず、死は善いものか、悪いものかという議論があった。古代ギリシャにおいては、その彫刻に代表されるような筋肉美が称賛されていた。反対に、老いること、死ぬことは忌み嫌われていたのである。そのような環境下にあったからこそ、ソクラテスの「死のことを何も知らないのに、恐れるのはおかしい」(ソクラテスの弁明)という主張は、当時の人々にとっては、驚くべきものだったのだ。なお、三島は川端康成に宛てた手紙の中で、自分が死ぬことは全く恐ろしくない、と述べている。

 

次に、死は回避すべきものか、目指すべきものか、という問題がある。この点、現代の日本では執拗なまでに回避すべきだという洗脳が行われているように思う。しかし、葉隠においては、死とは目指すべきものだ、との主張が繰り広げられる。こんな話が、葉隠の中で紹介されていたのを覚えている。ある若者が、殿様に仕えていた。ある日、その殿様が住んでいた城が、火事になった。幸い、殿様も家来たちも無事だったが、殿様はある宝物を持ち出せなかったことを残念がった。すると、その若者が何の躊躇もなく、燃え盛る炎の中に飛び込んだのである。鎮火した後、皆で調べてみるとその若者の丸まった焼死体が発見された。死体を開いてみると、腹のあたりに殿様の宝物が無事で発見された。この逸話からどのような原則が導かれるかと言うと、この若者のようにりっぱな死に方をするチャンスは、人生の中で、多くはない。従って、そのチャンスを逃してはならない、ということ。このことを葉隠は、「その時が只今、只今がその時」と表現している。

 

少し、プラトンの作品「パイドン」について述べよう。ちなみに三島は、決起の6日前に投函した作家、村上一郎に宛てた手紙の中で「『パイドン』を読んでいる」と述べている。実は、「パイドン」の中にも、死を肯定するような記述がある。

 

- もし、私たちがなにかを清浄に知ろうとするならば、肉体から切り離されるべきであり、魂それ自体によって物事それ自体を観なければならない。そしてその時に、どうやら、私たちが求め、それを恋する者であると主張するその境地、つまり<叡智>が私たちのものとなるだろう。-

 

魂が肉体と切り離されるとは、すなわち死ぬことである。死に至らなければ、叡智を得ることができない、と述べている訳だ。また、「パイドン」には、「死の練習」についての記載もある。

 

- 魂の肉体からの解放と分離こそ、知を愛し求める哲学者が練習してきたことなのだ。-

 

実はこの「死の練習」については、葉隠にも同様の記載がある。

 

- (毎朝、まえもって死んでおけ)必死の思いは、日々あらたにするよう努むべきである。朝ごとに身心をしずめ(中略)死にざま、末期のことを考え、毎朝、ゆるみなく、死んでおくべきである。-

 

言ってみれば、死のイメージ・トレーニングをしておけ、ということだろう。このようにソクラテスプラトン、山本常朝(葉隠の著者)らと三島の思想には、共通点が少なくない。

 

いつもの「配置図」を再掲する。

 

 

この図において私が思うのは、文学で到達できるのは「魂」までだということ。そこに文学の、言葉の限界がある。そこから先の真善美、エロティシズム、叡智のレベルまで飛翔するためには、死んで見せなければならないのではないか。細部において相違はあるものの、この点において、「パイドン」に描かれたソクラテスの死と三島の死は、深いところでつながっているに違いない。