文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

魂の証明(その11) 神の階梯

 

三島由紀夫の小説、「英霊の声」を読みながら、私の背筋はゾクゾクと寒くなった。話は、語り手が木村先生の主催する帰神(かむがかり)の会に出席するところから始まる。ここで行われる方式は、一般の神がかりとは異なり、他感法と呼ばれるもので、石笛(いわぶえ)を吹く審神者(さにわ)と霊媒たる神主の2名によって執り行われる。審神者(さにわ)は木村先生が、そして霊媒は川崎君と呼ばれる23才の盲目の青年が務める。

 

いよいよ儀式が始まると、霊媒たる川崎君の様子が一変し、彼に霊魂が乗り移る。霊魂は川崎君の口を借りて、長い物語を話し始める。やがて、その霊魂が2・26事件で命を絶った青年将校たちのものであることが分かる。青年将校たちが去った後、別の霊魂が川崎君に憑依する。彼らは、神風特攻隊として南海に散った若き兵士たちである。彼らが川崎君の口を借りて語った物語の中に、次のような一節がある。

 

- しかしわれら自身が神秘であり、われら自身が生ける神であるならば、陛下こそ神であらねばならぬ。神の階梯のいと高いところに、神としての陛下が輝いてゐてくださらなくてはならぬ。そこにわれらの不滅の根源があり、われらの死の栄光の根源があり、われらと歴史をつなぐ唯(ただ)一条の糸があるからだ。-

 

この霊魂が不満に思っているのは、天皇人間宣言である。本来、神としての天皇がいて、その天皇に一体化するからこそ、天皇に忠義を誓い死んでいった者の魂が救われるのに、その天皇人間宣言を出してしまっては、一体、どうして死者の霊魂が救われようか、と述べている訳だ。人間宣言の問題は置くとして、この記述から三島の思想の根底が覗き見える。

 

つまり、この世の地上と天空の間に長い階梯(かいてい:はしごの意)がある。天皇や国家のために自ら命を投げ打った場合、その者の魂は、天皇と一体化するのである。そして天皇は、即位の際に執り行われる大嘗祭(だいじょうさい)によって、日本の最高位の神である天照大神アマテラスオオミカミ)と直結する。つまり、忠を尽くして死んだ者(忠臣)の魂は、神と一体化するのである。これが三島の世界観であり、美学でもある。

 

天照大神 - 天皇 - 忠臣

 

ここで三島はいみじくも階梯という言葉を用いているが、これはプラトンの「美の梯子」に似ている。古代ギリシャにおける最高神は、ゼウスだった。そして、神の言葉を人間に伝える役割を担っていたのが、精霊(ダイモン)や巫女だった。幼い頃から精霊の言葉を聞いていたのがソクラテスで、その弟子がいて、弟子の中の1人がプラトンだった訳だ。

 

ゼウス/イデア - 精霊/巫女 - ソクラテス - 弟子/プラトン

 

ソクラテスに弟子がいたように、三島を取り巻く若者もいた。1人は、絶世の美少年だった美輪明宏だろう。その後、三島は縦の会を結成し、若者を集めた。その中で学生長をしていたのが、森田必勝である。森田は太平洋戦争の末期に生まれた。そして、戦争の必勝を願って、両親が必勝(まさかつ)と命名したらしい。森田は三島を介錯した後、自らも腹を切った。「手記 三島由紀夫様 私は森田必勝の恋人でした」という本があって、これは涙なくして読めない。

 

天照大神 - 天皇 - 三島 - 森田

 

そんなお伽話のような、と思う人が多いことと思う。まさか、そんなことを三島が本気で考えていたのか、と疑問に思う人もいるだろう。しかし私は、三島は本気だったと思う。別の見方をしてみよう。私たちの文明は行き詰まっている。政治は腐敗し、人々は堕落した。グローバリズムという美名の下に、今、日本という国家自体が存亡の危機にある。三島が想定していた国家とは、憲法とか、国境とか、国連とか、そういう近代主義的な要素に基づくものではない。三島が考えた国家とは、文化共同体のことである。そこには歴史があり、歴史が育んだ文化がある。文化の中で人々は育成され、文化の中で倫理と美が醸成されるのだ。これが、三島の措定した文明のグランドデザインではないか。