紀元前399年、アテナイの法廷。被告人ソクラテスは、数百人の陪審員を前に、地声を張り上げて演説を行った。多分、何らかの自己弁護を行うだろうと思っていた陪審員たちに向けて、ソクラテスは説教じみた話を始めた。陪審員たちが憤慨したであろうことは、想像に難くない。実際、「ソクラテスの弁明」の中には、次のような一節がある。
- 騒いで話の邪魔をしないでいただきたい、アテナイ人諸君、むしろ私が諸君にお願いしたことをよく守っていただきたい、私が何か言うなら、そのために騒いで邪魔をせず、聞いてもらいたい。-
罵声や野次が飛び交うカオスが、その場にはあったのだろうと思う。
時空を超えて、今度は1970年11月25日の自衛隊、市谷駐屯地。盾の会の隊員4名を従え、東部方面総監を拉致した三島由紀夫は、要求書を突き付けていた。三島の要求に従い、自衛隊は隊員をバルコニー前の広場に集結させた。そこで、三島は最後の演説を行ったのである。聴衆となった自衛隊員たちから、容赦のない罵声が三島に浴びせられた。上空にはマスコミのヘリコプターが飛んでいた。ここにもカオスがあった。
三島由紀夫 最後の演説
https://www.youtube.com/watch?v=ZLW8JbrveeI
2つのカオス。ソクラテスと三島由紀夫。どうしても、私には似ているとしか思えないのである。
さて、本稿も最終段階に近づいてきた。ここで、論点を整理しておきたいと思う。それぞれの論点毎に、まず、ソクラテスやプラトンの思想を述べ、次に三島の思想を述べ、最後に2025年現在の日本の状況を述べていきたいと思う。それが分かり易いだろうと思う。
論点1: 真理について
プラトンは、地上を離れたどこかに、我々が見ている物とは別に、真理があると考えた。それを彼は、イデアと呼んだ。そして、イデアに最も近接したものとして、魂があると主張した。中でも「善のイデア」を最高位に置いた。その後、哲学の世界では真善美という概念が生まれたが、その起源もプラトンにあると言われている。
三島は真善美と言う代わりに、「美、エロティシズム、死」を措定した。三島が考えた美は、眼に見える美、肉体の美ということもあるが、それ以上に行動の美を追求していたに違いない。エロティシズムは、エロスから出発するが、その究極的な形は天皇崇拝である。また、死とは美の完成であり、言語による限界を超越する行動を意味していたのだと思う。すると、この3つの要素は互いに関連し、最終的には行動によって、死ぬことによって完成することになる。仮に三島にとっての善が天皇崇拝にあったとするならば、それはプラトンの思想、「善のイデア」に近似すると言えよう。
現在の日本において、上記のようなことを主張する思想家を私は知らない。また、三島が腹を切ってから55年が経過したが、三島に続いた者はいないのではないか。かつてピュタゴラス派やストア派は、「真理とは宇宙全体を統べる根本的な原理である」と考えていた。しかし、今日の私たちは万有引力の法則を知っているし、宇宙の起源がビッグバンであるということも、知識としては持っている。現在の日本人は、最早、過去の人類が抱えていた根源的な“問い”そのものを失ってしまったのかも知れない。
論点2: 国家について
ソクラテスやプラトンは、アテナイと呼ばれる規模の小さな都市国家(ポリス)に属していた。その人口は20~30万人で、そのうち参政権を持っていた成人男性は3万人程度だった。一般論からすれば、民主主義は国民の数が少ない方が機能し易い。アテナイでは有権者の1票の価値は、3万分の1。現在の日本で言えば、1億分の1しかない。また、参政権者の少ないアテナイでは、直接制民主主義が採用されていた。しかし、プラトンの民主主義に対する評価は、極めて低かった。プラトンは「国家」の中で、国家統治の在り方について、次の5種類があると述べている。ちなみに、一番上の「優秀者支配制」(哲人政治)が理想で、下に行くに従って堕落した形態だとされている。
1.優秀者支配制(哲人政治)
2.名誉支配制
3.寡頭制
4.民主制
5.僭主性(独裁)
なお、プラトンが構想した哲人政治による理想的な国家は存在するのか、という問題があろう。この点、「国家」の中には、ソクラテスが次のように述べる箇所がある。
- それはおそらく、理想的な範型として、天上に捧げられて存在するだろう ― それを見ようと望む者、そしてそれを見ながら自分自身の内に国家を建設しようと望む者のために。-
三島も国家の統治形態については、深く考えていた。三島はそもそも小説家だったので、表現の自由を重視した。従って、一応、民主主義が良かろうということになる。但し、自衛隊(軍隊)は、その任務において命を掛けなければならない。その時の精神的な支柱として、天皇を置くべきだと考えていたのである。そこで、軍人に対する栄誉の付与などは、天皇の専権事項にすべきだと考えていた。つまり、一般的な政治権力とは別に、軍を統括する天皇、文化的権威としての天皇制の強化を目指していたのだと思われる。何故、そのような思想になるかと言えば、文化共同体としての国家、文化的統合の象徴としての天皇を土台に置かなければ、日本人の倫理、美学、武士道というものが成立しないからであろう。
現在の日本はどうかと言えば、米国や国際金融資本が推進するグローバリズムによって、国家の弱体化が進められている。最早、国家のために命を捧げようなどと考える日本人は、極めて少数であろう。
論点3: 自由について
ソクラテスの時代においても、多くの戦争が勃発していた。戦争の目的は、覇権争い、領土と奴隷の獲得などであった。敗戦国の市民は、戦勝国の市民の奴隷となった訳だ。身近に多くの奴隷がいる環境下にあって、ソクラテスやプラトンが自由について、考えなかったはずがない。彼らにとって自由とは、他の何ものによっても支配されないことだった。「国家」の中でソクラテスは魂に関して、次のように述べる。
- 魂には、およそ他の何ものによっても果たせないような<はたらき>が、何かあるのっではないか。たとえば次のようなこと ― 配慮すること、支配すること、思案すること、およびこれに類することすべてがそうだ。-
ソクラテスにとって「魂への配慮」とは、言い換えるならば、自己を統治せよ、自由を希求せよ、奴隷になるな、ということだったのではないか。こうして、「主体」が哲学上の課題として浮上したのだろう。
三島の場合、少し逆説的ではあるが、自由を求めていたことに変わりはない。山本常朝の「葉隠」について、三島は次のように述べている。
- (前略)だから今日のわれわれには、これを理想国の物語と読むことが可能なのである。私にも、もしこの理想国が完全に実現されれば、そこの住人は、現代のわれわれよりも、はるかに幸福で自由だということが、ほぼ確実に思われる。-
戦時中、天皇制は政治利用され、多くの若者たちを戦地へと駆り出す思想統制の手段となっていた。三島が言っているのはそのような政治利用とは正反対のもので、自らの自由意思に基づいて天皇を崇拝し、究極的には、天皇のために死ぬ、自らの死をも自由にコントロールしようと企んだのだと思う。
論点4: 死について
プラトンの前期の作品である「ソクラテスの弁明」などにおいて、死は、恐れるに足りないものだという主張が目立つ。便宜上、これを消極的な死の肯定だと言っておこう。ところが、「パイドン」など中期の作品になると、むしろ死を積極的に肯定しているように見える。その理由は、プラトンがイデア論に立脚し始めたからだと思われる。プラトンは、身体と魂を分離せよと述べる訳だが、その究極の形は死をおいて他にない。そして、身体から分離された魂こそが、イデアに到達するのである。
三島の思想も、死を積極的に肯定している。その背景には、「葉隠」がある。「葉隠」は、生きるべきか死ぬべきか迷った時には、「早く死ぬはうに片付くばかりなり」と主張する。そうすれば、自ずからその死に徳が宿るのである。
現在の日本においては、死について語ること自体がタブー死されている。自殺を誘発してはならないという、一応、もっともらしい理由が重要視されている訳だ。しかし、生とは死によって担保されているもので、死とは生が必ず到達する帰結でもある。より良い生を考えるためにも、死を避けて通るべきではない。また、安楽死の問題もあるが、日本においてこの論議は、一向に深まる気配がない。
以上、4つの論点(真理、国家、自由、死)を挙げて検討してみた訳だが、こうしてみると現在の日本と日本人が、ソクラテスや三島の理想といかに掛け離れているか、ご理解いただけたと思う。なお、上記の通りソクラテスと三島の思想は通底していると思われるが、相違点もある。その点については、次回の原稿で述べてみたい。