文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

人格の分裂と統合(その2) オイディプス王

 

ギリシャ神話も当初は口頭で伝承されていたのであり、それがいつの時代に始まったのかということは、最早、誰にも分からないのである。現在、文字データとして残っている最古のものはホメロス(前9~8世紀)の書いたイリアスとかオデュッセイアだと言われている。

 

ここに紹介するオイディプス王の物語も、その正確な起源は分からない。ただ、その一部はソポクレスによって書かれ、紀元前427年に演劇として上演されたらしい。

 

識字率の低い当時のことなので、人々は神話を読むのではなく、上演される演劇を鑑賞したり、広場で詩人の語る神話を聞いたりしていたのである。当時の人々にとって、神話とは、教養であり、芸術であり、娯楽であり、世界を認識する方法だったに違いない。ギリシャ神話には悲劇と喜劇があるが、悲劇は神々や上流階級の人々が登場する昔話で、悲惨な結末を迎える。対する喜劇は、市井(しせい)の人々を描く現在の物語で、ハッピーエンドに終わる。喜劇とは、現代に言うところのエンタメだったのだろう。

 

神話には神託ということが頻繁に登場し、物語の中で重要な役割を果たす。神託の中で最も格式の高いものは、デルポイの神託である。デルポイというのは地名で、アテナイから少し離れた場所に位置する。そこに神殿があって、アポロンという神が祭られている。そこに巫女と神官がいて、彼らにお願いをして神のお告げを聞くのである。これは現実に行われていた儀式であって、当時、重要な政治的、社会的な意思決定を行う際には、必ずと言ってよいほど執り行われていたらしい。ちなみにこのデルポイの神託は、「ソクラテスの弁明」にも登場し、物語の始まりを告げる役割を果たしている。

 

さて、「オイディプス王」についてだが、これは「お前は父を殺し、母と姦淫するだろう」という呪われた神託を受けたオイディプスの物語だ。多くの人が、少しは耳にしたことがあるのではないか。少し概略を述べたいと思うのだが、その前に、本稿における基本的な仮説について述べる必要がある。

 

その仮説とは、人格の成長段階に関するもので、それは次のステップによるのではないか、というもの。まず、「人格の拡張」ということがある。例えばあなたは、幼児のくったくのない笑顔を見て、驚いたことはないだろうか? 幼児の人格はそれだけシンプルなのである。それが大人になるにつけ、知識を得て、人生経験を積むと、笑顔1つを取っても複雑になってくる。苦笑い、薄ら笑い、嘲笑などとそれを表現する言葉も沢山ある訳だ。人格は必ず、多層的になり、拡張するのである。この人格が拡張する時期をここでは「拡張期」と呼ぶ。

 

次に、人格の分裂ということがある。これは何らかの挫折であったり、悲しいできごとであったりする訳だが、それによって人格が分裂することを言う。例えば、人は大好きだった恋人と別れることがある。すると、好きだったという気持ちと、うとましいと思う気持ちが相半ばする。このようにして、人格の内部における葛藤が生ずる。これが人格の分裂であり、その時期をここでは「分裂期」と呼ぶ。

 

やがて、分裂してしまった人格を再度、統合しようという働きが生ずる。少しずつ、過去の出来事や悲しみを乗り越えていこうとする段階のことである。但し、この段階に到達する人生もあれば、その前に消えてしまう人生もある。例えば、ゴッホの人生を考えてみると、彼は、自らの人格を統合することができず、ピストル自殺を図ってしまったと言える。この人格を統合する時期をここでは「統合期」と呼ぶ。

 

拡張期 → 分裂期 → 統合期

 

このように考えると、一見、複雑な神話や小説、あるいは現実世界における芸術家や思想家の人生が、良く見えてくるのだ。

 

但し、それでは無事に統合期を経過した人間はどうなるのだろう、という疑問が残る。何かを悟る場合もあるし、何らかの行動を決意する場合もあるだろう。あるいは死が待っている場合もあるに違いない。残念ながら、現時点の私には、その答えが見つかっていない。なんとか、その答えを探しながら、本稿を進めてみたいと考えている。

 

タイトルにある「オイディプス王」の話には辿り着かなかったが、今回はこの辺で。