文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

人格の分裂と統合(その3)

 

古代ギリシャにテバイというポリス(都市国家)があった。テバイの王はライオスと言った。ライオスは「自らの息子に殺されるだろう」という神託を受けていた。そのためライオスは、妃のイオカステとは交わらないようにしていたのだが、ある夜、酒に酔ったライオスはイオカステと枕を共にしてしまう。妊娠したイオカステは、元気な男の子を出産した。困ったライオスは、男児の踵(かかと)にピンを刺し歩けないようにした上で、部下の羊飼いの男にこの男児を捨ててこいと命じた。羊飼いは王の命令に従うが、どうも男児が不憫でならない。すると途中でコリントス(ポリス)の羊飼いに出会い、男児を預けてしまう。コリントスの羊飼いは、子宝に恵まれなかったコリントスの王に男児を委ねる。コリントスの王と妃は、男児をオイディプスと名付け、実子のようにかわいがって育てた。

 

オイディプスは、立派な青年へと成長したが、ある時、自分が王や妃の実子ではないという噂を耳にする。そこでオイディプスは真偽を確かめるために、デルポイに出向き、神託を仰いだ。すると神託はオイディプスの質問には答えず、代わりに「おまえは父を殺し、母と結婚するだろう」と告げた。コリントスの養父母を実の父母だと思っていたオイディプスは、2度とコリントスには帰るまいと誓う。

 

コリントスに背を向けて歩き始めたオイディプスは、丁度、デルポイに向けて旅をしていたテバイの王、ライオスと三叉路で出くわす。道を譲れ、譲らないと言い争いになり、オイディプスはその老人が自分の実の父であることを知らずに、殺害してしまう。

 

旅を続けたオイディプスは、テバイに辿り着く。テバイでは、スフィンクスという怪物が人々を襲撃するので困っていた。スフィンクスは、テバイの人々にクイズを出して、答えられなかった者を殺害していた。オイディプスは、このスフィンクスの退治に挑戦する。スフィンクスは、オイディプスに質問を出す。「地上には声は1つであるのに、2本足でも、4本足でも、3本足である者は誰か?」 オイディプスは「それは人間である」と答えた。「なぜなら幼児は4本足で、大人になると2本足で、老いると杖をつくので3本足になるからだ」。これは正解だったので、スフィンクスは断崖から身を投じて死んでしまった。オイディプスはテバイの人々から歓待を受け、テバイの王座に就くと共に、未亡人となったイオカステを妻に娶ったのである。

 

・・・ここまでが、オイディプスの「拡張期」である。旅に出て、父親を殺害し、怪物を退治し、妻を娶る。様々な経験を重ねることによって、彼の人格は拡張されたと考えて良いだろう。年月が過ぎ、オイディプスはイオカステとの間に2男2女をもうける。やがて、テバイの街を疫病が襲う。困った人々が陳情のために、王であるオイディプスの宮殿前に集合する。この場面から、ソポクレスの書いた演劇の幕が上がる。

 

オイディプスが嘆願者の代表格である神官に、嘆願の理由を尋ねる。神官はテバイの街の惨状を訴える。作物は枯れ、疫病が蔓延している。オイディプスは、イオカステの弟であるクレオンをデルポイにやり、神託を聞くようにと命じていると答える。丁度クレオンが帰還する。クレオンは神託の内容が「ライオスを殺害した下手人どもを罰せよ」ということだったと報告する。一同は下手人を探すために、盲目の予言者、テイレシアスの意見を聞くことにする。テイレシアスは、発言を拒むがオイディプスから再三に渡る説得を受け、遂に、ライオスを殺害した下手人がオイディプス自身であること、そしてイオカステがオイディプスの母であることを告げる。これを聞いたオイディプスは、激怒する。

 

イオカステが登場。イオカステは、ライオスが殺されたのは三叉路であったこと、また、かつてライオスとの間にできた子供については、ライオスが留め金で踵(かかと)を刺し貫いたうえで、人を介して捨てさせたと述べる。これを聞いてオイディプスには、三叉路で老人を殺害した記憶が蘇る。聞けば殺害されたライオスの一行には、1人だけ難を逃れて帰国した者がいる。そこで、一同はその男を呼び寄せることにする。オイディプスは、三叉路における殺害事件をイオカステに話す。イオカステはライオスとの間にできた子供は既に死んでいるので、自分との関係を心配することはない、とオイディプスを諭す。

 

コリントスから使者がやって来て、オイディプスの父(実は養父)が寿命により死亡したことを伝える。但し、その使者はコリントスの王(養父)とオイディプスの間に血縁関係のなかったことを告げる。そして使者は、かつてテバイの羊飼いから男児を受け取り、その子をコリントスの王に委ねた当の本人であることを明かす。そして、使者は当時、両足を貫いていた留め金を引き抜いたことを明かす。その男児がオイディプス本人であったことは、オイディプスという名前が「腫れた足」という意味を持っていることからも、明らかとなる。

 

羊飼いの男が登場する。羊飼いの男はオイディプスから問い詰められ、かつてライオスから捨てて来るようにと言われた男児をコリントスの使者に手渡したことを白状する。こうして、オイディプスがライオスとイオカステの間に生まれた子であったことが判明する。

 

ショックのあまり、イオカステは館の中で首を括ってしまう。イオカステの遺体を床に下したオイディプスは、彼女の上着を飾っていた黄金の留め金を引き抜くなり、それを自分の両目に深く、何度も突き刺したのだった。

 

・・・これがオイディプスの「分裂期」である。ソポクレスが台本を書いた演劇は、ここで終わる。あまりの結末に、言葉もない。それから約20年が経過し、ソポクレスは90才にして、この世を去った。但し、ソポクレスは死の直前にして、この物語の続編、「コロノスのオイディプス」を書きあげたのだった。残念ながら私の手元にそのテキストはない。参考文献とネット情報から得られる情報を記す。

 

盲目となったオイディプスは、娘のアンティゴネーに手を引かれ、物乞いとして各地を転々とした。テバイに災厄をもたらしたオイディプスは、どこへ行っても疎まれ、長居をする訳にはいかなかった。やがてオイディプスは、自分のおぞましい行為について、それを知らずに行なったのだから自分に罪はない、と考えるようになる。やがてオイディプスは、コロノスに辿り着き、自らの死期を悟る。娘たちに別れを告げたオイディプスは、不思議な死を遂げ、精霊として神々に迎え入れられる。

 

・・・これがオイディプスの「統合期」である。ソポクレスが自らの死の直前にこの場面を書き上げたことに、何か、不思議な符号のようなものを感じざるを得ない。いずれにせよ、ソポクレスが自分の人生とオイディプスの生きざまを重ね合わせていたことは確かだろう。ちなみに、オイディプスが死に場所として選んだコロノスは、ソポクレスの生まれ故郷だったそうだ。

 

あまりに過酷な人生だった訳だが、オイディプスはその人生の最後において、自分を許したに違いない。言い方を代えれば、苦闘の末、オイディプスは自分が何者なのか、それを知ったのだと解釈できないだろうか。デルポイにあるアポロン神殿のゲートか壁にこのような文言が記されている。「汝自身を知れ」。私はこの言葉とオイディプスの物語が無関係であるとは思えないのである。

 

(参考文献)

オイディプス王/ソポクレス/藤沢令夫 訳/岩波文庫

ギリシャ神話/吉田敦彦/青土社/2014

マンガ はじめて読むギリシャ神話/ナツメ社/2015