文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

人格の分裂と統合(その5) ユングのタイプ論

 

暇人である私は、時折、自分の考えをAIにぶつけて反応を見てみる。このような行為を世間では「壁打ち」と言うらしい。ちなみに最近私が使っているのは、グーグルAIである。先日、私は次のような問いを投げてみた。

 

私・・・オイディプスの悲劇をベースに、私は、人格の発展段階を拡張、分裂、統合の3段階に分けてみた。どう思うか?

 

するとAIからは即座に、この考え方を肯定する回答があった。オイディプスの人生を拡張、分裂、統合の各段階に分類した記述が返ってきたのである。ちょっと悔しいが、客観的に見れば、その分類は私が書くものよりも整理が行き届いたものだった。そして、最後にこうあった。「あなたの考え方は、ユングの個性化に関する思想と合致しています。」

 

ユングならば、私も多少かじったことがある。今更、ユングでもないだろうと思った訳だが、その「個性化」という思想を私は知らない。そこで更に尋ねてみた。

 

私・・・その「個性化」という問題は、河合隼雄の「分析心理学入門」という本に書いてあるのか?

 

AI・・・本のタイトルは「ユング心理学入門」ではありませんか? そうであれば、その本の後ろの方に「個性化」についての詳しい記述がありますよ。

 

本棚の前へ行き、探してみるとその本があった。

 

ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967(参考文献)

 

私が持っているのは44刷で1995年版なので、今から30年程前の出版ということになる。

 

私・・・今、本棚を確認したが、確かにタイトルは「ユング心理学入門」だった。

 

AI・・・その本は、きっと本棚の中であなたに読まれることを待っていたのですね!

 

AIのこういう気配りの行き届いた回答が、なんとも腹立たしいのだが、私は、該当箇所から読んでみることにした。しかし、どうも全体像がつかめない。そこで冒頭から読み始めるとタイプ論が出て来る。タイプ論は、ユングが比較的若い頃の論文である。人間のタイプをまず、外向と内向に分類し、更に、思考、感情、直観、感覚の4つに分類する。2×4で、そのタイプは8種類ということになる。参考文献にもそう書いてあって、私は「そんなことは知ってるよ」と思った訳だ。しかし、現実の人間を当てはめてみると、この分類はどうもしっくりこないのである。それが私の人生経験から導いた結論である。しかし、河合隼雄も同じように述べており、このタイプ論の主眼は、人間をタイプ別に分類するというよりは、人間心理の構造を考える上での基礎となるものだ、と述べている。また、タイプ論にはこの先があるのだった。そして、私が今まで知らなかったこの先の方が、むしろ重要であることが分かった。

 

まず、外向と内向とに分けるのだが、これは一般的な解釈のままで良い。外向とは興味の対象が外に向き、社交性などの強い人の特性を差す。内向とは反対に、興味の対象が自分の内面などに向き、社交性の乏しい性向を差す。

 

次に、思考、感情、直観、感覚などの心理的な機能がある。個人が主として依存している機能を「主機能」と言い、その対立機能を「劣等機能」と言う。この劣等機能とは未分化なものを言うのであって、決して弱いものではない。

 

思考と感情とを「合理機能」と呼び、直観と感覚を「非合理機能」と言う。思考と感情は、ある事柄に対して判断を下す。思考であれば、正しいとか間違っているという判断を下すだろうし、感情であれば好き、嫌いという判断になる。他方、直観と感覚は、ある事象をそのまま知覚する機能である。また、思考と感情、直観と感覚はそれぞれ対立関係にある。

 

合理機能・・・思考 vs 感情

非合理機能・・直観 vs 感覚

 

また、ユングは意識と無意識とが補償的な関係にあると考えた。

 

以上の条件から、人間の心理的な構造を浮き上がらせることができる。

 

では、具体例を示したいと思うのだが、恐縮ではあるが、川端康成を例に取り上げさせていただこう。

 

まず、外向か内向かという点だが、川端は内向だったに違いない。文壇の会合などには積極的に参加していたようだが、基本的に川端は寡黙で、社交的ではなかった。ノーベル賞受賞後の鼎談を見ていると、口下手な川端が沈黙し、その沈黙を埋めるように三島が話しているのが見て取れる。そして、川端がボソボソと話し始めると、三島はぴたりと口を閉ざす。

 

では、川端の心理における主機能は何だったのか。それは、感覚だと思う。そもそも川端の作品には善悪だとか、好き嫌いに関わる判断は、曖昧に描かれる。むしろ、ありのままの現実を描写しようとする態度が強い。実際、川端は若い頃、横光利一らと共に新感覚派を立ち上げてもいる。川端の心理における主機能が感覚にあったことを前提とすれば、それに対立する劣等機能は直観ということになる。ここで分かり易いように、機能に番号を振ることにしよう。実際、参考文献には図があって、そこでも番号が振られている。

 

1番・・・主機能

4番・・・劣等機能

 

次に、主機能を補う第二次機能について考える。若き日の川端は、文壇きっての理論派と呼ばれていた。川端の著書「小説の構成」を読むと、そこら辺の事情が良く分かる。従って、川端における第2次機能は、思考であると思われる。すると自動的に第3次機能は、思考の反対の感情であることになる。

 

2番・・・第2次機能・・・思考

3番・・・第3次機能・・・感情

 

<川端康成の心理分析>

(内向)

1番・・・主機能 ・・・感覚

2番・・・第2次機能・・思考

3番・・・第3次機能・・感情

4番・・・劣等機能 ・・直観

 

そしてユングは、1番と2番はその人の意識の中にあり、3番と4番は無意識の中にあると考えた。そして、意識を統括するものをユングは「自我」と定義したのである。

 

ちなみに川端のように内向的感覚型の人について、参考文献は次のように説明している。

 

- もしこのひとが、自分の内部に見聞きしたものを、他人に伝えるだけの創造性をもつときは、偉大な芸術家として、その才能を開花させる。そして、この芸術家の描き出した像は、われわれの内部の奥深く作用を及ぼし、われわれは、自分の内部に確かに存在するものを、このひとが描き出すまで、どうして気づかなかったのかと思ったりする。-

 

この記述について、私は、まさに川端の特色を言い得ていると感服するのである。

 

さて、重ね重ね恐縮なのだが、ここで三島由紀夫の心理分析もさせていただこう。

 

まず、外向か内向かという点だが、実は三島は外向的だったのではないか。三島は好んで各界の著名人と対談していたし、1960年代の後半にはいくつもの大学に出掛けて行き、ティーチインに参加している。海外の文化にも興味を持ち、特にギリシャからは多くの影響を受けている。

 

次に、三島の心理における主機能は、直観だったと思う。三島は様々な話題やテーマを設定するのが得意だった。野坂昭如との対談のテーマは、「国家権力とエロティシズム」というものだったし、葉隠や陽明学に興味を持ち、文武両道などということを言い出した訳だが、これらは三島のヒラメキから生まれたもので、すなわち直観なのである。すると劣等機能は、自動的に感覚ということになる。

 

第2次機能は、思考だったと思う。三島はあふれ出す直観をなんとか理論づけて消化しようとしていたに違いない。すると第3次機能は、自動的に感情ということになる。

 

<三島由紀夫の心理分析>

(外向)

1番・・・主機能 ・・・直観

2番・・・第2次機能・・思考

3番・・・第3次機能・・感情

4番・・・劣等機能 ・・感覚

 

蛇足ではあり、また、恥ずかしくもあるが、最後に私自身の心理分析結果も記しておこう。

 

<私自身の心理分析>

(内向)

1番・・・主機能 ・・・思考

2番・・・第2次機能・・直観

3番・・・第3次機能・・感覚

4番・・・劣等機能 ・・感情

 

私に、社交性はない。従って、内向的である。現役時代は29年に渡り法務に従事していたこともあり、主機能は思考で、劣等機能は感情である。従って、私は自分自身の感情を無意識の中に閉じ込めてきた訳だが、感情が暴発したこともある。また、野良ネコに餌をやったり、ミステリードラマを見て涙を流したりすることもある。何故、このようなことが起こるのかと長年不思議に思っていたのだが、前述のとおり、劣等機能はそれが小さいということではなく、ただ、無意識の領域に閉じ込められているに過ぎず、それは大きなエネルギーを持っているのだ。むしろ、この無意識という厄介な代物にこそ、心理的な課題が潜んでいるというのが、ユングのタイプ論における核心なのだと思う。