文化認識論

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人格の分裂と統合(その6) 自己(Self)の発見

 

ユングの思想的な遍歴は、前回の原稿に記したタイプ論から始まり、元型論、個性化を経てシンクロニシティに至った。この4つは複雑に絡み合っていて、静的なものから動的な思想へと発展したように思える。

 

タイプ論に関する前回の原稿に書き洩らしたことがある。それは感覚と直観の関係である。感覚というのは、感覚を通じて現実を率直に見る能力である。例えば、川端康成の自然描写などを読むと、確かに自然はそのように動いていると納得させられる所があって、そこから私は、川端の主機能は感覚にあると思ったのである。他方、直観というのはヒラメキのことだが、これは現実を見た上で、そこから未来に対する可能性を見る能力のことだ。従って、感覚タイプの人は「現実はこうなっているのだから、仕方がない」と考えがちで、直観タイプの人は「こうすればもっと良くなる」という発想を重視することになる。会社の会議などで、いつも改善案を主張する人(直観タイプ)と、そんなことを言ったってだめだよと悲観論を述べる人(感覚タイプ)が対立する背景には、このような事情がある。

 

さて、ユングのタイプ論に触れると、その天才的なヒラメキに圧倒されてしまうのだが、ユングにも思想的なバックボーンがあるので、まずはそこから説明したい。前述のタイプ論における心理的な機能(思考、感情、直観、感覚)について、ユング(1875-1961)はカント(1724-1804)の影響を受けている。また、心の中に浮かぶイメージを表象と言うが、ヤスパース(1883-1969)がそれを研究し、そのような学問を現象学と名付けた。ユングはヤスパースからも多大な影響を受けている。また、ユングは文化人類学のレヴィ・ブリュル(1857-1939)が説明した古代人の心理機能である融即律にも強い関心を持っていた。融即律というのは、自分と対象、主観と客観とが論理を超えて一体化していると感じる心の動きのことである。また、ユングが研究仲間としてのフロイト(1856-1939)やアドラー(1870-1937)からも影響を受けていたことは間違いない。

 

ちなみに日本におけるユング派の第一人者である河合隼雄(1928-2007)もブリュルの融即律には並々ならぬ興味を示し、東洋的な心理特性を研究する上で参考にしている。

 

上記に記した膨大な思想的な蓄積があって、その上にユングは立っていた訳だが、ユングのオリジナリティーをあなどる訳にはいかない。現代に生きる私たちも「あの人は外向的だ」とか「内向的だ」と日常会話でも使うこの概念だが、これを提唱したのはユングである。ユングは、フロイトとアドラーの2人の先輩を見て、どうもタイプが違うなあ、と思ったそうだ。そこで、自分の内面に入り込んで行くフロイトを内向的、反対に外の世界に向かっていくアドラーを外向的であると考えたらしい。また、既に一般的な日本語となっているコンプレックスという概念も、ユングの発明である。

 

もう少し深めて、ユングの心理学が前提としている特徴的な考え方について考えてみよう。1つには、意識と無意識とが相補的な関係にある、互いに補い合っていると考えた点を挙げることができる。まず、意識とはその時々において現実を認識し、対応する機能のことで、ユングはその中心を自我と名付けた。たった今、あなたの意識はどれだけ機能しているだろうか? それはあなたの思考能力や知識の量からすれば、驚く程小さいのではないか。そのボリュームを数値化することはできないが、仮に1割としておこう。すると、残る9割は無意識となる。自我が強くなると、その分、無意識は抑圧される。意識が上昇すると、無意識は下降する。このように意識と無意識とは、密接に関連し合っているに違いない。

 

ユング心理学における2つ目の特徴は、人間の心理や人格というものが、変容するものだと考える点にある。この点が、フロイトとの決定的な相違点だと思われる。先に紹介したタイプ論にしても、それが絶対的なものだとユングが主張していた訳ではない。

 

さて、意識と無意識が互いに相補的な関係にあるとすれば、両者をつなぐ何かがなくてはならない。人間は意識の内容についてはこれを把握しているので、問題は無意識の側から意識へと働きかける何かの存在である。ユングはこれを言語連想法だとか、箱庭療法など、いくつかの方法で探求しようとしたが、その最大の媒体を心象であると考えた。この心象について、河合隼雄は次のように述べている。

 

- 心象はちょうど、意識と無意識の相互関係の間に成立するもので、そのときそのときの無意識的ならびに意識的な心の状況の集約的な表現ともみられ、その心象の意味をよみとることは、非常に大切なこととなる。(文献1)-

 

- 心象は心の内的な活動に基づくもので、外的現実とは間接的な関係しかもたない無意識からの所産であるといえる。(文献1)-

 

心象は夢や子供の描く絵の中に現れる具体的な何かである。これをコンプレックスとの関係で考えてみよう。そもそもコンプレックスとは、意識の中の秩序に合致しないため、無意識の中に抑圧されているもので、それは個人的な辛い経験、心的外傷などによって引き起こされる。するとコンプレックスを持った人の夢の中に、何らかの具体的で個人的な心象が現れる。この心象が何を意味しているのか、それを辿ってコンプレックスの正体を解き明かすことになる。これが心理療法とか、カウンセリングと呼ばれる心理に対する治療行為である。コンプレックスの正体が判明した場合、患者の症状は回復へと向かう。但し、ユング派におけるカウンセリングの実際は、患者自身が持っている治癒力に依拠する比重が高いように思える。

 

さて、上に述べたコンプレックスの治療に関する例は、あくまでも個人的な体験に基づくもので、これは個人的無意識に関わるものである。そしてユングは、患者が個人的な経験やコンプレックスに基づかない事例に直面する。また、統合失調症(分裂病)の患者の夢に出て来る心象と神話や童話の中に出てくるイメージとの共通性に気づく。そこでユングは、個人的無意識よりも深い所に無意識の層があると考え、これを普遍的無意識と呼んだ。(「集合的無意識」とも言う。)

 

では、普遍的無意識のレベルにおける具体例について考えてみよう。この層の無意識に存在し、人間の心理に影響を与えているものを概念化し、ユングはそれを元型と呼んだ。元型は概念であり、抽象的なものである。河合はその主な例として、ペルソナ(仮面)、影、アニマ、アニムス、自己(Self)、太母(グレート・マザー)、老賢者を挙げている。その他にもトリックスター、永遠の少年などがある。

 

これらの元型が、意識に悪影響を与えている場合、患者の夢の中に原始心象が出現する。これは心象なので具体的なイメージである。こうして、ユングは普遍的無意識と元型の存在を主張し、それが「元型論」として知られることになる。

 

やがてユングは、患者たちの夢の中に円形のイメージが登場し、それが東洋文明における曼荼羅(マンダラ)と似ていることに気づく。そしてユングは、この曼荼羅という象徴に特別な意味を見出す。

 

- このようなマンダラは、ある個人が心的な分離や不統合を経験している際に、それを統合しようとする心の内部の働きの表われとして生じる場合が多いとユングはいっている。(文献1)-

 

こうしてユングは、分裂してしまった人格を統合しようとする自己治癒力の存在を確信すると共に、意識と無意識を総合した人間の心の中心として、自己(Self)という概念を措定した。これは曼荼羅のように円熟した心の中心点という意味である。ユングはこのように分裂してしまった人格を再び統合しようとするプロセスを個性化の過程(individuation-process)とか、自己実現(self-realization)と呼んだ。この概念は、一般に「個性化」と訳される場合が多いようだが、その意味は、個性的な、ユニークな人間になるということではない。意識と無意識を統合し、人格を円熟、成熟させるプロセスのことを言っているのだ。そこで私なりに考えた訳だ。self-realizationにおけるこのrealizationという言葉には「実現」の他に「悟ること、感得、認識」という意味もあって、こちらの方がしっくり来る。従って、本稿においてはこのプロセスを「自己の発見」と訳したいと思う。また、今までは「主体の発見」と記していた箇所も、ユングに敬意を表し、今後は「自己の発見」と記したい。

 

ステップ1: 人格の拡張

ステップ2: 人格の分裂

ステップ3: 人格の統合

ステップ4: 自己の発見

ステップ5: 永遠への回帰

 

(参考文献)

ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967 (文献1)

生と死の接点/河合隼雄/岩波書店/1989(文献2)