文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

人格の分裂と統合(その13) 円熟の過程

 

文明の進展と共に、現代人の心の中では意識と無意識の分裂が発生する。その分裂してしまった意識と無意識の間にパイプラインのようなものを敷設し、統合を図ろうという主張が、ユングの主張した「個性化」である。換言すれば、無意識の内容を引き上げて意識化する作業が、この「個性化」というプロセスなのだ。そうすることによって、心理的な疾患を治癒し、人格の成長を促すことができる。

 

ユングや河合隼雄は「個性化」について様々な説明を行っているが、どうやらそれは以下に記す3つのアプローチに集約できそうだ。

 

・タイプ論的アプローチ

・芸術論的アプローチ

・元型論的アプローチ

 

<タイプ論的アプローチ>

 

タイプ論の概略を述べると、まず、人間の人格を外向的、内向的に分ける。また、人間の心的機能は、思考と感情(合理的機能)、感覚と直観(非合理機能)が、それぞれ対立している。一方が優先的に機能すれば、他方が無意識の中に沈む。思考が優先すれば、感情が無意識に、感覚が優先すれば直観が無意識へと押しやられる。このように意識と無意識の機能が分かれるので、まずは自分のタイプを知った上で、無意識へと押しやられた機能を意識化することが大切になる。

 

タイプ論の要諦は、自分や知人の誰かが「あの人はこのタイプだ」と気づくことではない。自分の無意識に何が潜んでいるのか、それを知る手掛かりがタイプ論なのである。例えば、主機能が思考の人は、劣等機能として感情を持っている。その人の感情という機能は未分化(整理されていない)なので、時に暴走する。思考タイプの人は、非合理なこと、理不尽なことに遭遇すると、感情が爆発してしまうリスクを負っている。また、単純なドラマを見て涙するようなこともある。だからこそ、自分の中に眠る感情という機能と向き合い、それを整理し、統制する必要がある。

反対に、感情が主機能の人は、時として思考機能が理不尽な形で出現する。

 

- 客体の意義が強くなり過ぎると、それを引きおろすために、今まで抑圧されていた未分化な思考機能が頭をもち上げてくる。(文献1)-

 

この理不尽な思考は、「おまえのためを思って忠告するのだ」という体裁を取るので、はなはだ厄介な結果を生む。父性原理として顕在化する場合は、それをパターナリズムと呼び(これは政治学、社会学の言葉)、母性原理として顕在化する場合は、元型のグレートマザー(呑み込むイメージ)として概念化され、被害者の人格的な発達を著しく侵害する。毒親のメカニズムがこれで、その基底には感情があり、自分と他人(子供)との人格の境界線が消失している。また、感情タイプの人が陥りやすいのは、社会通念とは合致しない、言わばマイルールなるものを作り上げ、親しい人に強制することである。

 

但し、ユングは人間の心理なり人格を変容するものとして捉えており、そのプロセスこそが「個性化」にある訳だ。タイプ論は「個性化」を説明するための、概念モデルに過ぎないのかも知れない。思うに過去の偉人たちの人格を分析してみると、このタイプ論では説明できない例がある。ソクラテスの場合は、街中に出掛けて行っては、人々に論議を持ち掛けるという外向的な側面がある一方、考え始めると同じ場所に何時間でも立ち尽くすという内向的な一面をも見せている。また、川端康成の小説には奇想天外なストーリー(直観)と、写実的な自然描写(感覚)が同居している。つまり、これらの偉人たちはユングの言う「個性化」を果たした上で、その人格を円熟させているのだ。

 

そもそも「個性化」という呼称自体が、分かり難い。むしろ円熟とか円熟の過程と呼んだ方が本質を表わしていると思う。4つの心的機能の思考、感情、感覚、直観の全てを兼ね備え、そこに調和を見出すような人格、ユングが目指したのはそういうことで、晩年、ユングは曼荼羅という円形にその象徴を見出したのでもあるから、日本語としては円熟という言葉を用いるのが適当だと思う。

 

<芸術論的アプローチ>

古い神話を構成しているのは、未開人の無意識である。従って、神話を読むことによって、私たちは私たち自身の無意識に触れることができる。これに対して、近代以降の芸術には意識が介入している場合が多いだろう。但しユングは、優れた芸術とは人間の無意識にその基礎を置いていると考えていた。こうしてユングは、神話をはじめとする芸術一般に、人間の心を癒す効果を認めていたのだが、それはユング派が取り組んできた箱庭療法や能動的想像(active imagination)などの手法と通底している。

 

<元型論的アプローチ>

人は社会生活を営む上で、自分をこのように見せたいという願望を持っている。それが仮面(ペルソナ)である。反対に、周囲に対して隠しておきたい自分というものもある。それが影(Shadow)である。従って、ペルソナと影とは反対の性格を持つ。多くの場合、影には自分の劣等な要素が含まれているが、時には、自分でも気づかない優れた才能が含まれている場合もある。

人間が自分の無意識と向き合う場合、最初に直面すべき元型が、この影なのである。影は、無意識への入り口のことだ。

 

- 自分自身との出会いはまず自分の影との出会いとして経験される。(文献4)-

 

あまりに辛かったり、未熟だったり、罪深い過去の経験を振り返る時、私たちは影を発見する。思い出すだけで胸が苦しくなるような過去の経験。それを思い出さなければ、無意識を意識化することはできない。それが「個性化」であり、だから「個性化」とは、時としてとても危険なのである。上の引用箇所でユングは「影との出会い」と述べているが「影との対決」と言った方が適切な場合も少なくないのではないか。それに自我が耐えきれなかった場合、その人の心理は大きな損害を被る。過去の経験に由来する影とは、コンプレックスと言い換えることもできよう。まず、影と向き合えというユングの主張は、まず、自分のコンプレックスの正体を明らかにせよと言っているのだと思う。

次に、過去の自分がどのような元型に影響を受けていたのか、それを知る必要があるだろう。この点、男性であればアニマが、女性であればアニムスの影響をまず、考えてみる必要がある。そこから始めて、グレートマザーなど、他の元型についても考えてみるべきだろう。あるいは、自分が理想として思い描いてきた人物や、人生の目標としてきた人物がいれば、その人物がどの元型に由来しているのか、考えみるのも良いと思う。過去の人生を振り返り、自分が社会の中で果たしてきた役割を考えてみるのも良いだろう。

こうして私たちは、集合的無意識の領域まで意識を低下させることが可能になる。感動した神話や芸術作品も手掛かりとなるに違いない。

そして、現在の自分と向き合うことになる。最近見た夢を足掛かりとすることもできるだろうし、日記を付けるとか、絵画を見てそこから物語を想像してみるという方法もある。やがて、現在の自分の心の中に住む元型が見えてくる。

 

ステップ1: 人格の拡張・・・心的エネルギー

ステップ2: 人格の分裂・・・意識 対 無意識

ステップ3: 人格の統合・・・円熟の過程

ステップ4: 主体の発見

ステップ5: 永遠への回帰・・懐かしい場所への帰還

 

(参考文献)

文献1: ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967

文献2: 生と死の接点/河合隼雄/岩波書店/1989

文献3: 分析心理学/ユング/みすず書房/1976

文献4: 元型論/ユング/林 道義 訳/紀伊国屋書店/1999

文献5: ソクラテスの弁明/プラトン/納富信留 訳/光文社古典新訳文庫/2012

文献6: ユングの心理学/秋山さと子/講談社現代新書/1982