流行語や若者たちが作り出す隠語の中には、人間社会の真実を表現する優れた言語が含まれている。例えば、陽キャと陰キャというのがあるが、これはユングが発見した外向的、内向的という人間の性向を巧みに表現している。ブラック企業とか社畜という言葉は、資本主義社会の矛盾と、その中で疲弊していく労働者の哀歓を客観的に示している。中でも私が感心したのは毒親(どくおや)という言葉である。私自身、いわゆるDVサバイバーであって、中高生の頃、父親から激しい暴力を受けた経験があり、毒親という言葉にとても共感を覚えるのだ。
毒親が生まれるメカニズムだが、例えば感情タイプの人の心理に潜む思考機能が、何かのはずみで作動する。感情タイプの人の思考機能は、劣等しており、未熟である。するとその人の導く論理的な帰結も、自ずと社会的な妥当性を欠く。このような未成熟な論理的帰結を最近は、マイルールと呼ぶらしい。(これも便利な流行語である!)そして、マイルールを子供に押し付けるから、毒親が生まれる。やっかいなのは「あなたのためを思って助言している」という外形を取るので、子供としては反論しにくい。
また、自分の果たせなかった夢を子供に託したり、自分が直面している厳しい現実からのストレスを子供にぶつけたりするような場合もある。
このような毒親の特徴は、毒親自身が自分の中に価値観の体系を持っていない場合が、大半だと思う。つまり、このような毒親は、世間体を重んじ、外部からの評価に依存しているのだ。テストの点数、大学の偏差値、会社の役職などがそれである。換言すれば、外向的なのである。
外向的な人は、熱心に新聞は読むが、文学、哲学、心理学などの本は読まない。新聞に記載されていることの大半は、外の世界で起こった出来事である。従って、新聞を読んでも自分の内心が脅かされることはない。そこに安住するのが、外向的な人の性向である。また、同窓会や飲み会が好きで、反面、孤独を恐れている。つまり「外向的感情型」の人が毒親になりがちだと言える。
そう言えば、こんなことがあった。私は現役時代、法務職に就いており、要は訴訟、契約、紛争解決などの仕事をしていたのである。当然、多くの弁護士と接触する。その中で、飛び切り第一級の弁護士と知り合うことができた。その弁護士(以下「大先生」)は、クライアントの個別事情を良く斟酌してくれることもあって、私は心底尊敬していた。あらゆる法律を理解し、経験が豊富で、流暢な英語を話し、ジムに通っていたので体力まで万全という人だった。私が退職することとなり、大先生を含め4人の弁護士が送別会を開いてくれることになった。大分時間も経過し、私はトイレにたった。席に戻ると、何やら不穏な空気が流れている。大先生が若い女性弁護士に説教をしていた。何しろ、大先生の発言は、論理的で、経験に裏打ちされており、完璧なのである。説教をされている女性弁護士としては、黙って下を向くしかない。こんな人が親だったら、子供はさぞかし大変だろう。してみると、この大先生も立派な毒親の候補者ではないか。
私は最近、ギリシャ神話の「アンティゴネ」というのを読んだが、これは論理的な正論に固執する王様が、その正しさが故に、破滅するという物語だ。そんなこともあって、上に述べた送別会のことを思い出したのである。この大先生や王様は、「外向的思考型」である。
外向的思考型の優秀な弁護士が、文学、哲学、心理学などの本を読んでいるのかどうか、私は知らない。但し、彼らの特徴は、なかなか引退しないことである。80才近くまで、現役を続けるのが彼らの習性だ。もちろん、経済的には裕福で、働き続ける必要など、まったくないはずだ。それでも引退しないのは、彼らもまた、自分の内面と向き合うことを避けているからではないか。
マイルールに固執する外向的感情型と、知的エリートとも言える外向的思考型。一見共通点はなさそうだが、外向的であるという点は、共通している。
私は、経済的な理由さえなくなれば、即座に引退する方が良いと考えているし、実際、私が引退したのは58才の時だった。そう言えば、この問題についてもFIREという便利な流行語がある。Financial Independence, Retire Earlyと言うそうだ。
外向的な人は、なかなかその人格を成長させることが難しい。それができるのは、孤独を愛し、読書を楽しみ、思索に耽る時間と習慣を持った人、つまりは内向的な人だけではないか。
もし、現在も毒親からの被害に合われている方がいるとすれば、申し上げたい。毒親の人格が改善することは、まず、期待しない方が良い。従って、なるべく距離を取る以外に方法はないと思う。但し、通常、親は子供よりも先に死ぬのである。