文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

ロゴスとエロスの相克

 

ソポクレスの作品としては、「オイディプス王」が最も有名だろう。オイディプスはあくまでも真相を明らかにしようと努め、その結果、彼自身が実父を殺害し、彼の妻が母親だったという驚愕の真実が明らかとなる。その過程は、あたかも推理小説のごとくスリリングで、読む者の関心を逸らさない。しかし、現実の人間社会において、そんなことが起こるとは考え難い。

 

また、続く「コロノスのオイディプス」において、オイディプスはかつて彼をテーバイから追放した息子たちに対する怒りを保持しており、究極的な悟りを期待して読んだ私としては、若干、期待はずれであった。

 

そして「アンティゴネ」を読んだ訳だが、「オイディプス王」に比べれば若干地味ではあるものの、その分だけ人間社会の実相に忠実で、この作品には非の打ちどころがないと思った。私のように感じた過去の偉人は少なくないようで、とりわけヘーゲルは「全ての文学、演劇作品の中で、『アンティゴネ』こそが最高傑作である」と断言したらしい。

 

さて、では「アンティゴネ」という作品の内容について考えてみよう。簡単に言えば、これは王様であるクレオンのロゴスと、アンティゴネという若い娘が持つエロスとの相克を描いた作品である。ロゴスとエロスという言葉の意味は多様だが、エッセンスは次の通り。

 

ロゴス・・・理性、意識的、 論理的、分割して思考

 

エロス・・・本能、無意識的、感情的、結びつきを尊重

 

ロゴスを男性的、父性的とし、エロスを女性的、母性的と言えば、それが一番分かり易いかも知れないが、男性の中にも女性的な傾向はあり、女性の中にも男性的な傾向があるので、この対比は誤解を招くリスクがある。

 

また、古代ギリシャの世界観を 神 - 人間 - 動物 の上下関係として捉えると、真理を知りたい、神に近づきたいと願い、上昇を志向するのがロゴスで、反対にそうは言っても人間だって動物の一種なのであり、他者との触れ合いを大切にしたいと願い、下降を志向するのがエロスだとも言える。そう考えると、人間とは上下方向に向かうという矛盾を内在した存在だと言うことができる。

 

「アンティゴネ」という物語に即して述べると、まず、クレオンのロゴスが登場する。アンティゴネの兄(ポリュネイケス)は、他国の武将と共にテーバイに攻め入り、火を放ったのである。テーバイの王として、テーバイの秩序を維持するため、このような男を許す訳にはいかない。また、クレオンにとって、アンティゴネの兄(ポリュネイケス)は甥に当たる親族であり、更にアンティゴネは息子であるハイモンの許嫁だったが、そのようなことを考慮して政治を行えば、公平性を欠くことになる。そこでクレオンは、毅然とした態度を取ったのである。ロゴスの側に立って考えれば、クレオンの決定には合理性があることになる。

 

他方、アンティゴネはクレオンの命令に対し、それよりも上位に位置するのは「神の掟」であるとし、兄(ポリュネイケス)の遺体を埋葬すべきだと考える。但し、アンティゴネを動かしたのは、王の命令と神の掟に関するロジックではなく、肉親に対する愛情だったに違いない。自らの命を落としてまで、アンティゴネは愛情を貫いたと言える。そんなアンティゴネを誰が批判し得るだろう。

 

つまり、クレオンのロゴスは正しく、アンティゴネのエロスも正しかった訳だ。この正しいもの同士の対立によって生まれる悲劇に基づき、人間の無力さ、絶望感を描いたのがこの作品の特徴だと言える。

 

但し、「アンティゴネ」には、ロゴスとエロスの対立を緩和する中和剤と言うか、緩衝材のような働きをする者も登場する。それが、盲目の予言者テイレシアスである。盲目であるということは、人間の外側を見ない、つまり内向することを意味している。また、予言者というのは、文化人類学的な観点から言えば、シャーマンだと言える。シャーマニズムというのは、一般に神に祈り、精霊の声を聴き、超越的な何かを実現することである。神に祈るのだから、ロゴスと矛盾しない。また、そこには人間の感情に対する配慮もあるので、エロスとの親和性もある。実際、テイレシアスの意見を聞いた後、クレオンは自らの判断を撤回し、アンティゴネの救出に向かったのである。強いて言えば、クレオンはアンティゴネを幽閉する前に、クレオンの意見を聴くべきだったとも言える。

 

このように考えると「アンティゴネ」という作品には、ロゴスとエロスの対立のみならず、本当はその対立を緩和する文化の起源としてのシャーマニズムが描かれていると言うべきだろう。

 

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