文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

人格の分裂と統合(その14) ミクロコスモス

 

「汝自身を知れ」という言葉がある。誰の言葉かと言うと、それは古代ギリシャに七賢人と呼ばれる人々がいて、その中のギロン、若しくはタレスが言ったのだとされている。七賢人の言葉は、デルポイにあったアポロン神殿のどこかに刻まれ、ソクラテスにも影響を与えた。その意味は「分をわきまえろ」ということらしい。なんだ、そんなことかとがっかりする訳だが、これは当時の世界認識を踏まえると、分かり易い。古代ギリシャにおいては、世界を縦に分割し、上から神、人間、4つ足動物に区分していた。

 

神 - 人間 - 4つ足動物

 

人間の体は良くできており、それは誰かが意図を持って作ったに違いない、と考えられていた。例えばソクラテスは、人間の眉毛に意義を見出した。額に汗をかくと、やがてそれが流れて眼に入る。それを防止するために眉毛がある。なんと素晴らしいことか、と思った訳だ。こうして彼らは、神という概念を支持していたのである。また、人間は言葉を話すが、4つ足動物は話せない。従って、人間は動物よりも上位に位置付けられた。このような前提で考えると、「汝自身を知れ」という言葉の意味が分かってくる。1つには、所詮人間なのだから、神の領域に属することは分からない、ということ。つまり、分をわきまえろということである。「ソクラテスの弁明」の中にも「人間なみの知恵」という表現が出て来るが、このような意味だと思う。また、人間は4つ足動物とは違うのだから、人間としての誇りを持て、という意味にも解釈できる。この点は、父親を殺し、母親と姦淫してしまったオイディプスの絶望を裏付ける。4つ足動物であれば、母親と姦淫することもあるが、通常、人間はそんなことをしない。しかしオイディプスは4つ足動物なみの行動を取ってしまったので、絶望したのである。

 

神と人間。この文脈で考えると、ソクラテスの思想も整理できる。人間は死ぬとどうなるのか? それは神の領域に属することなので、人間には知ることができない。知らないのに知った振りをするのはおかしい。これが無知の知である。知りもしない死後の世界について、恐れるのはおかしい。だから、死を恐れない。そして、ソクラテスはその思想の通り、安らかに死んでみせたのである。

 

さて、「汝自身を知れ」という一見謎めいた問いがあって、これはその後の主体論につながった。言い換えれば、私とは誰なのか、私とは何か、という問いである。この問いについては、その後、多くの哲学者や文学者が考え続けてきた訳だが、一応、そこに1つの回答を提示して見せたのが、ユングだと思う。私は、意識と無意識によって構成されており、無意識は個人的無意識と集合的無意識に分かれる。そして、集合的無意識は元型によって組成されている。これがユングの出した答えである。

 

更にユングは、人間心理が抱える様々な対立関係を解消し、人格を円熟させるべきだと主張した。これが「個性化」というユングの思想である。人間心理は元来、思考と感情、感覚と直観、男性性と女性性などの対立を孕んでいる。それらの対立関係がある場合、ユングはその境界線上に立て、と述べた。それは、対立している双方の立場を理解せよ、という意味だと思う。双方を認識することによって、対立関係が解消される。思考と感情の双方を認識するとどうなるか。端的に言って、怒りを鎮めることができる。男性性と女性性についてはどうだろう。それ超越すると、両性具有的なイメージが現出する。優れた芸術家が、両性具有的な資質を持っている場合は、少なくない。

 

ユングは、個性化のプロセスは死ぬまで続くと考えていた。しかし私は、更にその先があると思う。例えば、自ら両目を潰し、娘に手を引かれ、物乞いをしながら各地を転々としたオイディプスの心境が、そのイメージに合致する。最早、人格すらも介入する余地のない、ということは個性化というプロセスを超えた境地が、そこにある。そのような境地の中でオイディプスは、自分のおぞましい行為について、それを知らずに行なったのだから自分に罪はない、と考えるようになる。この時、オイディプスは最終的に、自分という人間を認識したのである。それは人生の総体を肯定することで、他人の意見が入り込む余地はない。絶対的な自己評価なのである。

 

さて、私たちは日本語を話しているが、この言語は日々、変わりつつある。しかしその起源まで辿って行くと、気の遠くなるような長い歴史のあることに気づく。それは縄文時代にまで遡るに違いない。

 

ソクラテスは眉毛の機能に感動したらしいが、私は、手の機能に感動を覚える。ギターを弾いたり、キーボードを打ったり、グラスを握ったりと、様々な仕事を驚異的なスピードでこなす。この手の機能がどうして出来上がったかと言えば、それは何十万年、若しくはそれ以上の時間の中で、身体が進化を遂げてきたからである。ホモサピエンスの歴史が20~30万年だとしても、我々の遺伝子はもっと長い歴史を持っている。人類が火を使用するようになったのは、150万年も昔のことだと言われている。長い時間の蓄積の上に、私たちは一瞬とも言える人生を生きている。

 

現在の私の心の中には、3人の元型が息づいている。それは、聖なるアニマ、老賢者、そしてトリックスターである。これらの元型は、人類が心を持ち始めた時から、無意識の中で徐々に形作られた、普遍的なイメージである。

 

このように考えると、私という卑小な存在の中に、ミクロコスモス(小宇宙)の広がりを感じる。言い換えると、集合的無意識という暗くて巨大な海があり、そこから一瞬だけ飛び跳ねた雫が私という存在であり、すぐに私は元の海に飲み込まれるように帰っていくのだ。

 

私を知るということの、ある側面は、このミクロコスモスを知るということで、それは人間が到達すべき最終的な境地なのだ。この境地に至るということは、心的エネルギーを使い果たし、静謐な死を迎える全ての準備が整った状態、とも言える。

 

 

ステップ1: 人格の拡張・・・心的エネルギー

ステップ2: 人格の分裂・・・意識 対 無意識

ステップ3: 人格の統合・・・円熟の過程

ステップ4: 自己の発見・・・ミクロコスモス

ステップ5: 永遠への回帰・・懐かしい場所への帰還

 

 

人格の分裂と統合(その13) 円熟の過程

 

文明の進展と共に、現代人の心の中では意識と無意識の分裂が発生する。その分裂してしまった意識と無意識の間にパイプラインのようなものを敷設し、統合を図ろうという主張が、ユングの主張した「個性化」である。換言すれば、無意識の内容を引き上げて意識化する作業が、この「個性化」というプロセスなのだ。そうすることによって、心理的な疾患を治癒し、人格の成長を促すことができる。

 

ユングや河合隼雄は「個性化」について様々な説明を行っているが、どうやらそれは以下に記す3つのアプローチに集約できそうだ。

 

・タイプ論的アプローチ

・芸術論的アプローチ

・元型論的アプローチ

 

<タイプ論的アプローチ>

 

タイプ論の概略を述べると、まず、人間の人格を外向的、内向的に分ける。また、人間の心的機能は、思考と感情(合理的機能)、感覚と直観(非合理機能)が、それぞれ対立している。一方が優先的に機能すれば、他方が無意識の中に沈む。思考が優先すれば、感情が無意識に、感覚が優先すれば直観が無意識へと押しやられる。このように意識と無意識の機能が分かれるので、まずは自分のタイプを知った上で、無意識へと押しやられた機能を意識化することが大切になる。

 

タイプ論の要諦は、自分や知人の誰かが「あの人はこのタイプだ」と気づくことではない。自分の無意識に何が潜んでいるのか、それを知る手掛かりがタイプ論なのである。例えば、主機能が思考の人は、劣等機能として感情を持っている。その人の感情という機能は未分化(整理されていない)なので、時に暴走する。思考タイプの人は、非合理なこと、理不尽なことに遭遇すると、感情が爆発してしまうリスクを負っている。また、単純なドラマを見て涙するようなこともある。だからこそ、自分の中に眠る感情という機能と向き合い、それを整理し、統制する必要がある。

反対に、感情が主機能の人は、時として思考機能が理不尽な形で出現する。

 

- 客体の意義が強くなり過ぎると、それを引きおろすために、今まで抑圧されていた未分化な思考機能が頭をもち上げてくる。(文献1)-

 

この理不尽な思考は、「おまえのためを思って忠告するのだ」という体裁を取るので、はなはだ厄介な結果を生む。父性原理として顕在化する場合は、それをパターナリズムと呼び(これは政治学、社会学の言葉)、母性原理として顕在化する場合は、元型のグレートマザー(呑み込むイメージ)として概念化され、被害者の人格的な発達を著しく侵害する。毒親のメカニズムがこれで、その基底には感情があり、自分と他人(子供)との人格の境界線が消失している。また、感情タイプの人が陥りやすいのは、社会通念とは合致しない、言わばマイルールなるものを作り上げ、親しい人に強制することである。

 

但し、ユングは人間の心理なり人格を変容するものとして捉えており、そのプロセスこそが「個性化」にある訳だ。タイプ論は「個性化」を説明するための、概念モデルに過ぎないのかも知れない。思うに過去の偉人たちの人格を分析してみると、このタイプ論では説明できない例がある。ソクラテスの場合は、街中に出掛けて行っては、人々に論議を持ち掛けるという外向的な側面がある一方、考え始めると同じ場所に何時間でも立ち尽くすという内向的な一面をも見せている。また、川端康成の小説には奇想天外なストーリー(直観)と、写実的な自然描写(感覚)が同居している。つまり、これらの偉人たちはユングの言う「個性化」を果たした上で、その人格を円熟させているのだ。

 

そもそも「個性化」という呼称自体が、分かり難い。むしろ円熟とか円熟の過程と呼んだ方が本質を表わしていると思う。4つの心的機能の思考、感情、感覚、直観の全てを兼ね備え、そこに調和を見出すような人格、ユングが目指したのはそういうことで、晩年、ユングは曼荼羅という円形にその象徴を見出したのでもあるから、日本語としては円熟という言葉を用いるのが適当だと思う。

 

<芸術論的アプローチ>

古い神話を構成しているのは、未開人の無意識である。従って、神話を読むことによって、私たちは私たち自身の無意識に触れることができる。これに対して、近代以降の芸術には意識が介入している場合が多いだろう。但しユングは、優れた芸術とは人間の無意識にその基礎を置いていると考えていた。こうしてユングは、神話をはじめとする芸術一般に、人間の心を癒す効果を認めていたのだが、それはユング派が取り組んできた箱庭療法や能動的想像(active imagination)などの手法と通底している。

 

<元型論的アプローチ>

人は社会生活を営む上で、自分をこのように見せたいという願望を持っている。それが仮面(ペルソナ)である。反対に、周囲に対して隠しておきたい自分というものもある。それが影(Shadow)である。従って、ペルソナと影とは反対の性格を持つ。多くの場合、影には自分の劣等な要素が含まれているが、時には、自分でも気づかない優れた才能が含まれている場合もある。

人間が自分の無意識と向き合う場合、最初に直面すべき元型が、この影なのである。影は、無意識への入り口のことだ。

 

- 自分自身との出会いはまず自分の影との出会いとして経験される。(文献4)-

 

あまりに辛かったり、未熟だったり、罪深い過去の経験を振り返る時、私たちは影を発見する。思い出すだけで胸が苦しくなるような過去の経験。それを思い出さなければ、無意識を意識化することはできない。それが「個性化」であり、だから「個性化」とは、時としてとても危険なのである。上の引用箇所でユングは「影との出会い」と述べているが「影との対決」と言った方が適切な場合も少なくないのではないか。それに自我が耐えきれなかった場合、その人の心理は大きな損害を被る。過去の経験に由来する影とは、コンプレックスと言い換えることもできよう。まず、影と向き合えというユングの主張は、まず、自分のコンプレックスの正体を明らかにせよと言っているのだと思う。

次に、過去の自分がどのような元型に影響を受けていたのか、それを知る必要があるだろう。この点、男性であればアニマが、女性であればアニムスの影響をまず、考えてみる必要がある。そこから始めて、グレートマザーなど、他の元型についても考えてみるべきだろう。あるいは、自分が理想として思い描いてきた人物や、人生の目標としてきた人物がいれば、その人物がどの元型に由来しているのか、考えみるのも良いと思う。過去の人生を振り返り、自分が社会の中で果たしてきた役割を考えてみるのも良いだろう。

こうして私たちは、集合的無意識の領域まで意識を低下させることが可能になる。感動した神話や芸術作品も手掛かりとなるに違いない。

そして、現在の自分と向き合うことになる。最近見た夢を足掛かりとすることもできるだろうし、日記を付けるとか、絵画を見てそこから物語を想像してみるという方法もある。やがて、現在の自分の心の中に住む元型が見えてくる。

 

ステップ1: 人格の拡張・・・心的エネルギー

ステップ2: 人格の分裂・・・意識 対 無意識

ステップ3: 人格の統合・・・円熟の過程

ステップ4: 主体の発見

ステップ5: 永遠への回帰・・懐かしい場所への帰還

 

(参考文献)

文献1: ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967

文献2: 生と死の接点/河合隼雄/岩波書店/1989

文献3: 分析心理学/ユング/みすず書房/1976

文献4: 元型論/ユング/林 道義 訳/紀伊国屋書店/1999

文献5: ソクラテスの弁明/プラトン/納富信留 訳/光文社古典新訳文庫/2012

文献6: ユングの心理学/秋山さと子/講談社現代新書/1982

 

人格の分裂と統合(その12) 本稿の整理

 

本稿(人格の分裂と統合)の本旨は、人生の道程について考えることにある。しかし、振り返るとはなはだ分かり難い進捗を遂げているので、少し整理をしようと思う。

 

〇 川端康成の「古都」について

前回の原稿で、何故、私が川端の「古都」を取り上げたのかと言うと、2つの理由があった。1つ目は、ユングの元型論と「古都」という作品の間に極めて親和的な関係を見出したからである。元型とは、このような形で物語の中で生きている、ということをご理解いただきたかった。もう1つの理由は、死の、若しくは死後の世界のイメージをつかむということである。

ユングや河合隼雄は、死に関するイメージを持っておいた方が良い、と述べている。確かにそうかも知れない。従来私は、無に帰すると、ただそう思ってきた訳だが、どうも無とは何か、イメージするのが困難なのである。死後のイメージについては、宗教以前の大昔から、輪廻転生という仮説を人類は保持してきた。しかし、私はこの仮説を信じることができないし、また、信じたいとも思わない。地獄に落ちるのは嫌だが、天国とか極楽のような場所に行きたいとも思わない。そんな所へ行ったら、暇でしょうがないだろう。また、振り返るに私の人生は苦難の連続だった訳で、そんなものをもう二度と繰り返したくはないのだ。そこで、この問題に関する過去の人々の考え方を探った。ソクラテス、プラトン、セネカ、三島由紀夫などが、それぞれの説を述べている。しかし、どれも私にはしっくり来ない。例えば、こんな考え方がある。あなたが生きている間、あなたは死んでいない。あなたが死んだら、あなたは生きていない。従って、あなたは死を恐れる必要がない。このような理屈っぽい主張にも、納得しかねる。私のイメージとしては「コロノスのオイディプス」が近いように感じたが、やはり死んで精霊になるという説明には、違和感がある。そこで辿り着いたのが、「古都」のラストシーンだった。粉雪の舞う早朝の京都の街を、苗子が小走りに去って行く。私は、ああ、人間というのはそんな風にして死んでいくのだろう、と感じた。そして、苗子の後ろ姿には川端が、そして私自身の後ろ姿が重なって見えた。その感触は、「懐かしい場所への帰還」と呼ぶのが相応しい。帰って行くその場所とは、故郷よりも、他のどんな場所よりも、もっと懐かしい場所だ。そこはもしかすると、集合的無意識が豊かに息づく場所なのかも知れない。

 

本稿における人生の道程とは、次のものを想定してきた。そして、「古都」において、ステップ5に関する決着を見たのである。通常の原稿であれば、ステップの1から始めるのだろうが、私は、最初にステップ5について、結論を得たことになる。それが本稿について混乱をもたらしている原因の1つである。

 

ステップ1: 人格の拡張

ステップ2: 人格の分裂

ステップ3: 人格の統合

ステップ4: 主体の発見

ステップ5: 永遠への回帰・・・懐かしい場所への帰還

 

〇 ユングの思想について

ユングが生きた時代は、科学万能主義が隆盛を極めていた。そこでユングも自分の主張は科学であると言い張り、そのため批判を集めたのである。確かにユングの説は、心理学上の科学的なものが中心をなしているが、晩年のシンクロニシティについては、必ずしもそうとは言えない。科学と言うよりは、スピリチュアルとかトランスパーソナルと呼ばれる分野に近い。そこで、ユングをどう評価すべきか、という課題が浮上する。

本稿においてもそこでブレが生じた訳だ。私は、ユングのタイプ論、元型論(集合的無意識論)、及び個性化についての考え方を支持することとし、シンクロニシティについては留保することにしたい。心理学者でも心理療法士でもない私としては、ユングの説を科学としてではなく、思想として受け入れたいと思う。

ちなみに、私は「元型論」(文献4)を20年程前に読んでいたが、その時はほとんど理解できなかった。ところが今回読み直してみると、心に沁みてきたのである。また、この本の中で、ユングは楽観主義者のヘーゲルを次のように批判している。

 

- ヘーゲルのばあいには哲学的な悟性が精神そのものと同一視され、肥大化され、実際には一つにされている。これによって客体を封じこめることが外見上は可能となり、それは彼の国家哲学においてみごとに開花した。(中略)ヘーゲル哲学のような哲学は、心的背景が自らを現わしたものであり、哲学的には思い上がりである。(文献4)-

 

言い回しは少し難しいが、要はヘーゲルの理性中心主義、楽観主義を批判している訳だ。なお、ユングは弁証法について、現実においてそのようなこと(アウフヘーベン)は起こらないが、無意識の世界では起こり得ると述べていたように記憶している。

 

〇 人格の拡張(ステップ1)について

幼児期から青年期に掛けて、どのようにして人格は拡張、発達するのか? この問題は、難しい。生得的な要因と環境からの影響とが、その人の人格形成に影響を与えるだろう。しかし、その生得的な要因、生まれながらに持っている要因は何かと言うと、私には分からない。環境要因としては、自然環境、家族構成、教育環境、元型的なイメージ(童話や絵本など)との接触などが考えられよう。ユングとの関係で言えば、元型的なイメージとの接触が、重要である。そもそも人間の心的エネルギーは、意識の中にある訳ではない。それは無意識の、特に集合的無意識の中に貯蔵されているのであり、元型的なイメージに触れることによって、その人の心的エネルギーが生まれ、補填される。だから、童話や絵本、もう少し大人になれば芸術が、大切なのだ。

この問題、もしかすると発達心理学なるものが、詳細な研究をしているのかも知れないが、それは本稿の範囲を超える。

 

〇 人格の分裂(ステップ2)

そもそも未開人の心の中には無意識が充満していて、意識は弱い。例えば、ネットもテレビも新聞もない。信号や横断歩道もない。それどころか、カレンダーがなく、時計もない。それが未開人の世界であり、そういう世界に住んでいれば、意識を強化する必要はない。私たちだって、そんな世界に住んでいれば、意識は弱体化され、無意識が強固なものとなるだろう。しかし、文明化の進展と共に、人間は意識を強化する必要に迫られたのだ。うっかり赤信号を渡ったりすれば、クルマに轢かれてしまう。毎日、株価は変動するし、津波情報にも注意を払わなければならない。そこで、意識の強化が進んだ現代人の心の中には、意識と無意識の対立が生まれる。これが現代病の根本原因だと思う。

その他にも、現代人の心が分裂を起こす原因は、無数にある。戦争や暴力など、心理的外傷がコンプレックスを生む。事故や病気を原因とする、親しい人の死。人種、学歴、性差に基づく差別。競争原理に基づく勝者と敗者の分断。これらに加え、ユングは中年の危機、ということも言っている。順風満帆に見える人生を過ごして来た学歴エリートは、社会に適合するために強固な仮面(ペルソナ)を被っている。ところが、何かのはずみで、本当の自分とは何だろうと疑問を持つ。そこで心理的な分裂が起こる。これが中年の危機である。

このように数え挙げればきりがない理由によって、現代人の心は分裂し、危機を迎える。但し、このような分裂にデメリットしかないかと言えば、そうではない。分裂が起こるからこそ、その後の統合が成り立つのである。分裂が激しい程、その後の心理的な統合プロセスがダイナミズムを持つ。

 

では、追記してみよう。

 

ステップ1: 人格の拡張・・・心的エネルギー

ステップ2: 人格の分裂・・・意識対無意識

ステップ3: 人格の統合

ステップ4: 主体の発見

ステップ5: 永遠への回帰・・懐かしい場所への帰還

 

あとはステップ3と4を埋めれば、本稿は完成することになる。

 

(参考文献)

文献1: ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967

文献2: 生と死の接点/河合隼雄/岩波書店/1989

文献3: 分析心理学/ユング/みすず書房/1976

文献4: 元型論/ユング/林 道義 訳/紀伊国屋書店/1999

文献5: ソクラテスの弁明/プラトン/納富信留 訳/光文社古典新訳文庫/2012

文献6: ユングの心理学/秋山さと子/講談社現代新書/1982

 

人格の分裂と統合(その11) 「古都」川端康成

 

川端康成が「古都」を執筆したのは1961年10月8日から、翌年の1月23日までの約3か月半の期間であり、原稿は朝日新聞に連載された。川端は1961年11月3日に文化勲章を受章したこともあり、多忙を極めていた。また、睡眠薬を多用していたため、川端自身の弁によると「眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた」のである。その後、作品が単行本化される時点で、川端は原稿に相当手を入れたとのこと。いずれにせよ、「古都」ほど川端の深層心理が反映された作品を私は他に知らない。

 

「古都」は、春に始まり冬に終わる。その間の京都における四季の移ろいや伝統行事が念入りに描写されている。それらの描写に一貫して流れている思想は、文化や伝統というものが、その時々において、生きていなければならない、ということである。それらは決して博物館の中に閉じ込めておくべきものではなく、人々の暮らしや息遣いと共に伝承されることが大切だと、川端は繰り返し述べている。近代西洋が目指した確固たる自我ではなく、自然や文化、伝統の中で育まれる人格というものを川端は重視していた。

 

子弟関係にあった川端と三島は、日本の文化、伝統を尊重し、その底に流れる美を目指すという点では、共通していた。川端はその初期作品である「伊豆の踊子」から、早くも人格の成熟、統合を目指していた。反面、三島はあらゆる対立関係を強調し、その卓越した才能を武器に、対立関係の中からエネルギーを抽出した。そして、それらの対立関係、分裂した自己は、半ば強引で、人為的な死の瞬間に統合されたのである。この点、2人は正反対の資質を持っていたと言える。エロスの川端とロゴスの三島。無意識の川端と意識の三島、とも言える。

 

私は、昨今、ユングの心理学を学び直す中で、ユングの理論なり思想と川端作品、とりわけ「古都」との親和性が高いことに気づいた。そこで、本原稿にそのことを書いてみたいと思ったのである。もちろん、「古都」を読んだことがない、若しくは過去に読んだことがあってもその内容までは覚えていない、という方々もおられると思い、あらすじのようなものを記載し、その後ろに私のコメントを記載する、という言わばサンドイッチ方式を採用することにした。あらすじの部分は、過去にこのブログに掲載したものをベースに、今回、手を加えたものである。なお、このようなスタイルの関係上、本稿は長くなってしまった。スマホでご覧いただいている皆様には、予め、お詫び申し上げる。では・・・。

 

シーン1/春の花: もみじの大木の幹の中腹に上下に別れた小さなくぼみがあり、それぞれにすみれが咲いている。千重子は「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら」と思ってみたりする。

千重子は、水木真一に誘われて平安神宮へ桜を見に出かける。2人はそこから清水寺へ回る。千重子は真一に「あたしは捨子どしたんえ」と言う。千重子が中学生の頃、父母は千重子に千重子をさらって来たのだと告げた。但し、さらった場所については父と母とで説明が異なった。父は鴨の川原だと言い、母は夜桜の祇園だと言った。捨子では千重子が可哀想なので、あえて父母が嘘をついているのだと千重子は思う。

真一が千重子に尋ねる。「千重子さんは親に絶対服従か」。「はあ、絶対服従どす」。「結婚のようなことも?」「はあ、今はそのつもりどす」。千重子はためらいもなく、そう答えた。

 

コメント: 千重子は、川端にとっての理想的な、永遠の聖少女、アニマである。川端の実生活に照らせば、そのモデルは養女の政子である。親に絶対服従だと述べるのは、千重子の人格が成長過程にあることを暗示する。

 

シーン2/尼寺と格子: 千重子の父、佐田太吉郎は、50代後半で京呉服問屋の社長だったが、取引は番頭に任せていた。太吉郎は、嵯峨の奥の尼寺に隠遁していた。着物の下絵を描くのが趣味か道楽のようなものだった。千重子が森嘉の湯豆腐を持って、太吉郎を訪ねる。

帰宅すると母のしげは千重子に、家業を継がず、嫁に出ても良いと言う。家業は不振だった。母のしげは「お父さんと二人で、可愛い赤んぼの千重子をさらって逃げた」と言う。千重子は「お母さん、千重子は捨子やったんどっしゃろ」と尋ねるが、母は否定する。捨子だったのか、さらわれた子だったのか、千重子には疑問が残る。

「嵯峨の尼寺に、千重子がお父さんにあげた、絵の本はあったか。」としげが聞く。それは、パウル・クレエとかマチスの画集だった。

 

コメント: 佐田太吉郎は、川端にとって劣等なるが故に認めたくはない人格、すなわち影(Shadow)である。伊豆の踊子の主人公は、孤児根性に悩んでいた。このように川端作品に登場する語り手、主人公的な役割を担う男性は、川端が嫌悪している自分の像なのだ。ちなみに、ユングの主張した「個性化」というプロセスは、自ら影を認めるところから始まる。川端は多くの作品で、趣味や道楽として芸術に向き合っている人物を登場させる。これは自身に対する皮肉でもある。

 

シーン3/きものの町: 佐田太吉郎は、機織りを営んでいる大友宗助を訪ねる。太吉郎は風呂敷を広げ、帯の下絵を見せる。娘の千重子のために描いたものだった。それは千重子がくれたクレエの画集をヒントにしたものだった。太吉郎はその下絵を元に帯の制作を宗助に依頼する。宗助は長男の秀男に織らせると言う。秀男を呼んで太吉郎の下絵を見せるが、秀男の反応はかんばしくない。腹を立てた太吉郎は、秀男の頬を殴る。殴られた方の秀男が太吉郎に謝罪するが、太吉郎の作成した下絵に対し「ぱあっとして、おもしろいけど、あったかい心の調和がない。なんかしらん、荒れて病的や」と感想を述べる。帰り道、太吉郎は帯の下絵を丸めて、小川に捨てる。

後日、太吉郎は妻のしげと娘の千重子を花見に誘った。出先で偶然、大友宗助と息子の秀男に出会う。短い花の命に例えて、秀男が太吉郎に言う。「わたしかて、孫子の代までしめやはる、帯を織らしてもろてるとは、思わしまへんね。今では・・・。一年でも、しゃんとしめ心地のええように、織らしてもろてるのどす。」その後、秀男はしきりに千重子に話しかける。大友親子と別れた後、太吉郎は千重子に秀男と何の話をしていたのか尋ねる。千重子は「あたしは聞いてただけどす。なんで、あない、しゃべってくれはりましたんやろ。あたしなんかに、勢いづいて・・・」と言う。秀男は千重子に好意を持っているらしいのだった。

 

コメント: このシーンに登場する秀男のモデルは、三島由紀夫だと思う。とするとこの場面は、川端の影である太吉郎が、三島の分身を殴ったことになる。当時の年齢は、川端が62才、三島が36才。老いを感じ始めていた川端にとって、自分とは正反対のロゴス的な才能に溢れていた若き三島は、脅威だったのだと思う。それが、殴った理由だろう。秀男が述べる「一年でも、しゃんとしめ心地のええように、織らしてもろてるのどす。」という発言は、川端の思想であり、それは三島が受け継いだ思想でもある。これは後年の三島の著作「文化防衛論」にも継承されている。なお、秀男のモデルが自分であるということを、当時の三島は当然、読み取っていたに違いない。

 

シーン4/北山杉: 千重子は友人の真砂子と連れ立って、北山杉を見に出かける。(北山杉とは室町時代から作り始められた高級建材で、茶室などの建築に用いられる。)2人は杉山から降りて来る女たちとすれ違った。彼女たちは皆、山の働き着を纏っていた。真砂子はその中の1人を見つけ「千重子さんにそっくりやないの?」と言う。

実は、千重子は店の門口に捨てられていたのだった。20年程前のことである。生まれたばかりの赤子だった。戸籍上は、太吉郎夫婦の嫡女として届けられた。

秀男が帯を持ってやって来る。太吉郎が尼寺で描いた下絵に基づくものだった。下絵は捨てたのに、秀男は何故、帯を織ることができたのか。秀男は「あれだけ拝見させてもろたら、まあ、頭にはいっとります」と言う。また、一度は批判した下絵に基づき、何故、秀男が帯を織ったのか、太吉郎は不審に思う。「心の調和がない、荒れて病的や―言うたんは、秀男さん、あんたやないか」と言う。秀男はあの時のことを「つかれて、頭がいらいらしとりましたんどす」と答える。「植物園で、お嬢さんに会うてから、また考えました」とも言う。太吉郎は千重子を呼んで、帯を見るように言う。「あ。お父さん、クレエの画集から、お考えやしたんやな。」と千重子が言う。千重子はその帯を気に入ったのだった。秀男に促されて、千重子は立って帯を巻いてみた。たちまち、千重子はあざやかに浮き立った。太吉郎も顔をゆるめた。

 

コメント: 太吉郎が帯の下絵を描いたのは、趣味か道楽のようなもので、太吉郎に才能があった訳でもない。他方、秀男は若く腕の立つ職人として描かれている。また、秀男はその直観として、太吉郎の下絵を批判したのだった。すると、帯の出来は悪いはずだと思うのだが、「千重子はあざやかに浮き立った」と言うのだから、帯の出来は素晴らしかったのである。このように、ロジックで読み解こうとすると肩透かしを食らう場面が、川端作品には少なくない。強いて言えば、太吉郎の下絵にクレエの才能が転移していたと考えられないこともない。

 

シーン5/祇園祭: 祇園祭りがあり、千重子は1人で出かける。御旅所(おたびしょ)という所があって、ここは八坂神社の神様が仮に滞在すると言われる所である。千重子はそこで七度まいりをしている苗子を見つける。七度まいりとは、御旅所の神前に近づいたり離れたりを7度繰り返す願掛けのことだ。七度まいりが終わったのを見計らって、千重子が苗子に声を掛ける。「なに、お祈りやしたの?」娘は「姉の行方を知りとうて・・・。あんた姉さんや。神さまのお引き合わせどす」と言って、涙を流す。娘は「ふた子やいうことどすさかい、姉か妹か、わからしまへんのやけど・・・」とも言う。娘の両親は、早くに他界したとのこと。千重子は動揺した。娘の名は苗子といった。ふた子とはいえ、身分ちがいになっていると、苗子は見てとった。(千重子の家の商売は不振に陥ってはいたものの、老舗の呉服問屋である。)苗子は「お話は山ほどおすけど、いつか、村へ来とくれやす。杉林のなかやったら、だれにも見つからしまへんさかい」と言って、立ち去る。20年も前のことで、親はふた子が、恥ずかしいばかりでなく、ふた子は育ちにくいとも言われていたし、また、暮らしも考えて、千重子を捨てたのかも知れなかった。

千重子と苗子の別れ際、秀男が登場し苗子に話し掛ける。秀男は明らかに苗子を千重子と勘違いしている。この場面で、秀男は次のように描写されている。「男はいくらか頭の鉢が大きく、肩が張り、目がすわっているが、決して悪い人とは、苗子には見えなかった。」

 

コメント: 作品も中ほどになって、千重子と生き別れたふた子の片割れ、苗子が登場する。苗子は、川端が到達した自己(Self)の心象である。62才にもなった男性である川端の、言わば分身が、二十歳の女性として表われる。普通には考えづらいが、ここにこそ円熟の境地に達した老作家の深層心理の真骨頂がある。苗子は幼い頃に両親を亡くし、身寄りもない。この点、川端の身の上に酷似している。そして、永遠の聖少女である千重子を強く愛している点も共通している。

なお、秀男に関する描写「男はいくらか頭の鉢が大きく、肩が張り、目がすわっている」というのは、三島の特徴を言い得ている。

 

シーン6/秋の色: 太吉郎は電車で中年の女に出会う。女は上七軒(京都の花街)のお茶屋(芸妓を呼んで客に飲食をさせる店)のおかみだった。女は、「ちいちゃん」と呼ばれる十四五の少女を連れていた。太吉郎は少女に「あんた、いくつや」と尋ねる。少女は「中学の一年どす」と答える。太吉郎はおかみと共に北野神社へ行く。そこで「ちいちゃん」とは別れる。太吉郎はおかみの運営するお茶屋へ行く。若い芸者が1人、やって来る。芸者は出て三日目に嫌な客からキスをされ、客の舌をかんだことがあると言った。客は出血した。

千重子は秀男に、苗子の帯を織り、それを直接苗子に届けるよう依頼し、秀男はこれを承諾する。

千重子はバスに乗って、苗子の住む北山町へ向かう。苗子は千重子を杉林へ誘い、二人並んで腰かける。夕立がやって来る。雷鳴が轟く。苗子は「千重子さん、膝を折って、小そうおなりやす」と言い、千重子の上に覆い被さった。千重子は「あたしをかばって、あんた、ずぶぬれやないの」と言う。千重子は苗子のからだの温もりを感じる。

帰宅後、千重子は苗子との一件を母のしげに話す。

 

コメント: 中学1年生の「ちいちゃん」は、踊子の薫の再現であり、同じ少女が「眠れる美女」にも登場する。大人になる前の少女であり、童子元型の1つだと言えよう。

どしゃぶりの中、自らの身体を使って千重子を守ろうとする苗子の姿は、むしろ男性的である。

 

シーン7/松のみどり: 太吉郎は妻のしげと千重子を伴って、売家を見に行く。しげは太吉郎が商売を止めて引退するのかといぶかる。しかし、その物件の近くには料理旅館があり、太吉郎は購入意欲を失う。千重子の提案で、3人は服地を扱っている「竜村」へ寄る。そこで千重子は真一の兄である竜助に会う。竜助は千重子に「お店の番頭さん―会社やから、専務か常務かしらんけど、いっぺんね、千重子さんから、きつうあたっておみやす」と言う。竜助は、太吉郎の会社で経理の不正が行われているのではないかと疑っていたのである。翌日、千重子は会計を預かっている植村に自分用の着物1着を至急、織りあげるように命じる。(これは、苗子用のものである。)そして千重子は植村に帳簿も見せてくれと言ってみる。

秀男は千重子から頼まれた帯を織りあげ、それをもって北山町へ苗子を訪ねる。苗子は菩提の砂を用いて、杉丸太を手でていねいに洗っていた。苗子の元には千重子から着物や草履が送られていた。苗子は秀男を川原に誘う。そこで、出来上がった帯を見るのだった。秀男は苗子に千重子から送ってもらった着物にこの帯を締めて、時代祭に来てくれるよう頼む。秀男は苗子に惹かれてゆくのだった。

秀男と苗子は約束通り、時代祭で再会を果たした。

 

コメント: 千重子は、不正経理の疑いのある番頭の植村に帳簿を見せてくれと言う。この場面には、千重子の成長が表われている。竜助のモデルは、後に川端の養女、政子と結婚した川端香男里氏であろう。

 

シーン8/秋深い姉妹: 竜助と真一が、千重子を訪ねて店へやって来る。竜助は番頭の植村に対し、それとなく釘を刺す。

秋の北野おどりがあって、太吉郎は茶屋から入場券を受け取る。太吉郎はそれを見に、1人で出かける。その後、この前の茶屋へ立ち寄る。太吉郎は、客の舌をかんだという芸妓を呼ぶ。「今でも、かむか」と尋ねる。芸妓は「よう、おぼえといやすな。かましまへんさかい、出しとおみやす」と言う。太吉郎が舌を出すと、芸妓がそれを吸った。太吉郎は芸妓の背を、軽くたたいて「あんた、堕落したな」と言う。

苗子から千重子に電話が入る。苗子は「千重子さんにお会いして、お聞きしてもらいたいことが、じつは、できたんどす」と言う。千重子は、翌日、苗子に会うため、北山杉の村へ行くことを約束する。

 

コメント: 太吉郎の舌を吸ったという芸妓は、第1段階のアニマ(娼婦型)である。

 

シーン9/冬の花: 苗子に会いに出かける前、千重子は父の太吉郎に挨拶する。太吉郎は千重子に「その子にな、なにか、苦しいこと、困ったことが、できたんやったら、うちへつれといで・・・。引き取るわ」と言う。

千重子は北山杉の村で苗子に会う。苗子は「じつは、秀男さんが、結婚してほしい、お言いやして、それで・・・」と言う。また苗子は「秀男さんの胸の底の底には、深う、千重子さんがはいっとんのやすやろ。(中略)秀男さんはあたしに、千重子さんの幻を見といやすのどっしゃろ」と言う。2人の間でしばらく押し問答が続く。苗子が言う。「幻は、男のひとの心にあるか胸にあるか、もっと、ほかにも、あらわれるかわからしまへんやろ。」「・・・。」「苗子が六十のおばあさんになったかて、幻の千重子さんは、やっぱり、今のお若さやおへんか。」そして、千重子が言う。「うちの店へ、一度、おいでやす。(中略)せめて、一夜だけでも、苗子さんと、いっしょに、寝てみとおす」。

太吉郎が承諾した上で、太吉郎の店へ竜助がやって来た。竜助は番頭や店員を集め、品調べを行ったが、その日は何も言わずに帰って行った。その晩、千重子の家の格子戸を叩く者があった。苗子だった。苗子は千重子の両親に挨拶をした後、奥二階にある千重子の部屋へ行き、おしゃべりをする。ふとんを敷くと苗子の床へ千重子が潜り込む。「ああ、苗子さん、あたたかい」と千重子が言う。苗子は、千重子を抱きすくめる。

翌朝、早くに苗子は起きて、千重子を揺り起こして言う。「お嬢さん、これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。人に見られんうちに、帰らしてもらいます」。千重子は起き上がって「苗子さん、雨具おへんやろ。待って」と言い、自分のいちばんいい、びろうどのコオトと、折りたたみ傘と、高下駄とを苗子にそろえた。「これは、あたしがあげるの。また、来とくれやすな」と千重子は言ったが、苗子は首を振った。粉雪がちらついていた。千重子は格子戸につかまって、苗子を見送った。苗子は振りかえらなかった。町はさすがに、まだ、寝しずまっていた。

 

コメント: このシーンにおける苗子の発言を読んで、私は、苗子が川端の自己(Self)が乗り移った元型だと思ったのである。幻は、男のひとの心にあるか胸にあるか。苗子が六十のおばあさんになったかて、幻の千重子さんは、やっぱり、今のお若さやおへんか。そんなことを二十歳の女性が思いつくはずがない。ここで苗子の言う幻こそ、川端の心の中で生き続けたアニマ元型に他ならない。それは若き日の伊藤初代であり、二十歳の頃の政子であるに違いない。冷えた布団の中で千重子と抱き合う苗子。それは川端が切望し続けた一瞬であり、千重子と苗子という2人の女性が統合を果たすその瞬間でもある。思えば、千重子と苗子はふた子でありながら、分裂と統合を繰り返した。生まれた時は1つでありながら、千重子が捨てられることによって、分裂した。20年の歳月を経て、2人は再会を果たす。そして、互いのことを思いつつ、苗子は千重子と別れて生きていくことを決意する。老舗の呉服問屋に突然、ふた子の片割れが現われたら、世間は千重子を好奇の眼で見るに違いない。捨て子だったという千重子の過去も世間の知る所となろう。それを避けるために、苗子は去らなければならなかった。去っていくこと。それは苗子にとって、熟慮を重ねた上での重い決断だったはずだ。それは苗子にとって、自己を発見することでもあった。

一見、何でもないような物語を紡ぐ「古都」という作品は、幾重にも重ねられた複雑な層を持っている。見方によっては千重子の暮らす呉服問屋を中心とした世界は、意識の世界であり、反面、苗子の暮らす北山杉の世界は無意識の世界である。そして苗子は、粉雪の舞う早朝の京都の街を、1人、北山杉の村へと帰っていくのである。そこは、苗子にとって、とても懐かしい場所である。そこは深い霧に包まれた、深淵なる無意識の世界なのだ。去っていく苗子の後ろ姿に、川端自身の後ろ姿が重なって見える。川端はこのシーンに、自己の死に対するイメージを重ねていたのだと思う。永遠への回帰。それは川端にとっては、懐かしい場所への帰還としてイメージされていたに違いない。

 

人格の分裂と統合(その10) 元型について

 

古代より人間の無意識を形成し続けてきたイメージ、すなわち元型は、現代日本においてもマンガやアニメの世界において、表出し続けている。それは自我の確立や精神的な成長を希求する人々のニーズが、それだけ大きいことを示している。マンガやアニメは、とかく孤立しがちな現代の若者たちにとって、共通の話題であり、イメージであり、言語なのだ。

 

元型はそれだけ重要なものであるが、これを端的に説明する記述は少ない。ユングや河合隼雄は個々の元型に対する知識が多く、思いが強すぎることもあって、説明が長くなる。1つの元型について、何十頁も費やして説明されても、それで元型の全体像を把握できる訳ではない。一方、ネット情報では記載が簡略過ぎて、個々の元型の本質的なイメージを掴むことができない。そこで、本稿では元型の概略を述べると共に、その一覧を掲載してみることにした。まずは、元型の概略から。

 

元型とは、人間の心の中に太古から存在している普遍的なイメージのことである。これは個々人が経験によって獲得するものではなく、誰もが生まれながらにして持っている普遍的なものである。よって元型は、集合的無意識を構成する要素でもある。集合的無意識は、神話を物語る主体であり、神話を構成する要素(神話素)もまた、元型である。

 

元型とは、心の中に現われるイメージ(心象)を類型化したものである。例えば、老賢人という元型があるが、それが心の中に現われる場合は、魔法使い、医者、牧師、教師、教授、祖父、あるいは権威をもった誰かとして表われる。つまり、魔法使い以下に列挙したものが「心象」であり、これらを同じ類型として統合したものが老賢者という「元型」である。また心象の中で、曼荼羅のように特に重要で他に代替できないものを「象徴」と言う。

 

元型は、個人の人格に対し、肯定的な面と否定的な面を持っている。元型はまた、巨大なエネルギーを持っており、危険でもある。最大の危険は、元型の魅惑的な作用に負かされてしまうことであるが、これが一番起こりやすいのは元型的なイメージが意識化されないときである。先天的な素因を持つ者がこの状況に陥ると、元型は意識のコントロールからまったく自由になり、完全に独立してしまう、つまり憑依現象を作り出してしまうことになりかねない。

 

元型の一覧

 

〇 アニマ

アニマとは、男性の中に眠る理想的な女性像である。アニマとは、男性が決して意のままにできないすべてのものである。アニマは、エロスの原理を強調する。ユングはアニマについて、次の4段階があると考えた。第1:生物学的な段階。(娼婦型) 第2:ロマンチックな段階。(恋人型) 第3:霊的な段階。(聖母マリアなど) 第4:叡智の段階。(女神)

 

〇 アニムス

アニムスとは、女性の中に眠る理想的な男性像である。アニムスは、ロゴスの原理を強調する。アニムスにも段階があって、初期のものは男性の力強さ、特に肉体的な強さを示すもので、スポーツ選手などがこれに該当する。それに続くのは強い意志に支えられた勇ましい行為の担い手としての男性像である。

 

〇 永遠の少年(プエル・エテルヌス)

肯定的なイメージとしては、若さ、無限の可能性、自由の象徴である。否定的なものとしては、責任逃れ、現実逃避、未成熟さを表わす。

 

〇 英雄(Hero)

英雄の第1の仕事は、暗闇の怪物を退治することである。これは無意識に対する意識の勝利である。

 

〇 影(Shadow)

その個人の意識によって生きられなかった反面、その個人が認容しがたいとしている心的内容であり、それは文字どおり、その人の暗い影の部分である。夢の中では、自分と同性の人間として現われることが多い。影を認めることは、人生観の改変を意味するが、それは人格の統合、個性化に必要なことである。普遍的な影のイメージは古来、悪魔や鬼、化け物などとして、各国の民話や伝説の中に表わされている。

 

〇 グレートマザー(太母)

肯定的な側面として、包容、育成、慈愛などのイメージがある。否定的な側面として、束縛、過保護、飲み尽くす恐怖の象徴としてのイメージがある。

 

〇 自己(Self)

意識と無意識の全体を統括する。個性化が目指す最終目標。

 

〇 精神元型

精神とは普通、物質と対立する原理を指している。この言葉で考えられているのは、非物理的な実体や実在であり、その最も普遍的な最高段階は「神」である。一般に広まっているイメージでは、精神はより高い、心はより低い活動原理と理解されている。精神元型は、幽霊や亡霊の姿を借りて現われる。また、怪異な小妖精のような人物や、言葉を話す物知りな動物としても現われる。少年または若者として表われる場合もある。

 

〇 ソフィア(叡智、至高の女神)

老賢人の女性版。男性の夢などには老賢人が表われ、女性の夢などには至高の女神としてのソフィアが登場する。

 

〇 童子元型

民間説話において、童子元型は隠れた自然の力の化身として、小人や妖精の姿をとって表われる。童子は未来の可能性である。従って、童子元型は未来の発展の先取りを意味している。時には若い英雄の姿をとることもある。

 

〇 トリックスター(Trickster)

トリックスターとは、その超人的特性によって人間にまさり、他方ではその非理性と無意識性のために人間より劣っている。愚か者ではあるが、他の者たちがベストを尽くしても得られないものを愚かなために手に入れる。シャーマンや呪術師の性格には、幾分トリックスターの要素が見られる。

中世のヨーロッパには王様がいて、王様はお城に住んでいた。王様に呼ばれて、道化師はお城の中へ入る。そこで、芸を披露して王様を楽しませる。またある時は、ストリートで大道芸を披露し、庶民を楽しませる。王様に対する皮肉を言って、観衆を笑わせたりする。このように境界線をやすやすと超えてみせる人格のイメージが、トリックスターだと言える。(この箇所、出典不明)

 

〇 ペルソナ(仮面)

ペルソナとは、我々が外界に対してつけている仮面のことである。ペルソナは夢の中では人格化されて表現されることが少なく、一般に「衣服」など自分の身に着けているもので表わされる場合が多い。

 

〇 老賢者(Old Wise Man)

知恵、指導者、精神的指導の象徴。迷った時に進むべき道を指し示す。個性化が進むと夢などに表われる。

 

(参考文献)

文献1: ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967

文献2: 生と死の接点/河合隼雄/岩波書店/1989

文献3: 分析心理学/ユング/みすず書房/1976

文献4: 元型論/ユング/林 道義 訳/紀伊国屋書店/1999

文献5: ソクラテスの弁明/プラトン/納富信留 訳/光文社古典新訳文庫/2012

文献6: ユングの心理学/秋山さと子/講談社現代新書/1982

 

人格の分裂と統合(その9) 自我への配慮

 

思うに「自我」とは、価値観の体系ではないか。私の場合は中学生の頃、ローリング・ストーンズに出会って、急激に自分の中の価値観が成長したように思う。当時はビートルズとストーンズが比較され、それは雑誌や友人との会話に頻繁に登場するトピックだった。私は、ストーンズ派だった。友人の中でストーンズ派がいると、それだけで「俺たちは友達だ!」などと思ったものである。また、私はストーンズの音楽の底には、ブルースが流れていると思った。やがてツェッペリンが登場する。このバンドの音楽には、ブルースがない。するとストーンズ派の私としては、ツェッペリンを支持する訳にはいかない。そうすることは、私の価値観の体系を乱すことになる。そんな風にして、好みの志向性を積み上げていくと、価値観の体系が生まれる。

 

家族の関係性は、感情に支配されている。経験の積み重ねや本能的な影響もあって、そこに理屈が入り込む余地は少ない。この感情という機能が認識できる範囲は、せいぜい10人が限界ではないか。もちろん人間は、この家族集団の中に留まっている訳にはいかない。学校や職場に通うことになる。いわゆる中間集団に属する訳だ。するとそこには、多くの人々がいる訳で、感情をベースとした人間関係を構築することは難しい。この中間集団を統率するルールは、概ね、文化的だと言えよう。長年続いている風習や習慣が、集団の存続と結束を維持する。うっかりこのような風習を止めよう、例えば運動会は廃止にしようなどと発言すると、それこそ村八分のような扱いを受けることになる。

 

更に規模の大きな集団として、国家がある。国家には憲法や法律などがあって、政府という権力機関が存在する。これはかなり複雑だ。そして、国家のあり方や運営方法について思考することにより、「自我」は鍛えられる。国家について考える時、感情は意味をなさない。そこで登場するのが、心理的な機能で言えば「思考」ということになる。ソクラテスはアテナイという都市国家の中で生きたのであり、後年、プラトンが名著「国家」を著した理由も、そこにある。

 

では、ソクラテスの弁明の中の1つのハイライトであり、ソクラテスが唯一、魂について語っている部分を引用しよう。

 

- 世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは (文献5)-

 

さて、ここに言われる「魂」とは何か、と考える訳だが、まず、ソクラテスは不死の魂という考え方には懐疑的だった。(魂が不死であるというのは、プラトンの思想である。)このことは、「ソクラテスの弁明」の次の部分から明らかである。

 

- 死んでいる状態は、次の二つのどちらかなのです。無のような状態で、死んでいる者はなんについても何一つ感覚ももっていないか、あるいは、言い伝えにあるように、魂がこの場所から別の場所へ向かう移動や移住であるか、このどちらかなのです。(文献5)-

 

前者は無に帰するという考え方で、私を含めた多くの現代人はこの説を支持するだろう。後者は「言い伝え」に基づく考え方である。この点、詳しい説明はなされていないが、多分、当時のギリシャ神話における世界観を差しているのだろう。

 

ギリシャ神話においては、ゼウスが最高神に位置付けられる。そして、ゼウスには2人の兄弟がいて、この3人がくじ引きを行い、それぞれ統治する世界を決めた。その結果、ゼウスは天空を、ポセイドンが海を、そしてハデスが冥界を支配することになった。冥界は地下にあり、冥界にやってきた死者の魂は裁判を受ける。生前の行いの悪かった者は過酷な罰を受け、いわゆる地獄のような場所に送られる。反対に神々に愛された一部の者は、「エリュシオンの野」と呼ばれる天国のような場所で幸福に暮らす。

 

さて、このような前提で、ソクラテスは魂という言葉にどのような意味を込めていたのか。それはロゴス的な自我ということになるだろう。前にも述べたがロゴスという言葉は多様な意味を持っているが、その主だったものは、理性、真理、言語、論理などである。そして、魂は1人が1つ持つものであるから、それは個人の心の中心に位置するものと推定できる。だから、ソクラテスが言った魂とは、ロゴス的な自我ということになる。

 

但し、それだけでは不充分だろう。ソクラテスは精霊(ダイモニオン)の声を聴いていた。特に彼が何か誤った行動を起こそうとする時、精霊は何らかの徴(しるし)を彼の心の中に喚起していたのである。この精霊の声を現代的に解釈すると、それは無意識ということになる。つまり、ソクラテスが言った魂とは、天空へと向かうロゴス的なものと、深く自己の内部に沈む無意識、その双方へ配慮せよというのが、現代的な解釈として成り立つのではないか。そして、私たちはユングの心理学を学んでいる。無意識の深い階層を知っている。それらについても配慮せよというのが、ユングの思想である。

 

ソクラテスとユング。両者の思想を融合して、私なりに考えると、それは「自我への配慮」ということになる。

 

(参考文献)

文献1: ユング心理学入門/河合隼雄/培風館/1967

文献2: 生と死の接点/河合隼雄/岩波書店/1989

文献3: 分析心理学/ユング/みすず書房/1976

文献4: 元型論/ユング/林 道義 訳/紀伊国屋書店/1999

文献5: ソクラテスの弁明/プラトン/納富信留 訳/光文社古典新訳文庫/2012

 

人格の分裂と統合(その8) 心的エネルギー

 

まず、前回の原稿「個性化と弁証法」に記した課題について、決着をつけよう。やはり私は、弁証法という楽観的な考え方には賛成できない。また、意識と無意識の中心に自己というものを措定するというユングの考え方にも違和感を覚える。とりあえず心の中心点、司令塔のような働きをするものについては、自我であると考えておけば良いのではないか。(ちなみに、現代の脳科学においては、そのような機能を主に司っているのは前頭葉だと考えられている。但し、実際には前頭葉が中心となりつつも脳の様々な部位がネットワークを形成し、機能しているとのこと。)

 

また、上に記した事項は、膨大なユング思想の一部に過ぎず、その本質、すなわち心には意識と無意識があって互いに相補的な関係を保っているとか、無意識の中にも自律的に補正、統合を目指す機能があるという点について、私は賛成である。ユングの心理学を全て捨て去ってしまうのは、あまりに惜しいと思う。

 

さて、ユングの提唱した心の階層を以下に再掲する

 

第1階層: 意識・・・自我

第2階層: 個人的無意識・・・コンプレックス

第3階層: 集合的無意識・・・元型、集団表象

第4階層: 類心的レベル・・・本能、トランス

 

こうして見ると、心の階層が歴史的に段階を踏んで複雑化してきたことが分かる。まだ人間がサルだった頃の心は、多分、「意識+本能」だったのだろう。意識が外的な刺激を把握し、そこから解放されるべき本能が呼び起こされる。これは多分、現代の動物心理学も同じように考えているはずだ。

 

次に、人間は言語を習得した。すると心の中に様々なイメージや象徴、元型などが発生する。無文字社会の人々、未開の人々の心は、このような構成になっているのだろう。すなわち「意識+集合的無意識+本能」。

 

更に、人類は文字を発明し、莫大な量の知性や事実が記録されることになる。科学は進展し、共同体が破壊され、個人というものが意識され始める。すると意識が発達すると共に自我を確立することが求められる。自我の確立とコンプレックスの成長とは、比例関係にあるに違いない。これが現代人の心であり、これは「自我+個人的無意識+集合的無意識+類心的レベル(本能)」という、上記の階層を構成することになる。

 

また、心的エネルギーということに着目すると、最強のものは類心的レベル(本能)にある。見知らぬ人がやって来て、吠えたてる番犬を思い起こしていただきたい。また、最近は知らない人も多いことだろうが、人間はトランスという不思議な状態を経験することがある。これは熱狂であり、忘我の状態になることで、脳内で最大限のドーパミンが分泌される。激しいリズムに身を委ねている時などに人間が陥る状態のことである。

 

また、元型などを醸成する集合的無意識のレベルにも、爆発的な心的エネルギーが潜んでいる。ユングはその例として、ナチズムを批判している。ブリュルが述べた集団表象は、かかる群衆心理という意味も包含していたのではないか。

 

このように考えると、未開人が抱えていた心理的な課題とは、あくまでも過大な心的エネルギーに対処することだったに違いない。従って彼らは、様々な祭りや儀式を執り行うことによって、それを発散させていた訳だ。元型に基づく心象や象徴を顕在化し、その元に集団の結束を強め、強大な心的エネルギーをコントロールしようとしていたのだろう。未開人が自分たちの祖先を様々な動物や植物に投影していたのも、これが目的だったはずだ。ちなみに、このような習慣をトーテミズムと言う。

 

すると、現代人の抱える心理的な課題も見えてくる。個人、私、という概念が発生すると個人的無意識が醸成される訳だが、その主要な内実は個人的な経験に基づくコンプレックスである。コンプレックスは、意識の秩序から除外されるが、それは周辺の記憶を伴って無意識の中で成長し、根を張っていく。するとこれに対抗するために、自我を強化し、確立する必要が生ずる。自我を確立するためには、社会に対する仮面(ペルソナ)を持つことも必要になり、やがて自我は分裂する。この分裂を経て、人は統合へと向かう訳だが、この分裂と統合というプロセスこそが、その人の人生におけるダイナミズムとなる。ユングが言った個性化とは、この分裂と統合のプロセスを意味している。

 

しかし、現代人はもっと深刻な課題をも抱えている。それはそもそも、心的エネルギーが不足していて、自我の確立に向かわない、若しくは自我の確立に失敗するという現象である。ひたすら無菌室の中にこもって、コンプレックスなどという厄介な代物からは、距離を置こうという姿勢である。例えば、無意識の深層、すなわち集合的無意識や類心的レベルを抑圧し過ぎると、当然のことながら心的エネルギーは生まれない。何かをやってみようという、気力が沸いてこない。また、心的エネルギーの枯渇は、その人の人生からダイナミズムを奪うことにもなる。

 

この無菌室で育った、自我を持たない、心的エネルギーの枯渇した人々が増えると社会はどうなるかと言うと、ある日突然社会の表層に元型的な、集団表象的な、圧倒的なパワーが出現した時に、彼らはただそれに屈服するのである。そのパワーとはユングが批判したナチズムのような、つまりファシズムのことである。