文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

猫と語る(第9話) 幻想共同体

 

黒三郎の言葉は、私の心に重く響いた。確かにこの地球上において、人間は最低の存在なのかも知れない。しかし、それは人間がミッシェルの夫を殺害したからではない。人間だって他の動植物を食べなければ、生きてはいけない。そして人間たちは、多分、ミッシェルの夫を食べたのだろう。イノシシの肉は、しし鍋とかぼたん鍋として調理され、とてもおいしいらしい。もちろん、そんなことをミッシェルや猪ノ吉に言う訳にはいかない。そのことではなくて、私は、人間が起こす戦争について、思いあぐねていたのだった。

 

敵の肉を食べる訳でもないのに、つまり、自分たちが生きていくために必要という訳ではないのに、人間は他の人間を大量に殺戮する。しかも戦争は、同種の生物である人間同士の間で行われるのだ。何という理不尽だろう。そんなことを考えているうちに、2週間が経過していた。しかし私は、意を決して、にゃんこ村にクルマを走らせたのだった。

 

クルマを降りると、早速、黒三郎がバサバサと羽音を立てながら、舞い降りてきた。

 

- 随分、久しぶりじゃないか。オッサン。もう来ないのかと思っていたよ。

- うん。でも、俺には花ちゃんと約束したことがあるんだ。まだ、その約束を果たせてはいない。

- 知ってるよ。人間の世界について説明するっていう、例の話だろ。

- そうだ。木の上で聞いていたのか。別に構いはしないけど。

- ああ。俺が、花ちゃんを呼んできてあげよう。猪ノ吉にも声を掛けていいかい?

- 俺は構わないよ。猪ノ吉がそんな話に興味があるんだったらね。

- カァー!

 

黒三郎は一声鳴くと、空高く舞い上がっていった。そして、トンビのように空で円を描くと、崖の方に向かって舞い降りて行くのだった。

 

ベンチに座って待っていると、南の方角から花ちゃんがトコトコとやってきた。猪ノ吉は北の方から、ノシノシとやってきた。黒三郎も一緒だった。花ちゃんは、私の足元にスリスリをしてから、ベンチの上に飛び乗った。猪ノ吉は黙ったまま、地面に寝そべった。

 

- さあ、それじゃあ始めてくれ。

 

黒三郎が、そう私を促した。

 

- うん。人間はね、集団的な生き物だと言える。既に、生活共同体と利益共同体については説明した。ところが、人間が形成する共同体には、もう1つの種類があるんだ。俺は、それを幻想共同体と呼ぶことにした。そう呼ぶからには、まずは、幻想について説明しなければならない。幻想とは、仮説のことだ。例えば、世界はこうなっているのではないかとか、こうすれば人間の世界はうまくいくに違いないというようなものさ。しかし、未だにその正しさが証明された仮説は存在しない。つまり、全ての仮説は大なり小なり、間違っているってことだ。それでも、そのような仮説を自ら信じる人、誰かに信じ込まされる人は、後を絶たないんだ。そして、その仮説、つまり幻想を共有する人間集団が生まれる。仮説を立てること、幻想を構築すること、その行為自体は悪くない、と俺は思う。しかし、その幻想に執着して、自らの頭で考えなくなることが問題なんだよ。人間の世界においては、日々、多くの発見や発明がなされる。それらの新しい知識を反映させて、全ての幻想は再検証されるべきだが、実際には、そうはならない。ひと度構築された幻想は、その幻想を基盤とした権力を生むからだ。そして、権力者たちは自らの権益を守るために、幻想をそのままの形で維持しようとする。これが、幻想共同体の宿命なのだと思う。

- 幻想を構築したとして、それを少しずつ良くしていけばいいんじゃないの、ニャン。

- うん。確かに、そういう考え方はある。一般に保守と呼ばれる立場だ。悪い所があったら、少しずつ、それを修正していけばいいという考え方だ。しかし、そのような考え方が正しいという保証はない。例えば、積み木を使って、大きなお城を作ったとしよう。しかし、お城の土台を構成している1つの木片に誤りがあった。さあ、どうやって、それを取り換えることができるだろうか? たった1つの木片を交換しようとすれば、その積み木のお城全体が崩れてしまうよね。だから、少しずつ良くしよう、少しずつメンテナンスしようとしても、それは無理なんだ、という考え方がある。この立場は、フランスで論議されたエピステモロジーという思想だ。俺は、この立場の方が正しいと思う。例えば聖書には、最初の人間はアダムとイブだと書かれている。しかし、アダムもイブも存在しなかったという前提に立った場合、聖書自体が成り立たない。聖書は、その全体を書き直さなければならない。

- ブヒー!

 

猪ノ吉が、鼻を鳴らした。

 

- それでは、どうすればいいんだ?

- そうだね。人間は幻想を構築する生き物だ。しかし、未だにその正しさが証明された幻想は存在しない。そうしてみると、古い幻想を捨てて、新しい幻想を生み出すしか方法はない。1から、いや、ゼロからやり直さなければならないんだよ。1つのたとえ話がある。「シーシュポスの神話」と呼ばれる話だ。昔、神々の逆鱗に触れてしまった、シーシュポスという男がいて、彼は罰を受けることになる。彼は、大きな岩を山頂まで押し上げなければならない。しかし、山頂に達すると、その岩はたちまち山肌を転がり落ちてしまう。シーシュポスは山のふもとに戻り、また、山頂目指して大きな岩を押し上げなければならない。この作業は、永遠に続く。まさに、人間と幻想の関係を象徴するような話だと思う。

- 知らなかった。人間も大変なんだな。カァー。

- もう少し、具体的に話してみて。ニャン。

- うん。幻想共同体には3つの典型例がある。1つ目は、宗教団体だ。宗教の起源の1つは、呪術にある。古代の人間は、とてつもない困難に直面していた訳だ。医学がないから、身体的な苦痛と直接的に向き合わなければならなかった。そこで、自分の願いを叶える方法として、呪術に依存した訳だ。同じような理由で、祭祀という集団的な呪術も発達した。そして、祭祀を司るシャーマンが登場する。これがシャーマニズムと呼ばれる個人崇拝の文化だ。加えて、神話が登場する。それらを様式化して、宗教が生まれる。こうして、世界中の民族が、全ての人類が、宗教に依存して集団を形成していたんだ。だけど宗教は、幻想に過ぎない。未だに文字を持たない部族も存在するし、彼らは本気で宗教を信じているだろう。しかし、その他の、つまり文字を持つ文明圏に暮らす人々にとっては、最早、宗教が幻想に過ぎないことは、自明の理だ。それでも文明圏において宗教が存続しているのは、権力がそうさせているからだ。文明圏に暮らす人間は、そろそろ宗教を卒業するべきなんだよ。宗教団体が持つ権力構造を解体すべきなんだ。幻想共同体における2つ目の典型例は、イデオロギー集団だ。中でも最大規模を誇るのは、共産主義を標榜する集団だろう。彼らは共産主義を科学だと主張する。だから正しいのだと。しかし、そうだろうか? 彼らは人間の歴史を物と労働を基軸に考えているようだけれど、人間の歴史って、そんなに単純なものではない。文化人類学が解き明かしつつある様々な事柄の方が、余程リアリティーがあると俺は思う。物や労働ではなく、人間の歴史は魂と身体を基軸に積み重ねられてきたに違いない。だから、人間はもう共産主義を捨てるべきなんだけれど、ここでもまた、権力が邪魔をする訳さ。そして、幻想共同体における3つ目の典型例は、国家だ。

- 国家って、何? ニャー。

- 国家は、領土と、国民と、憲法によって構成されている。線引きをして土地を区切り、領土の範囲を決める。そこに住む人間をその国の国民だとする。そして、国の運営に関して権力を持つ者たちに合理的な制限を加える為に、憲法を定める。こうして、1つの国家が成立する。

- ブー、ブー。ちょっと待ってくれ。この場所は、日本だろう? イノシシであるワシだって、それ位のことは知っている。そして、日本という国は、確実に存在するのであって、それは幻想ではない。

- そうだね。そう思いたいよね。でも、現実は違う。領土については、他国との間で争いがある。国民は海外旅行をしたり、移住したりする。そして、憲法は守られない。それでも、日本という国は本当に存在しているのだろうか。国政選挙があったって、半分の国民は投票にすら行かない。本当に日本人は、日本という国家を認識しているのだろうか。この点、俺は悲観的な見方をしている。

- どうして、そんなことになるんだ? カァー。

- 1つの理由として考えられるのは、国家ではなく、別の枠組みで考える人が少なくないってことだ。例えば、国際企業に勤めている人は、国家よりも企業に対する従属意識が強いだろう。宗教団体に属している人は、そちらの方に意識が向く。共産主義者も同じで、彼らにとっては日本という国家よりも、イデオロギーに基づく階級闘争の方が大切なんだと思う。それと、日本に限って言えば、もう1つ大きな障害がある。それは、日本が独立していないってことさ。先の戦争で日本はアメリカに負けた。それ以来、日本は巧妙かつ狡猾な方法で、アメリカに支配されているのさ。言わば、日本は未成年の状態にある。自分のことを自分で決められない子供と一緒だ。個人にとっても国家にとっても、一番大切なことは、成長するってことだよ。そして成長するためには、成人として、独立していなければならない。他の国に従属している国は、無駄に時間を過ごしているだけで、一向に成長しないんだ。先の戦争から、日本はもう78年もの長い時間を無駄に過ごしてきたのさ。ふう。ため息が出る。

- ため息が出る。ニャー。

- ため息が出る。カァー。

- ため息が出る。ブー。

- そろそろ、話をまとめよう。人間が形成する集団は、大きく分けると3種類あって、それは生活共同体、利益共同体、そして幻想共同体なんだ。実際にはその複合形態や、過渡的なものもあると思うけれど、共同体が成立するための本質的な要素は、生活、利益、幻想の3種類しかない。そして、あらゆる共同体の中で、最も真理に近いと思われるもの、それは国家なんだよ。真理に近づくためには、我々はもっと国家について考える必要がある。本当の国家においては、金持ちが貧乏人を助ける、強者は弱者をいたわる、チャンスは平等に与えられる、権力は公正に行使される。そうあるべきだと思う。それらの事柄を一言で表わすとすれば、それは正義という言葉が適切だと思う。正義を実現する。人間の世界においては、そのために国家が必要なんだ。

- 人間の世界って、大変なのね。

 

花ちゃんはそう言って、どこか遠くを見つめた。

 

猫と語る(第8話) ミッシェルの悲劇

 

花ちゃんの呼び掛けに応じて、黒三郎は梢から舞い降りてきた。

 

- もちろん、オイラにも言いたいことはある。

- 何だ、言ってみろ。ニャー!

- お前らは、何故、カラスを嫌うんだ? オイラたちが、黒いからだろう。お前たちは、他の生き物を見た目で判断している。

 

黒三郎はそう言って、チョンチョンと飛び跳ねた。私も、黙ってはいられなかった。

 

- 違うよ。お前たちカラスは、人間に対して害悪を及ぼす。だから嫌いなんだ。例えば、お前たちは、人間が捨てたゴミを漁るだろう。そして、そこいら中に、ゴミをまき散らす。何でそんなことをするんだ?

- おいおい、そこのオッサン。オイラたちが好きこのんで、ゴミを漁っているとでも思っているのか。このドアホ! ゴミの中には、ほとんど腐ったものしか残ってない。そんなもの、オイラたちだって食べたい訳じゃない。本当は新鮮でおいしいものを食べたいと思っている。しかし、人間が捨てたゴミでも食べなければ、オイラたちは生きていけないんだ。オイラたちにも最低限、生きる権利はある。違うか!

 

しばし、私は考え込んでしまった。フムフム。確かに、カラスにも生きる権利はある。そう思った。

 

- 黒三郎、お前たちはいつも腹を空かせているのか?

- そうだ。カァー、カァー。

- お前は、今も腹が減っているか?

- もちろんだよ。

- カリカリならあるけど、食べたいか。

- カァー!

- 分かった。でも、この前みたいに大きな声を出して仲間を呼ぶな。そんなに沢山は、持っていないんだ。

 

私は、花ちゃんが使った後の紙皿に、カリカリを一握りほど、盛り付けてやった。黒三郎は、おいしそうにそれをついばんだ。

 

- どうだろう、黒三郎。誰にでも最低限、生きる権利はある。このテーゼから出発すれば、俺たちは1つの思想を作り出すことができる。例えば、アフリカのサバンナで、ライオンがシマウマを殺して食べる。この行為は許されるか。もちろん、腹を空かせたライオンは、シマウマを食べなければ生きていけない。どうだろう?

- 生きるために仕方がないのだから、その行為は許されると思う。カァー。

- そうだね。

 

すると、険しい表情をした花ちゃんが一歩、踏み出して言った。

 

- 黒三郎! それでもあたしは、お前たちカラスが嫌いだ。お前たちはいつだって、高い所にいて、誰かが失敗するのを見て笑っている。そして隙さえあれば舞い降りてきて、食べ物を奪っていくんだ。だから、冷笑主義者だって言われるんだよ! 猫には愛があるけど、お前たちカラスには、愛がないんだよ!

- そんなことを言ったって、それがカラスのライフスタイルなんだから、仕方がないじゃないか! 

 

黒三郎は、羽をバタつかせて、不満そうに言った。

 

- なあ、黒三郎。誰にでも冷笑主義から脱却する方法はあると思うよ。それは、自分から何かに参加してみる、自分でやってみるってことなんだ。成功すれば、それは自信につながるし、失敗したとしても、そこから何かを学ぶことができる。自分でチャレンジしない者は、成長できないんだよ。

 

私がそう言い終わるか終わらないうちに、大きな羽音をたてて黒三郎が飛び立った。そして、花ちゃんがシャーと叫んだのだった。見ると1頭のイノシシが私を目掛けて突進してくる。私は、急いでベンチの後ろ側へ身を隠した。目にも止まらぬ速さで、花ちゃんがイノシシ目掛けて飛び掛かった。花ちゃんの猫パンチが、イノシシの右頬にヒットした。しかし、それはまるで効いていなかった。花ちゃんは空中で回転した後、体操選手のように見事に着地を決めた。イノシシは面食らったのか、足を止め、肩で息をしていた。

 

- ねえ、ミッシェル。あんたの気持ちは、分かる。でも、全ての人間が悪い訳ではないの。中には、いい人間だっているのよ。このおじさんは、悪い人じゃない。

 

ミッシェルと呼ばれたイノシシの眼から、大粒の涙がこぼれた。彼女がやってきた方角からキィーキィーと鳴きながら、3匹のうり坊たちが走ってくるのが見えた。ミッシェルは踵を返して、うり坊たちの方に向かって歩き出した。

 

- ああ、驚いた。花ちゃん、それにしても日本に住むイノシシの名前がミッシェルというのは、少しおかしくないか?

- あのね、例えば赤い木の実があったとして、それをリンゴと呼ぼうが、アポーと呼ぼうが、何の問題もない。それが言語の恣意性ってものなのよ。だから、彼女の名前がミッシェルであることに問題はないの。

 

私の頭は混乱した。まさか花ちゃんは、ソシュールの一般言語学を知っているのだろうか。それにしても一体、にゃんこ村で何が起こったというのだろう。羽音が聞こえ、黒三郎が再び降りてきた。彼が見ている方角に顔を向けると、立派な体格をしたオスのイノシシがゆっくり歩いてくるのだった。彼はミッシェルよりも一回り大きい。彼の口元には、2本の長い牙が生えている。私は、身構えた。

 

- あら、猪ノ吉だわ。彼は、ここら辺に住むイノシシグループのリーダーよ。大丈夫。彼は余程のことがない限り、手荒なことはしないわ。猪ノ吉さん、こんにちは!

 

花ちゃんの呼び掛けに、猪ノ吉は小さく頷いた。

 

- 猪ノ吉さん、ここで何が起こったのか、このおじさんに話してあげて。

- うむ。しかし、この人間は信用できるのか?

- 大丈夫よ。この人はいつもここへきて、私たち猫にカリカリをくれるの。チュールも。

 

花ちゃんにならって、私も猪ノ吉に挨拶をしてみた。

 

- 君の名は、猪ノ吉っていうんだね。お会いできて光栄だ。ミッシェルは何故、俺を襲おうとしたのか、彼女の身の上に何があったのか、良かったら教えてくれないか。

 

猪ノ吉は、じろりと私の顔を見上げた。

 

- では、話をしよう。少し長くなるから、あんたはベンチに座って聞いてくれ。

 

私は、ベンチの前に進み出て、腰を下ろした。猪ノ吉も私の左前に来て、腹ばいになった。猪ノ吉は低く、威厳のある声で話し始めたのだった。

 

- 箱罠っていうものがある。これは鉄でできた檻のようなものだ。中にはイノシシが好む餌が置いてある。その餌は、とてもいい匂いがするんだ。腹を空かせたイノシシが、その檻の中に入って餌を食べるためには、どうしても檻の中の踏み板を踏むことになる。するとその瞬間、自動的に後ろの扉が落ちて、そのイノシシは閉じ込められるって寸法だ。もう何年もそんなものは、設置されていなかったが、どういう訳か最近、人間がそれを仕掛けたんだ。あれは、先週のことだった。その箱罠に、一頭のイノシシがつかまってしまった。ミッシェルの夫だ。慌てた彼は、鉄の檻に体当たりをくらわせた。ガシーンという音が響く。しかし、鉄の檻はびくともしない。身体をぶつける度に、少しずつ彼の皮膚がやぶけ、血が流れた。ワシらは、近くで彼の様子を見ていた。ミッシェルと彼女の子供たちもだ。ワシは、もう止めろと彼に言った。しかし、彼にはそうする以外、助かる道はなかったのだ。ミッシェルは、檻にすがって泣いた。彼はミッシェルに、ここにいては危ないから、子供たちを連れていつものねぐらへ帰れと言った。ワシもミッシェルにそうするように言った。やがてとっぷりと日が暮れて、夜になった。静かな夜だった。波の音だけが、ザワザワと聞こえていた。そして時折、ガシーンというあの音が、微かに聞こえてきた。夜が明けると、人間たちがやってきた。ワシは、人間たちに気づかれないよう、遠くから見ていたんだ。人間たちは鉄の棒を使って、ミッシェルの夫に電気ショックを与えた。彼は、倒れた。彼の両足がヒクヒクと動いたが、それも数秒のことだった。人間たちは、彼が死んで動かないことを確認すると、彼の体をロープで縛り、クルマの荷台に乗せて、どこかへと運んで行った。

 

猪ノ吉は私の眼を見たようだったが、私は彼の眼を見ることができなかった。

 

- 人間って、最低だな。

 

そう言い残して、黒三郎が飛び立った。

 

猫と語る(第7話) 魂とは何か

 

- 古くは2400年も昔の古代ギリシャ人が、既にこの言葉を使っていた。日本で言えば聖徳太子の時代から、更に千年も昔のことだ。つまり、ニュアンスの違いはあるかも知れないけれど、世界中の人々が魂という共通概念を持っていたんだ。英語ではSoulと言うし、日本ではそれを魂と呼ぶ。そうしてみると魂は、人間にとって、とても普遍的な意味を持っていることが分かる。

- とても古くから、世界中の人々が、魂について考えてきたってことね。

- そうなんだ。ここから先は、少し俺自身の想像を踏まえて話してみたい。魂は、人間の死生観と深い関りを持っている。現代人には医学に関する知識がある。だから、人間の死を心臓の停止、呼吸機能の停止、そして脳死などに区分して理解する。しかし、医学なんてものが未だ世界のどこにも存在しない時代があって、その頃、人々は死とは何か、そのことを一生懸命考えたに違いないんだよ。死んだばかりの人には、まだ体温が残っている。多くの場合、死者は安らかな顔をしているし、まるで眠っているように見える。しかし、死者が眠りから覚めることはない。すると、生きている自分たちと死者との間には、何らかの差異があるはずだ。昔の人は、そう考えた。つまり、生きている自分たちには、生命の源のようなものがある。そして死者は、かつてそれを持っていたが、何らかの理由によって、それを失ってしまった。だから死んだのだ。そのような仮説が成り立つ。つまり、生きている者だけが持っている何か、生命の源、それを昔の人は魂と呼んだに違いない。

- 昔の人にとって魂は、それほど大切なものだったのね。

- うん。ここで、人間とは何かという問いに対する1つの回答が導かれることになる。つまり、人間とは魂と体によって構成されるってことさ。つまり・・・

 

人間 = 魂 + 体

 

・・・ということになる。加えて昔の人々は、魂は不滅だと考えた。だから、人間が死んだとしても不滅の魂が天国へ行ったり、地獄へ落ちたりする。この考え方にも普遍性があるような気がする。ところで花ちゃん。君は、魂と体とどちらの方が大切だと思う?

- う~ん。ちょっと難しいわね。おじさんはどう思うの?

- 俺はね、魂の方が大切だと思うよ。魂が永遠に生き続けるとは思わないけど、体が生きていても魂が死んでしまえば、それはもう人間とは言えない。それから魂は、それぞれの人が、たった1つだけ持っているものなんだ。そして魂は、誰かの魂と交換したりすることもできない。この世にたった1つしかないもの、それが自分の魂なのさ。それに・・・。

- それに?

- 人は、自らの魂と対話するとき、決して嘘をつくことができない。人間は他人に対しては平気で嘘をつくけど、自分の魂にだけは、嘘をつくことができない。だから魂っていうのは、とても純粋なものだと思う。人は一生をかけて、自分の魂を育てあげる必要がある。それがあるべき人生の形だ。ところが最近の人間は、魂のことをあまり重要視しなくなってしまった。

- どうして?

- それはね、魂を分解し始めたんだ。魂という概念から、生命の源という要素を取り払って、心というものを想定した。最初にそう考えたのは、デカルトだという説がある。つまり・・・

 

魂 = 心 + 生命力

 

人間 = 心 + 生命力 + 体

 

・・・ということになる。それ以来、人間は心が大切だと考えるようになったんだよ。そして、この考え方は、アカデミズムの進歩に貢献した訳だ。つまり、心については心理学が、そして体については医学が研究対象とすることになった。そして、現代において生命力は体の側に属するものとして認識されている。体が死ぬことと、人間が死ぬことは同じだと考えられているのさ。でも俺は、この考え方には反対だ。生命力は心の中にもあるはずだ。だから、心と生命力とを分けて考えるのはおかしい。魂がなくなれば、それはすなわち人間の死を意味するのだと思う。加えていとも簡単に、自らの魂を売り渡してしまう人が多過ぎる。お金や名誉、そして地位を確保するためにね。でも、よく考えて欲しい。ひと度、魂を売り渡してしまうと、それを買い戻すことは絶対にできない。この観点から言うと、魂とは、絶対に妥協することのできない価値観や信念であるとも言える。ついでに、もう1つ言ってもいいかい?

- うん。

- 現代人は、未だにこの魂の問題を解決することができずにいる訳だ。そこで、いつまでたっても尊厳死安楽死についての議論が進まないって訳さ。俺は、それらを肯定すべきだと思う。それと、最近はうつ病をはじめとした精神病患者が急増しているし、自殺する人も多い。今、現代人が持っている心の生命力は、危機に瀕している。それは、心と生命力を分けて考えているからじゃないだろうか。心を考える場合、それは生命力とセットで考えるべきなんだよ。つまり、魂の問題としてね。

- おじさんの言いたいことは、大体、分かったわ。ところで・・・。

- うん。

- 猫にも魂って、あるのかしら?

- う~ん。そうだなあ。・・・あると思う。

 

私がそう答えると、花ちゃんは安心したような眼で遠くを見つめた。

 

- あっ! 島が見える!

 

花ちゃんが見ている方角を眼で追うと、確かに、海の向こうに小さな島が見えるのだった。多分、天気のいい日に限って、それを見ることができるのだ。

 

- こんぺい島だよ。カァー、カァー!

 

カラスの黒三郎の声が聞こえた。木の上にいる黒三郎は、どうやら私たちの話を盗み聞きしていたようだ。

 

- そんなところにいないで、言いたいことがあれば下りてきな!

 

花ちゃんが、そう叫んだ。

 

猫と語る(第6話) 「私」の発見

 

秋の訪れを告げるような台風がやってきて、その翌日の空は高く、穏やかだった。私はにゃんこ村へ行き、いつものベンチに座っていた。私が猫たちを個体識別しているように、猫の側も人間を1人ひとり、識別している。猫おじさんである私の姿を見つけると、猫たちはどこからともなく集まってくる。三毛猫母さんが2匹の子猫を引き連れてやってきた。トントン猫のトンちゃんもやってきた。そして、私の手を負傷させたハチもやってきた。私は、ハチに不愉快な感情を抱いていたが、そんなことは大人げないと思い直していた。

 

まず、紙の皿を地面において、カリカリを注ぐ。そして、コンクリートの上に手早く何か所かにカリカリを小分けにして置いた。猫たちは、ムニャムニャと言いながら、おいしそうにそれらを食べた。

 

ところで私の目標は、5キロの減量である。既に2キロまでは、達成した。しかし、足踏み状態が続き、最近は一向に体重の減る兆しが見えない。同じことをしていては、これ以上の成果は見込めない。何か、新しいことを考えなければ・・・。

 

カリカリを食べ終えた猫たちが、1匹、また1匹と何処かへと去っていく。入れ替わりに花ちゃんが現われ、私の足元で一声、ニャーと鳴いた。私は、包装しているビニールを破き、手に持ってカツオの切り身を花ちゃんの口先へと差し出した。花ちゃんは、それをペロペロと舐め始めた。どうやら花ちゃんは、カツオをチュールと勘違いしたようだった。

 

- 花ちゃん、これはペロペロするんじゃなくて、カミカミするんだよ。

 

私はそう言って、カツオの切り身を皿の上に置き、花ちゃんの足元に差し出した。花ちゃんは顔を上下に揺らして、それをおいしそうに食べた。私は、食べ終えた花ちゃんを抱え上げ、ベンチの横に座らせた。

 

- おじさん、それじゃあ話の続きを聞かせて。

- うん。前回までで、生活共同体と利益共同体の話をしたね。生活共同体の核心は、人間の身体にある。体があって、それに食物を与える、衣服を着せる、家に住まわせる。それらの方法や考え方を中心に、共同体が成り立っている訳だ。そこに論理性は存在しにくい。理屈じゃなくて、ただ、延々と続く時間の中で、生活を営む。それが生活共同体であって、そこには必然的に同調圧力が存在する。次に利益共同体だけど、その中心にあるのは労働とその対価としての貨幣だ。そして、利益共同体は序列と分業を基本とした組織によって運営される。会社や役所は、そのような組織によって成り立っている。更に言うと、この2つの共同体を結ぶ働きが、人間社会には存在する。それが、教育なんだ。人間の社会には学校と呼ばれる機関があって、特に未成年者はそこへ通って勉強することが求められる。学校には先生がいて、実に様々なことを教えてもらえるのさ。

- それは素敵なことじゃない?

- それが必ずしもそうではないんだ。人間の子供は、様々な個性を持って生まれてくる。それは社会に適合する場合もあれば、そうでない場合もある。そんな子供たちを1人の例外もなく、社会に適合させて、会社や役所で働けるようにしようとする。それが、現在の教育システムなのさ。社会的な秩序からはずれるような個性は、痛めつけられる。そういう仕組みになっているから、学歴の高い者は、利益共同体の中で尊重されるんだ。それが、学歴主義を生む。俺は、そんなシステムは馬鹿馬鹿しいと思うけどね。正直言って、俺は学校が嫌いだった。

- 人間の世界って、だんだん嫌になってきたわ。

- そうだよね。でも、俺の話はまだ終わっていない。

- ・・・。

- ここまでで、生活共同体、利益共同体、そして教育の話をしてきた訳だけど、俺はそんな所に人間の希望があるとは思わない。でも、それらを心地よいと感じる人が多いのも事実なんだ。1つのタイプとしては、金持ちやエリートを挙げることができる。例えば、金持ちの家に生まれて、十分な教育を受けて学業エリートになる。もしくは、利益共同体の中で出世する。そんな人たちは、このシステムを維持したいと思っているに違いない。一方、貧困な家庭に育ち、エリート教育を受けることもなかった者たちは、忙しく働かなければならないので、社会システムに疑問を持ったりはしない。このような人たちを大衆と呼ぶことにしよう。そうしてみると、金持ちやエリート、そして大多数の大衆が、このようなシステムを支持することになる。特に統計がある訳ではないので大雑把な話しかできないけれど、そのように現在の社会システムを支持する人は、全体の9割程度だろうと思う。でも、残る1割の人は、このシステムの外を構想するんだ。そのことを指して、哲学の世界では「主体」と言う。そして、文学の世界では「私」と言う。例えば「私小説」といったように。

- うん。それは、個人のことなのね。

- そうなんだ。自分が所属している共同体の他にも世界がある。その世界の存在に気づいた人が、「私」という未知なる領域を発見することになる。その新たなる発見に立ち向かっていこうとする人には、必ず、何らかのきっかけがあると思う。それは、共同体の中で生きていくことへの疑問であったり、違和感であったり、挫折だったりする訳だ。しかし、それらとは異なるきっかけに出会う場合もある。

- 何かしら?

- それが、芸術だと俺は思う。芸術の本質は、現実の世界を普通とは異なる方法で、写し取ろうとする行為のことだ。例えば絵画。画家は、常に対象を独自の視点から見ようとしている。そして、その感性がどこからくるかと言えば、それは「私」の中にしかない。つまり、芸術作品を生み出そうとする努力は、自らの心に働き掛ける以外に方法がないことになる。そこで、優れた芸術作品から感銘を受けた人は、芸術家が向き合ったであろう「私」というものに共鳴するんだ。そして、その優れた芸術家と同じように、自分の中にも同じような「私」というものが棲息していることに気づく。

- 芸術っていうのは、そんなに素晴らしいものなの?

- うん。素晴らしいんだよ。そして、芸術作品というのは、必ず、人間がたった1人で取り組む孤独な作業から誕生する。画家は、1人で絵を描く。小説家もそうだ。音楽だって、最初は誰かが、たった1人で作曲するところから始まるって訳さ。

 

私は花ちゃんを膝の上にのせて、彼女の背中を撫でた。

 

- なんだか、今日のおじさんは、今までで1番元気そうに見えるわ。

- それは良かった。もう少し話を続けてもいいかい?

- どうぞ。

- この「私」というものを最初に発見したのは、古代ギリシャの哲学者だった。それから永い年月を経て、人間は近代という時代を迎える。そこで、近代的な自我というものを構想した。ところが、いくつかの事情があって、この構想は挫折したんだ。時代はどんどん複雑化して、混沌としてきた訳だ。そこで、この「私」という問題は新たな段階を迎えることとなった。というのは、共同体から放り出される人が増えたってことなんだ。まず、生活共同体の根幹は、家父長制にあった訳だ。つまり、家族の中で一番偉いのは、最年長の男性だとする制度のことなんだけど、女の側から何で男が偉いのかという疑問が提出された訳だ。そして、職業だって、選択の自由が保障されるべきだという考え方が台頭した。こうして、生活共同体が崩れて、そこから外に出て行く人が増えた。今はコンビニもあるから、必ずしも家族で同じ食事をとる必要すらなくなった。

- コンビニでは、カリカリだって売っているものね。

- そして、利益共同体については、かつての終身雇用制が崩れ、非正規雇用という形態が生まれた。非正規の人は、企業や役所から簡単にクビを切られてしまう。その共同体のインサイダーになることが禁じられる。このようにして、望んだ訳ではないのに、共同体から放り出されてしまった人たち、スポイルされる人たちが急激に増えたって訳さ。

- その人たちは、息苦しい共同体から解放されて幸せじゃないの?

- 共同体から解放されること自体は、確かに幸せかも知れない。しかし、貧困という課題が突き付けられるって訳さ。生活共同体がなければ、頼れる人がいない。利益共同体の内部に潜り込まなければ、お金を稼げない。そこで、家を持たないネットカフェ難民や、ホームレスと呼ばれる人々が急増している。みんなで労働を分担する、お金も分かち合う。そういう社会だったら、こんな問題は起きないのにね。

- 困ったわね。どうすればいいのかしら?

- うん。そこで、共同体を復活させよう、共同体に回帰しようという主張が出てくる。1つには、宗教の台頭を挙げることができる。例えば、いくつかのカルト団体は家父長制の復活を目指している。この問題は後で述べることにして、ここでは社会学という学問について、言っておきたいことがあるんだ。社会学っていうのは、多様性のもとでの共同性を探究する学問だと言われている。俺の理解としては、人間を集団として見て、そこに潜む原則を発見しようとする試みだということになる。しかし、その方法では「私」というものが視野に入ってこない。

- ちょっと、猫の私には難しい・・・。

- ごめん。でも、これだけは言っておきたい。社会学は、芸術を語ることができない。つまり、そうではなくて、俺は、新しい「私」を発見するべきだと言いたいんだ。近代的な自我がダメだとするなら、人類はもっと新しくて、しなやかで、強固な自我の確立を目指すべきだと思う。でも、この話を深めるためには、そろそろ魂について、考える必要がありそうだね。

- 魂って、何?

 

猫と語る(第5話) 利益共同体

 

翌週も、私はにゃんこ村を訪れた。いつものベンチに座って、ピーナッツを食べている。結局、かりんとうはおいしいので、食べ過ぎてしまうのだ。食べ過ぎれば、それは体重の増加につながる。ピーナッツであれば、かりんとう程食べ過ぎることはないし、食物繊維を多分に含んでいるので、健康にも良いという説がある。一度に沢山のピーナッツを口に含むと、結局、食べ過ぎてしまうのだ。そこで私は、自分に1つのルールを課すことにした。一度に食べるのは5粒以内にするということなのだ。5粒のピーナッツをよく噛んで、食べる。そうすれば、食べる総量を抑制することが可能となるはずだ。

 

ポリポリと音を立てながらピーナッツを食べていると、突然、足元に何かが触れたのだった。足元を覗き込むと、そこには花ちゃんがいた。私は、いつものように地面に紙の皿を置き、そこにカリカリを注いだ。今日のカリカリは、マグロ味だった。花ちゃんは、それをおいしそうに食べた。食べ終わると花ちゃんは、ベンチの上に飛び乗り、私の太ももに左手を置いた。肉球の感触が微かに伝わってくる。

 

- それじゃあ、始めようか。

- うん、レッスン2ね。

 

花ちゃんはそう言って、私の顔を見上げた。

 

- 前回は、生活共同体の話をしたけれど、多くの場合、人はそこに留まることができない。そこから人は、利益共同体へと移行しなければならないんだ。利益共同体というのは、人間が労働することによって成立している。会社とか、役所とか、つまり働く場所のことなんだよ。

- 働くって、どういうこと?

- いい質問だ。そう言えば君たち猫は、働かないよね。仕事もなければ、用事もない。会議をしたり、手続をしたり、そういうことはないよね。働くっていうのは、人間が体や頭を使って、何らかの価値を生み出す作業のことなんだよ。生み出された価値は、利益となる。その利益を集団で共有するのが、利益共同体っていうことなんだ。働くということは、人間の1つの特徴になっている。

- 私は働いたことがないから分からないけど、それは楽しいことなの?

- 楽しいと感じる人も少なくはない。しかし、多くの場合、それはとてもシンドイことだと思う。辛いと感じる人の方が、圧倒的に多いんだろうと俺は思うよ。

- そんなにシンドイことなのに、何故、人間は働こうとするの?

- うん。それはね、お金を稼ぐためなんだよ。お金は、何にでも交換することができる。食べ物だって、衣服だって、家だって、みんなお金があれば購入することができる。だから、みんなお金を稼ぐために働くっていう訳さ。

- ふうん。

- そこでね、1つの問題が発生する。人間が一生を暮らしていくために必要な金額は、いくらだろう。仮に1か月を20万円で暮らせるとしよう。20才までは親の世話になるとして、90才まで生きるとすると残りは70年だ。そこにクルマ代や住居費などを加算して考えると、ざっくり言って2億円が必要ということになる。つまり、20才の人間がいたとして、その人が2億円持っていたとしよう。すると、その人は働かないで、一生、遊んで暮らせるっていう訳なんだ。

- なるほどね。その人は、あたし達、猫と同じように気楽に過ごせるということね。

- そうだ。でも、そんな人間は、ほとんどいないんだよ。だから、ほとんどの人は、働くことになるのさ。でもね、ここで思考実験をしてみよう。仮に、全ての人が20才の時点で2億円持っていたとしよう。そうすると、世の中はどうなるだろうか。

- 働く人がいなくなるわね。

- そうなんだよ。元来、人間は怠け者だから、働きたくはない。そして、2億円あれば生きていけるので、働く必要がなくなる。しかし、それでは人間の社会は成り立たない。現在の社会システムを維持するだけでも、多くの人々の労働が必要だ。誰かが食料を生産する。衣服を生産する。家を建築する。物を運ぶ。それらの労働がなければ、人間の社会は1日たりとも成り立たない。

- カリカリやチュールを作る人もいるってことね。

- そうなんだよ。そこで、どのような現象が起こるか。それが問題だと思う。誰も言わないけど、俺ははっきり言おうと思う。つまり、人間の社会は誰かが働かなければ成立しない。そこで、誰かを働かせるために、人間の社会は意図的に貧困状態を作り出しているってことさ。

- 誰がそんなことをしているの?

- それは権力者であり、金持ちがそういう仕組みを意図的に作り出しているのさ。

- それって、酷くない?

- 酷いよ。本当は、みんなで必要な労働を分担すればいいんだよ。金持ちだって、働くようにすればいいのさ。でもね、このシステムは、そう長くは続かないんだよ。貧乏な人は、一生懸命働く。そうだろ? すると新しい発明がなされて、世の中はどんどん良い方向へと向かう。貧乏な人だって、少しずつ裕福になっていく訳だ。そうすると、権力者や金持ちは困る。何しろ、彼らは働きたくない訳だからさ。そこで登場するのが、税金なんだ。貧しい人々が裕福になりそうになると、彼らは税金を取り立てるのさ。そして、税金を取られた人は、働き続けることになる。

- それじゃあ、貧乏な人はいつまでたっても貧乏なままってこと?

- そうなんだ。それが、人間社会のシステムの本質だと思う。でも、それだけじゃない。もう1つ、問題がある。貧乏な人々が一生懸命働くと、供給力が強化される訳だ。道路や橋だって、いくらでも作れるようになる。しかし、道路や橋が無限に必要という訳じゃない。つまり、供給力が強化されると、いつかそれは需要を上回ってしまうんだ。そして、需要が不足すると、仕事が減ってしまう。そこで使われるのが、戦争なんだ。どこかの国が攻めて来るとか、そんな嘘をついて、軍事費を増やそうとするのさ。そして、軍事費を賄うために、更に増税するんだ。北朝鮮がそうだけど、今、日本もそうなろうとしている。本当はそんな戦争、回避することができるのにね。ひと度、戦争が始まれば、若者や貧乏人ばかりが死ぬことになる。街は破壊される。そして、新たな需要が生まれるって訳さ。新たな需要は、またしても金持ちたちの金儲けに一役買う訳さ。

- それが戦争のメカニズムなの?

- うん。そうだと思う。

 

言葉を続けることができなかった。花ちゃんも黙りこくっていた。いつしか、他の猫たちが集まってきていた。私は、駐車場の車輪止めになっているコンクリートの上に、カリカリを置こうとした。しかし、待てない猫たちが、私が持っているカリカリの袋めがけて突進してくるのだ。私は左手で猫たちを牽制しながら、右手でカリカリを置こうとするのだが、次の瞬間、右手の甲に激痛が走った。待ち切れなくなった八割れのハチが、私の手に爪を立てたのだ。本気を出したときの猫の動作はとても素早いのであって、人間である私に、それを避ける術はなかった。激痛と共に、私は、カリカリの袋を放り投げていた。手の甲からは、血が流れていた。カリカリは、地面に散乱した。

 

- この野郎、ハチ! 何をするんだ!

 

私はそう怒鳴って、ハチに対して蹴りつけるふりをした。怯んだハチは、後ずさった。すると、頭上からカラスの声が聞こえた。

 

- カー、カッ、カッ、カッ!

 

花ちゃんが叫ぶ。

 

- カラスの黒三郎め。お前はいつだって高い所にいて、誰かが困ったり失敗したりするのを見て笑っている。お前みたいな奴を冷笑主義者って言うんだよ!

 

花ちゃんが見ている先を眼で追うと、確かにそこには一羽のカラスが梢にとまっているのだった。

 

カラスの黒三郎は冷笑主義者だった

- アー、アー、アー!

 

カラスの黒三郎は、ひときわ大きな声でそう鳴いた。すると、山の方から無数のカラスが押し寄せて来るのだった。その数に圧倒された私は、思わず花ちゃんを抱きかかえ、コンビニの方へ向かって10メートル程、退避した。すると、百羽だか二百羽だかのカラスが一斉に地面へと降りてきて、カリカリをついばみ始めるのだった。

 

- まさか・・・。あいつら、カリカリも食べるのか。

- そうね。彼らは雑食だから。

 

私の腕の中で花ちゃんは、冷静にそう答えた。交錯する無数の黒い羽の向こう側に、一瞬だけ、ハチの背中が見えた

 

猫と語る(第4話) 生活共同体

 

数日後、私は再びにゃんこ村を訪れ、いつものベンチに腰かけていた。手にはかりんとうの袋を持っている。サクサクとした歯触りを楽しみ、その後にやってくる黒蜜の甘さを堪能しているのである。このかりんとうは、特蜜2度がけ製法によって作られた特別なものなのである。もう止めようと思いつつ、つい手が伸びてしまう。

 

実は、私のダイエット経験は長い。お腹をへこませようと思って、かつて自転車に凝ったことがある。10台近く乗り継いだ。ロードバイクに乗って、1日に136キロ走破したこともある。最近は便利なデジタルメーターがあって、自転車でもスピードや走行距離を計測することができるのだ。136キロも走ると、痛烈な空腹感に襲われる。そして私は、とんかつ屋へと駆け込み、自分もお店の人も驚くほど、とんかつをむさぼり食べたのだった。結果として、私のお腹は一向にへこまない。そのときの経験から、私は、運動をしてもダイエットはできないという教訓を学んだのである。

 

結局、かりんとうの袋も空になってしまった。私は立ち上がって、食べこぼしたかりんとうを衣服から払った。何となく気になったので、地面に落ちたかりんとうを眺めた。すると、小さな破片を2匹の蟻(アリ)がせっせと運んでいるではないか。彼らは協力しながら、一つの方向へかりんとうの破片を運ぼうとしている。その先には、きっと彼らの巣があるのだろう。

 

私は立ち上がって、辺りを見渡した。この広いサッカー場ほどもある場所で、私がここに来て、かりんとうを食べこぼすなどということを蟻たちが知るはずはない。すると、彼らはこの場所のいたるところにいて、何か食べ物、甘い物が落ちていないか、くまなく探しているということなのだろうか。私は、蟻たちの営みに圧倒される思いだった。

 

駐車場の南の端に、桜の老木が立っている。その方向から、一匹の猫が私の方に向かって、トコトコとやってくるのが見えた。手を振ると、その猫はニャーと声をあげた。花ちゃんだった。

 

- お腹すいているかい?

- ええ、とっても。

 

私は紙の皿を地面に置き、その上にカリカリをたっぷりと注いだ。花ちゃんは、一心不乱にそれをむさぼった。食べ終わった花ちゃんは、ベンチに飛び乗り、私の右隣に座った。私は花ちゃんの頭を軽く撫でてから、言った。

 

- それじゃあ、始めようか。人間の世界についての話。今日は1回目だから、レッスン1というところだね。

- ええ、お願い。このレッスンは、何回くらい続くの?

- さて、それは俺にも分からないけど、4~5回かな。

 

花ちゃんは頷いて、私の顔を見上げた。

 

- まず、人間が生まれると、その子は生活共同体に属することになる。生活共同体というのは、生活を共にする人間集団のことで、その最小単位は家族ということになる。多くの場合、家族は同じ家に住んでいる。親がいて、子供がいる。それが家族だ。家の中にいれば、雨や風を凌ぐことができるし、冬は暖かく、夏は涼しい。昼間は働いている人間も、夜には大体、家に帰る。そして、家族は家の中で夕食を共にする場合が多い。

- 人間の住む家というのは、そういうものだったのね。あたしたち野良猫には家がないから、とても羨ましいわ。

- うん。雨の日や風の日は、家って本当にありがたいなと思うよ。確かに家は、人間にとって必要なものだと思う。でも、家族にはいろんな問題があるんだよ。

- あら、そうなの?

- うん。子供が小さい頃はいい。その時点での親子関係は単純だ。親は子供を100%支配する。そして、子供は親に100%依存する訳だ。赤ん坊や小さな子供は、生きていく上で必要最小限の知識さえ持っていないから、それは当然のことだ。しかし、子供は急速に成長する。すぐに食べていいものとそうでないものとを識別できるようになるし、体だって大きくなる。そこで、親子関係に変化が生まれる。親の方は相変わらず100%子供を支配しようとするけど、子供の方は親への依存度を減らしていくわけだ。そこで、「敵対性の否認」という問題が発生するんだよ。

- 何それ? あんまり難しい話はやめてよ。何しろ、あたしは猫なんだからさ。猫でも分かるように説明して!

- 分かった、大丈夫だよ。やさしく説明するから。まず、敵対性というのは、利害関係が一致しないことなんだよ。例えば、親は子供に家業を継がせたいと思う。子供は家業ではなく、別の仕事に就きたいと思う。こうした場合、親子の間で利害関係は対立していることになるよね。この利害関係の対立のことを敵対性という訳だ。次に、否認ということだけれど、これはある事柄が実際には存在しているのに、それを認めようとしないことなんだ。つまり、敵対性の否認というのは、実際には利害関係が対立しているのに、その対立を認めようとしないという意味なんだ。よく「お母さんはあなたのためを思って言っているのよ」という発言があるけど、これは典型的な敵対性の否認ということになる。

- なるほど。それは分かったけれど、そんなことばっかり言うと女性から嫌われるわよ。

- 忠告、ありがとう。でも、この話はね、政治学者の白井聡さんの説なんだよ。文句がある人は、白井さんに言って欲しい。

- あら、随分と逃げ腰なのね。それで、敵対性の否認を回避するためには、どうすればいいの?

- それはね、子供が成長するように、親も成長すればいいんだ。それができない、つまり親が成長できない事例において、問題が発生すると思う。これは俺自身の考え方だけれどね。子供は成長するにつれ、親への依存を低めていく。それと同じように、親は子供への支配を低めていく必要がある。やがて子供は大人になる。その時点では、支配や依存という関係は解消されていなければならない。誰かを支配しようと思ってはいけない。誰かに依存しようと思ってもいけない。誰かのために生きようと思ってはいけない。自分のために生きなければいけないんだ。

- ふうん。人間の世界も、結構、大変なのね。

- 猫の場合は、子供がある程度大きくなると、母猫が子猫を突き放すよね。それって、人間の場合よりも自然の摂理にかなっていると思うよ。

- そうかもね。でも、成長するっていうのは、どういうこと?

- それはね、同じ場所に留まらないってことだと思う。A地点からB地点へ移動する。同じ考え方ばかりしていては、人間は成長しない。過去の自分を否定しなければ、成長はできない。例えば、毎日、カンナを使って柱を削っている大工さんがいたとしよう。昨日と同じように削ろうと思っていては、その大工さんは成長しない。昨日のやり方よりも、きっともっといいやり方があるに違いない。そう思って、新しい技術を目指している大工さんであれば、成長できるってことなんだ。

- 分かったわ。でも、少し疲れた。

- そうだね、レッスン1はここまでにしておこう。

 

私はそう言って、花ちゃんの背中を撫でた。

 

猫と語る(第3話) にゃんこ村の不思議

 

- 花ちゃんは、人間の言葉を話すことができるんだね! せっかくだから、あそこのベンチに座って、少し話さないか?

 

花ちゃんはうなずくと、ベンチに向かって歩きだした。私が先にベンチに腰を下ろすと、花ちゃんはベンチに飛び乗り、私の右隣りに座った。

 

- そうね。あたしたちには、話さなければいけないことが、沢山あるみたい。まず、にゃんこ村のこと。

- にゃんこ村?

- そう。ここら辺は、にゃんこ村という場所なの。それは、動物の世界と人間の世界が交錯する場所なのよ。だからあたしたちは、こうして話すことができているの。でも、実はあたしも驚いたのよ。

- ・・・と言うと?

- あたしは今まで、何人もの人間に話しかけてきたわ。でも、あたしの言葉を理解してくれたのは、おじさんが初めて。

 

少しの間、花ちゃんは黙った。私は彼女の背中を撫でた。花ちゃんは、気持ちよさそうに眼を細めた。

 

- もしかすると、おじさんの前世は、猫だったのかも知れないわね。

- えっ、俺の前世が・・・。

- そう。だって、見るところおじさんは猫背でしょ。それが証拠。

- ちょっと待ってくれよ、花ちゃん。確かに俺は、若い頃から姿勢が悪い。でも俺は、前世だとかそういうことは、信じないたちなんだよ。

 

花ちゃんは、私の膝に手を置くと、爪を伸ばして引っ掻いた。

 

- おじさん。1つだけ守ってもらいたいルールがあるの。ここ、にゃんこ村ではあらゆる先入観や固定観念は捨てること。思い込みがいかに馬鹿馬鹿しいか、おじさんはそのことを知ってるんじゃないの? 第一、猫であるあたしと人間のおじさんが、現にこうして会話をしている。そのこと自体、説明がつかないでしょ。でも、そんなことって、実は沢山あるのよ。おじさん、だから心を開いて。

 

私は、返す言葉が見つからなかった。花ちゃんの言う通りだと思った。世界は広く、神秘に充ちている。人間はまだ、ほんの少ししか知らないのだ。

 

- 分かったよ、花ちゃん。できるだけ、努力してみる。約束するよ。

 

花ちゃんは、私の膝から手を離して、言った。

 

- 分かってくれて嬉しいわ。ところで、おじさん。チュール持ってない。

 

私は、急いでムーミンの刺繍がほどこされた黒のショルダーバッグを開いた。そこには猫グッズが詰まっている。通常、このバッグにはカリカリ、チュール、紙の皿、ゴミ袋、そしてセロハンテープを入れている。花ちゃんがスリスリをしてくれるのは嬉しいのだが、すると私のジーンズに花ちゃんの体毛がべったりと付着してしまうのだ。黒のジーンズをはいているときには、特に目立ってしまう。帰宅後にそれを掃除機で除去しようとしたこともあったが、なかなか取れない。そこで私は、セロハンテープをぺったんぺったんとやって、花ちゃんの体毛を除去する方法を考案したのである。

 

私が差し出したチュールを花ちゃんは、舌を素早く動かして、舐め取っていく。花ちゃんの舌の動きに合わせてチュールを絞り出していくと、チュールはあっという間になくなってしまう。丁寧に絞っていくと、最後に花ちゃんの舌が私の指先に触れるのだった。ザラッとした感触があった。

 

- おいしかったかい?

- ええ、とっても。実は、おじさん・・・。おじさんにお願いがあるの。

- 何? 何でも言ってごらん。

- あたし、人間の世界がどうなっているのか知りたいのよ。人間が住んでいる世界がどうなっているのか、あたしに教えて欲しいの。

 

人間の世界。私は一瞬、返事をためらった。簡単なようで、それをどう説明すればよいのか、思いあぐねたのである。でも私は、それを説明する漠然としたイメージを持っていた。

 

- 分かった。いいよ。説明してあげる。でも、それは簡単なことじゃないし、少し時間のかかることなんだ。それでもいいかい?

- いいわ、ありがとう。

- でも、花ちゃん。どうしてそんなことを知りたいの?

- 実はね。あたしの来世のことなんだけれど。あたしは、人間に生まれ変わるための秘密の呪文を知っているのよ。死ぬ前にその呪文を唱えれば、あたしは来世において、人間に生まれ変わることができる。もう一度、猫として生きるか、来世は人間として生きるか、迷っているのよ。

- へえ、そうだったんだ。でも、どうして人間になんか興味を持ったんだい?

- だって、人間はチュールを持っているでしょ。カリカリだって。それを猫は持っていない。人間から与えてもらうだけ。だから、あたしは人間の世界を知りたいの。

- 分かったよ、花ちゃん。少し考えて、今度会ったときから、少しずつ説明させてもらうよ。

 

そう言って、私は花ちゃんに別れを告げた。立ち去ろうとする私を、花ちゃんはいつまでも見送っていた。

 

立ち去る私を見送る花ちゃん