文化人類学のレヴィ・ブリュル(1857-1939)は、自分と対象、主観と客観とが論理を超えて一体化していると感じる心の動きのことを融即律(「神秘的関与」とも)と呼んだ。当初ブリュルはこれを古代人の心理機能であると説明していたが、後年、これは現代人にも認められるものだと訂正している。
これを私なりに解釈したい。融即律とはすなわち「私」と「あなた」が心理的に一体化するという認識方法のことだと思う。そんな馬鹿な、と思われるかも知れないが、母親と赤ん坊の関係はどうだろう。赤ん坊が泣くと、母親はまるで自分に何か不都合なことが発生したかのごとく、瞬時にして赤ん坊の心理を察する。つまり、「私」である母親の心理は、「あなた」である赤ん坊の心理と一体化していると言えよう。
実は、こんな話は世の中にゴロゴロと存在しているのであって、恋人同士、家族同士などの間柄では、日常的に見られる傾向なのである。往々にしてそれが行き過ぎ、パターナリズムや過干渉、依存の問題などを引き起こす。
この融即律こそが、エロスを支える基本原理ではないか。そしてまた、この原理が武士道を支えているのだと思う。
葉隠の本質は、武士である「私」と、君主である「あなた」の心理を一体化することにある。だから、君主に何か事が起これば「その時が只今、只今がその時」と言って、武士は何の迷いもなく直ちに死に狂いせよ、という論理的帰結を生む。それは、「私」である三島由紀夫が、「あなた」である天皇に身を捧げ、「天皇陛下万歳」と三唱して自決したことの、原理的なモデルとなったに違いない。
このように考えると、三島の立ち位置が圧倒的にエロスの側にあったことが分かる。私はかねてより、三島はロゴス(論理性)に立脚していたと考えてきたが、そうではないのだ。三島の論文のような文章には、難解な言葉が頻繁に登場するし、AはBであるというテーゼが繰り返し述べられている。例えば、美しいもの(A)は、滅びるもの(B)である、といった具合に。しかし、何故そうなのか、という説明が欠落している。この何故そうなのかという説明を行うのが論理的思考であり、三島の文章にはそれがない。三島はエロスについて語りたかったのだろう。しかし、三島はエロスについて語るロジックを持っていなかったと言わざるを得ない。
また、君主たちが男で、武士も男だった訳だ。昭和の天皇も男なら、三島も男である。そこに、三島が同性愛を無視できなかった理由があったのだと思う。

では、三島と全共闘と呼ばれる学生たちとの関係について考えてみよう。この点、東大全共闘との討論ばかりが注目されているが、その論議は空転しており、むしろ他の大学で行われたティーチインで「文化防衛論」に収録されているものに気を配るべきだと思う。学生たちは純粋で、日本社会の行く末を案じていた。つまり、学生たちもエロスの側に立っており、この点は三島と共通していたのだ。明らかに三島は、学生たちの純粋さに共感を覚えていたのである。但し、学生たちの多くは、然したるロジックやビジョンを持つことなく、当時流行していた共産主義に活路を求めていたのだと思う。共産主義とは、欧州の近代的知性が作り上げたものであり、三島は文化を尊重する立場だった。そこで、立ち位置は同じでも、目指す方向が正反対である学生たちに対し、三島は「君たちが天皇とさえ言ってくれれば、私は君たちと共闘する」と述べたのである。
三島が異議を述べたかった相手、敵とは、自発的に米国に隷従している官僚であり、知性の側に立つ知識人であり、ぬるま湯的な社会の中で安穏と暮らしている男たちだったのだ。
また、三島は天皇や天皇制に希望を見ていたかと言うと、全くそんなことはなく、人間宣言をした天皇に対し、失望していたのである。その経緯は「英霊の声」に書かれている。
そうしてみると、三島には絶望しかなかったのだと思える。英雄的な死だとか、美学の完遂だということが良く言われるが、私は、三島の死は絶望が招いた死だと思う。
最後に、三島とソクラテスの関係について述べない訳にはいかない。ソクラテスは、紀元前399年、アテナイの法廷で弁明を行った。但し、その内容は命乞いをする一般的な弁明とは異なり、金や名誉のことばかり気にかけ、魂のことにはまるで配慮しないアテナイ市民に対する全面的な批判だったのである。当然、法廷は騒然となり、怒号が飛び交ったのだ。三島は、その場面を1970年の自衛隊市谷駐屯地において、再現してみせたのである。怒号が飛び交い、加えて報道のヘリまで飛び交い、三島の肉声はかき消された。これを三島の失敗とみなす向きもあるようだが、そんなことはない。全ては三島の計算通りだったのだ。
三島とソクラテスの共通点を考えると、それは「知行合一」という点にある。ソクラテスは、自分の信条を全く曲げることなく、言動でそれを証明したのである。この「知行合一」は、三島が敬愛していた王陽明の陽明学の主張と重なる。結局、三島もソクラテスと同様、日本中を敵に回し、信念を貫いたと言える。
また、ソクラテスが行った法廷での演説については、パレーシア(真実の言明)として、晩年のフーコーも高く評価している。この点は、三島の演説も同様の評価を受けるべきだと思う。
但し、その思想を概観するに、三島とソクラテスとは、正反対だったのだ。ソクラテスは、文化(デルポイの神託)から出発し、ロゴス(論理的思考)を経由し、最終的には知性にも文化にも影響を受けない100%オリジナルな「無知の知」に至ったのである。これは、ユングが自己(Self)と呼び、フーコーが主体性と呼んだものである。そこが、ソクラテスの最終的な到達地点だった。一方、三島はエロスから出発して文化を目指した。但し三島は、文化が生み出す様式の中に美を見ていたのであり、主体性やオリジナリティというものを全面的に否定していたのである。しかし、文化の中にゴールはなく、思想を貫徹しはしたものの、絶望の中で自ら命を絶たざるを得なかったのではないか。
三島・・・エロス → 文化
ソクラテス・・・文化 → ロゴス → 自己
私は、三島の人格や生き方を批判したいとは思わない。三島が自らの思想に命を掛けたことは明らかであり、それは当時の官僚、知識人、安穏と暮らす男たちよりも、はるかにりっぱなものだったと思う。しかし人間としては、70才位までは生きて、人格の統合を目指すべきだったのではないか。
私は、人間の生き方として、最終的なゴールは自己、主体性にあるべきだと思う。


