川端康成が「古都」を執筆したのは1961年10月8日から、翌年の1月23日までの約3か月半の期間であり、原稿は朝日新聞に連載された。川端は1961年11月3日に文化勲章を受章したこともあり、多忙を極めていた。また、睡眠薬を多用していたため、川端自身の弁によると「眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた」のである。その後、作品が単行本化される時点で、川端は原稿に相当手を入れたとのこと。いずれにせよ、「古都」ほど川端の深層心理が反映された作品を私は他に知らない。
「古都」は、春に始まり冬に終わる。その間の京都における四季の移ろいや伝統行事が念入りに描写されている。それらの描写に一貫して流れている思想は、文化や伝統というものが、その時々において、生きていなければならない、ということである。それらは決して博物館の中に閉じ込めておくべきものではなく、人々の暮らしや息遣いと共に伝承されることが大切だと、川端は繰り返し述べている。近代西洋が目指した確固たる自我ではなく、自然や文化、伝統の中で育まれる人格というものを川端は重視していた。
子弟関係にあった川端と三島は、日本の文化、伝統を尊重し、その底に流れる美を目指すという点では、共通していた。川端はその初期作品である「伊豆の踊子」から、早くも人格の成熟、統合を目指していた。反面、三島はあらゆる対立関係を強調し、その卓越した才能を武器に、対立関係の中からエネルギーを抽出した。そして、それらの対立関係、分裂した自己は、半ば強引で、人為的な死の瞬間に統合されたのである。この点、2人は正反対の資質を持っていたと言える。エロスの川端とロゴスの三島。無意識の川端と意識の三島、とも言える。
私は、昨今、ユングの心理学を学び直す中で、ユングの理論なり思想と川端作品、とりわけ「古都」との親和性が高いことに気づいた。そこで、本原稿にそのことを書いてみたいと思ったのである。もちろん、「古都」を読んだことがない、若しくは過去に読んだことがあってもその内容までは覚えていない、という方々もおられると思い、あらすじのようなものを記載し、その後ろに私のコメントを記載する、という言わばサンドイッチ方式を採用することにした。あらすじの部分は、過去にこのブログに掲載したものをベースに、今回、手を加えたものである。なお、このようなスタイルの関係上、本稿は長くなってしまった。スマホでご覧いただいている皆様には、予め、お詫び申し上げる。では・・・。
シーン1/春の花: もみじの大木の幹の中腹に上下に別れた小さなくぼみがあり、それぞれにすみれが咲いている。千重子は「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら」と思ってみたりする。
千重子は、水木真一に誘われて平安神宮へ桜を見に出かける。2人はそこから清水寺へ回る。千重子は真一に「あたしは捨子どしたんえ」と言う。千重子が中学生の頃、父母は千重子に千重子をさらって来たのだと告げた。但し、さらった場所については父と母とで説明が異なった。父は鴨の川原だと言い、母は夜桜の祇園だと言った。捨子では千重子が可哀想なので、あえて父母が嘘をついているのだと千重子は思う。
真一が千重子に尋ねる。「千重子さんは親に絶対服従か」。「はあ、絶対服従どす」。「結婚のようなことも?」「はあ、今はそのつもりどす」。千重子はためらいもなく、そう答えた。
コメント: 千重子は、川端にとっての理想的な、永遠の聖少女、アニマである。川端の実生活に照らせば、そのモデルは養女の政子である。親に絶対服従だと述べるのは、千重子の人格が成長過程にあることを暗示する。
シーン2/尼寺と格子: 千重子の父、佐田太吉郎は、50代後半で京呉服問屋の社長だったが、取引は番頭に任せていた。太吉郎は、嵯峨の奥の尼寺に隠遁していた。着物の下絵を描くのが趣味か道楽のようなものだった。千重子が森嘉の湯豆腐を持って、太吉郎を訪ねる。
帰宅すると母のしげは千重子に、家業を継がず、嫁に出ても良いと言う。家業は不振だった。母のしげは「お父さんと二人で、可愛い赤んぼの千重子をさらって逃げた」と言う。千重子は「お母さん、千重子は捨子やったんどっしゃろ」と尋ねるが、母は否定する。捨子だったのか、さらわれた子だったのか、千重子には疑問が残る。
「嵯峨の尼寺に、千重子がお父さんにあげた、絵の本はあったか。」としげが聞く。それは、パウル・クレエとかマチスの画集だった。
コメント: 佐田太吉郎は、川端にとって劣等なるが故に認めたくはない人格、すなわち影(Shadow)である。伊豆の踊子の主人公は、孤児根性に悩んでいた。このように川端作品に登場する語り手、主人公的な役割を担う男性は、川端が嫌悪している自分の像なのだ。ちなみに、ユングの主張した「個性化」というプロセスは、自ら影を認めるところから始まる。川端は多くの作品で、趣味や道楽として芸術に向き合っている人物を登場させる。これは自身に対する皮肉でもある。
シーン3/きものの町: 佐田太吉郎は、機織りを営んでいる大友宗助を訪ねる。太吉郎は風呂敷を広げ、帯の下絵を見せる。娘の千重子のために描いたものだった。それは千重子がくれたクレエの画集をヒントにしたものだった。太吉郎はその下絵を元に帯の制作を宗助に依頼する。宗助は長男の秀男に織らせると言う。秀男を呼んで太吉郎の下絵を見せるが、秀男の反応はかんばしくない。腹を立てた太吉郎は、秀男の頬を殴る。殴られた方の秀男が太吉郎に謝罪するが、太吉郎の作成した下絵に対し「ぱあっとして、おもしろいけど、あったかい心の調和がない。なんかしらん、荒れて病的や」と感想を述べる。帰り道、太吉郎は帯の下絵を丸めて、小川に捨てる。
後日、太吉郎は妻のしげと娘の千重子を花見に誘った。出先で偶然、大友宗助と息子の秀男に出会う。短い花の命に例えて、秀男が太吉郎に言う。「わたしかて、孫子の代までしめやはる、帯を織らしてもろてるとは、思わしまへんね。今では・・・。一年でも、しゃんとしめ心地のええように、織らしてもろてるのどす。」その後、秀男はしきりに千重子に話しかける。大友親子と別れた後、太吉郎は千重子に秀男と何の話をしていたのか尋ねる。千重子は「あたしは聞いてただけどす。なんで、あない、しゃべってくれはりましたんやろ。あたしなんかに、勢いづいて・・・」と言う。秀男は千重子に好意を持っているらしいのだった。
コメント: このシーンに登場する秀男のモデルは、三島由紀夫だと思う。とするとこの場面は、川端の影である太吉郎が、三島の分身を殴ったことになる。当時の年齢は、川端が62才、三島が36才。老いを感じ始めていた川端にとって、自分とは正反対のロゴス的な才能に溢れていた若き三島は、脅威だったのだと思う。それが、殴った理由だろう。秀男が述べる「一年でも、しゃんとしめ心地のええように、織らしてもろてるのどす。」という発言は、川端の思想であり、それは三島が受け継いだ思想でもある。これは後年の三島の著作「文化防衛論」にも継承されている。なお、秀男のモデルが自分であるということを、当時の三島は当然、読み取っていたに違いない。
シーン4/北山杉: 千重子は友人の真砂子と連れ立って、北山杉を見に出かける。(北山杉とは室町時代から作り始められた高級建材で、茶室などの建築に用いられる。)2人は杉山から降りて来る女たちとすれ違った。彼女たちは皆、山の働き着を纏っていた。真砂子はその中の1人を見つけ「千重子さんにそっくりやないの?」と言う。
実は、千重子は店の門口に捨てられていたのだった。20年程前のことである。生まれたばかりの赤子だった。戸籍上は、太吉郎夫婦の嫡女として届けられた。
秀男が帯を持ってやって来る。太吉郎が尼寺で描いた下絵に基づくものだった。下絵は捨てたのに、秀男は何故、帯を織ることができたのか。秀男は「あれだけ拝見させてもろたら、まあ、頭にはいっとります」と言う。また、一度は批判した下絵に基づき、何故、秀男が帯を織ったのか、太吉郎は不審に思う。「心の調和がない、荒れて病的や―言うたんは、秀男さん、あんたやないか」と言う。秀男はあの時のことを「つかれて、頭がいらいらしとりましたんどす」と答える。「植物園で、お嬢さんに会うてから、また考えました」とも言う。太吉郎は千重子を呼んで、帯を見るように言う。「あ。お父さん、クレエの画集から、お考えやしたんやな。」と千重子が言う。千重子はその帯を気に入ったのだった。秀男に促されて、千重子は立って帯を巻いてみた。たちまち、千重子はあざやかに浮き立った。太吉郎も顔をゆるめた。
コメント: 太吉郎が帯の下絵を描いたのは、趣味か道楽のようなもので、太吉郎に才能があった訳でもない。他方、秀男は若く腕の立つ職人として描かれている。また、秀男はその直観として、太吉郎の下絵を批判したのだった。すると、帯の出来は悪いはずだと思うのだが、「千重子はあざやかに浮き立った」と言うのだから、帯の出来は素晴らしかったのである。このように、ロジックで読み解こうとすると肩透かしを食らう場面が、川端作品には少なくない。強いて言えば、太吉郎の下絵にクレエの才能が転移していたと考えられないこともない。
シーン5/祇園祭: 祇園祭りがあり、千重子は1人で出かける。御旅所(おたびしょ)という所があって、ここは八坂神社の神様が仮に滞在すると言われる所である。千重子はそこで七度まいりをしている苗子を見つける。七度まいりとは、御旅所の神前に近づいたり離れたりを7度繰り返す願掛けのことだ。七度まいりが終わったのを見計らって、千重子が苗子に声を掛ける。「なに、お祈りやしたの?」娘は「姉の行方を知りとうて・・・。あんた姉さんや。神さまのお引き合わせどす」と言って、涙を流す。娘は「ふた子やいうことどすさかい、姉か妹か、わからしまへんのやけど・・・」とも言う。娘の両親は、早くに他界したとのこと。千重子は動揺した。娘の名は苗子といった。ふた子とはいえ、身分ちがいになっていると、苗子は見てとった。(千重子の家の商売は不振に陥ってはいたものの、老舗の呉服問屋である。)苗子は「お話は山ほどおすけど、いつか、村へ来とくれやす。杉林のなかやったら、だれにも見つからしまへんさかい」と言って、立ち去る。20年も前のことで、親はふた子が、恥ずかしいばかりでなく、ふた子は育ちにくいとも言われていたし、また、暮らしも考えて、千重子を捨てたのかも知れなかった。
千重子と苗子の別れ際、秀男が登場し苗子に話し掛ける。秀男は明らかに苗子を千重子と勘違いしている。この場面で、秀男は次のように描写されている。「男はいくらか頭の鉢が大きく、肩が張り、目がすわっているが、決して悪い人とは、苗子には見えなかった。」
コメント: 作品も中ほどになって、千重子と生き別れたふた子の片割れ、苗子が登場する。苗子は、川端が到達した自己(Self)の心象である。62才にもなった男性である川端の、言わば分身が、二十歳の女性として表われる。普通には考えづらいが、ここにこそ円熟の境地に達した老作家の深層心理の真骨頂がある。苗子は幼い頃に両親を亡くし、身寄りもない。この点、川端の身の上に酷似している。そして、永遠の聖少女である千重子を強く愛している点も共通している。
なお、秀男に関する描写「男はいくらか頭の鉢が大きく、肩が張り、目がすわっている」というのは、三島の特徴を言い得ている。
シーン6/秋の色: 太吉郎は電車で中年の女に出会う。女は上七軒(京都の花街)のお茶屋(芸妓を呼んで客に飲食をさせる店)のおかみだった。女は、「ちいちゃん」と呼ばれる十四五の少女を連れていた。太吉郎は少女に「あんた、いくつや」と尋ねる。少女は「中学の一年どす」と答える。太吉郎はおかみと共に北野神社へ行く。そこで「ちいちゃん」とは別れる。太吉郎はおかみの運営するお茶屋へ行く。若い芸者が1人、やって来る。芸者は出て三日目に嫌な客からキスをされ、客の舌をかんだことがあると言った。客は出血した。
千重子は秀男に、苗子の帯を織り、それを直接苗子に届けるよう依頼し、秀男はこれを承諾する。
千重子はバスに乗って、苗子の住む北山町へ向かう。苗子は千重子を杉林へ誘い、二人並んで腰かける。夕立がやって来る。雷鳴が轟く。苗子は「千重子さん、膝を折って、小そうおなりやす」と言い、千重子の上に覆い被さった。千重子は「あたしをかばって、あんた、ずぶぬれやないの」と言う。千重子は苗子のからだの温もりを感じる。
帰宅後、千重子は苗子との一件を母のしげに話す。
コメント: 中学1年生の「ちいちゃん」は、踊子の薫の再現であり、同じ少女が「眠れる美女」にも登場する。大人になる前の少女であり、童子元型の1つだと言えよう。
どしゃぶりの中、自らの身体を使って千重子を守ろうとする苗子の姿は、むしろ男性的である。
シーン7/松のみどり: 太吉郎は妻のしげと千重子を伴って、売家を見に行く。しげは太吉郎が商売を止めて引退するのかといぶかる。しかし、その物件の近くには料理旅館があり、太吉郎は購入意欲を失う。千重子の提案で、3人は服地を扱っている「竜村」へ寄る。そこで千重子は真一の兄である竜助に会う。竜助は千重子に「お店の番頭さん―会社やから、専務か常務かしらんけど、いっぺんね、千重子さんから、きつうあたっておみやす」と言う。竜助は、太吉郎の会社で経理の不正が行われているのではないかと疑っていたのである。翌日、千重子は会計を預かっている植村に自分用の着物1着を至急、織りあげるように命じる。(これは、苗子用のものである。)そして千重子は植村に帳簿も見せてくれと言ってみる。
秀男は千重子から頼まれた帯を織りあげ、それをもって北山町へ苗子を訪ねる。苗子は菩提の砂を用いて、杉丸太を手でていねいに洗っていた。苗子の元には千重子から着物や草履が送られていた。苗子は秀男を川原に誘う。そこで、出来上がった帯を見るのだった。秀男は苗子に千重子から送ってもらった着物にこの帯を締めて、時代祭に来てくれるよう頼む。秀男は苗子に惹かれてゆくのだった。
秀男と苗子は約束通り、時代祭で再会を果たした。
コメント: 千重子は、不正経理の疑いのある番頭の植村に帳簿を見せてくれと言う。この場面には、千重子の成長が表われている。竜助のモデルは、後に川端の養女、政子と結婚した川端香男里氏であろう。
シーン8/秋深い姉妹: 竜助と真一が、千重子を訪ねて店へやって来る。竜助は番頭の植村に対し、それとなく釘を刺す。
秋の北野おどりがあって、太吉郎は茶屋から入場券を受け取る。太吉郎はそれを見に、1人で出かける。その後、この前の茶屋へ立ち寄る。太吉郎は、客の舌をかんだという芸妓を呼ぶ。「今でも、かむか」と尋ねる。芸妓は「よう、おぼえといやすな。かましまへんさかい、出しとおみやす」と言う。太吉郎が舌を出すと、芸妓がそれを吸った。太吉郎は芸妓の背を、軽くたたいて「あんた、堕落したな」と言う。
苗子から千重子に電話が入る。苗子は「千重子さんにお会いして、お聞きしてもらいたいことが、じつは、できたんどす」と言う。千重子は、翌日、苗子に会うため、北山杉の村へ行くことを約束する。
コメント: 太吉郎の舌を吸ったという芸妓は、第1段階のアニマ(娼婦型)である。
シーン9/冬の花: 苗子に会いに出かける前、千重子は父の太吉郎に挨拶する。太吉郎は千重子に「その子にな、なにか、苦しいこと、困ったことが、できたんやったら、うちへつれといで・・・。引き取るわ」と言う。
千重子は北山杉の村で苗子に会う。苗子は「じつは、秀男さんが、結婚してほしい、お言いやして、それで・・・」と言う。また苗子は「秀男さんの胸の底の底には、深う、千重子さんがはいっとんのやすやろ。(中略)秀男さんはあたしに、千重子さんの幻を見といやすのどっしゃろ」と言う。2人の間でしばらく押し問答が続く。苗子が言う。「幻は、男のひとの心にあるか胸にあるか、もっと、ほかにも、あらわれるかわからしまへんやろ。」「・・・。」「苗子が六十のおばあさんになったかて、幻の千重子さんは、やっぱり、今のお若さやおへんか。」そして、千重子が言う。「うちの店へ、一度、おいでやす。(中略)せめて、一夜だけでも、苗子さんと、いっしょに、寝てみとおす」。
太吉郎が承諾した上で、太吉郎の店へ竜助がやって来た。竜助は番頭や店員を集め、品調べを行ったが、その日は何も言わずに帰って行った。その晩、千重子の家の格子戸を叩く者があった。苗子だった。苗子は千重子の両親に挨拶をした後、奥二階にある千重子の部屋へ行き、おしゃべりをする。ふとんを敷くと苗子の床へ千重子が潜り込む。「ああ、苗子さん、あたたかい」と千重子が言う。苗子は、千重子を抱きすくめる。
翌朝、早くに苗子は起きて、千重子を揺り起こして言う。「お嬢さん、これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。人に見られんうちに、帰らしてもらいます」。千重子は起き上がって「苗子さん、雨具おへんやろ。待って」と言い、自分のいちばんいい、びろうどのコオトと、折りたたみ傘と、高下駄とを苗子にそろえた。「これは、あたしがあげるの。また、来とくれやすな」と千重子は言ったが、苗子は首を振った。粉雪がちらついていた。千重子は格子戸につかまって、苗子を見送った。苗子は振りかえらなかった。町はさすがに、まだ、寝しずまっていた。
コメント: このシーンにおける苗子の発言を読んで、私は、苗子が川端の自己(Self)が乗り移った元型だと思ったのである。幻は、男のひとの心にあるか胸にあるか。苗子が六十のおばあさんになったかて、幻の千重子さんは、やっぱり、今のお若さやおへんか。そんなことを二十歳の女性が思いつくはずがない。ここで苗子の言う幻こそ、川端の心の中で生き続けたアニマ元型に他ならない。それは若き日の伊藤初代であり、二十歳の頃の政子であるに違いない。冷えた布団の中で千重子と抱き合う苗子。それは川端が切望し続けた一瞬であり、千重子と苗子という2人の女性が統合を果たすその瞬間でもある。思えば、千重子と苗子はふた子でありながら、分裂と統合を繰り返した。生まれた時は1つでありながら、千重子が捨てられることによって、分裂した。20年の歳月を経て、2人は再会を果たす。そして、互いのことを思いつつ、苗子は千重子と別れて生きていくことを決意する。老舗の呉服問屋に突然、ふた子の片割れが現われたら、世間は千重子を好奇の眼で見るに違いない。捨て子だったという千重子の過去も世間の知る所となろう。それを避けるために、苗子は去らなければならなかった。去っていくこと。それは苗子にとって、熟慮を重ねた上での重い決断だったはずだ。それは苗子にとって、自己を発見することでもあった。
一見、何でもないような物語を紡ぐ「古都」という作品は、幾重にも重ねられた複雑な層を持っている。見方によっては千重子の暮らす呉服問屋を中心とした世界は、意識の世界であり、反面、苗子の暮らす北山杉の世界は無意識の世界である。そして苗子は、粉雪の舞う早朝の京都の街を、1人、北山杉の村へと帰っていくのである。そこは、苗子にとって、とても懐かしい場所である。そこは深い霧に包まれた、深淵なる無意識の世界なのだ。去っていく苗子の後ろ姿に、川端自身の後ろ姿が重なって見える。川端はこのシーンに、自己の死に対するイメージを重ねていたのだと思う。永遠への回帰。それは川端にとっては、懐かしい場所への帰還としてイメージされていたに違いない。