文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

再考、三島由紀夫

 

文化人類学のレヴィ・ブリュル(1857-1939)は、自分と対象、主観と客観とが論理を超えて一体化していると感じる心の動きのことを融即律(「神秘的関与」とも)と呼んだ。当初ブリュルはこれを古代人の心理機能であると説明していたが、後年、これは現代人にも認められるものだと訂正している。

 

これを私なりに解釈したい。融即律とはすなわち「私」と「あなた」が心理的に一体化するという認識方法のことだと思う。そんな馬鹿な、と思われるかも知れないが、母親と赤ん坊の関係はどうだろう。赤ん坊が泣くと、母親はまるで自分に何か不都合なことが発生したかのごとく、瞬時にして赤ん坊の心理を察する。つまり、「私」である母親の心理は、「あなた」である赤ん坊の心理と一体化していると言えよう。

 

実は、こんな話は世の中にゴロゴロと存在しているのであって、恋人同士、家族同士などの間柄では、日常的に見られる傾向なのである。往々にしてそれが行き過ぎ、パターナリズムや過干渉、依存の問題などを引き起こす。

 

この融即律こそが、エロスを支える基本原理ではないか。そしてまた、この原理が武士道を支えているのだと思う。

 

葉隠の本質は、武士である「私」と、君主である「あなた」の心理を一体化することにある。だから、君主に何か事が起これば「その時が只今、只今がその時」と言って、武士は何の迷いもなく直ちに死に狂いせよ、という論理的帰結を生む。それは、「私」である三島由紀夫が、「あなた」である天皇に身を捧げ、「天皇陛下万歳」と三唱して自決したことの、原理的なモデルとなったに違いない。

 

このように考えると、三島の立ち位置が圧倒的にエロスの側にあったことが分かる。私はかねてより、三島はロゴス(論理性)に立脚していたと考えてきたが、そうではないのだ。三島の論文のような文章には、難解な言葉が頻繁に登場するし、AはBであるというテーゼが繰り返し述べられている。例えば、美しいもの(A)は、滅びるもの(B)である、といった具合に。しかし、何故そうなのか、という説明が欠落している。この何故そうなのかという説明を行うのが論理的思考であり、三島の文章にはそれがない。三島はエロスについて語りたかったのだろう。しかし、三島はエロスについて語るロジックを持っていなかったと言わざるを得ない。

 

また、君主たちが男で、武士も男だった訳だ。昭和の天皇も男なら、三島も男である。そこに、三島が同性愛を無視できなかった理由があったのだと思う。

では、三島と全共闘と呼ばれる学生たちとの関係について考えてみよう。この点、東大全共闘との討論ばかりが注目されているが、その論議は空転しており、むしろ他の大学で行われたティーチインで「文化防衛論」に収録されているものに気を配るべきだと思う。学生たちは純粋で、日本社会の行く末を案じていた。つまり、学生たちもエロスの側に立っており、この点は三島と共通していたのだ。明らかに三島は、学生たちの純粋さに共感を覚えていたのである。但し、学生たちの多くは、然したるロジックやビジョンを持つことなく、当時流行していた共産主義に活路を求めていたのだと思う。共産主義とは、欧州の近代的知性が作り上げたものであり、三島は文化を尊重する立場だった。そこで、立ち位置は同じでも、目指す方向が正反対である学生たちに対し、三島は「君たちが天皇とさえ言ってくれれば、私は君たちと共闘する」と述べたのである。

 

三島が異議を述べたかった相手、敵とは、自発的に米国に隷従している官僚であり、知性の側に立つ知識人であり、ぬるま湯的な社会の中で安穏と暮らしている男たちだったのだ。

 

また、三島は天皇や天皇制に希望を見ていたかと言うと、全くそんなことはなく、人間宣言をした天皇に対し、失望していたのである。その経緯は「英霊の声」に書かれている。

 

そうしてみると、三島には絶望しかなかったのだと思える。英雄的な死だとか、美学の完遂だということが良く言われるが、私は、三島の死は絶望が招いた死だと思う。

 

最後に、三島とソクラテスの関係について述べない訳にはいかない。ソクラテスは、紀元前399年、アテナイの法廷で弁明を行った。但し、その内容は命乞いをする一般的な弁明とは異なり、金や名誉のことばかり気にかけ、魂のことにはまるで配慮しないアテナイ市民に対する全面的な批判だったのである。当然、法廷は騒然となり、怒号が飛び交ったのだ。三島は、その場面を1970年の自衛隊市谷駐屯地において、再現してみせたのである。怒号が飛び交い、加えて報道のヘリまで飛び交い、三島の肉声はかき消された。これを三島の失敗とみなす向きもあるようだが、そんなことはない。全ては三島の計算通りだったのだ。

 

三島とソクラテスの共通点を考えると、それは「知行合一」という点にある。ソクラテスは、自分の信条を全く曲げることなく、言動でそれを証明したのである。この「知行合一」は、三島が敬愛していた王陽明の陽明学の主張と重なる。結局、三島もソクラテスと同様、日本中を敵に回し、信念を貫いたと言える。

 

また、ソクラテスが行った法廷での演説については、パレーシア(真実の言明)として、晩年のフーコーも高く評価している。この点は、三島の演説も同様の評価を受けるべきだと思う。

 

但し、その思想を概観するに、三島とソクラテスとは、正反対だったのだ。ソクラテスは、文化(デルポイの神託)から出発し、ロゴス(論理的思考)を経由し、最終的には知性にも文化にも影響を受けない100%オリジナルな「無知の知」に至ったのである。これは、ユングが自己(Self)と呼び、フーコーが主体性と呼んだものである。そこが、ソクラテスの最終的な到達地点だった。一方、三島はエロスから出発して文化を目指した。但し三島は、文化が生み出す様式の中に美を見ていたのであり、主体性やオリジナリティというものを全面的に否定していたのである。しかし、文化の中にゴールはなく、思想を貫徹しはしたものの、絶望の中で自ら命を絶たざるを得なかったのではないか。

 

三島・・・エロス → 文化

ソクラテス・・・文化 → ロゴス → 自己

 

私は、三島の人格や生き方を批判したいとは思わない。三島が自らの思想に命を掛けたことは明らかであり、それは当時の官僚、知識人、安穏と暮らす男たちよりも、はるかにりっぱなものだったと思う。しかし人間としては、70才位までは生きて、人格の統合を目指すべきだったのではないか。

 

私は、人間の生き方として、最終的なゴールは自己、主体性にあるべきだと思う。

 

古代ギリシャの偉人たち

 

先の原稿で提示した「文明の4元説」に従い、古代ギリシャに生きた3人の偉人、すなわちソポクレス、ソクラテス、プラトンの足跡を追ってみたい。

 

ソポクレス(前496-前406)は、富裕な騎士階級の家庭に生まれた。彼が最初に悲劇を創作したのは、28才の時だった。その後、「アンティゴネ」を発表したのは55才の時である。従って、「アンティゴネ」はソポクレスの油の乗り切った時期の作品だと言える。これは大衆からも高い評価を得た。そして翌年(前441年)、アテナイの市民はサモス島遠征の将軍の1人にソポクレスを選出したという。ソポクレスは文武両道の人だったとも言えるが、当時の社会においては、エロス(文)とロゴス(武)が分離していなかったと見るべきかも知れない。神話(文化)と現実の世界は、地続きにつながっていたのだ。現代人の眼からすれば、少し異様にも思えるが、日本の歴史上、ロゴスとエロスが分離したのは明治維新以降だとする説もある。また、江戸時代まで日本人は、意識的にロゴスを否定していたという説もある。

 

但し、「アンティゴネ」において、既に王様クレオンの思想(ロゴス)とアンティゴネの感情(エロス)がぶつかっており、人々はそれらを漠然と区別していたことは確かであろう。

 

晩年、ソポクレスは息子たちから訴訟を起こされたらしい。高齢のソポクレスは既にボケており、資産を息子たちに分配すべきだというのが、息子たちの主張だった。これにソポクレスは激怒した。この息子たちとの対立構造は、「コロノスのオイディプス」において、オイディプスが息子たちに激怒する様子と似ている。「コロノスのオイディプス」はソポクレスが90才の時の作品だが、ソポクレスがオイディプスに自身のあり様を投影していたのは確実である。

 

そして、ソクラテス(前470~前399)が登場する。ソクラテス自身も、神話や神の存在を信じていた。また、ソクラテスが猛烈に考え始めたきっかけは、デルポイの神託にあった。これはデルポイという場所にアポロン神殿というのがあって、信者らの要請に応じて、巫女が下していた神のお告げのことである。どうもアポロン神殿には火山性ガスの出る場所があり、そのガスを吸引した巫女がトランス状態になっていたらしい。こうして下される神託は、当時の政治や文化に直接的な影響を及ぼしていたのである。ある時、カイレポンという男が「ソクラテス以上の知者はいるか」と尋ねた。すると巫女は「ソクラテス以上の知者はいない」と答えた。そのことを知ったソクラテスは、そんな馬鹿なと思い、自分以上の知者を探し求めたのである。その結果、自分は無知であるということを知っている、という結論に至る。この無知の知こそが、(多分)人類が初めて到達した主体的なロゴスだった。そしてソクラテス以降、人々はロゴスというものを明確に意識するようになり、その反射的効果として、エロスの存在を認識した。こうして、古代ギリシャにおいて、例の図が示すような人間社会の構造が浮き彫りになったのである。

ソクラテスの時代においても、神話や神話が語る世界観(文化)は、人々の常識を支配していた。また、弁論術や自然学という知性も存在していたのである。ソクラテスの特質は、それらの文化にも知性にも影響されず、自分の頭を使ってオリジナルなロゴスを打ち立てた所にある。

 

ちなみにフーコーが言ったエピステーメー(ある時代の知の枠組み)とは、上の図における知性と文化の総合体のことである。そして、エピステーメーから脱却して思考することこそが、フーコーが生涯を通じて希求した哲学のあり方だった。そう考えるとソクラテスがいかに偉大だったか、分かろうというものである。実際、最晩年のフーコーは、講義においてソクラテスを絶賛している。

 

そして、ソクラテスの弟子であるプラトン(前427年-前347年)が登場する。プラトンはソクラテスの生涯を記述する所から出発した。これがプラトンの初期の仕事である。そして、ソクラテスの発明したロゴスをベースに、やがて国家論やイデア論(知性)へと向かう。これが中期の仕事である。但しプラトンは、ロゴスを優先するあまり、エロスを軽視したのは間違いない。プラトンが「国家」の中で述べている哲人政治とは強烈なロゴスであり、そこではエロスが抹殺されている。フーコーがプラトンを評価しなかったのは、言うまでもない。

 

ソポクレス・・・文化

ソクラテス・・・文化 → ロゴス

プラトン・・・・ロゴス → 知性

 

ロゴス中心主義とも言われる西洋の近代哲学の主流は、プラトンの歩んだ道だろう。つまり、ロゴスから出発して知性を目指したのである。例えば、「純粋理性批判」(ロゴス)を著わし、晩年、世界平和を唱えたカントも、プラトンと同じような道を歩んだのだと思う。

 

 

ユング風、文明の4元説

 

ユングの心理学をベースにすると、人間には意識と無意識がある。そして、それぞれに個人的なものと、集合的なものがある。また、意識と無意識は対立していて、その中心に自己(Self)が位置付けられる。意識と無意識の統合とも言えるし、無意識の意識化とも言える。そうすることが精神疾患の治癒の方法なのである。これが、個性化(individuation)である。ここまでの話を図にしてみると、次のようなものができあがる。

 

 

ユングは個人的な意識と無意識の中心を自己と呼んだのであり、集合的意識と集合的無意識の中心ということは述べていない。従ってこの図は、ユング心理学の正確な説明にはなっておらず、私が勝手に作った説なので、「ユング風」なのである。

 

集合的意識とは、科学(自然科学や社会科学)、制度、常識などを含む。つまり、フーコーの言ったエピステーメーと同義である。それは国家を運営する近代的な思想を含み、また、グローバリズムの進展した今日の社会システムをも含むことになる。これらを一口に言えば「知性」となる。

 

集合的無意識とは、人類が何十万年もの時間を掛けて育んできたイメージ、すなわち元型を構成要素として、そこから生み出した神話、祭祀、呪術などのシャーマニズムや生活習慣のことである。これを一口に言えば「文化」となり、日本におけるその最高位の文化的象徴は、天皇である。

 

個人的意識とは、人間が後天的に獲得するもので、それは人間が物事を分割、区別して認識しようとする合理的な思考機能であり、国家規模の人間集団を運営するために必要な父性的な原理である。これを換言すると「ロゴス」となる。

 

個人的無意識とは、人間が生得的に持っている誰かとつながりたいという欲求であり、家族規模の人間集団を運営するために必要な母性的な原理のことである。これを換言すると「エロス」となる。

 

集合的意識 → 知性

集合的無意識 → 文化

個人的意識 → ロゴス

個人的無意識 → エロス

 

このように言い換えると、次の図になる。

 

 

この考え方を「文明の4元説」と呼ぶことにする。この図を使えば、過去の偉人たちの思想的経緯や、個人の人格から政治状況に至るまで、それなりに説明することが可能だと思う。

 

私は、このブログにこのような図を何度か掲載してきたが、何年かすると後悔するハメになる。人間の世界とは複雑なのであって、簡単な図で説明し切れるものではない、という思いもある。しかし、残念ながら私は頭が悪いので、簡略化しないと思考できないのだ。また後悔することになるかも知れないが、思い悩んだ末、図を掲載することにした。

 

また、読者諸兄の中には、個人的なものと集合的なものを同一の位相で語ることに違和感を覚える方もおられるだろう。しかし、こんな話がある。大きな円を描く。その中に3つの中位の円を描く。そして、中位の円の中に3つの小さな円を描く。このような作業を繰り返す。するとどの円を見ても、その中に3つの円を持つという共通点を見出すことになる。普遍の中に個別があり、個別の中にも普遍があるのだ。

 

 

ロゴスへの告発、エロスからの反逆

 

アンティゴネをネットで検索していたところ、ある絵画を見付けた。杖を付いた老人がいる。老人は、若くて美しい娘の肩を借りている。これは「コロノスのオイディプス」の終盤を描いたものに違いない。ロゴスとしてのオイディプスと、エロスを象徴するアンティゴネ。その統合を示している。溜息が出る程美しい、と私は思った。

 

思うにソポクレスの作品に登場する人物は、過酷な運命に抗いながらも、素朴で、真面目で、嘘をつかずに生きている。当時(前5世紀)の人々が幸福だったのか、それは私には分からない。しかし、彼らが真実の世界に生きていたことは確かだと思う。ロゴスとエロスが激しく対立し、そこから人間の生きる力が生まれ、両者を統合する文化が息づいていたのだ。

 

さて、少し文化の変遷について考えてみたい。人間心理の深層に集合的無意識や元型があって、それらが、集団で行う祭祀、個人で行う呪術、そして神話を形づくっていたのだろう。便宜上、これらの祭祀、呪術、神話を総称してシャーマニズムと呼ぶ。シャーマニズムは長い時間を掛けて、洗練され、様式を育み、文化へと昇華されてゆく。文化の本質とは何かと考える訳だが、それは人々の暮らしに寄り添うもので、ロゴスとエロスを統合する、ということにあったのだと思う。だからこそ文化は、人間集団を支えてきたのである。

 

文化 = ロゴス + エロス

 

そして、この公式に最初に異議を申し立てたのが、ソクラテスとプラトンである。ソクラテスは神話的な死生観に疑義を唱え、死を恐れてはならないと説き、自ら怖れずに死んでみせたのである。そしてプラトンは、「饗宴」という作品の中で「美の梯子」(エロスの道)という説を唱え、エロスから出発しロゴスに至るのが正しいステップだと説いた。つまり、巧妙にロゴスをエロスよりも上に位置付けたのである。ここから西洋のロゴス中心主義(理性中心主義)が始まったのかも知れない。思うにソクラテスは、ロゴスに立脚しながら、主体的に思考した。そしてソクラテスは、シャーマニズムやエロスを否定した訳ではなかった。それがプラトンになると、上記の通り、エロスに対する攻撃を開始したのである。私がソクラテスを評価し、プラトンに対しては懐疑的である理由が、ここにある。

 

更に時代が下ると、ギリシャ文明を継承しつつも、キリスト教を国境と定めたローマ帝国が出現する。ギリシャ文明においては、「オイディプス王」や「ソクラテスの弁明」にも登場するデルポイにあるアポロン神殿で行われていた神託が、極めて重要な役割を果たしていた。しかし、ローマ帝国の皇帝が求めたところ「キリスト教が帝国を滅ぼす」との神託があり、皇帝は激怒した。こうして後392年にデルポイの神託は廃止された。また、一神教を旨とするキリスト教は、多神教のベースとなっているギリシャ神話を排斥し、ゼウスやアポロンをデーモンだと主張した。

 

こうしてキリスト教の時代が始まる訳だが、キリスト教の教義のみが思想として容認され、教会は信徒に性的な逸脱や経験を具体的に語らせることにより、自ら罪を認めさせ、マインドコントロールを行なったのである。その経緯については、ミシェル・フーコーの「肉の告白」に詳細が記されている。こうして、キリスト教が支配する暗黒の千年が続いたのである。

 

14世紀になると、厳格なキリスト教に対する反動として、ルネッサンスが勃興する。この潮流に乗って、古代ギリシャの文化が脚光を浴びたのである。但し、ルネッサンスを支えたのは王侯貴族などのエリート層で、庶民の間では魔女狩りが始まった。魔女狩りは17世紀まで続いた。

 

17世紀になると科学革命が起こる。主なプレイヤーは、ガリレオ・ガリレイ、ルネ・デカルト、フランシス・ベーコンらである。こうして始まった西洋の近代哲学、すなわちロゴス中心主義(理性中心主義)は、サルトルまで続く。但し、この時代でもエロスを重要視した思想家等はいて、ニーチェ、フロイト、サルトル、そしてアンティゴネを高く評価したヘーゲルなどが、その例である。

 

その後、レヴィ=ストロースが登場し、構造主義が生まれる。人間があたかも自由な存在であると信じていたそれまでの思想家たちに対し、人間は自由ではなく、実は構造の中に閉じ込められていると主張した。その観点から言えば、構造主義はロゴス中心主義に対するアンチテーゼとはなったが、エロスの救済を主張するには至らなかった。

 

そして、ミシェル・フーコーが登場し、「言葉と物」が刊行される。ここでフーコーは、ある時代のある社会が共有している科学的知見や常識などをエピステーメーと呼び、それを批判したのである。エピステーメーとは元々、古代のギリシャ語で、知識という意味を持っていたが、フーコーの文脈で使用される場合は、一般に「知の枠組み」と訳される。このフーコーの主張は、構造主義的である。但し、フーコーの真骨頂は、その遺作「性の歴史」にある。このタイトルの意味は、西洋史において、暴走するロゴスに蹂躙され続けるエロスの歴史という意味だろう。ここでフーコーは、人間が主体性を回復するにはどうすれば良いのか、という問題に取り組んだ。ちなみに、その第4巻「肉の告白」において、フーコーはキリスト教が、信徒に性的経験を告白させることによって、いかに信徒の主体性をはく奪してきたのか、ということを詳細に述べているが、それを否定する言説が含まれていないのだ。こんなに酷い歴史があったのに、何故、フーコーはそれを否定しないのか、と思って私は幻滅した訳だが、AIによれば、著作の中では事実のみを忠実に記し、事実に対する評価は講演の中で赤裸々に述べるのがフーコーのスタイルだとのこと。(フーコーの講演録は、多く出版されている。)

 

こうして駆け足で西洋史を見てきて思うのは、結局、主体的なロゴスとエロスが対立し、それを文化が仲裁するという、ある意味、理想的な真実の人間社会が存在したのは、古代ギリシャしかないということである。あくまでも西洋においては、という意味だが。そして、そのように人間が奴隷化された現実を改変するためには、3つの方策があって、1つはロゴスの内部に立ち、そこからロゴスの矛盾を告発するという方法である。フーコーの立ち位置がこれに当たる。もう1つは、ロゴスの外に出て、つまりエロスの側に立って、ロゴスに反逆を試みるという方法だと思う。そして3つ目は、ユングが述べたようにロゴスとエロスの境界線に立ち、統合を目指すという立場ではないか。

 

 

ロゴスとエロスの相克

 

ソポクレスの作品としては、「オイディプス王」が最も有名だろう。オイディプスはあくまでも真相を明らかにしようと努め、その結果、彼自身が実父を殺害し、彼の妻が母親だったという驚愕の真実が明らかとなる。その過程は、あたかも推理小説のごとくスリリングで、読む者の関心を逸らさない。しかし、現実の人間社会において、そんなことが起こるとは考え難い。

 

また、続く「コロノスのオイディプス」において、オイディプスはかつて彼をテーバイから追放した息子たちに対する怒りを保持しており、究極的な悟りを期待して読んだ私としては、若干、期待はずれであった。

 

そして「アンティゴネ」を読んだ訳だが、「オイディプス王」に比べれば若干地味ではあるものの、その分だけ人間社会の実相に忠実で、この作品には非の打ちどころがないと思った。私のように感じた過去の偉人は少なくないようで、とりわけヘーゲルは「全ての文学、演劇作品の中で、『アンティゴネ』こそが最高傑作である」と断言したらしい。

 

さて、では「アンティゴネ」という作品の内容について考えてみよう。簡単に言えば、これは王様であるクレオンのロゴスと、アンティゴネという若い娘が持つエロスとの相克を描いた作品である。ロゴスとエロスという言葉の意味は多様だが、エッセンスは次の通り。

 

ロゴス・・・理性、意識的、 論理的、分割して思考

 

エロス・・・本能、無意識的、感情的、結びつきを尊重

 

ロゴスを男性的、父性的とし、エロスを女性的、母性的と言えば、それが一番分かり易いかも知れないが、男性の中にも女性的な傾向はあり、女性の中にも男性的な傾向があるので、この対比は誤解を招くリスクがある。

 

また、古代ギリシャの世界観を 神 - 人間 - 動物 の上下関係として捉えると、真理を知りたい、神に近づきたいと願い、上昇を志向するのがロゴスで、反対にそうは言っても人間だって動物の一種なのであり、他者との触れ合いを大切にしたいと願い、下降を志向するのがエロスだとも言える。そう考えると、人間とは上下方向に向かうという矛盾を内在した存在だと言うことができる。

 

「アンティゴネ」という物語に即して述べると、まず、クレオンのロゴスが登場する。アンティゴネの兄(ポリュネイケス)は、他国の武将と共にテーバイに攻め入り、火を放ったのである。テーバイの王として、テーバイの秩序を維持するため、このような男を許す訳にはいかない。また、クレオンにとって、アンティゴネの兄(ポリュネイケス)は甥に当たる親族であり、更にアンティゴネは息子であるハイモンの許嫁だったが、そのようなことを考慮して政治を行えば、公平性を欠くことになる。そこでクレオンは、毅然とした態度を取ったのである。ロゴスの側に立って考えれば、クレオンの決定には合理性があることになる。

 

他方、アンティゴネはクレオンの命令に対し、それよりも上位に位置するのは「神の掟」であるとし、兄(ポリュネイケス)の遺体を埋葬すべきだと考える。但し、アンティゴネを動かしたのは、王の命令と神の掟に関するロジックではなく、肉親に対する愛情だったに違いない。自らの命を落としてまで、アンティゴネは愛情を貫いたと言える。そんなアンティゴネを誰が批判し得るだろう。

 

つまり、クレオンのロゴスは正しく、アンティゴネのエロスも正しかった訳だ。この正しいもの同士の対立によって生まれる悲劇に基づき、人間の無力さ、絶望感を描いたのがこの作品の特徴だと言える。

 

但し、「アンティゴネ」には、ロゴスとエロスの対立を緩和する中和剤と言うか、緩衝材のような働きをする者も登場する。それが、盲目の予言者テイレシアスである。盲目であるということは、人間の外側を見ない、つまり内向することを意味している。また、予言者というのは、文化人類学的な観点から言えば、シャーマンだと言える。シャーマニズムというのは、一般に神に祈り、精霊の声を聴き、超越的な何かを実現することである。神に祈るのだから、ロゴスと矛盾しない。また、そこには人間の感情に対する配慮もあるので、エロスとの親和性もある。実際、テイレシアスの意見を聞いた後、クレオンは自らの判断を撤回し、アンティゴネの救出に向かったのである。強いて言えば、クレオンはアンティゴネを幽閉する前に、クレオンの意見を聴くべきだったとも言える。

 

このように考えると「アンティゴネ」という作品には、ロゴスとエロスの対立のみならず、本当はその対立を緩和する文化の起源としてのシャーマニズムが描かれていると言うべきだろう。

 

ロゴス - 文化(シャーマニズム) - エロス

 

 

ギリシャ悲劇「アンティゴネ」のあらすじ

 

ギリシャ神話とは、主に口頭で伝承された神々に関する物語であって、それを最初に文字化したのは、紀元前8世紀頃のホメロスだと言われている。ギリシャ悲劇と言った場合には、ギリシャ神話に触発された詩人たちが演劇用の台本として文字で書いたもので、紀元前5世紀頃、実際に上演されたものである。但し、この演劇には合唱隊が重要な役割を果たしており、これから取り上げる「アンティゴネ」を書いたソポクレスも、合唱隊の歌を作曲していたと言うから驚きである。

 

ちなみにギリシャ悲劇の作者としては、アイスキュロス、ソポクレス、エウリビデスが3大詩人と呼ばれているが、ナンバーワンはソポクレスだというのが一般的な評価である。

 

古代ギリシャにはテーバイという都市国家があって、主にテーバイを舞台にしたソポクレスの以下の3作品を総称して、テーバイ3部作と呼ぶ。

 

オイディプス王

コロノスのオイディプス

アンティゴネ

 

物語を時系列に並べると上記の通りだが、執筆時期としては「アンティゴネ」が最も早い。それでは「アンティゴネ」という作品に入る前に予備知識を記しておこう。

 

オイディプスはテーバイの王様だったが、父を殺し、母と結婚してしまったことが明らかとなり、自ら両目を潰した。この経緯は、「オイディプス王」に描かれている。

 

オイディプスには4人の子供がいた。

 

・兄・・・ポリュネイケス

・弟・・・エテオクレス

・姉・・・アンティゴネ

・妹・・・イスメネ

 

盲目となったオイディプスは、息子たち(兄と弟)からテーバイを追放される。オイディプスは長女のアンティゴネに手を引かれ、物乞いをしながら各地を流浪する。最後にコロノスに辿り着き、そこで雷鳴と共に他界する。この経緯については「コロノスのオイディプス」に描かれている。

 

オイディプスを追放した後、兄と弟は1年交代でテーバイを統治しようと約束するが、弟が裏切り、兄を追放する。兄は他国の武将と手を組み、テーバイに攻め入る。決着が付かなったので、兄弟で一騎打ちをすることになるが、相打ちとなり、兄弟ともに死んでしまう。その直後、クレオンがテーバイの王に即位した。クレオンは、弟の遺体は丁重に埋葬するが、他国の武将と手を組んでテーバイに攻め入った兄の遺体については、埋葬することを禁じ、野生動物の餌食とするように命令を下す。

 

<その他の登場人物>

クレオン・・・テーバイの王

ハイモン・・・クレオンの息子

エウリュディケ・・・クレオンの妃

テイレシアス・・・盲目の予言者

 

ここまでが、必要な予備知識である。

 

シーン1: アンティゴネとイスメネの姉妹が登場。アンティゴネがイスメネに対し、クレオンが兄(ポリュネイケス)の埋葬を禁じたこと、この命令に背いた者は死罪に処するとのお布令を出したことを説明する。アンティゴネは兄の亡骸を埋葬しようと考えており、イスメネに協力を依頼するが、イスメネはこれを断る。イスメネは、自分たちは女であり、権力者には服従する他はないと告げる。

 

シーン2: クレオンと長老たちが話している所に、番人が報告に駆け付ける。番人は兄(ポリュネイケス)の遺体に何者かが土砂を振り掛け、弔いの式を行ったと告げる。

 

シーン3: 番人がアンティゴネを引き立てて入場し、アンティゴネが犯人であるとクレオンに報告する。アンティゴネは、自ら罪を認める。そしてクレオンの出したお布令は、神々が決めた掟に反するとして、激しくクレオンを非難する。激怒したクレオンは、妹のイスメネを連れてくるよう命じる。イスメネは、アンティゴネと共犯だと主張するが、アンティゴネがそれを否定する。アンティゴネとイスメネが、従者に連れていかれる。

 

シーン4: クレオンの息子、ハイモンが登場する。ハイモンはアンティゴネの許嫁(いいなずけ)だった。ハイモンは町の人々が、アンティゴネのために悼み嘆いている事実を報告する。「あの娘(アンティゴネ)は、自分のまことの兄弟が斬り合いで倒れたままで、弔いもされず、生肉を喰らう犬どもや野鳥の類に荒らされるのを見過ごしにはしなかったのだ」と言って、アンティゴネを擁護する。クレオンは激怒し、ハイモンは退場する。

 

シーン5: アンティゴネは、洞穴に幽閉される。

 

シーン6: 盲目の予言者、テイレシアスがクレオンの前に登場する。テイレシアスはクレオンに対し「死人をさらに殺してそれが、何の誉か」と諫める。また、このままでは取返しのつかない不幸に見舞われると予言し、クレオンに翻意を促す。テイレシアスが去った後、クレオンはお布令を撤回し、アンティゴネを洞穴から救出することに同意し、自ら救出に出掛ける。

 

シーン7: 長老たちの元へ、報せの男がやってきて、クレオンの息子ハイモンが自害したことを報告する。そこへクレオンの妃、エウリュディケがやって来て、報告を受ける。男はまず、アンティゴネが首を括っているのを発見し、続いて彼女の遺体にすがりついているハイモンを見付ける。クレオンが話し掛けるとハイモンは剣を抜き、クレオンに切り掛かったが、クレオンはそれを避けた。するとハイモンはその剣を自らの脇腹に突き立て、自害したのだった。報せを聞いたエウリュディケは、何も語らず王宮の中へと入って行く。

 

シーン8: 帰ってきたクレオンが、後悔の念を述べる。そこへ王宮の中を確認していた男がやってきて、クレオンにエウリュディケが自害したことを告げる。クレオンは絶望し、劇は幕を閉じる。

 

 

毒親のメカニズム

 

流行語や若者たちが作り出す隠語の中には、人間社会の真実を表現する優れた言語が含まれている。例えば、陽キャと陰キャというのがあるが、これはユングが発見した外向的、内向的という人間の性向を巧みに表現している。ブラック企業とか社畜という言葉は、資本主義社会の矛盾と、その中で疲弊していく労働者の哀歓を客観的に示している。中でも私が感心したのは毒親(どくおや)という言葉である。私自身、いわゆるDVサバイバーであって、中高生の頃、父親から激しい暴力を受けた経験があり、毒親という言葉にとても共感を覚えるのだ。

 

毒親が生まれるメカニズムだが、例えば感情タイプの人の心理に潜む思考機能が、何かのはずみで作動する。感情タイプの人の思考機能は、劣等しており、未熟である。するとその人の導く論理的な帰結も、自ずと社会的な妥当性を欠く。このような未成熟な論理的帰結を最近は、マイルールと呼ぶらしい。(これも便利な流行語である!)そして、マイルールを子供に押し付けるから、毒親が生まれる。やっかいなのは「あなたのためを思って助言している」という外形を取るので、子供としては反論しにくい。

 

また、自分の果たせなかった夢を子供に託したり、自分が直面している厳しい現実からのストレスを子供にぶつけたりするような場合もある。

 

このような毒親の特徴は、毒親自身が自分の中に価値観の体系を持っていない場合が、大半だと思う。つまり、このような毒親は、世間体を重んじ、外部からの評価に依存しているのだ。テストの点数、大学の偏差値、会社の役職などがそれである。換言すれば、外向的なのである。

 

外向的な人は、熱心に新聞は読むが、文学、哲学、心理学などの本は読まない。新聞に記載されていることの大半は、外の世界で起こった出来事である。従って、新聞を読んでも自分の内心が脅かされることはない。そこに安住するのが、外向的な人の性向である。また、同窓会や飲み会が好きで、反面、孤独を恐れている。つまり「外向的感情型」の人が毒親になりがちだと言える。

 

そう言えば、こんなことがあった。私は現役時代、法務職に就いており、要は訴訟、契約、紛争解決などの仕事をしていたのである。当然、多くの弁護士と接触する。その中で、飛び切り第一級の弁護士と知り合うことができた。その弁護士(以下「大先生」)は、クライアントの個別事情を良く斟酌してくれることもあって、私は心底尊敬していた。あらゆる法律を理解し、経験が豊富で、流暢な英語を話し、ジムに通っていたので体力まで万全という人だった。私が退職することとなり、大先生を含め4人の弁護士が送別会を開いてくれることになった。大分時間も経過し、私はトイレにたった。席に戻ると、何やら不穏な空気が流れている。大先生が若い女性弁護士に説教をしていた。何しろ、大先生の発言は、論理的で、経験に裏打ちされており、完璧なのである。説教をされている女性弁護士としては、黙って下を向くしかない。こんな人が親だったら、子供はさぞかし大変だろう。してみると、この大先生も立派な毒親の候補者ではないか。

 

私は最近、ギリシャ神話の「アンティゴネ」というのを読んだが、これは論理的な正論に固執する王様が、その正しさが故に、破滅するという物語だ。そんなこともあって、上に述べた送別会のことを思い出したのである。この大先生や王様は、「外向的思考型」である。

 

外向的思考型の優秀な弁護士が、文学、哲学、心理学などの本を読んでいるのかどうか、私は知らない。但し、彼らの特徴は、なかなか引退しないことである。80才近くまで、現役を続けるのが彼らの習性だ。もちろん、経済的には裕福で、働き続ける必要など、まったくないはずだ。それでも引退しないのは、彼らもまた、自分の内面と向き合うことを避けているからではないか。

 

マイルールに固執する外向的感情型と、知的エリートとも言える外向的思考型。一見共通点はなさそうだが、外向的であるという点は、共通している。

 

私は、経済的な理由さえなくなれば、即座に引退する方が良いと考えているし、実際、私が引退したのは58才の時だった。そう言えば、この問題についてもFIREという便利な流行語がある。Financial Independence, Retire Earlyと言うそうだ。

 

外向的な人は、なかなかその人格を成長させることが難しい。それができるのは、孤独を愛し、読書を楽しみ、思索に耽る時間と習慣を持った人、つまりは内向的な人だけではないか。

 

もし、現在も毒親からの被害に合われている方がいるとすれば、申し上げたい。毒親の人格が改善することは、まず、期待しない方が良い。従って、なるべく距離を取る以外に方法はないと思う。但し、通常、親は子供よりも先に死ぬのである。