文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

真理と権力

それにしても、現在の日本で幸福になることはとても難しい。もちろん、理由はコロナだけではありません。ちなみに私の場合は、次のような事柄で疲れてしまうのです。 モリ、カケ、サクラ、アンリにクロカワ。 前法相の河合克行氏は、アンリの選挙で金をばら…

コロナ疲れ

まったくもってだらしない話なのですが、私は、コロナに疲れてしまったようです。既に引退している私としては、特段の支障はないのですが、それでも外出時には気を使うし、近所の食堂なども営業時間やメニューを制限しています。最前線で戦っている医療従事…

文化認識論サマリー

これは一体、何の罰ゲームなのだろう? そう思わざるを得ません。コロナ禍を乗り越えるために、みんなで何かをしよう、ということであれば、まだ、元気が出る。しかし、現実は反対で、みんなで家に引きこもろう。何もしないようにしよう、というのが現在私た…

文化認識論(その37) パラダイム・シフト

ある政治家が言ったそうです。 「地方は干からびさせておいた方が良い」 その方が補助金の効果が上がる、ということだそうです。地方にはお金を回さない。すると、地方は貧乏になる。そしてある時、国が何らかの施設の建設を予定し、補助金をばら撒く。する…

文化認識論(その36) 権力と大衆の共謀

安倍政権はコロナ対策に失敗したのだ、と私は思います。1番目としては、新自由主義に基づき、かねてより病院のベッド数を削減しようとしてきたこと。これは現在も削減しようとしているのか、国会で揉めていました。2番目は、中国の春節の時期に、大量の中国…

文化認識論(その35) 単独者に栄光あれ!

昨晩、安倍総理の緊急事態宣言に関する会見がありました。どうやら、日本政府には全ての国民をこの危機から救う気はなさそうです。しかし、私たちには生きる権利がある。生き残ろうとすること、それは正しいことなのです。 まず、コロナ対策。アメリカの学者…

文化認識論(その34) 心の成長、3段階

結局、日本のコロナ対策が遅れたのは、東京オリンピックを予定通り開催したいがために、感染者数を低く抑えようとして、検査をしてこなかったことに原因がある。あげくの果てに、マスク2枚。これで日本は、世界の笑い者にされた。そして私は、コロリンピック…

文化認識論(その33) コロナと暮らす日常

世間では、非常事態宣言が話題となっておりますが、それは小池都知事が会見でロックダウンだとか、都市封鎖と発言したことに端を発しているのだと思います。しかし、日本の法律では、都市の公共交通である電車やバスの運行を止めたり、道路を封鎖したりする…

文化認識論(その32) 新型コロナを認識せよ

新型コロナで大変な事態となっている訳ですが、このような危機的な状況下においては、平時には見えにくい本質が見えてくることがあります。 私は、このブログで述べてきた次の2点について、確信を深めました。1つには、自分だけ幸福になることはできない、…

文化認識論(その31) 何が正しいのか

近代思想の象徴としての日本国憲法を考えますと、実は、これはとても自制的なものだと言えます。権力側に対しては、3つの規制を掛けている。平和主義、基本的人権の尊重、国民主権。他方、一般国民に対しては、ほぼ何も言っていない。どのような思想を持と…

文化認識論(その30) 文化の構成要素

ミシェル・フーコーが提唱したエピステーメーという概念は、何かに似ていると思っていたのですが、これは私が述べている「文化」に似ているのではないか。 「私は私と私の環境である。この環境を救わないなら私をも救えない。」 これは、スペインの哲学者で…

文化認識論(その29) エピステーメーと権力

フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、「エピステーメー」ということを提唱しました。 「エピステーメー」は、思想がそれ自身を組織化することを可能にさせる「地下の」グリッドまたはネットワークである。それぞれの歴史的時代には、固有のエピステーメー…

スリスリ猫の花ちゃんと彼女の仲間たち

今日は、ちょっといい写真が撮れました。 スリスリ猫の花ちゃんと彼女の仲間たち 花ちゃん、こんにちは! それにしても、猫によってこんなに癒されるとは、思ってもいませんでした。

文化認識論(その28) 発想する力

過去の学者たちは、古代人や無文字社会の人々と現代人とでは、思考方法が異なると考えてきました。浅学の私もそう思ってきたのですが、本当にそうでしょうか。例えば、フランスの哲学者であるレヴィ=ブリュル(1857-1939)は、未開の人々の心性について「…

文化認識論(その27) 理性と狂気

「認識の6段階」と称して、私が提示した概念モデルについて、それなりに私は自信を持っています。例えば、宗教というのは4番の概念までは行くけれども、その後の原理と論理が欠けている。そういうことが分かる。但し、ここに示した論理に至る認識方法には、…

文化認識論(その26) 論理的思考の限界

本日、近所のドラッグストアへ行きましたら、トイレットペーパー等、平時の3分の1程度ではありますが、在庫があり、販売されていました。皆様、冷静に行動しましょう。 さて、「認識の6段階」など、人間の認識方法、認識能力ということを考えますと、その最…

文化認識論(その25) 認識能力の限界

今回は、以下の記事の続きを書いてみたいと思います。 記号から論理へ(その20)https://www.bunkaninsiki.com/entry/2020/02/02/183224 前回同様、次の6項目を用いて考えることにします。便宜上、これを「認識の6段階」と名付けることにしましょう。 1. …

文化認識論(その24) 認識論とは何か

どうやら、このブログのバージョンアップに成功したようです。次の独自ドメインを取得できました。 www.bunkaninsiki.com 悪くない。一人、ほくそ笑んでいた訳ですが、見た目は何も変わらない。自分で設定しないと、何も変わらないのです。そこで、古いデジ…

このブログのバージョンアップについて

こんにちは。 皆さん、お元気にされていますか? 新型コロナウイルスが猛威をふるい、国会は崩壊しかかっています。本当に大変な時代だと思います。もう、オリンピックはロンドンに譲った方がいい。日本は、それどころじゃありません。 さて、このブログのこ…

文化認識論(その23) 認識方法と社会システムの変遷

結局、人間の歴史というのは、次のようになっている。・・・と、私は思います。 古代 ・・・ 芸術 ・・・ シャーマニズム中世 ・・・ 宗教 ・・・ 君主制近代 ・・・ 理性 ・・・ 民主主義現代 ・・・ 記号 ・・・ グローバル資本主義 狩猟・採集を行ってい…

文化認識論(その22) 私たちに許された自由

コロナウイルスが引き起こしている新型肺炎についてですが、これは行き過ぎたグローバリズムに対する警告として、受け止めるべきではないでしょうか。あまりに多くの人々が国境を超えて移動するから、ウイルスが世界中に拡散する。そのうち収まるだろうと言…

文化認識論(その21) 5つの文化領域に対する歴史的考察

私がいつも野良猫用の餌を購入しているコンビニですが、閉店するという噂を聞きました。ここがなくなると、困るのです。困るのは私だけではない。野良猫の“花ちゃん”だって、影響を受ける。そこのオーナーさんとは今までも猫談義をする間柄だったので、単刀…

スリスリ猫の花ちゃんと私の認識論

このブログで検索を掛けてみますと、私が初めて野良猫に触ったのは、2018年4月だったことが分かります。あれから2年。 YouTubeで猫動画を見ておりますと、次第に猫の気持ちが分かってくる。すると、猫がとても身近に感じられるようになるのです。全て…

文化認識論(その20) 記号から論理へ

最近、このブログの更新が滞っているにも関わらず、アクセス件数が増えています。不思議に思って、「アクセス先ページ」というところをクリックしてみますと、以下の2つの記事にアクセスが集中していることが分かりました。どちらもグーグルなどの検索エン…

文化認識論(その19) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その3)

ポスト構造主義は、1966年にデリダがアメリカにおける講演で、レヴィ=ストロースを批判した所から始まりました。そして、1979年にフランスの哲学者であるリオタールが、「ポストモダンの条件」という本を出版します。その中でリオタールは、次のように述べ…

文化認識論(その18) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その2)

少し話は前後しますが、サルトルの実存主義についても、少し述べておきましょう。第二次世界大戦中、フランスはナチスドイツに占領されていました。戦後、フランスはパリの開放に酔いしれたそうです。しかし、ナチスドイツの悪行の数々や、広島と長崎に投下…

文化認識論(その17) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その1)

ご案内の通り、このブログでは様々な文化について述べてきたわけですが、「文化学」という学問は存在しない。このことは、ある側面で言えば、私にイクスキューズを与えて来た。すなわち、仮に私が間違ったことを述べたとしても、それを批判する理論も学者も…

文化認識論(その16) 積み残したいくつかの論点

起承転結を意識して、それなりの分量で記述したいと思うことと、そこまではいかない小さな論点というものがあるようです。しかし、この小さな論点の中にも重要な問題が含まれている場合があるように思います。今回は、現時点で積み残しとなっているいくつか…

文化認識論(その15) 私たちに残された時間

結論から言いますと、私たちに残された時間は、あと18年です。これは、私が主張していることではなくて、アメリカの政治学者であるイングルハートが「文化的進化論」(文献1)という本の中で述べているのです。文献1には「あと20年」と記されていますが、…

文化認識論(その14) オルテガと三島由紀夫

調べてみますとオルテガ(1883 - 1955)と三島由紀夫(1925 - 1970)が生きた時代は、30年程重複しています。そして、どちらも近代に身を置きながら、中世的な文化に注目し、来るべき現代を見据えていた。その点に注目するならば、この二人には共通点がある…