私との哲学談義に付き合ってくれそうな人間は、見当たらない。そこで最近は、AIに論争を持ち掛けることにしている。但し、私は誇り高き埼玉県民の代表として、絶対にAIになど騙されないぞ、という心意気を持っている。なお、私が利用しているAIは、Windows 1…
誰しも幸せになりたいと願っている訳だが、ある見方をすれば、その為には2つの条件がある。1つには、自分自身が満たされていること。それは、健康であったり、人間関係だったり、金銭的なことだったりする。それらが充実していれば、一応、その人は幸福だ…
50年ほど前、私は19才だった。その頃だったのだ、「この世の真実」という言葉を聞いたのは。誰から聞いたのかはもう忘れてしまったし、ましてや誰の言葉なのか、私には知る由もない。しかし、当時の私はこの言葉に魅了されたし、未だに時折、この言葉を思い…
プラトンの著作「饗宴」は、第一級の哲学書でありながら、優れた文学作品でもある。その仕掛けは興味をそそるし、読み終えた後には深い余韻が残る。この作品を読むと哲学と文学の起源が同一だったと思いたくもなる。 古代ギリシャにおいては、男たちが集まっ…
身体というのは、とても難儀なものだ。こんなものがあるから、人間は不便で仕方がないのである。時間が経てば腹が減るし、眠たくもなる。怪我や病気をすれば、痛くて仕方がない。いっそ、こんなものとは離れて、私という生命体を維持することはできないだろ…
最近、無力感に襲われている人が少なくないのではないか。私も、その1人である。イスラエル軍が、ガザ地区に地上侵攻したらしい。このようなニュースに接する度、私は自分が無力であることを思い知らされる。また、最新のニュースによれば、ウクライナ軍が東…
トランプ政権も2期目に入り、反知性主義という言葉を眼にする機会が増えた。但し、この言葉が意味する内実はとても複雑で、私自身、深い混乱に陥ったのである。何とか、この問題を整理してみようというのが、本稿の趣旨である。 そもそも、人間に知性は可能…
15世紀の後半に大航海時代が始まり、これが今日のグローバリズムの起源だと言われている。グローバリズムは経済と科学を推進の原動力とし、欧米の価値観を途上国に押し付けるものだった。グローバリズムは、西欧の近代主義を思想的な背景として持っていた。…
世界は揺れ動き、これからどうなるのか、不透明さを増している。トランプが2期目の大統領に選出された頃から、この傾向が一気に顕在化したのではないか。この何十年か、西側世界はひたすらグローバリズムを志向してきた訳だが、トランプがこれを一気にひっく…
需要が供給を上回れば、商品の値段は上がる。するとその商品を製造すれば多くの利益をあげることができるので、新規の事業者が参入するなどして、供給が高まり、やがて物価は安定する。反対に供給が需要を上回れば、商品の値段は下がり、事業者は生産量を調…
私たちは、秩序の中で生きている。この点、異存のある人はいないだろう。では、この秩序はどのように出来上がっているのだろう? 1つには権力というものがあって、これが秩序を維持している。権力には3種類あって、それは暴力、権威、経済である。 暴力は個…
- (前略)ソクラテスは人々に、配慮すべきは自分の富でも自分の名誉でもなく、自己自身について、自分の魂についてであることを思い起こさせる(後略)- (出典:「自己への配慮」 ミシェル・フーコー著) つまり、これが自己への配慮、自らの魂に対する…
昨年の暮れから、ほぼ半年に渡って、私は川端文学と共に過ごしてきた。1人の作家にこれ程魅了されるという経験は、実は、初めてである。川端文学には、人の心を癒す力がある。時代を超えて読み継がれている理由が、そこにあると思う。 さて、このシリーズ原…
川端の実生活と川端文学における本質を考えてみると、次のようなステップが見えて来る。 ステップ1: とても悲しい。 ステップ2: その悲しみは、どうにもならない。 ステップ3: 夢幻の世界に入る。 ステップ4: 夢幻の中で、美を発見する。 簡単に補足…
「古都」のシーン2について、再度、触れたい。太吉郎は、尼寺の一室に籠って、帯の図柄の下絵を描いていたのである。そこへ娘の千重子が、森嘉の豆腐を持ってやって来る。千重子はそれを湯豆腐にして、太吉郎に食べさせる。帰宅した千重子は、母であるしげ…
川端康成の小説、「古都」には実に多くの文化が登場する。例えば、「森嘉の湯豆腐」が出て来る。シーン2で、千重子の父、太吉郎は尼寺の一間を借り、そこに隠れて帯の下絵を考えている訳だが、そこに千重子が訪ねて来る。 「お父さん、森嘉の湯豆腐をおあが…
「古都」は、当時の文壇に様々な問題を投げ掛けたようだ。まず、形式的な問題があった。当時、純文学と呼ばれる作品は、まず、文芸誌に掲載されるのが常だった。そして、完成された作品は、単行本として出版される。更に時間が経過すると、文庫本になる。文…
「ああ、苗子さん、あたたかい。」 ・・・そして苗子は、千重子を、抱きすくめた。 そう書いた時、老作家の魂もまた、人肌のぬくもりに包まれたに違いない。古都、そこはエロスを超えた美の世界だった。 古都/あらすじ シーン1/春の花: もみじの大木の幹…
近代日本文学の頂点を極めたのは、川端康成と三島由紀夫の2人ではないか。ここに谷崎潤一郎を加えるべきだという意見もあるだろう。その意見にあえて反論しようとは思わない。しかし、私はやはり川端と三島の2人だと思うのだ。 川端と三島は何故、あのように…
日本が敗戦した1945年(昭和20年)、3月10日には10万人以上が死亡したと言われる東京大空襲があった。3月17日には硫黄島が陥落し、4月1日には米軍が沖縄本島に上陸した。この頃、「この事態をより的確に語りつぐべきだ」と考えた海軍報道部は、大物の報道班…
前回原稿からの続きで、「虹いくたび」について検討する。 川端は自らの清野少年との経験から、何らかの精神的、性的な発育に関する問題が、同性愛を引き起こすと考えていたのだと思う。作中の竹宮少年は、女言葉を話す。そこから百子は、竹宮少年の中に同性…
川端康成の「虹いくたび」という作品を取り上げるべきか、私は、非常に迷った。1度は止めようと思った。何故かと言うと、私自身がこの作品を失敗作だと思うからである。私自身が感動していない作品を取り上げることに、意味があるだろうか。しかし、この作品…
私たちの心の大半は、無意識によって構成されている。そしてこの無意識は、それぞれの国や地域における文化と深い関係があるのだと思う。そこに暮らす人々の無意識が文化を醸成し、育まれた文化が無意識に影響を与えるのではないか。例えば私は富士山が好き…
川端康成の文学世界を構成する要素として、私は、先の原稿で美、狂気、死の3つを挙げた。しかし、どうもしっくりこないのである。例えば、雪国においては芸者、駒子のなまめかしい肢体が描かれ、同時に駒子の弾く三味線の音も称えられている。この2つは、…
1966年に行なわれた安部公房との対談から、三島由紀夫の発言を引用させていただく。 - 19世紀と20世紀の間に、フロイドがいるということが、とても大きなことでね。フロイドがあって、それによって文学が随分影響を受けて、そうして性の問題なんかでも、扱…
「文芸時代」が創刊された1924年、川端は若干25才だった。以下に紹介する川端の思想に触れると、彼がいかに早熟だったかが分かる。川端が提唱した文学理論は当時、とても新しかったし、その後、晩年に至るまで彼はこのような方法論に基づき、小説を書き続け…
川端康成の文学作品をより良く理解するためには、少し、時代背景だとか川端の考えていた文学理論なども調べてみた方が良いだろう。 まず、日本における近代文学は、明治維新から始まった。 〇 文語体から口語体へ それまでの幕藩体制が終わり、中央集権国家…
川端康成は、日本人としての自己の無意識を探究した作家である。川端の作品が分かりづらいと言われる理由がそこにある。川端自身、次のように述べている。 - 自作を解説することは、所詮自作の生命を局限することであって、作家自らは知らぬ作品の生きもの…
「眠れる美女」は、1961年11月、川端康成が62才の時に完結した中編小説である。「伊豆の踊子」を前期、「雪国」を中期とし、この「眠れる美女」は川端の後期における代表的な作品だと言えよう。 若い頃、この作品に接した私は、これは谷崎潤一郎の「痴人の愛…
川端康成の「雪国」という作品に登場する主要な人物は、語り手である島村と若い芸者の駒子、駒子の知り合いである葉子、この3人である。その他には踊りと三味線の師匠、師匠の息子である行男が登場するが、この2人は一言も発することがなく、作品の途中で病…