文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

自由とは何か

 

前回の原稿で、権力を構成する3つの要素について述べた。

 

  • 暴力
  • 思想
  • 経済

 

シンプルな例で、少し、補足したい。

 

昭和の時代に、頑固親父と放蕩息子がいたとしよう。頑固親父は、戦時中に青年期を過ごし、特段、オリジナルな思想というものを持ち合わせていなかった。一方、放蕩息子は初恋に胸を焦がし、ロックバンドに夢中になっていた。学校には全く興味が湧かず、勉強なんてものはくだらないと思っていた。頑固親父は、そんな放蕩息子をしょっちゅう殴った。最初は平手打ちだったが、一向に効果がないと知ると、今度は拳固で殴った。放蕩息子の方は、しょっちゅう鼻血を出していた。

 

何せ、頑固親父は突然怒り出すので、放蕩息子の方は戦々恐々とした日々を過ごしていた。頑固親父の決まり文句は2つあった。1つ目は「親の言うことが聞けないのか!」というもので、2つ目は「学費を出してやらないぞ!」というものだった。

 

そこで私は、いや、放蕩息子は考えたのだった。何故、自分は頑固親父に勝てないのか。その理由は、圧倒的に頑固親父の方が権力を持っているからだった。では、その権力の背景には何があるのか。そして、上に記した3つの要素に行き着いたのだった。

 

まず、暴力がある。ひと度、暴力を振るい始めると、頑固親父は錯乱状態に陥る。下手に反抗すると、何をしでかすか分からない。殺されるかも知れない。従って私は、ひたすら身体的な痛みに耐える他はなかったのである。次に、思想がある。頑固親父としては、親は子よりも偉いと考えていたのである。これは統一教会などが主張している家父長制に立脚したものだ。女よりも男の方が偉い。年少者よりも年長者の方が偉い。そういうことを前提とした思想なのである。そして、3つ目は経済だ。何しろ放蕩息子は、金を持っていなかった。家を追い出されて、学費を自分で稼ぐことなど、とても考えられなかった。そこで、頑固親父の権力に屈する他はなかったのである。

 

しかし、そんな権力は長く続かない。やがて放蕩息子は成長し、頑固親父よりも立派な体格になった。すると、頑固親父は暴力を振るわなくなった。自然の成り行きである。また、放蕩息子は様々な経験を積み、本を読み、考えるようになった。そして、思想的に頑固親父を凌駕するようになったのである。最後に、放蕩息子はなんとか就職し、経済的に自立したのだった。これで、放蕩息子は頑固親父の権力から完全に脱したのである。但し、言うまでもなく社会に出た放蕩息子は、より大きな権力と向き合わなければならなかった。

 

さて、上に記した例は、言わば小さな権力である。では、もっと大きな、例えば国家権力についても3つの要素に分解して考えることはできるだろうか。私は、できると思う。国家権力について分析しようと思えば、憲法がその素材となるだろう。憲法とは、国家権力に歯止めを掛けようとするものだ。従って、憲法を分析すれば、国家権力の類型を導き出すことが可能となる。

 

暴力の本質は、身体に対して直接的な影響力を行使することにある。そして憲法は、第18条において奴隷的拘束および苦役を禁止すると共に、第36条において拷問や残虐刑を禁止している。次に思想についてだが、憲法は第19条において思想および良心の自由を保障している。経済について憲法は、第25条において文化的な最低限度の生活を保障すると共に、第29条において財産権を保障している。

 

では、権力に対抗する概念とは何か。憲法には自由、権利、人権などの用語が登場する。権利と人権とは、ほぼ、同じ意味だろう。そしてこれらが措定するのは、国家権力によって侵害されることのない事柄を意味しているに違いない。これは消極的な意味を持つ。他方、自由という言葉には、積極的な意味も含まれるだろう。権力とは離れて、自ら何かを創造しようとする積極的な意味をも包含するに違いない。ここでは、より普遍的な意味を含む自由という言葉を採用しよう。

 

では、自由とは何か。

 

権力に関する3つの区分をベースに考えてみよう。

 

まず、自由とは暴力から解放されることである。

 

次に、自由とは、あらゆる洗脳から解き放たれ、自らの思想を持つことに他ならない。

 

そして、自由とは、経済的に自立し、必要な、若しくは欲しいと思う財産を取得し、維持できるだけの経済力を保持することである。

 

自由という言葉は、広い意味を持っている。そこには、前述したような反権力としての消極的な意味があると同時に、権力を超越した脱権力としての積極的な領域が含まれているに違いない。

 

権力 - 反権力(消極的自由) - 脱権力(積極的自由)

 

ここまで考えると、個々人の生き方に関する説明も可能となる。権力を求める人もいれば、自由を求める人もいるからだ。私は、自由を求めるべきだと思う。永遠に続く権力などというものは、存在しない。完璧な正義というものも、人類史上、確認されたことはない。しかし、権力が粗暴で、醜悪であるということだけは、確かなのだ。だから、人間は自由を求めて生きるべきなのだと思う。