文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

ミシェル・フーコー

反逆のテクノロジー(その22) 言語の領域

言葉というのは、とても不便なものだと思う。もし尋ねられれば、私は「民主主義を支持している」と答えるだろう。しかし、100%そうかと言えば、それは違う。独裁よりはいい。それは確かだ。しかし、愚かで騙されやすい大衆の意向を尊重するのが民主主義であ…

反逆のテクノロジー(その21) アカデミズムの正体

一般大衆がその時代の「知」に近づこうとすると、若しくは「知」について発言しようとすると、これを妨げようとする力が働くような気がしてならない。実際、れいわ新選組の山本太郎氏が街頭で演説をしていたときに「偉そうなことを言うな!」というヤジが飛…

反逆のテクノロジー(その20) 狂気と向き合う技術

20世紀の前半、アメリカに住む黒人たちにとって「トレイン」は様々な意味を持っていたに違いない。乗車賃だって高額だっただろうし、「トレイン」に乗るということは、長距離の移動を意味していた。ロバート・ジョンソンが歌う“Love in Vain”のように、恋人…

反逆のテクノロジー(その19) 権力に対抗する技術

ミシェル・フーコーの著作「知への意志」に、次の一節が記されている。 - 一方には、性愛の術を備えた社会があり、しかも、中国、日本、インド、ローマ、回教圏アラブ社会など、その数は多かった。(中略)それが秘せられねばならぬのは、その対象が汚らわ…

反逆のテクノロジー(その18) 言語化するということ

フーコーは、性に関する事項を自ら告白するという文化は、キリスト教のカトリックに由来すると説明している。カトリックには「キリスト教司教要綱」というものがあって、これに定められた「告解」という手続きに従って、信者たちは自ら犯してしまった罪につ…

反逆のテクノロジー(その17) 知への意志

表題の「知への意志」とは、ミシェル・フーコーの連作、「性の歴史」第1巻のタイトルである。「性の歴史」は当初、全5巻となることが予定されていたが、その3巻までが出版された時点で、フーコーは他界した。タイトルを並べてみよう。 性の歴史 I 知への意志…

反逆のテクノロジー(その16) 監獄の誕生

ミシェル・フーコーの著作「監獄の誕生」は、哲学書のようであり、歴史書のようでもあり、そして文学書のようでもある不思議な作品だ。フーコーは膨大な史料を読み解き、自らの思想については控えめに記述し、史料自体に語らせるという方法で、この本を書き…

反逆のテクノロジー(その15) 想像力の功罪

私が敬愛するブルース・ギタリストの一人に、ジョニー・ウィンターという人がいる。彼はアルビノで、視力もほとんどなかった。アルビノというのは色素欠乏症のことで、肌は透き通るように白い。髪から眉から、とにかく全身が白いのだ。そんなジョニーが愛し…

反逆のテクノロジー(その14) 労働とベーシックインカム

前回の原稿で、人間はその初期設定の段階で狂気を孕んでいる、ということを述べました。このように考えますと、肩の荷が降りたような、少し楽な気持ちになってきます。これまでの私は、自民党はけしからん、モリ・カケ・サクラはどうなっているんだ、とか、…

反逆のテクノロジー(その13) 人間のデフォルト

工場を出荷する段階でのコンピュータは初期設定の状態にあり、これをデフォルトと言う。人間にも、同じことが言えるのではないか。生まれたての人間の状態、人間の初期設定の状態は、どうなっているのだろう。 かつて西洋人は、世界各地を訪れ、先住民たちを…

反逆のテクノロジー(その12) 経済原則に依存した現代のシステム

ミシェル・フーコーは、人間が自ら生きているその時代のエピステーメーを認識することは不可能だと考えていた。そうかも知れない。何しろ、思考の前提から情報から、全て、その時代のエピステーメーに依存しているのだから、それを第三者的に、若しくは客観…

反逆のテクノロジー(その11) 直線の発見

古の哲学者たちは、三角形について考えるのが好きだった。最小限の直線によって、面を構成するのが三角形で、そこから幾何学が始まる。例えば、三角形の内角の和は180度であるとか、そういうことを考えた人がいる。三角形の2辺の長さの和は、残る一辺よりも…

反逆のテクノロジー(その10) 3つの絶望

フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは、その生涯を通じて、少なくとも3つの絶望に直面したのだと思います。本稿では、そのことについて書いてみたいと思います。 1.「人間の終焉」という絶望 最初に挙げたいのは、「言葉と物」のラストを飾る「人…

反逆のテクノロジー(その9)私たちを支配するシステム

私たちが生きている世界は、時間と空間によって成り立っていますが、どちらも連続しています。 「静岡県って、どこだっけ?」 「神奈川県の向こうだろう」 私たちは、大体、こんな風に考える訳です。空間は連続している。その連続性の中で、位置を認識するの…

反逆のテクノロジー(その8) フーコーの地図(思想経歴概略)

初めての街を歩くときは、どんなに粗雑な地図であっても、ないよりはあった方が良い。それと同じで、フーコーの思想を学ぼうとしている今、私は、極めて単純な地図のようなものを提供したいと思ったのです。遂に、フーコーの思想が夢に出てきてうなされるよ…

反逆のテクノロジー(その7) 文体について

こんなブログではありますが、4年もやっておりますと、私なりに「もっと自由に書ける文体はないか」、「もっと深く分かりやすく表現できる文体はないか」などということを考えます。小学校の頃、「だである調」と「ですます調」というのを習いました。原則と…

反逆のテクノロジー(その6) 他者の力

「君、今日は寒いだろ。だから、これが欲しくなるんだよ」 文芸評論家の秋山駿さんは、ホワイトホースの水割りの入ったグラスを揺らしながら、そう言って笑った。早稲田の文学部近くにある喫茶店でのことだった。寒いのに、何故、氷の入ったものを飲むのだろ…

反逆のテクノロジー(その5) 狂気への眼差し

皆様は「狂気」という言葉を聞いて、どのような印象をお持ちになるでしょうか。では、「狂人」と言った場合はどうでしょうか。できれば触れたくない、関わりを持ちたくない、とお感じになるのではないでしょうか。しかしフーコーの場合は、違ったようなので…

反逆のテクノロジー(その4) エピステモロジー(科学認識論)とは何か

ここで、若き日のフーコーを取り巻いていた思想界の状況を見ておくことに致します。 まず、エピステモロジー(科学認識論)ということがある。これが何か、良い解説文がなくて探していたのですが、意外にも哲学の入門書(文献6/末尾参照方)にそれを発見す…

反逆のテクノロジー(その3) 狂気に愛された哲学者

ミシェル・フーコーは、ゲイだった。多くのアカデミックな文献は、あまりそのことに触れていない。私は、たまたま手にした「FOR BEGINNERS」という入門書によって、そのことを知った。この本には、かなり生々しい記述がある。フーコーの遺作は「性の歴史」と…

反逆のテクノロジー(その2) 表意文字と表音文字

同一の言語を使っている民族がいたとして、その民族が認識している対象範囲は、その言語を調査すれば分かる、という話があります。例えば、テレビを持たない民族は、テレビという言葉も持たない。そう言えば、発展途上国に駐在している商社マンから、現地の…

反逆のテクノロジー(その1) はじめに

しばらくこのブログの更新が滞っていましたが、主にフランスの哲学者ミシェル・フーコー(1893-1984)を題材とした新規連載、「反逆のテクノロジー」を始めることに致します。本稿の目的は、フーコーの思想的な軌跡を学術的に検討するというものではありま…