文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

ミシェル・フーコー

フーコー三角形

ミシェル・フーコーの思想を形作る重要な要素は、3つある。それは権力、知、主体であって、これらの3要素を線で結んだものをフーコー三角形と言う。 一体、何の話? そう思った方のために、極めて分かりやすく私の考え方を説明しようというのが、本稿の趣旨…

反逆のテクノロジー(その28) 自己への配慮

自己への配慮とは・・・ - 単に自分の地位においてだけではなく、理性的存在として自分自身を尊重することの重要性である。(中略)自己を自己の行為の主体として構成する際の手がかりとしての自己への関係の強化 (P.57)- であり、 - 配慮すべきは自分…

反逆のテクノロジー(その27) 快楽の活用

ミシェル・フーコーの遺作となった「性の歴史」は3部作となっており、今回取り上げるのは、2番目の作品である。 性の歴史I 知への意志 性の歴史II 快楽の活用 ・・・今回はコレ 性の歴史III 自己への配慮 物事には、因果関係というものがある。原因があって…

反逆のテクノロジー(その26) 「知」を開くリスクマネジメント

今日、東京都におけるコロナ新規感染者は、822人に達した。日本における累計の死者数は2千768人に及ぶ。(NHK調べ) その他にもコロナ不況に伴う解雇や雇止めが広がり、経済的な理由から自殺する人も急増している。大変な時代になった。これはもう、生きてい…

反逆のテクノロジー(その25) 想像力と科学

哲学とは何かという大問題がある訳だが、初心者向けの説明として「神話に準拠しない思考方法」が哲学だと言われている。してみると、歴史的に人間の思考方法には「神話に準拠するもの」と「哲学的なもの」の2つがあることになる。 「神話に準拠する思考方法…

反逆のテクノロジー(その24) 中間的なまとめ

少し、本原稿の主眼なり、途中経過をまとめてみたいと思う。 現在、私はとても不安だし、社会に対する不満も抱えている。私は高齢者なので、コロナだって怖い。そもそも人間の体にはガン細胞が巣くっているのであって、この年まで生きてくると、ガンで死ぬの…

反逆のテクノロジー(その23) 美を扱う技術

美とは何か、という問題を主に考え続けてきたのは、文学者ではないだろうか。例えば、三島由紀夫も美について考えた作家の1人である。彼のギリシャ彫刻趣味や、ボディービルで肉体を鍛え上げるという発想には辟易するが、ただ、滅びゆくものこそが美である、…

反逆のテクノロジー(その22) 言語の領域

言葉というのは、とても不便なものだと思う。もし尋ねられれば、私は「民主主義を支持している」と答えるだろう。しかし、100%そうかと言えば、それは違う。独裁よりはいい。それは確かだ。しかし、愚かで騙されやすい大衆の意向を尊重するのが民主主義であ…

反逆のテクノロジー(その21) アカデミズムの正体

一般大衆がその時代の「知」に近づこうとすると、若しくは「知」について発言しようとすると、これを妨げようとする力が働くような気がしてならない。実際、れいわ新選組の山本太郎氏が街頭で演説をしていたときに「偉そうなことを言うな!」というヤジが飛…

反逆のテクノロジー(その20) 狂気と向き合う技術

20世紀の前半、アメリカに住む黒人たちにとって「トレイン」は様々な意味を持っていたに違いない。乗車賃だって高額だっただろうし、「トレイン」に乗るということは、長距離の移動を意味していた。ロバート・ジョンソンが歌う“Love in Vain”のように、恋人…

反逆のテクノロジー(その19) 権力に対抗する技術

ミシェル・フーコーの著作「知への意志」に、次の一節が記されている。 - 一方には、性愛の術を備えた社会があり、しかも、中国、日本、インド、ローマ、回教圏アラブ社会など、その数は多かった。(中略)それが秘せられねばならぬのは、その対象が汚らわ…

反逆のテクノロジー(その18) 言語化するということ

フーコーは、性に関する事項を自ら告白するという文化は、キリスト教のカトリックに由来すると説明している。カトリックには「キリスト教司教要綱」というものがあって、これに定められた「告解」という手続きに従って、信者たちは自ら犯してしまった罪につ…

反逆のテクノロジー(その17) 知への意志

表題の「知への意志」とは、ミシェル・フーコーの連作、「性の歴史」第1巻のタイトルである。「性の歴史」は当初、全5巻となることが予定されていたが、その3巻までが出版された時点で、フーコーは他界した。タイトルを並べてみよう。 性の歴史 I 知への意志…

反逆のテクノロジー(その16) 監獄の誕生

ミシェル・フーコーの著作「監獄の誕生」は、哲学書のようであり、歴史書のようでもあり、そして文学書のようでもある不思議な作品だ。フーコーは膨大な史料を読み解き、自らの思想については控えめに記述し、史料自体に語らせるという方法で、この本を書き…

反逆のテクノロジー(その15) 想像力の功罪

私が敬愛するブルース・ギタリストの一人に、ジョニー・ウィンターという人がいる。彼はアルビノで、視力もほとんどなかった。アルビノというのは色素欠乏症のことで、肌は透き通るように白い。髪から眉から、とにかく全身が白いのだ。そんなジョニーが愛し…

反逆のテクノロジー(その14) 労働とベーシックインカム

前回の原稿で、人間はその初期設定の段階で狂気を孕んでいる、ということを述べました。このように考えますと、肩の荷が降りたような、少し楽な気持ちになってきます。これまでの私は、自民党はけしからん、モリ・カケ・サクラはどうなっているんだ、とか、…

反逆のテクノロジー(その13) 人間のデフォルト

工場を出荷する段階でのコンピュータは初期設定の状態にあり、これをデフォルトと言う。人間にも、同じことが言えるのではないか。生まれたての人間の状態、人間の初期設定の状態は、どうなっているのだろう。 かつて西洋人は、世界各地を訪れ、先住民たちを…

反逆のテクノロジー(その12) 経済原則に依存した現代のシステム

ミシェル・フーコーは、人間が自ら生きているその時代のエピステーメーを認識することは不可能だと考えていた。そうかも知れない。何しろ、思考の前提から情報から、全て、その時代のエピステーメーに依存しているのだから、それを第三者的に、若しくは客観…

反逆のテクノロジー(その11) 直線の発見

古の哲学者たちは、三角形について考えるのが好きだった。最小限の直線によって、面を構成するのが三角形で、そこから幾何学が始まる。例えば、三角形の内角の和は180度であるとか、そういうことを考えた人がいる。三角形の2辺の長さの和は、残る一辺よりも…

反逆のテクノロジー(その10) 3つの絶望

フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは、その生涯を通じて、少なくとも3つの絶望に直面したのだと思います。本稿では、そのことについて書いてみたいと思います。 1.「人間の終焉」という絶望 最初に挙げたいのは、「言葉と物」のラストを飾る「人…

反逆のテクノロジー(その9)私たちを支配するシステム

私たちが生きている世界は、時間と空間によって成り立っていますが、どちらも連続しています。 「静岡県って、どこだっけ?」 「神奈川県の向こうだろう」 私たちは、大体、こんな風に考える訳です。空間は連続している。その連続性の中で、位置を認識するの…

反逆のテクノロジー(その8) フーコーの地図(思想経歴概略)

初めての街を歩くときは、どんなに粗雑な地図であっても、ないよりはあった方が良い。それと同じで、フーコーの思想を学ぼうとしている今、私は、極めて単純な地図のようなものを提供したいと思ったのです。遂に、フーコーの思想が夢に出てきてうなされるよ…

反逆のテクノロジー(その7) 文体について

こんなブログではありますが、4年もやっておりますと、私なりに「もっと自由に書ける文体はないか」、「もっと深く分かりやすく表現できる文体はないか」などということを考えます。小学校の頃、「だである調」と「ですます調」というのを習いました。原則と…

反逆のテクノロジー(その6) 他者の力

「君、今日は寒いだろ。だから、これが欲しくなるんだよ」 文芸評論家の秋山駿さんは、ホワイトホースの水割りの入ったグラスを揺らしながら、そう言って笑った。早稲田の文学部近くにある喫茶店でのことだった。寒いのに、何故、氷の入ったものを飲むのだろ…

反逆のテクノロジー(その5) 狂気への眼差し

皆様は「狂気」という言葉を聞いて、どのような印象をお持ちになるでしょうか。では、「狂人」と言った場合はどうでしょうか。できれば触れたくない、関わりを持ちたくない、とお感じになるのではないでしょうか。しかしフーコーの場合は、違ったようなので…

反逆のテクノロジー(その4) エピステモロジー(科学認識論)とは何か

ここで、若き日のフーコーを取り巻いていた思想界の状況を見ておくことに致します。 まず、エピステモロジー(科学認識論)ということがある。これが何か、良い解説文がなくて探していたのですが、意外にも哲学の入門書(文献6/末尾参照方)にそれを発見す…

反逆のテクノロジー(その3) 狂気に愛された哲学者

ミシェル・フーコーは、ゲイだった。多くのアカデミックな文献は、あまりそのことに触れていない。私は、たまたま手にした「FOR BEGINNERS」という入門書によって、そのことを知った。この本には、かなり生々しい記述がある。フーコーの遺作は「性の歴史」と…

反逆のテクノロジー(その2) 表意文字と表音文字

同一の言語を使っている民族がいたとして、その民族が認識している対象範囲は、その言語を調査すれば分かる、という話があります。例えば、テレビを持たない民族は、テレビという言葉も持たない。そう言えば、発展途上国に駐在している商社マンから、現地の…

反逆のテクノロジー(その1) はじめに

しばらくこのブログの更新が滞っていましたが、主にフランスの哲学者ミシェル・フーコー(1893-1984)を題材とした新規連載、「反逆のテクノロジー」を始めることに致します。本稿の目的は、フーコーの思想的な軌跡を学術的に検討するというものではありま…