文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

ヒーローの条件

現代に生きる私たちは、社会的な課題や心の問題を抱えています。これらを解決するためのヒントは、古代の文化にあるのではないか。そう思って、このブログでは、主に古代の文化を研究してまいりました。

 

古代とはいつ頃の時代を指して言うのかという問題もありますが、これは人間が文字を持つ前の社会だと考えて良いと思います。文字を持たない“無文字社会”の人々は、どのように物事を認識し、いかに困難を克服して来たのか。そういうことを考えている訳です。文字がないので、無文字社会の文化を直接的に表現している書物は存在しない。そこで、無文字社会について調査、検討することは困難を極める訳ですが、幸い、民俗学文化人類学の学者、フィールドワーカーの方々の努力によって、ある程度、研究は進んで来ています。例えば、私たちの身近な所では、今もアイヌの文化が生きている。アイヌの人々は、文字を持っていなかったのです。

 

私なりにアイヌの文化を学んでみた所、“シャーマニズム”に行き当たった。この言葉の源は、シベリアに住むエヴェンキ族の言語に由来すると言われています。(他の説もあります。)彼らは、森や湖に精霊が宿っており、精霊に祈りを捧げることによって、例えば病気を治すなど、困難を克服することができると考えていた。その祈りを捧げる際にリーダーシップを発揮するのが、シャーマンです。一方、アイヌの人々は、動物や自然など、彼らが認識しようとする全ての対象に、カムイが存在すると考えた。だからアイヌの人々は、カムイに祈りを捧げる。

 

当初、シャーマニズムはシベリア地方に固有の文化だと考えられていましたが、研究が進むにつれ、それは世界的に共通する古代の文化であったことが分かってきます。そして、日本も例外ではないと思うのです。

 

かつて日本のどこかに存在していたと言われる邪馬台国には、卑弥呼という女性シャーマンがいた。古くから日本では修験道の山伏が、ホラ貝を持って山中で修行を続けています。この山伏も、病気を治すための儀式を取り仕切ってきました。そして、日本には神道があって、神主が神様に祈りを捧げている。古代の神道は、天皇制を生み、天皇陛下は今日も護国豊穣を願って、神様に祈っている。日本という国も例外ではなく、古代においては、シャーマニズムがその文化の中核をなしていたのだと思います。

 

では、シャーマニズムの構造とは、どうなっているのでしょうか。まず、文化を共有する人間集団がある。例えば、精霊に祈るのか、カムイに祈るのか、そういう文化的なバックグランドを共有している人間集団がある。これを私は、“文化共同体”と呼んでいます。

 

そして、文化共同体の構成メンバーの一人、若しくはその全体が、困難に直面する。例えば、誰かが病気になったり、日照りが続いて、共同体の全体が困難に向き合うということがある訳です。そこで、シャーマンが登場し、文化共同体のメンバーが集まって、祈りを捧げる。こういう構造になっているのだと思うのです。

 

1. 文化共同体が存在する。
2. 文化共同体が困難に直面する。
3. シャーマンが登場する。
4. 祈りを捧げる。

 

このような文化的な構造は、実は、今日にも生き続けているのではないか。もちろん、その形態は分化し、様々なバリエーションを持つようになって来た。例えば、病気を治す医者、若者を熱狂させるロックスター、人前で芸を披露する芸人、そして政治家など、全てその起源は同じで、シャーマニズムから来ていると思うのです。

 

では、シャーマンになれる人の条件について、考えてみましょう。

 

まず、文化共同体のメンバーである必要があります。例えば、アイヌの儀式において、精霊に祈りを捧げたのでは、話になりません。

 

次に、大変な苦労を経験し、それを乗り越えた人でなければいけません。例えば、恐山には死者の魂を呼び起こす“イタコ”と呼ばれる女性がおられます。彼女たちは、目の不自由な人が多いそうです。同じ東北で“ゴミソ”と呼ばれる女性がおられる。彼女たちは、離婚するなどの理由により、家を出ざるを得なかった。そこで、山野へ移り、祠などを宿として生活をする。やがて、師匠を見つけて修行を積み、祈祷師としての生活に入る。これはもう、大変なご苦労を経験されている。

 

3番目としては、普通の人には真似できないようなことをやってみせる、ということがあります。自分が真のシャーマンであることを、証明してみせる必要がある訳です。あるフィールドワーカーが、シャーマンに対し疑念を示した。すると、そのシャーマンはいきなり自分の体にナイフを突き刺した、という逸話があります。その他にも、自分の体にヤリを突き刺す、炭を食べる、などの事例が報告されています。

 

4番目としては、他の誰よりも、その共同体が持っている文化や利益を守ろうという情熱を持っていること。例えば、シベリア地方の人々であれば、森に精霊が住んでいると考える。その精霊に祈れば、誰かの病気が治る。そう信じている訳で、そこに一かけらの疑念があったり、誠実さを欠いていたりした場合、人々はそのシャーマンを信じません。シャーマンとは、全身全霊を尽くして、命がけで、共同体の文化を守ろうとする。例えば、雨乞いの儀式をあるシャーマンが仕切る。それでも雨は降って来ない。そういうことは当然、ある訳です。すると、あのシャーマンは偽物だと言われ、場合によっては共同体のメンバーから殺されてしまう。長い歴史の中には、そういうこともあったのではないか。誇張ではなく、本当にシャーマンというのは命がけだった。

 

(もう一つ、5番目として、シャーマンは境界を超えた人でなければならない。私はそう思っているのですが、この話をするとややこしくなるので、本稿では省略します。)

 

まとめてみましょう。

 

1. 文化共同体のメンバーであること。
2. 人生の苦労を経験し、それを乗り越えた人であること。
3. 普通の人には真似できないことをやれること。
4. 誰よりも、共同体の文化や利益を守ろうとする情熱を持っていること。

 

無文字社会におけるシャーマン。これを現代社会に置き換えると、どのような言葉が相応しいでしょうか。“ヒーロー”というのはどうでしょうか。その人は、単なるリーダーではありません。人々の心の奥底に働き掛け、共同体の文化と利益を守るために、命懸けで何かを実行するのです。だから、人々はヒーローの言葉に耳を傾け、ヒーローの一挙手一投足に注目するのです。そして、人々はヒーローを通じて大切な何かを認識し、意思決定を下す。

 

現在、日本という国に住む全ての人々は、同じ言語を母語としています。すなわち、この国に住む全ての人々は、文化共同体を形成していると言えます。そして私たちの共同体は、今、大変な危機に直面しています。私は、日米FTAがそれだと思っています。だから、私たちには、ヒーローが必要なのです。真のヒーローを選ばなければ、私たちはこの危機を乗り越えることができません。では・・・

 

私たちのヒーローは、東大卒の学歴エリートでしょうか? 違います。

 

私たちのヒーローは、お金持ちでしょうか? もちろん、違います。

 

私たちのヒーローは、世襲の政治家でしょうか? とんでもありません。

 

私たちのヒーローは、日米FTAの危険性について、捨て身で、今、辻説法をしている人ではないでしょうか。

 

山本太郎(れいわ新選組代表)街頭記者会見福島県郡山市 2019年11月16日
(日米FTAに関する話は、1時間36分頃から)
https://www.youtube.com/watch?v=87xqJptAA3w

 

末筆になり恐縮ですが、私の原稿をツイッターやブログなどで拡散いただきました方々、本当に有難うございました。この場を借りて、お礼申し上げます。