文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 143 対米従属と憲法9条(その1)

少し前の原稿で、民族が南北に分断されている韓国は悲惨な状況にあると書きましたが、“文化”という基軸で見れば、日本もそれ程、幸福な状況にある訳ではないと思います。戦後72年もたっていると言うのに、少なくとも軍事的な意味では、日本は未だにアメリカに支配されており、独立できていない。私がそう考える理由をまずは箇条書きで記します。

・北海道から沖縄まで、日本には134か所もの米軍基地があり、51,794人の米軍が駐留している。(2009年3月現在)日本列島は、あたかも米軍の不沈空母のようです。そして、駐留米軍には“日米地位協定”という治外法権が適用されている。
・沖縄の人々が懇願しているにも関わらず、米軍は沖縄から撤退しない。
・日米合同委員会なる組織によって、日本の官僚組織は、米軍から指示を受けている。
・米国の立場を忖度するあまり、唯一の被爆国であるにも関わらず、日本は核兵器禁止条約に参加できなかった。

他にも色々あるでしょうが、上記の4項目だけでも十分ではないでしょうか。そして、自民党政権というのは、対米従属を積極的に容認している。これは、集団的自衛権を規定した安全保障関連法を成立させたこと、北朝鮮問題などでも安倍総理が率先して、アメリカの方針を支持していることなどからも、明らかだと思います。

元来、政治が扱うべき最重要課題は国の安全保障だと思うのですが、この課題について、日本で本格的な論議は行われていないように思います。野党が食い下がっても、政権党や政府は、論理的に反駁することがない。「そんなことを言ったって、現実的に考えれば、アメリカに守ってもらうしか方法はないだろう。まったくもって、野党の連中ときたら、俺たちがどれだけ苦労してアメリカと折衝していると思っているんだ」。これが本音ではないでしょうか。しかし、建前としてそれを言うことはできない。そう言ってしまうと、日本の世論は反米に向かうでしょうし、アメリカから怒られてしまう。本音と建前が解離しているから、ロジカルな論議というものが成立しないのではないかと思うのです。

加えて、日本の右翼も親米であって、これはちょっと奇妙な現象だと思います。本当に日本と日本民族を愛しているのであれば、沖縄へ行って「米軍は出て行け!」と主張しても良さそうなものですが、そういう右翼はいません。このように考えますと、合理的な理由ではなく、相当数の日本人がある種の集団心理に陥っているのではないか、と思うのです。

第2次世界大戦があって、東京大空襲があった。沖縄戦があった。広島と長崎に原爆を投下され、日本人はさんざんな目にあった。日本人はアメリカにコテンパンにやっつけられてしまった。そこで、例えば“触らぬ神に祟りなし”ということになったのではないか。

ちょっと、やけっぱちになって、こんな想像をしてみました。そもそも日本人は、“やおろずの神”を信仰してきた訳で、キツネだって神様になれる。よって、アメリカが神様になれないはずがない。そこで、神様の祟りを怖れた日本人は、自民党という名の神社を建てた。5年程前にその神社に安倍という名の神主がやってきた。今度の神主は、どうも神様の受けが良いようだ。何しろ、あの神様と27ホールもゴルフをやってきたそうだ。神主は彼に限る。モリ・カケなんて、小さなことはどうでも良い。余計なことを言うな。神様の祟りが怖くないのか。さあ、拝め、拝め!

冗談はさておき、4割程度の日本人が、何らかの集団的心理状態に陥っている可能性は否定できないと思います。そして、3割程度が“疎外”されていて、政治に対する興味を失っている。残る3割が、いわゆるリベラルではないでしょうか。

自民党が政権党として築いてきた今日の政治システムというのは、戦後の日本という国家のシステムそのものであるかも知れません。対米従属、経済最優先、官僚支配の許認可制度とメディア統制。ただ、このシステムで、これ以上日本の民主主義が深まることはない。日本の文化が進化することもないと思うのです。日本は、本当にアメリカから独立できないのでしょうか。

No. 142 文化の構造図(Version 2)

 

前回までのシリーズで、重要なことが分かったように思います。各国は、それぞれ発展途上にある。“行きつ戻りつ”を繰り返しながらも、長い目で見れば、人間社会は集団を大きくする方向に向かっていて、その最終形は地球規模で共存を目指すルールであるはずだ。未完ではあるものの、国連憲章などは、その試みであろう。従って、多様性を許容するのが、より進化した文化の特徴である。

また、文化は特定の方向に向かって、進化を続けている。一度生まれた文化は、ある程度の規模を持つと、消え去ることがない。だから、より進化した文化というものは、過去の蓄積を含め、多くの選択肢を持つ。この点、難しいことを言っている訳ではありません。例えば、スーパーマーケットに行ってみる。日本のスーパーには、無数の食品が置いてありますね。例えば、味噌がある。醤油がある。これは、過去の歴史の産物です。そして、最新の食品まである。例えば、ビールなどもその種類は豊富で、糖質、プリン体ゼロのものまである。これは、例えば江戸時代の食生活と比べてみれば、各段にその選択肢が増えていると言えます。より進化した文化においては、人々は多くの選択肢の中からチョイスすることができるので、文化というのは必然的に、より良い方向に進化する。(いずれ、人類は核兵器の廃絶に成功するのではないか。)

ところで、このブログを40日程休む前に、私はこう述べました。シャーマニズム以降が分からない、と。しかし、今は、その答えが見つかったような気がします。かつて掲載しました文化の構造図をバージョンアップさせ、以下に記します。

<文化の構造図(Version 2)>
1. 遊び
2. 言葉
3. アニミズム
4. 物語・・・文学
5. 呪術・・・美術
6. 祭祀・・・音楽、踊り、ファッション
7. シャーマニズム
8. 文字
9. 宗教
10. 宗教国家(封建制、王権制、君主制民族主義
11. 哲学・・・科学
12. 法治国家立憲主義、民主主義)
13. 世界統一ルール

人類は、5千年程前に文字を発明しました。そこで、扱える情報量が拡大すると共に、情報の伝達、記録という機能も各段に増加したのです。そこで、聖書や法典を作ることが可能となり、宗教が生まれた。宗教は、武力と結合して、集団を統治するようになった。そして、このブログでは宗教国家と呼んでいる封建制君主制の国家が生まれる。やがて、宗教に対して異議を唱える哲学者が出てくる。実証主義のような考え方が生まれ、哲学から科学が派生する。また、哲学から法律という概念も抽出される。やがて、アメリカの独立戦争フランス革命などを経て、法治主義立憲主義、民主主義などの概念が確立されていく。2回の世界大戦を経て、人類は国際連合を作り出す。しかし、その機能は現在も限定的で、世界統一ルールの策定に向け、人類は進化の途上にある。

今は、そんな風に思っています。大分、範囲が広くなりましたが、“文化”というものを考えて来た結果、宗教の段階で終わりにする訳にはいかなかったのです。また、このブログに掲載致しました全ての原稿は、上図のいずれかの場所に関係しているはずです。

なお、一神教イデオロギーのように考えを固定するつもりはありません。Version 3なるものが、将来生まれるかも知れません。この点は、予めご了承ください。

このブログを途中からお読みいただいている方々もおられると思いますので、いずれ、上図を簡単に説明するシリーズを立ち上げたいと思っています。但し、今は衆院選の前ということもありますので、次回からは“対米従属と憲法9条”というシリーズを開始したいと思っております。ご興味ある方、是非、宜しくお願い致します。

No. 141 集団スケールと政治の現在(その14)

 

1. 個人
2. 血縁集団
3. 帰属集団
4. 組織集団・・・・・・・・・・韓国
5. 民族
6. 一神教イデオロギー・・・・中国
7. 民主国家・・・・・・・・・・アメリカ
8. グローバリズム

今回の衆院選につきましては、どの党がどれだけ議席数を獲得するか、総理が誰になるのか、という点がポイントになる訳ですが、私は別の興味も持っています。それは、民進党参議院議員の動向です。今は、選挙に向けて各地に散らばり、必死に選挙戦を戦っていますが、選挙が終われば、東京に集まって今後の方針を論議することになります。前原氏のシナリオでは、全員が希望の党へ合流するということでしょうが、果たしてそうなるでしょうか。50人近くの議員がいる訳で、中には立憲民主党へ行きたいという人もいるはずです。そもそも、踏み絵を踏ませて“排除”するような政党には行きたくない、と思っている人も少なくないでしょう。これは、楽しみですね。旧民進党のグループが希望の党を乗っ取るか、はたまた希望の党が分裂するか。今回、無所属で出馬している人たちを含め、色んな動きがありそうですね。

 

さて、本論に入りましょう。今回は、集団スケールの一覧に基づき、私たちに比較的身近な外国の状況を考えてみます。

 

まず、韓国。韓国の大統領は、任期中、若しくは任期終了後に逮捕されるという不思議な現象が続いています。中には、大統領を降りてから自殺した人までいるようです。パク・クネ氏は任期中に収監されましたが、その際の裁判などは、国民の意向を斟酌して公正な判決は下されなかったという説もあります。してみると、韓国は未だ民主国家、法治国家の域には達していない。韓国の主な宗教は、儒教だと思われますが、これは強固な主張を持っておらず、アニミズムに近いように思います。すなわち、一神教イデオロギーもない。次に小さな集団スケールは“民族”ということになりますが、朝鮮民族は南北に分断されているため、民族主義で国をまとめることはできません。強いて言えば、サムソンなどの旧財閥系の組織集団があるだけだと思うのです。経済もうまく行っていないし、北朝鮮からの挑発もひっきりなしです。これは、かなり悲惨な状況にある。こういう事情が背景にあって、韓国の国民のメンタリティを統合しているのは、“反日”しかないのではないか。日本の悪口ばかり言って腹立たしい限りではありますが、“反日”を止めたら、国のまとまりがなくなってしまう。それが、韓国だと思います。

 

次に、中国ですが、これは共産党一党独裁ということで、集団スケールとしては6番目のイデオロギーということになります。中国は多民族国家なので、民族主義によって、国家を統一することはできません。では、民主国家へ移行するというアイディアはどうでしょうか。北京や上海などの臨海部におきましては、経済水準も教育水準も高い。従って、この地域限定であれば、民主国家への移行も困難ではないように思います。しかし、中国には13億5千万人の人々が住んでいる。山間部までを含めて、一斉に民主国家へ移行するとなると、どんな政治家が選出されるのか、どんな法案が可決されるのか、はなはだ不安であると言わざるを得ません。ついこの間まで、中国では北京で発布された法律が、地方まで浸透するには相当時間が掛かると言われていました。法律を知らない退役軍人が弁護士をやっているという噂もありました。そうしてみると、中国が民主主義、法治国家へ移行するためには、まず、教育や社会システムの合理化から着手する必要がありそうです。

 

では、アメリカはどうでしょうか。アメリカは立憲主義、民主主義の国です。2大政党制も機能しています。そもそもアメリカは、移民による多民族国家だったので、とにかくルールを決めて、合意を形成していくという方法しかなかったようにも思えます。また、アメリカでは、宗教、主にキリスト教ですが、これを信仰している人の割合は、ヨーロッパよりもかなり高い。そういう統計が出ています。これは、国家としての歴史が浅いことと、関係しているような気がします。また、民族という観点から言えば、民族の数が多過ぎて、これは人々を識別する基準たり得ない。同じ白人でも、元をたどればドイツ系だ、フランス系だということになってしまう。そこで、民族ではなく、人種、すなわち肌の色で人々を差別するという悪習が残っている。最近も、白人至上主義者のデモが、リベラリストの集団と衝突したというニュースがありましたね。白人至上主義とは、なんて時代錯誤な発想なんだろうと思いますが、彼らにはこういう主張があるようです。すなわち、就職でも、社会保障でも、黒人を守る法律が沢山あって、黒人は守られている。他方、白人である自分たちは、不景気で職に就くのもままならず、差別されている。これって、日本でヘイトスピーチをしている人たちの主張と、似ているんです。日本では、在日韓国人生活保護費などを認定され易い仕組みがあって、他にも法律上優遇されている。よって、日本人である自分たちは差別されている。やはり、民族主義、人種差別を行う人たちのメンタリティとしては、背後に“疎外”の問題があるのではないか。

 

話を戻しましょう。集団スケールで考えますと、韓国には多様性がない。他方、アメリカの場合は、あらゆるスケールで集団が存在している。多様性がある、と思うのです。この点を整理してみますと、人間社会というのは、その集団スケールを拡大する方向で進化していて、かつ、スケールの小さな集団もなくなる訳ではない。すなわち、人間社会の進化というのは、集団のスケールを大きくすると共に、その多様性を増して行く方向で、進化しているのではないか。人間社会は、ある方向性を持って進化している。

 

大変な問題にぶつかってしまいました。ただ、この点について論じた先人は、少なくない。先人たちは、この問題を例えば“歴史的必然”と呼んで来たのではないかと思うのです。ある方向で人間社会が進化する。それは、歴史的な必然だったのだ、と。そして、昔の人はその方向性というのは、神が、若しくは神に類似する何者かによって、指し示されていると考えた。

 

しかし、文化について考えてきた私としては、仮説として、次のメカニズムを提示することができる。

 

例えば、ある特定の文化領域において、現在の私たちは、A、B、Cという3つの選択肢を持っている。そして、今後100年の間に、DとEという新たな選択肢が発明されたとします。100年後、ある人がどうしようかと考える。現代の私たちには、3つの選択肢しかありませんが、100年後のその人には、5つの選択肢がある訳です。やっぱり、新しい、Eにしようと考えるかも知れません。若しくは、新しいEと古いAを組み合わせて、更に新しいFという選択肢を発明するかも知れない。

 

(古い) A、B、C → D、E、新発明F (新しい)

 

このようなメカニズムによって、長い目で見れば、人間社会というのは必ず、良い方向に向かうのではないか。これは神の意志でも、歴史的必然でもない。文化のメカニズムなのだ、と思います。ちょっと、明るい話になって来ました。

No. 140 集団スケールと政治の現在(その13)

 

1. 個人
2. 血縁集団
3. 帰属集団
4. 組織集団・・・・・・・・・・公明党民進党
5. 民族・・・・・・・・・・・・自民党(?)、希望の党(?)
6. 一神教イデオロギー・・・・共産党
7. 民主国家・・・・・・・・・・該当なし
8. グローバリズム

相変わらず希望の党に関するニュースが流れ、それらを見るたびに私の血圧は上昇してしまいます。一つ言えるのは、先に書きました私の読みは、大体当たっているだろうということです。選挙後に小池一派と前原組の権力闘争が始まる、という推測です。多分、希望の党の支持率は急落しているので、選挙後には責任問題が浮上する。それを見越して、前原氏は同党の重職に就くのは嫌だ、そう思っている。思うような結果を残せなかった場合、「全ての責任は小池氏にある」と言いたい。そう言える余地を残しておきたい。ただ、旧民進党の枠の中で、前原氏の責任を追及する動きも出てきそうです。政治の世界って、本当に怖いですね。

 

さて、本論に入りましょう。冒頭の一覧で私が考えていることの結論を先に申し上げます。私は、各政党の立脚点というのは、番号が大きい程良い、という原則があると思うのです。例えば、モリカケ問題などは、安倍総理のオトモダチを優遇するので問題となった。オトモダチというのは帰属集団で、番号は3です。最終的には、8番のグローバリズムということになりますが、現在、人類はその域に達していません。そのため、7番の“民主国家”を当面の目標とするのが現実的ではないか、と思うのです。もちろん、ここで言う民主国家とは、立憲主義法治主義に基づくものです。民族主義とは全く違います。現在の日本には、いわゆる大和民族の他にアイヌ民族琉球民族の方々がおられ、そしてアイヌ民族にはカムイという神がいて、琉球民族にも独自の信仰がある。これら複数の民族に対し、「共存する意志を持て」と言っているのが、日本国憲法です。更に、日本には主に大陸からこられた移民の方々もおられる。これら全ての方々を含めて、民主国家、日本は構成されている。そういう意味で、私は、民主国家としての日本国の利益を考える政党というものが、目指すべき位相であると考えています。しかし、残念ながらこの観点から言って、100点満点の政党というものは、現在の日本に存在しない。これが結論です。

 

前回の原稿で自民党について言及しましたが、ちょっと補足致します。自民党の安全保障政策というのは、対米従属にある。一方、そのメンタリティは民族主義にある。この2つは、論理的には整合しません。本当に大和民族が重要だと思っているのであれば、外国に従属するとは何事だ、ということになるはずなんです。大和民族の独立を目指せ、という主張があって然るべきだと思うのです。しかし、自民党からそういう主張は出て来ない。してみると、自民党民族主義というのは、本物ではない。確かに、8月には靖国神社にお参りする議員もいますし、安倍政権の大半の閣僚は、極右とも言われる日本会議に参加しています。しかし、これらの事項は、単に票を集めるための行動なのではないか。このように解釈しますと、自民党という政党の本質は、特段のメンタリティを持たず、ひたすら対米従属、経済優先、そして票を集めるためのポピュリズムにある、と見る方が正確かも知れません。敗戦後の混乱の中から、日本は経済を復興させてきた。そのために自民党が果たした役割は大きい。しかし問題は、戦後72年が経過した今日においても対米従属を継続している。集団的自衛権を定めた安全保障関連法というは、自民党の対米従属という姿勢が、はからずも白日の下にさらされた事例ではないかと思うのです。この対米従属を是とするのか否か、これこそが現在の日本の政党を識別するモノサシであるべきかも知れません。

 

以下、駆け足で他の政党を見て行きましょう。まず、共産党ですが、これは6番のイデオロギーという位相に軸足を持っている。番号としては、大きい方です。宗教よりはイデオロギーの方が、科学に近い。しかし、共産主義を唱えたマルクスという人は、日本で言えば江戸時代の人なんですね。問題は、そこから時代の変化に対応する柔軟性を持っているのか、ということだと思います。イデオロギーという一つの仮説に固執するのは、良いことではありません。志位委員長の在任期間が長いことからしても、党内に民主主義が根付いているのか、疑問があります。他方、今回の民進党解体劇のようなことが起こっても、共産党はぶれない。そういう強みがあることも確かではあります。

次に公明党ですが、これは創価学会宗教法人として享受している税制上の利益などを守ろうとしていると言われています。創価学会は、組織集団という位置づけになります。これも、“民主国家”からは程遠い。但し、安倍政権による憲法9条の変更について、現在、公明党は慎重姿勢を見せており、この点は評価できます。私は、政教分離は徹底するべきだという立場を取っていますが、公明党が今後も政治活動を継続するのであれば、もっと平和主義に徹していただきたいものです。

 

民進党の支持基盤は、連合ですね。これも組織集団です。その意味で、公明党創価学会を支持基盤としているのと、位相としては同じだと思うのです。特定の支持団体を持つと、どうしても掲げる政策も支持団体の利益を優先せざるを得ない。これがしがらみです。なお、連合自体、内部矛盾を抱えている。その加盟労組の中には、共産党系もあれば、かつての御用組合のような反共産党系の組合まである。連合の内部矛盾が、そのまま民進党に持ち込まれていたとも言えます。民進党が解党しようとしている現在、連合自体も岐路に立たされています。

 

希望の党は、今のところ、数合わせの政党であって、その特徴は自民党と変わらないように思えます。

 

立憲民進党ですが、民族、宗教、イデオロギーに依存しないという意味では、最も民主国家の位相に近い政党だと思います。一つ残念なのは、連合に選挙協力を求めている点です。こんなことを言いますと、お叱りを受けそうですね。

「君のように理想論ばかり言っていては、政治は動かないんだよ。現実問題として、一体誰がポスターを張ってくれるんだ。政治には、お金だって必要なんだよ!」

ご説ごもっとも。しかし、もっとネットが普及すれば、そういう手間もお金もかからない選挙ができるようになると思います。あと、10年もたてば、状況が一変するのでは?

そう言えば、小沢一郎氏が率いる自由党を忘れていました。民進党が分裂して、現在、自由党の皆さんは苦境に立たされているようです。小沢氏としては、希望の党のように自民党との連立など、さらさら考えていないでしょうが、今は、選挙後の希望の党の内部抗争を見据えている。今は、動くべき時ではない。そう思っているものと推測します。

 

このように概観してきますと、現在の日本の政治状況というのは、“民主国家”の位相を目指してはいるが、まだ、そこに到達はしていない、と言えるのではないでしょうか。

No. 139 集団スケールと政治の現在(その12)

集団スケールの項目が出揃いましたので、これに基づいて、主要な政党について考えてみたいと思います。

1. 個人
2. 血縁集団
3. 帰属集団
4. 組織集団・・・・・・・・・・公明党民進党
5. 民族・・・・・・・・・・・・自民党
6. 一神教イデオロギー・・・・共産党
7. 民主国家・・・・・・・・・・???
8. グローバリズム

まずは、戦後の歴史を簡単に振り返ってみます。

1945年: 敗戦
1946年: 日本国憲法公布
1947年: 日本国憲法施行
1949年: 中華人民共和国 建国
1950年: 朝鮮戦争 勃発
1950年: レッドパージ日本共産党、非合法化)

1947年に施行された日本国憲法ですが、その第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と書いてあります。しかし、当時のGHQを脅かす事件が相次いで起こったのです。まず、共産主義国家としての中国が建国され、更に、北朝鮮が38度線を越えて、韓国側に侵攻しました。そして、この戦いに中国が参戦したのです。アメリカは韓国側を支援し、北朝鮮および中国の軍隊を38度線まで後退させます。この際、在日米軍の大半が朝鮮半島に行ってしまったため、在日米軍基地を守る人員がいなくなってしまいました。そこで、日本に警察予備隊なるものを作らせ、在日米軍基地を守らせたようです。これが、後の自衛隊となったようです。

憲法は作ったものの、GHQとしては、国際的な広がりを見せる共産主義勢力をなんとかする必要にかられました。日本においてまで、共産主義革命が起きてはかなわない、ということです。そこで、1950年にいわゆるレッドパージを行ないました。これは、日本共産党を非合法化するもので、徹底的な弾圧が下されたのです。

GHQとしては、共産党を弾圧すると共に、なんとか日本における資本主義勢力を強化したいと考えた。そこで、白羽の矢が立ったのが、今の自民党だと思われます。岸信介の時代だと思いますが、アメリカのCIAが自民党に資金援助をしていた、という話もあります。

GHQとしては、日本が戦時中のように軍事大国化するのは困る。かと言って、共産主義に染まるのも困る、と考えた訳です。そこで、軍事に関することはアメリカに任せろ、日本は経済発展だけ考えておけばいい、という方針になった。これは日本にとって、メリット、デメリットの双方があったものと思います。日本は経済に専念できる。そのため、戦後の復旧は進みましたし、その後の高度成長経済を成し遂げることもできたのです。反面、日本は、軍事面においてはアメリカに従属せざるを得なくなった。詳細は分かりませんが、 “日米合同委員会”というものが発足し、これは今日も続いている。この会議に参加しているのは、日本の主要な官僚とアメリカ軍で、その会議録は非公開とされているようです。この会議などを通じて、アメリカは戦後72年が経過した今日においても、日本を支配している。そんな例は、他国には存在しないようです。ただ、アメリカばかりを責める訳にも行きません。この“日米合同委員会”のメンバーになることは、官僚にとってはエリートコースに乗ることを意味しているからです。官僚の権力のバックボーンとなっている訳ですね。だから、日本の官僚としても、“日米合同委員会”の存続をずっと、希望し続けてきたものと思われます。ここに、日本における官僚支配の影の理由がある。

一方、自民党ですが、上記の経緯に基づきますと、基本的に軍事的なことを考える必要はない。これはアメリカに頭を下げてさえいれば、いい訳です。経済だけ考えておけばいい。だから、自民党はいつの時代でも、経済最優先なんだろうと思います。経済最優先なので、自民党は財界との繋がりが深い。今でも、経団連から多額の寄付をもらっている。

また、集団的自衛権を定めた安全保障関連法につきましても、その背景が見えて来ます。「日米安全保障条約に基づき、アメリカ人は日本人のために血を流さなければならない。それなのに、アメリカ軍が攻められている時に、日本人は助けてもくれないのか。そんなことでは、今後、アメリカが日本を守ってあげられるかどうか分からないぞ」。そんな主張が、“日米合同委員会”を通じて、日本側に伝えられたのではないでしょうか。(事実、トランプ氏は、大統領就任直後だったと思いますが、前記のような発言をしています。)そんな事情があったので、自民党は是が非でも、安全保障関連法案を国会で通す必要があると考えたのではないでしょうか。

上記の経緯と仕組みに基づき、日本は今でもアメリカに支配されているのです。もちろん私も、日本がアメリカに勝てるとは思いません。アメリカの原子力空母など、写真をみただけで、震え上がってしまいます。他方で、アメリカ支配のしわ寄せを受けているのが沖縄だと思うのです。難しい問題です。

上記の経緯を見ますと、自民党の本質が見えてくるように思うのです。軍事については対米従属、政策は経済優先ということになります。そして、1950年頃のメンタリティというものを考えますと、やはり国家神道の影響が色濃く残っていた。と言うよりは、他に選択肢がなかったのだと思います。共産主義に染まるよりは、そちらの方がまだましだとGHQも考えたのでしょう。そういうメンタリティが、自民党では今日まで続いているように思います。

No. 138 集団スケールと政治の現在(その11)

(集団スケール一覧)
1. 個人
2. 血縁集団
3. 帰属集団・・・顔と名前が一致する範囲
4. 組織集団・・・職業別団体、宗教団体、集票ターゲット
5. 民族・・・天皇制、宗教国家
6. 一神教イデオロギー・・・キリスト教イスラム教、共産主義
7. 民主国家・・・日本国憲法、自由、平等、共存しようとする意志
8. グローバリズム・・・国連、国際協定

このように考えてきますと、純粋な右翼の方々が尊重しているのは、5番の“民族”という位相であり、他方、私が尊重している価値観というのは、7番の“民主国家”にあることが分かります。

また、アメリカの軍事攻撃によってイラクという国家を破壊された人々が、イスラム国という国家ではない宗教団体に回帰していったことも頷けます。

さて、今回の原稿で、私の考える集団スケールの一覧は、全て網羅することになります。

歴史的時間の経過と共に、集団のスケールを拡大し続けてきた人類ですが、いつか国家という単位では解決できない問題に直面します。まず、不幸なことに戦争のスケールまで拡大してしまったということがある。戦争までが、世界的な規模になってしまった。第1次世界大戦があって、その反省から1920年国際連盟が設立されました。それでも第2次世界大戦が勃発し、終戦の年、1945年に国際連合が設立されたのです。

そして、地球温暖化の問題が生じます。この問題に対処するため、2015年にパリ協定が締結されます。

更に、核兵器の問題がある。核兵器というのは、素人の私などが考えるより、簡単に作れるものなのでしょうか? これを保有する国は増える一方で、どうやら北朝鮮までもが手にしたようです。もう、危なくって仕方がない。どこかの地域紛争で核兵器が使用され、その紛争が拡大した場合には、もう地球の環境は人類が住めない程に破壊されてしまうのではないでしょうか。これは流石にマズイということで、2017年7月7日に核兵器禁止条約が締結されます。しかし、残念ながらアメリカの顔色を窺っている日本は、この条約を批准しませんでした。世界で唯一の被爆国である日本には、日本にしか果たせない役割があるはずなのに、それを放棄してしまった。

さて、国家を超えるスケールの集団ということを考えますと、EUの試みがある。イギリスは脱退するようですが・・・。

長い目で見ますと、人類は、国家を超えるスケールの集団を作る方向に向かっていると言えます。最終的には、地球規模ということになるのでしょう。“世界統一政府”などと言う人もいるようですが、地球規模での集団を構成するための第一歩は、共通のルールを作るところから始まるのだろうと思います。この流れは、止まらない。そして、止めてはいけないと思うのです。そうしなければ解決できない問題に、既に人類は直面している。これはもう、明白な事実です。

トランプ大統領が“アメリカ・ファースト”などと言っていますが、これは歴史の流れに逆行するものです。ただ、グローバル規模での統一ルールの作成が、簡単でないことも事実です。そうしてみると、現在の世界の政治状況というのは、国家という集団スケールから、地球規模での集団スケールに移行する途上にあると言えます。

地球規模での集団スケールということを考えますと、私は、ジョン・レノンのイマジンを思い出します。 Imagine there is no country ・・・。

No. 136 集団スケールと政治の現在(その10)

(集団スケール一覧、今回までに言及した部分)

1. 個人

2. 血縁集団

3. 帰属集団・・・顔と名前が一致する範囲

4. 組織集団・・・職業別団体、宗教団体、集票ターゲット

5. 民族・・・天皇制、宗教国家

6. 一神教イデオロギー・・・キリスト教イスラム教、共産主義

7. 民主国家

 

上に記しました一覧を見ても分かる通り、人間は民族、宗教、イデオロギーによって集団を分断し、互いに戦って来たものと思われます。他にも男女の別とか、階級とか、様々な要素があると思いますが、大所は前記の3つではないでしょうか。ところが、更に大きな集団を考えると、ここでコペルニクス的転回が生じるのです。すなわち、人間を集団によって分断しないんだ、という考え方が出てくる。「共存しようとする意思」と言っても良いと思うのです。あなたがどの民族であろうと、どの宗教を信じていようと、どのようなイデオロギーを持っていようと、構いません。それはあなたの自由です。共に生きていきましょう、と。そして、このような考え方は、国家という規模の集団において、具現化する。そのような国家をここでは「民主国家」と呼ぶことにします。

 

前述の考え方は、一般に近代思想と呼ばれているものと思いますが、その中核をなす発想は「共存しようとする意思」にあるのではないか。あなたの民族、宗教、イデオロギーにはこだわりませんよ、ということは、過度にあなたには干渉しませんよ、という意味であり、これがすなわち「自由」という概念に繋がっていると思うのです。更に、あなたの属性にはこだわりませんよ、という考え方から、「平等」という理念が生まれる。皆、平等なんだという前提条件から、その帰結として、多数決による「民主主義」という制度が生まれる。多数決で決めるためには、一人ひとりが良く考えて、自分の意見を持たなければならない。だから、個人が尊重されるべきだという価値観が生まれる。

 

「共存しようとする意思」に基づいて集団を運営するためには、法律が必要となります。何故なら、民族のトップである王様や天皇が物事を決めてはならない。教祖様に何かを決めていただく訳にもいかない。そして、特定のイデオロギーに基づく独裁的な政党に決定権を渡す訳にもいかない。そんなことをすれば、再び、集団間の対立が生まれてしまう。そこで、共存するためのルールを紙に書いて、皆で合意することにしよう、ということになる。これが法律であり、法治主義の起源だと思うのです。更に言えば、法律によって統治するに相応しい集団の規模はと言うと、それが国家ということになる。国家を統治するために特に重要なことは憲法に定めようという発想もあり、この考え方を立憲主義と呼ぶのだと思います。

 

ヘーゲルがどのような意味を込めて言ったのかは知りませんが、もし、上記のような意味であれば、民主国家という集団の位相は、明らかにそれ以前の集団を超えており、正にアウフヘーベンしている。

 

思えば、昨年の7月にスタートしたこのブログですが、入り口は文化人類学でした。しかし、文化人類学で分かるのは宗教までなんですね。そして私は幾度となく「敵と味方を識別して集団で戦うシステム」について、批判してきました。しかし、やっとここに至って、「敵と味方を識別しないで、集団で戦わないシステム」というものに出会うことができました。

 

「共存しようとする意思」。我が日本国憲法を貫く精神も、実はここにあるのだと思います。第14条1項を引用させていただきます。

 

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

感動を禁じ得ません。