文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 152 こんな本があったとは!

 

昨日、バスに揺られながら、いつもの本屋に向かっていました。窓の外には、夕暮れ時の街並みが見えています。ラーメン屋の看板がある。自動車ディーラーのネオンが光っている。道路標識が見える。ああ、なんということでしょう。この世は、記号に充ちている!

ところで、個別の文化を考えてみますと、それは明らかに進化している。そんな例は、いくらでもあります。例えば、絵画の歴史を振り返ってみますと、それは壁画から始まり、やがて絵の具や画布が発明される。やがて、人々は遠近法を発明し、外界をそっくりキャンバスに写し出すことに成功した。そういうことをやり尽くしてしまうと、今度は、画家の印象を強調するような技法が生み出される。これが、印象派の仕事です。更に次のステップで、画家は外界の対象物から離れ、自らの心象を描こうと試みる。これが、抽象絵画ということになります。明らかに進化している。

ジャズの世界で言えば、帝王マイルス・デイビスビバップと呼ばれるスタイルを学ぶところから始まった。やがて彼は、クール、モード、エレクトリック、ファンクと、次々に新しいスタイルを生み出していった。

また、文化というのは、集団によって保有されているとも言えます。上の例で言えば、あのゴッホだって、一人であのスタイルを確立した訳ではありません。スーラが発明した点描画という技法に着想をえて、点ではなく、短い線で描くというスタイルを確立した。あのマイルス・デイビスだって、最初はチャーリー・パーカーから、ビバッブを学んだんです。もっと言えば、トランペットという楽器にも長い歴史があるはずで、その楽器がなければ、マイルスはあのような音楽を演奏することはできなかった。そして絵画は、それをみる人がいるから、文化として成立している。それを聞く人がいなければ、音楽だって成立しない。

では、集団にとっての文化とは、どういうものなのでしょうか。ある意味それは、人気投票に似ているのではないか。カップラーメンを例に考えてみましょう。スーパーへ行くと、無数のカップラーメンが売られている。消費者は、それぞれの好みに応じて、どれにするか吟味する訳です。そして、大量に売れる商品は生き残り、そうでない商品は消えていく。例えば、カップヌードルというロングセラーの商品がありますが、これは今日まで多数の支持を得て、勝ち残ってきた訳です。逆に、例えば私が好きだったとんこつ味の“めんこく”という商品がありましたが、いつの間にか消えてしまいました。他にも、消えていった商品は無数にあるでしょう。すなわち、文化というのは、選挙と言いますか、常に人気投票という厳しい選抜試験に晒されているのではないでしょうか。この原則は、商品に限ったものではなく、例えばハロウィンという文化だって、そこに参加する人がいなくなれば、消えていきます。このように考えますと、文化が生き残るか否かという問題は、ダーウィンの進化論に似ているのではないか。適者のみが生き残る。適者生存ですね。そして、突然変異によって、進化する。動物の進化は、遺伝子の突然変異によって発生しますが、文化の場合は天才の出現によって、進化するのではないか。例えば、ゴッホマイルス・デイビスのような・・・。

そんなことを考えながら、本屋へ着いた訳ですが、驚いたことにこんな本があったんです。

 

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私よりも先に、私よりも本格的に、そんなことを考えている人がいたんですね。世界は広い!

No. 151 記号化する若者たち

前回の原稿で、文化には精神文化、物質文化、そしてその中間に位置する中間文化があるのではないか、と述べました。(「中間文化」というのは、私がそう言っているだけで、学術用語ではありません。)このように考えますと、私たちは朝起きてから、夜、眠るまで常に文化の中にいることが分かります。人間というのは、自らが作り出した文化の中で生きて、文化の中で死んでいく。そういう動物なんですね。

 

さて、文化を3種類に分けて考えますと、見えてくることがあります。まず精神文化ですが、これは中世の宗教において一つの頂点を迎え、それが近代に入って哲学や自然科学によって否定され、遂には民主主義に至る。その要諦は、日本国憲法に書いてある。言ってみれば、もう70年も前に、完成してしまったんですね。その後も思想だとか文学の世界で、色々な人たちが様々な意見をのべたり、作品を作ってきた訳ですが、日本国憲法の3原則を超えるような価値観というのは、未だに生み出されていないのではないか。若い人たちは、そのことに気付いているのかも知れません。

 

次に物質文化ですが、その発展にも、一定の限度があるような気がします。例えば、冷蔵庫は家に1台あればいい。電子レンジだって同じですね。確かに現代のスーパーマーケットには、食品が溢れていますが、そうは言っても我々日本人が食べる量には、限度がある。そして、私たちは既に必要なモノを概ね、手に入れてしまった。

 

このように考えますと、今、最もエキサイティングに発展しているのは、中間文化なのではないか。典型例として、絵画というものがある。現実に存在する自然だとか、動物や人間の姿を表したものが絵画な訳ですが、やがて物質文化の産物としてカメラができる。ひとたび、飽きられてしまったような気がしますが、デジカメなるものが登場し、ネット上のインスタグラムにアップするという楽しみ方が生まれる。更に、これが動画に発展し、こちらもYouTubeにアップできる。昔の人物画は、漫画やイラストとなり、大量に創作される。このブログのように文字による情報も、今やネットに溢れています。1975年頃、近代という時代が終わり、ポストモダン、すなわち現代という時代が幕を開けたものと思われますが、現代という時代が育んでいる中間文化は、ネットに依存している比率がとても大きい。

 

現代の若者たちは、既に、中世に生まれた宗教を信仰していない。近代思想も持たない。モノに執着しない。極端に言えば、彼らは最早、人間にすら興味を持っていないのではないでしょうか。彼らは、多分、インターネットに象徴される中間文化の中で、その居場所を探している。そんな気がします。そして、そのためには、自らを記号化し、記号化された自分を演じているのではないか。例えばTwitterを始めるためには、自らのハンドルネームとアイコンと呼ばれる象徴的な写真が必要です。もちろん、これらも記号です。ハロウィンに参加して楽しむためには、ゾンビとかピエロの格好をして、他の人たちとは区別され、目立つようにしなければなりません。これが、記号化だと思います。例えば、体にタトゥーを入れる。これも自らの身体を他人のそれとは区別する、すなわち記号化が目的なのではないでしょうか。

 

信仰も思想も持たない、モノにもあまり興味のない彼らが、自らのアイデンティティーを確立する最も手っ取り早い方法が、記号化だと思うのです。そう言えば、Lineのスタンプなんてものも流行っていますね。

 

この自らを記号化するというメンタリティは、古代人に通ずるものです。狩猟、採集を生業としていた古代人も、今風に言えばコスプレをしていました。装飾品を身にまとい、入れ墨も好んでやっていたようです。

 

私は、ゾンビの格好をしてハロウィンを楽しんでいる若者たちを批判するつもりはありません。遊んだらいいと思います。遊びの中からこそ、新しい文化は生まれるのです。彼らだって、翌日には真面目に学校や職場に行っているのでしょう。ただ、古代人のメンタリティ、その本質は「感覚」にあると思うのですが、それだけというのは、ちょっと寂しい気が致します。

No. 150 私たちが生きている世界

10月末は、ハロウィンということで、渋谷などは大変な人出だったようです。これは文化の類型からすれば、「6. 祭祀」に該当すると思います。ハロウィンの起源は、古代ケルト人が始めたそうです。ケルト人と言えば、紀元前から存在していた民族なので、当初は動物の格好をして練り歩いていたのではないでしょうか。その後、魔女の格好をしたり、現代に至ってはゾンビの格好など、変遷を遂げてきたものと思います。それにしても、文化というのは、やはり時空を超えて伝播するものなんですね。21世紀の日本でこんなものが流行るとは驚きです。

 

さて、前回の原稿の末尾にも添付致しました「文化の構造図(Version 2)ですが、「遊び」から「世界統一ルール」へと至る一連の項目を眺めておりますと、これらは物の見事に、物体へと繋がらないことが分かります。文化人類学では、これらの文化を精神文化(spiritual culture)と呼んでいるようです。ところが、そこから派生してくる絵画などは現実に存在していて、見ることができる。彫刻ならば、手で触れることだってできる訳です。これはどういうことでしょうか。

 

人間は、想像上の目に見えない観念だとか、感情というものを、何とか現実の世界で表現したいと願ってきたのではないでしょうか。例えば、誰か親しい人が怪我をしてしまったり、病気になったりする。そういう時に、一日も早いその人の回復を願う。その気持ちを現実に表わすため、人々は、例えば千羽鶴を折る。例えば、宗教上の信仰を具現化するために、人々は巨大なお寺や神社を建立してきた。仏像を作ったり、イエス様やマリア様の像を作るのも、同じ理由ではないでしょうか。これらの目に見える文化は、人間の想像力と現実世界の中間にあるという意味で、便宜上、「中間文化」と呼ぶことにします。

 

すると、精神文化があって、中間文化があるとすれば、その先に物質文化(material culture)というものを想定せざるを得ません。この物質文化という用語は、文化人類学でも用いられている学術用語です。人類の歴史を振り返りますと、かなり早い段階から火を扱ってきた。そして、狩猟に用いるヤリを発明する。弓矢を作り出す。カヌーのような船も、相当前から作られています。何しろ、オーストラリアの先住民であるアボリジニは、船を使ってオーストラリア大陸に辿り着いたのですから。

 

精神文化の構造というのは、まず、想像力があって、仮説をたて、ルールにおいて帰結する。例えば、山を眺める。何か神秘的な感じがする。神様がいるのではないかと想像する。そんな時に、ふとキツネと遭遇する。驚いたキツネは、足早に去っていく訳ですが、途中、キツネは振り返る習性があるそうです。何度も振り返りながら去って行くキツネを見ていると、ある仮説に辿り着く。あのキツネは、神様の使いだったのではないか。そこで、稲荷神社を建立して、お詣りするというルールに至る。

 

これに対して物質文化というのは、衣食住など、人々の生活に根差した欲求が原動力になっているものと思われます。もっと沢山食料が欲しい、もっと楽をしたい。そこから、仮説に至る。例えば、木材が海に浮かんでいるのを見て、何とかすればそれに乗ることができるのではないかという仮説を立てる。木材を加工し、実際に検証してみる。そして、木彫りの船ができる。

 

精神文化・・・想像、仮説、ルール

 

物質文化・・・欲求、仮説、検証

 

科学と物質文化の関係ですが、物質文化が進展し、近代化したある時点をもって、科学という概念が生まれたものと思います。よって、物質文化という大きな概念があって、その一部が科学であると考えた方が良さそうです。

 

このように考えますと、私たちが生きている世界というのは、自然と、精神文化と、中間文化、物質文化の4つの要素によって構成されていると言えるのではないでしょうか。

No. 149 "私"から、”私たち”へ(その2)

 

前回の原稿で、少し大江健三郎氏などに対し、批判的なことを述べましたが、若干、補足させていただきます。

 

文学以外のジャンルでも同じかも知れませんが、芸術家というのは、誰しも個人的な経験であったり、感性であったり、考え方などから出発するのだろうと思います。しかしながら、それらが直接作品に持ち込まれると、その作品は読者なり受け手となる人に伝わりにくくなる。よって、その個人的な事柄を一度、普遍化する、抽象化するという手続が必要だと思うのです。そうすることによって、作家、芸術家の視点は、正に“私”から“私たち”に昇華するのだと思います。

 

例えば、以前、このブログで紹介致しました武田泰淳の「ひかりごけ」という短編小説があります。これは、難破船の船長が極限的な飢餓状況にあって、他の乗組員の遺体を食べてしまい、後日、裁判にかけられるというものです。この作品を読みますと、私は、もしかすると自分が船長の立場にもなり得る、と思う訳です。船長ばかりではありません。もしかすると船長に食べられてしまう船員の立場にも、そして、裁判で船長を糾弾する裁判官の立場にもなり得るのではないか、という恐怖感を覚えます。そして、人間とは何か、その本性を垣間見ることになるのです。この作品などは、明らかに“私”という視点ではなく、“私たち”という視点で描かれている。横光利一の「時間」という短編小説も同じです。ここには、愚かではあるけれども、愛すべき旅芸人の人間集団が描かれています。こちらも、“私たち”なんです。

 

さて、“私たち”に興味を持ち始めた私は、文化人類学に出会いました。少し勉強が進んだところで、文化を構成する諸要素について、これらには時間的な順序があって、各要素はつながっているはずだ、と思ったのです。しかしながら、体系的にそのような説明を行っている文献は、見つかりません。そこで、サラリーマン上がりの私は、早速、「アニミズム」だとか「呪術」などとポストイットに書き出して見たのです。机の上にそれらを並べ、考えては順番を入れ替えるという作業を繰り返しました。そして、ある程度自分なりに納得ができた時点で、このブログを立ち上げたのでした。

 

参考文献(文献1)によれば、19世紀にE. タイラーという人がいて、アニミズム → 多神教 → 一神教 という順序で進むという文化進化論的な説を唱えたそうです。その後も呪術が宗教の原初形態である(J. フレイザー)とか、いやいやトーテミズムが宗教の起源だ(E. デユルケーム)、という説などが唱えられたそうです。以下、文献1から抜粋させていただきます。

 

20世紀半ばになると、C・レヴィ=ストロースは非西洋を「未開」と呼び、非合理で理解不能なものを呪術や迷信として説明したかのように思い込むことによって、「未開と文明」という対立の図式を再生産しているとして、それ以前の文化人類学の宗教研究の問題点を指摘した。そうした批判を受けて、文化人類学は、文化進化論的な考え方に基づいて考えることを止めただけでなく、宗教の起源論という文化人類学にとって重要なテーマも手放すことになった。

 

僭越ながら申し上げますと、上記引用部分の最後に記載されている「宗教の起源論という文化人類学にとって重要なテーマ」を扱ったのが、このブログの発端だと言えます。そして、その後、私がレヴィ=ストロースとは異なる立場を取り、「文化進化論」という言葉に行き当たったのも、自然な流れであったものと思われます。

 

ただ、レヴィ=ストロース以降の文化人類学が提唱した2つの価値観について、私はこれを踏襲しようと思っています。1つには、例えば文字を持たない人間集団を野蛮人などと表現して、侮蔑してはいけないこと。2つ目としては、無文字社会の人々に対し、我々の価値観を押し付けてはいけない、ということ。これは経験的に、うまくいかないことが立証されています。

 

このブログの冒頭におきましては、言葉から始めて、宗教に至るプロセスについて概観した訳ですが、文化人類学で扱っている文化の分野というのは、そこまでなんです。仮に文化の最終形が宗教だとすると、私自身、どこかの新興宗教団体にでも加入しなくてはならない。それは嫌だ。困り果てた私は、そうだ、文化の進化プロセスの副産物として、文学、美術、音楽などの芸術が生まれたに違いないと思いました。そうこうするうちに、文化の起源は言葉ではなく、更にその前に遊びがあったのだと気づくのです。そして遊びの原理から、文化が無限に発展し続けるダイナミズムというものが分かってくる。この時期は、私としても大変、充実感をもっていました。

 

その後、山を上り詰めてしまったような虚脱感もあり、40日程このブログを休憩させていただいたのですが、その間、人間集団との関係から文化を眺めて見たいと思うようになり、新シリーズ“集団スケールと政治の現在”を始めます。今にして思えば、このシリーズをライオンの話から始めたのは、失敗でした。ライオンの話は、機会があれば改めて記載したいと思ってはいるのですが・・・。しかし、このシリーズを続けていく途中で、私は文化の最終形は「宗教」ではない。その先もずっと続いているのだ、という確信に至ります。宗教と武力が一体となり、宗教国家(封建制国家)が生まれる。そこで、宗教戦争などの暴力が蔓延するのですが、特にヨーロッパにおけるそれは、日本人には想像もつかない程、凄惨を極めたようです。ヨーロッパでは、振り子が極端に暴力的な方向に振れてしまった。その反動があって、宗教だとか封建制に対する疑問が出て来たのだろうと思います。そして、歴史の中で宗教や王権制に疑問を持つ人々が現われる。例えば、ニーチェは「神は死んだ」と言った。ガリレオは地動説を唱え、ダーウィンが進化論を提唱した。やがて、これらの考え方が民主主義を生む。歴史的な時間軸で考えますと、国家だとか政治も、文化であると言わざるを得ません。従って、文化とは何か、もう一度定義し直す必要がありそうです。

 

皆様の便宜のために、微調整を行った「文化の構造図(Version 2)」を添付しておきます。

 

<文化の構造図(Version 2)>
1. 遊び
2. 言葉
3. アニミズム
4. 物語・・・文学
5. 呪術・・・美術
6. 祭祀・・・儀式、祭り、音楽、踊り、ファッション
7. シャーマニズム
8. 文字
9. 宗教
10. 宗教国家(封建制、王権制、君主制民族主義
11. 哲学・・・科学
12. 法治国家立憲主義、民主主義)・・・政治
13. 世界統一ルール・・・国連

 

(参考文献)
文献1: 文化人類学/内堀基光 奥野克己/放送大学教育振興会/2014

No. 148 ”私”から、”私たち”へ(その1)

 

雨の日が続きますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。今日、吉野家へ行ったところ、メニューに季節限定の「牛すき鍋膳」が追加されていました。もう、冬はすぐそこです。

 

さて、衆院選も終わり、少しこのブログを振り返ってみました。非公式なものを含めますと全部で165の記事を掲載したことになり、これを原稿用紙に換算しますと千枚を超えることが分かりました。チリも積もれば山となると言いますが、ちょっとした感慨があります。また、このブログの特徴は“ひたすら文化について考える”という点にある訳ですが、そんなことをやっているブログというのは、極めて稀だと思います。もしかすると、他にそんな例はないのかも知れませんね。そこで、私が何故こんなことをしているのか、振り返ってみることにしました。

 

遡ること半世紀、私は小学校の5年でした。担任の先生は国語が専門だったのですが、ある日、クラスの生徒全員に文庫本が配布されたのです。有島武郎の“一房の葡萄”だったように記憶しています。先生曰く、「これが文庫本というものである。字は小さいが、大人はこういうものを読んでいる。皆さんも、文庫本に慣れ親しむように。また、読み終わったら文庫本の裏表紙の内側に読み終わった日付と感想を書くと良い」。そうか、大人はこういう本を読んでいるのだ、と感動した私は、自分も少し大人になったような気分で、先生の指示を忠実に実行したのでした。最初は童話のようなものを読んでいました。アンデルセンとかグリムも読んだ記憶があります。ただ、文庫本で子供向けのものというのは、当時、そう多くはありませんでした。一通り読み終えてしまうと、少し大人向けの本にも手を出しました。

 

やがて、川端康成ノーベル賞を受賞し、私が14歳の時、三島由紀夫が自決しました。そんな社会的な出来事もあって、私は、文学に興味を抱くようになったのです。しかし、途中で、文学に違和感を抱くようになります。例えば川端康成ですが、当時でも、既に伊豆には旅芸人の一座はいませんでした。「トンネルを抜けると」から始まる“雪国”には、確か駒子という芸者が登場しますが、待てど暮らせど、私はそのように魅力的な芸者さんに出会うことはできませんでした。三島由紀夫の小説は「美しきものは滅びなければならない」というテーゼに貫かれているようですが、では、何故、そうなのか。その答えは書いていない。その後、三島の背景を調べるため武士道に関する本も数冊読みましたが、そこにも納得のできる答えは見つからなかった。結局、右翼というのはメンタリティの問題であって、ロジックに基づく思想はないという結論に至った訳です。その詳細は既にこのブログに記載した通りです。大江健三郎の小説も読みました。ある時、私は大江のこんな言葉に出会ったのです。「私は、息子のことを離れて小説を書いたことはない」。ご案内の通り、彼の息子さんは障害を持たれている。ご苦労があったことは、理解できます。しかし、私はこう思ったのです。それは作家の個人的な体験であり、読者である私がそれを共有することはできない。加えて、日本文学には私小説の系譜というものがあって、作品の中で述べることは個人的な体験であるべきだ、という既成概念まであった。対する私の考え方というのは、個人的な体験をそのまま描いても、それは読者に共有されない。読者に何かを伝えるためには、書きたいと思っていることを普遍化する、若しくは抽象化する必要がある、ということでした。

 

日本で言えば、第二次世界大戦まで、個人とか自由という概念はほとんど語られて来なかった。(板垣退助自由民権運動などの例外はあります。)そして戦後、日本国憲法が制定され、一気に個人主義的な発想が台頭したのではないでしょうか。そこで、近代の思想だとか文学は、個人、すなわち“私とは何か”という問いから出発したのだと思うのです。しかし、端的に言えば、私はこの問いの設定自体に違和感を持ったのです。

 

例えば、私が江戸時代に生まれていたとすれば、私はチョンマゲを結っていたに違いありません。(それは、あなたも同じです!)もっと昔、例えば3千年前の日本に生まれていたならば、多分、私は今頃、ヤリを持ってイノシシを追いかけていたでしょう。個人というのは、時間的、空間的制約の中で生きている。換言すれば、個人というのは、ある背景となる条件があって、その条件の中で生きているに過ぎないのではないか。そして、その背景となる条件は、時として、大きく動く。例えば、私が愛して止まなかったロックミュージックは、1975年頃を境に、急速に衰退していった。(この頃、モダンからポストモダンへと時代のメンタリティが動いたことは、既に述べた通りです。)何か、集団に共通する心理的な状態というものがあるのではないか。

 

そう思い始めた私は、例えば、ユング集合的無意識という考え方に惹かれたのでした。その後、トランスパーソナルにも興味を持ちました。すなわち個人というのは、どこか深い所で、実はつながっているのではないか、という考え方です。ここに至って、私は“私たちとは何か”という問いを設定したのです。

 

ダーウィンの進化論にも興味を持ちました。これは、突然変異と適者生存をベースに生物の進化を説明するものですが、本当にそうでしょうか。例えば、生物の中には保護色を持つものがいます。しかし、自分の体がその背景となる地面などと同じ色になっているのかどうか、それをその個体が自分で確認することはできない。そうしてみると、やはり、個体を見ている別の個体というものを設定し、個体同士が何らかのコミュニケーションを取っていると考えないと、ある個体が自らの体を保護色に染めることはできないはずだ、などと考えた訳です。しかし、今日ではダーウィニズム分子生物学のレベルまで発展していて、極度に文科系(理数系がまるでダメという意味)の私には手に負えない問題だということが分かってきます。

 

八方塞がりになってしまった私は、それでも、個人(個体)に多大な影響を与えているある条件とは何か、すなわち“私たちとは何か”ということをどうしても知りたいと願っていました。そしてある日私は、文化人類学に出会ったのです。

No. 147 憲法とは、文化の結晶である

 

未だホモサピエンスが言語すら持っていなかった頃、誰かが、動物の真似をしてみた。例えば、鳥のさえずりを真似てみた。その瞬間、文化の歴史が始まったに違いありません。やがて人類は、遊びながら意味を発見し、ルールを作った。ルールは言葉となり、呪術となり、宗教となった。宗教の発展と共に、人間集団の規模も大きくなっていった。

 

憲法学者長谷部恭男氏は、宗教改革以降の歴史を次のように説明しています。

 

宗教改革があって、宗派が別れ、宗教戦争が始まった。対立する宗派が、血で血を洗う殺し合いを続けた。やがて人々は、そんな殺し合いが嫌になった。そこで、死んだ後に天国に行けるかどうかという宗教上の問題と、生きている間の現世を分けて考えることにした。そして、現世を更に公私に区分けした。私的な空間、例えば自宅にいる間は自由に暮らして良い。一方、公の空間にいる間は、一定のルールに従うのが良いだろう。人々は、そう考えた。これが法治主義、ひいては立憲主義の起源である。

 

宗教上の集団は、更に進化し、国家となる。では、日本という国があるから、日本国憲法があるのでしょうか。私は、違うと思います。日本国憲法があるから、民主国家としての日本が存在していると思うのです。仮に日本国憲法がなかったとしても、日本の領土とそこに暮らす人々は存在するでしょう。しかし、その国家としての特質は、例えば戦前の国家神道なり、現在の北朝鮮のようなものになるのではないでしょうか。

 

文化は、集団によって所有されています。そして、多くの場合、文化とは目に見えない。手で触れることができない。そのため、私たちは時として、文化の重要性を忘れてしまいます。憲法も同じです。それは、目に見えない。触れることができない。しかし、現代日本の私たちは、憲法という文化に抱かれて、日々の暮らしを営んでいます。

 

日本国憲法のことをGHQに押し付けられたものだ、と言って批判する人がいます。私の意見は違います。GHQはただ、ペンを走らせ、文字を刻んだに過ぎません。日本国憲法に定められている3大原則、すなわち、国民主権基本的人権の尊重、平和主義という考え方の根底には「宗教、民族、イデオロギーの違いを乗り超えて共に生きよ」とする歴史が育んだ人類の英知がある。

 

権力者が憲法違反の法律を作るなどもっての他ですが、だからと言って、憲法というのは神棚に飾っておけば良い、というものでもありません。全ての文化が今日まで進化を続けてきたように、憲法もこれをより良いものへと進化させなければなりません。簡単なことではありませんが、それは主権者である国民のみがなしえることです。

 

さて、上に記したことを理解している日本人は、どれだけいるでしょうか。3割程度ではないでしょうか。そうであれば、その3割の人たちが、憲法の意味を他の人に説明する必要がある。特に大人には、人生経験や知識が不足しがちな若者に対して、これを説明する責任があるのではないでしょうか。そして、このことを理解する人の割合が5割を超えた時に、日本という国家が保有する文化において、コペルニクス的な転回が生じるのではないか、と思うのです。既に3割の人たちは気づいている。あと、少しなんです。

 

文化進化論の立場から、今後の日本の政治は、次のように進化していくものと推測しております。

 

1. 国民の過半数が、立憲主義、民主主義の重要性を理解する。
2. 日本に健全な2大政党制が生まれる。
3. 数年に渡り、国民の間で憲法論議が交わされる。
4. 国民投票により、憲法が改正される。
5. 日本は、対米追従を止め、本当の意味での独立国となる。
6. 民主主義が深まり、日本は他国からも尊敬される国家となる。

 

さて、明日は衆院選挙の投票日です。明日が、上記のシナリオを踏み出す記念すべき1日となることを願って止みません。

No. 146 対米従属と憲法9条(その4)

未だに護憲派改憲派か、などという不毛な報道が繰り返されていますが、言うまでもなく、憲法改正に賛成と言っても、どの条文をどう変更するのかによって、その意味は全く異なります。そして緊急性があるかという問題は別にして、憲法問題の本丸は9条にあります。今回は、各政党のスタンスなどを中心に、憲法9条について考えてみることに致します。

 

1. 非武装中立・・・・・・・・・・・・・憲法9条2項/共産、社民
2. 武装中立・・・・・・・・・・・・・・安倍改憲
3. 個別的自衛権・・・・・・・・・・・・専守防衛
4. 日本の周辺でのみ米軍を防護する・・・維新、旧民進、(立憲)
5. 世界中で米軍を防護する・・・・・・・集団的自衛権違憲/自民、公明

 

では、順に見ていきましょう。まず、1番の非武装中立ですが、これは軍隊を持たない、交戦権も放棄するという考え方で、憲法9条2項に明記されている考え方です。この条文を変更すべきではない、と主張しているのは共産党です。社民党は、若干曖昧なところもありますが、福島瑞穂氏などは「9条を守れ」と盛んに言っておりますので、一応、共産党と同じ主張であろうかと思われます。主張の根幹は、憲法9条というのは、日本が目指すべき目標であって、9条があるから戦後72年間、日本は戦争に巻き込まれることなく平和に暮らすことができた、という点にあろうかと思われます。実際、かつての日本はアメリカからの圧力に対し「お金は出せるけれども、憲法9条があるので自衛隊は派遣できない」と言って、海外派兵を拒否してきた経緯もあります。では、仮に日本が外国から軍事攻撃を受けた場合はどうするのか、という疑問が沸いて来ます。この点、共産党の志位委員長は、「攻撃を受けないように、対話によって問題を解決する」と説明しています。しかし、設問としては「対話によっては解決できず、日本が攻撃を受けた場合にどうするのか」という点にある訳で、共産党はこの問いに対して、明確には答えていないようです。現実問題としては、3番の個別的自衛権までは認めざるを得ないものと思われます。

 

次に2番の「武装中立」ですが、安倍総理が主張している改憲案がこれに当たります。9条に3項を設け、自衛隊の存在は合憲であることを明確にするという案です。「災害救助など自衛隊の人たちには、本当に頭が下がる。この程度であれば、安倍総理が言うように9条を改正してもいいかな」と思われる方も多いのではないでしょうか。しかし、この案には2つの問題があります。第1には、9条2項との関係です。9条2項には明確に非武装中立、すなわち軍隊を持たない、と書いている訳で、この条文を残したまま、自衛隊を軍隊としてどう認めることができるのか。自民党は、未だに具体的な改憲案を示していませんが、それが公開された時点で、注意深くチェックしてみる必要があります。第2の問題点は、法律上のちょっとテクニカルな問題です。これは、「後からできた法律などが優先される」という法律解釈に関する問題です。既に日本には、5番の「世界中で米軍を防護する」という法律が存在しています。これは、憲法違反の法律です。しかし、この法律が現存するまま、安倍総理が主張するような憲法改正を行いますと、5番の憲法違反の法律を追認してしまうことになる、という問題があるのです。

 

次に、3番の個別的自衛権ですが、これはあくまでも日本が武力攻撃を受けた場合に反撃できるという考え方で、政府見解、学説(長谷部恭男氏、小林節氏 他)共にこれを合憲であると認めています。前述の通り、現実問題としては、共産党社民党もこれに異論はないものと思われます。

 

4番の「日本の周辺でのみ米軍を防護する」という考え方ですが、これは個別的自衛権集団的自衛権の中間に位置するような考え方だと思われます。元来、アメリカは日米安保条約に基づき、日本が第三国から攻撃を受けた場合、日本を防護する義務を負っています。これは、アメリカにとっては集団的自衛権ですね。アメリカは、日本を守ってくれる。仮に、北朝鮮が日本を攻撃しようとする。アメリカの艦隊が日本海にやって来る。アメリカは明らかに日本を防護しようとしている。その時、自衛隊の目前でアメリカ軍が攻撃を受けたとします。自衛隊は、アメリカ軍を助けるべきか否か。こういう問題だと思います。私は、自衛隊はアメリカ軍を助けるべきだと思います。何しろ、アメリカ軍は日本のために戦っているのですから。また、結果としてアメリカ軍を助ける行為は、日本の防衛にもつながります。では、“日本の周辺”と言わずに“日本を防護しようとしている米軍”と言えば良さそうなものですが、法律的にはその米軍が何を目的にその場所にいたのか、判断するのが難しい。たまたまそこにいたのか、日本を助けようと思ってそこにいたのか、これを証明することは困難ですし、そもそも上の例で自衛隊が米軍を助けようか否か判断すべきその一瞬に、米軍の意図を確認することなど不可能です。よって、より判別のつきやすい“場所”、すなわち“日本の周辺”という条件を設定しているものと思われます。

 

日本の周辺であれば、米軍を防護する。そこまではいいだろう、そこまでなら集団的自衛権と言わずとも、日本の個別的自衛権の範囲内にあると考えることができる。このように考えている政党、政治家は少なくありません。例えば、安全保障関連法を審議した際、維新の会はこの考え方を採用し、対案を提出しました。その際、維新の会が相談した憲法学者は、日本周辺に限るのであれば違憲ではない、との意見だったようです。民進党の前原氏、希望の党の細野氏なども、実はこの考え方を採用しているようです。(但し、小池百合子氏の考え方は不明であり、希望の党としてどのような立場をとるのか、現時点で推し量ることは困難です。)

 

最後に5番の「世界中で米軍を防護する」という考え方ですが、既に日本はこの考え方を法制化してしまいました。安全保障関連法です。これは、当時、安倍総理が言っていたようにホルムズ海峡(地球の裏側)においてまで、米軍を防護するというものです。これでは、危なくって仕方がありませんが、この考え方を採用しているのは、与党の自民党公明党ということになります。

 

マスコミの報道は、4番と5番を一緒にして、一言で“集団的自衛権”と表現するケースが多いように思いますが、その内容は上記のように2つに分けて論じるべきです。

 

ところで、立憲民主党の立場はどうなっているでしょうか。まず、前述のように安倍改憲を支持してしまうと、一気に5番の地球の裏側まで行ってアメリカ軍を助けるという集団的自衛権まで認めることになってしまうので、これには反対である。また、政治を行う上で、憲法改正の優先順位は高くない。(保育士、介護士の給与改善、派遣の労働者を正規従業員に登用させるための法改正などの方が優先順位が高い、という意味かと思われます。)但し、4番の日本の周辺に限定して米軍を防護するというところまでは、これを憲法に定めるという選択肢もある。このような立ち位置にあるようです。

 

最近、“野党は共闘すべきだ”と市民団体が主張しており、それには一定の理解もできますが、あくまでも1番の非武装中立固執している共産党社民党と、現実的に4番まで考えている立憲民主党とでは、共闘は難しいものと思われます。