文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 8 仮説としての物語

言葉を発明し、記憶力と想像力を獲得した私たちの祖先は、霊魂の存在を信じ、埋葬を始めます。そして、様々な自然の中にも霊魂が宿っていると感じていた彼らは、恐れと敬意をもって、注意深く自然を観察していたのだと思います。しかし、彼らには分からないことだらけだったはずです。何故、1日には昼と夜があるのか。雨が降るのは何故か。夜空に輝く星とは、一体、何なのか。

私たちの祖先はそれらの問いに答えるために、“物語”を作ったのだと思われます。きっとこうに違いない、こんな経緯でこうなっているのだろう、という訳です。すなわち“物語”とは、世界を理解するために作られた仮説なのです。

アマゾン川流域に伝わる「火の起源」に関する物語を紹介致します。

- かつて、トキイロコンドルが火の主であり、人間は肉を太陽で干していた。ある日、人間たちは火を盗むことにして、バクを一匹殺した。死骸にウジがたかると、トキイロコンドルは仲間と空から降りてきた。羽根のチュニック(注:婦人上着の一種)を脱ぎ、人間の姿で現れた。盛大に火を焚くと、木の葉でウジを包み、焼き始めた。人間たちは腐った死骸のそばに隠れており、最初は失敗したが、火を盗んだ。 - (文献1)

多分、私たちの祖先は、自分たちが抱いている疑問の数だけ物語を作っていたのではないでしょうか。それにしても、もの凄い想像力ですね。

ところで、物語はいつ頃から作られるようになったのでしょうか。残念ながら、この点については、分かっていません。文字が生まれたのは、わずか数千年前のことで、それ以前のことは、証拠がなくて分からないのです。ただ物語は、文字ができる相当前から口頭で、人から人へ、世代から世代へと語り継がれていったものと思われます。その過程で物語は変容し、時には全く正反対の結論になったりするようです。しかし、だからこそ物語は特定の個人の意識ではなく、各時代を生きた人々に共通する無意識を表している、とも言えるのです。

物語には、神話、民話、伝記、童話などがありますが、このブログではまず、私たちの身近にある日本の童話を取り上げてみたいと思います。そこでは、人々と動物たちの不思議な関係が語られているのです。人々は、やみくもに想像力を駆使していたのではなく、まずは動物たちを緻密に観察するところから始め、物語を紡いでいった。

例えば私は、次のように思うのです。

「人々は鳥を見て、“飛ぶ”という言葉を作り出した。」

いかがでしょうか?

参考文献
文献1: 生のものと火を通したもの/レヴィ=ストロースみすず書房/2006

(文化の積み木)
言葉 + アニミズム + 物語