文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 61 心のメカニズム(その5)

前回の原稿で、ゴッホは“共感タイプ”で、ゴーギャンは“観念タイプ”であると書きました。ゴッホの方は、多分、皆様も納得していただけると思うのですが、ゴーギャンについて、何故、私がそのように考えるのか、ちょっと補足させていただきます。最大の理由は、彼の描く絵に、記号というか象徴のようなものが多く含まれているからなんです。例えば、黄色いキリストとか、何か意味深な登場人物とか動物が描かれている。特に、“我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか”という作品は、観念に満ちています。作品の右端には赤ん坊が描かれ、中央では青年がリンゴの実を取ろうとしている。これは、アダムとイブの話を暗示している訳です。そして、左端には死を待つような老人が描かれている。作品のタイトルからしても、また、絵画の構成からしても、観念的なんです。

さて、今回はもう少し“心の課題”について考えてみたいと思います。どうも、いくつかのパターンがあるような気がするのです。

“共感タイプ”の人は、共感が得られない時に絶望してしまう、という例があります。ゴッホも、ジョン・レノンもそうだったと思います。時代も分野も違いますが、この2人は本当によく似ている。余談ですが、年上の女性が好きになってしまうところまで、同じなんですね。ゴッホも3番目の恋(10歳年上の女性)が実っていれば、あるいは・・・などと思ってしまいます。

次に“観念タイプ”の人ですが、こちらはちょっと複雑だと思うのです。時代背景や、育った環境にもよりますが、ある程度人間を歴史的に、また、集団として考えた場合、どうしても宗教の問題に突き当たります。そして、宗教を肯定した場合、その人は比較的高い確率で、心の課題に直面しないで済みそうです。一方、何らかの理由で、宗教を否定する、もしくは宗教に対して消極的な態度を取る場合、どうやら“心の課題”に直面してしまう確率が高いように思うのです。それは、人間にとって根源的な問い、すなわち、人間は何故生きているのか、人間が生きていることの目的は何か、という問いにぶつかってしまうからではないでしょうか。すると、実は、人間には存在理由も、人生の目的もない、という結論に達する。なんだ、人生には何の意味もないのだ、と思う訳です。すると、その人はニヒリストになります。

ドストエフスキーの“悪霊”という作品にも、そういう人物が描かれているんです。キリーロフという登場人物で、思いあぐねた結果、無神論者になります。そして、最後は自殺してしまうのです。嫌ですね。

しかしながら、このブログを振り返ってみますと、かく言う私も、ちょっとこのパターンに近いことに気づかされます。このブログの冒頭で、“文化の積み木シリーズ”を掲載致しまして、言葉から始まる文化の生成プロセスを分析した訳ですが、最終段階では、宗教という問題に直面してしまった。そして、自分としてそれを積極的に解するのか、消極的な態度を取るのか、迫られた訳です。観念というのは、言葉、すなわちロジックですから、こういう問題にぶつかると、どっちにするのか自分なりに答えを出さざるを得ない。これはもう、“観念タイプ”の習性なんです。そして、私は宗教に対して消極的な態度を取ることに決めました。すると、「文化の誕生」なんて、偉そうなタイトルでブログを立ち上げたにも関わらず、その検討結果が「全ての文化は幻想である」なんてことになりそうだった訳です。当時の原稿を読み返してみますと、逡巡している様子が見て取れます。そこで考えたのが、宗教だけが文化ではない、ということでした。文化には、もう一つ、芸術という大きな柱があるだろうと。

宗教を否定してニヒリズムに陥るというパターンは、ドストエフスキーの時代からある訳で、もしかすると近代以降の思想というのは、ニヒリズムがスタートラインなのではないかと、今ではそう思っています。ドストエフスキーがキリーロフを描いて、そこからニーチェにつながったとも言われているようです。

では、ニヒリズムの次にどうなるのか、ということですが、これにもパターンがあります。

パターン1: 虚無観に陥る。
パターン2: 人間には存在理由がないことを承知した上で、自分の人生を頑張る。
パターン3: 享楽主義者となり、何事も楽しければ良いと考える。

いかがでしょうか。実は私、上記の3パターン、どれも嫌なんです。折角の人生、虚無感に浸っているのはもったいない。高度成長期でもないし、今さら頑張りたくない。享楽主義というのも、実は、むなしいのではないか。そこで、今の心境と致しましては、宗教以外の文化、それを何と呼ぶべきか分かりませんが、それで遊ぶということなんです。この問題はまだ未消化でもあり、今回はまだ、確定的なことを述べるのは控えておきますが、もしかすると、これがこのブログの本当のテーマなのかも知れません。

No. 60 心のメカニズム(その4)

前回までの原稿で、人間の2つのタイプを定義しました。一つは、感覚から出発して、意識を獲得する。そして、個人的無意識を抑圧しながら、現実をあまりかえりみることなく、記号や観念の世界に埋没してしまうタイプ。このような人をこのブログでは“観念タイプ”と呼ぶことにしました。そして、心の課題を抱え込んで“直観”すなわち集合的無意識に至った人は、“観念タイプの芸術家”ということになります。音楽の世界では、マイルス・デイビスが代表例かと思います。ジャクソン・ポロックもそうではないでしょうか。あれだけ絵画を生み出すための方法論にこだわった訳で、彼の心の中は観念に満ちていたように思います。

もう一方のタイプは、同じく感覚から出発して、現実と良く向き合い、他者との間に共感を求める。但し、この共感関係が崩壊したり、コンプレックスが刺激されたりすると、個人的無意識が意識を凌駕する場合がある。このタイプの人を“共感タイプ”と呼ぶことにしました。そして、集合的無意識のレベルまで達した“共感タイプの芸術家”としては、まず、ジョン・レノンが思い浮かびます。同じくロック・ミュージシャンのジャニス・ジョップリンジミ・ヘンドリックスもこのタイプだと思います。

では、人間同士がいかに分かり合えないかという事例として、今回は、ゴッホゴーギャンの共同生活について考えてみます。

ゴッホ・・・・・共感タイプの芸術家
ゴーギャン・・・観念タイプの芸術家

まずゴッホ(1853~1890)ですが、どうも彼の恋愛経験は、悲惨を極めたようです。最初の恋はゴッホが二十歳の時で、下宿先の娘に求婚したのですが、「冷たく鼻の先であしらわれた」そうです。28歳になったゴッホは、2度目の恋をします。相手は従妹だったのですが、4歳の子供を持つ未亡人でした。なかなか会ってもらえず、とうとうゴッホは相手の家に押しかけます。そして、彼女の両親の前でランプの炎に手をかざして愛を誓うのですが、気絶した後、放り出されたそうです。今風に言うと、ストーカーですね。3度目の恋は、31歳の時で、相手はゴッホより10歳年上の女性だったそうです。しかし、家族に反対された彼女は、自殺してしまいます。これは、相当ひどい経験ですね。こういう経験が、個人のコンプレックスを生むことは、想像に難くありません。

一方ゴーギャン(1848~1903)は、株式仲買人をしながら、23歳から日曜画家として少しずつ絵を描き始め、25歳の時に結婚します。そして、35歳になったゴーギャンは、突如として、会社を辞め、画家を志すのです。本人としては、画家として食べていくことに勝算があったようですが、現実は厳しく、極貧生活が続きます。奥さんも大変な苦労をされたようです。

2人の共同生活は、1888年10月20日に始まります。

ゴッホは、画商をしていたテオという弟に経済的な援助を受け、アルルに一軒家を借ります。この建物の外壁は黄色だったそうです。ゴッホはここを「芸術家たちの楽園」を作るための拠点にしたいと考えていたようです。そんなある日、ゴーギャンが病気を患っていることを知り、ゴッホは彼を呼び寄せようと思います。一説によると、ゴーギャンは乗り気ではなかったのですが、ゴッホと共同生活をすれば、画商のテオが自分の絵も買ってくれるのではないかと考え、ゴッホの申し入れを受諾したとのことです。

1888年12月23日、二人の口論は熾烈を極めます。

私の想像ですが、ゴッホはあくまでもゴーギャンに共感を求めたのだろうと思います。自分と同じように感じて欲しい、自分を理解して欲しいと、ゴッホは切実に願った。ゴッホの性格からして、これは相当強く、ゴーギャンに接したものと思われます。一方、ゴーギャンにしてみれば、自分が築いてきた絵画に関するロジックについては、絶対的な自信を持っていた。ゴッホがどう考えようが、ゴーギャンにしてみれば、そんなことはどうでも良かったはずです。ゴーギャンは、共感など求めてはいなかった。ゴーギャンにとって大切なのは、自分のロジックだけだった。そして、口論については“観念タイプ”のゴーギャンの方が一枚上手だったはずです。

遂に、共感関係が瓦解したと感じたゴッホを彼の個人的無意識が支配し始める。詳細は分かりませんが、ゴッホゴーギャンを殺そうとしたそうです。そしてその晩、ゴッホは自らの耳を切り落とす。

あくまでも現実と自然に向き合ったゴッホ。その後、タヒチへ渡って未開の心を追求したゴーギャン。どちらも天才ですが、その心の領域は、全く違っていたと思うのです。

No. 59 心のメカニズム(その3)

少し、言葉の定義が必要かも知れません。現在、私が考えているのは、思考=意識、そして感情=個人的無意識 ということになります。ここから先は、極力、意識、個人的無意識という用語に統一しましょう。

また、個人的無意識は、共感を求める作用とコンプレックスの双方から成り立っている。この共感を求める作用というのは、自分の意見なり感覚なりに同意を求める、ということです。私はこう感じている、だから、あなたにも同じように感じて欲しい、ということです。男女間であれば(例外もありますが)、恋愛に発展する場合もある。悪い例では、同調圧力となる場合もありそうですね。有形無形の圧力となって、自分の、若しくは自らの属する集団の価値観や感じ方に同調するよう、圧力を掛ける。共感が生じている場合は、親密な人間関係を醸成します。しかし、ひとたびこの共感関係が崩壊すると、それは嫌悪感や憎しみに変化する。この作用のことを今後は、“共感システム”と呼ぶことにしましょう。

感情 = 個人的無意識 = コンプレックス + 共感システム

観念タイプの人にも、当然、個人的無意識はあります。人間ですから、人生経験を積むに従って、思い出したくないような出来事は起こります。そして、コンプレックスが生まれる。しかし、このタイプの人は、個人的無意識を抑圧して生きている。だから、個人的無意識が意識を凌駕することは滅多に起こらない。ある意味、システムとして見た場合、単純なのかも知れません。

一方、往々にして、個人的無意識が意識を凌駕してしまうタイプの人が存在します。チャート図の右のルートに該当する人です。このタイプの人を、便宜上、“共感タイプ”と呼ぶことにします。共感タイプの人は、その人のコンプレックスに抵触するような場面、または共感関係が棄損されたと感じられた場合、個人的無意識が意識を凌駕してしまう。ユング派の人は、女性にこのタイプが多いと考えておられるようですが、女性のみならず男性にもこのタイプが多い、というのが私の意見です。実際、昭和のガンコ親父、というのは無数に存在しましたよね。何か意見を言うと、「理屈を言うな!」と怒鳴って、チャブ台をひっくり返す。もしくは、家族に対して暴力をふるう。こういうのはサイテーだと思いますが、共感タイプだと思います。

以前、職場でこんなことがありました。2人の女性がいて、私が不用意にも一方の女性を褒めた時のことです。その直後、他方の女性が絶叫したんです。驚いて彼女の表情をうかがったのですが、青ざめているというか、茫然自失というか、そんな表情をしていました。そんなことをする女性ではなかったので驚きもひとしおでしたが、今にして思えば、私の言葉が彼女のコンプレックスを刺激し、彼女の個人的無意識が突如として意識を凌駕した。そうとしか、考えられません。その時は彼女自身、何故叫んでしまったのか、理解できなかっただろうと思います。幸い、時間と共に、落ち着きを取り戻しましたが。

皆様は、「男はつらいよ」(フーテンの寅さん)をご存じでしょうか。分かりやすいと思うので、共感タイプの代表選手として、寅さんに登場してもらいましょう。

寅さんは、本音では団子屋をやっているオジサン、オバサンに感謝していて、本来であれば自分が店を継がなければいけないと思っています。しかし、実際の職業はテキ屋です。そこに心のわだかまり、すなわちコンプレックスがあります。そして、隣の印刷工場の社長さんが、寅さんのコンプレックスを刺激するような発言をしてしまいます。すると、寅さんは激怒して、喧嘩になってしまう。

また、このドラマには必ずマドンナ役の女優さんが登場しますね。そして、彼女はだいたい「寅さんに会えて良かった」というようなことを言う訳です。喜んだ寅さんは、マドンナに惹かれていく。そして、団子屋の面々と食事を共にしたりして、共感関係が醸成されます。しかし最後は、マドンナに別の男が現れたりして、共感関係は一気に瓦解します。

ところで、個人的無意識が意識を凌駕する時というのは、上述のように突然やってくる場合が多いようですが、そうでない場合もあると思うのです。それは、リラックスしている時のことです。以前、テレビか何かで「女性は、だからどうということのない話をする」という説を聞いたことがあります。確かに、女性はリラックスしている時に、そのような話をする傾向があるようにも思います。例えば、こういうことがあった。だから、どうということはない。しかし、それは女性に特有のことではなく、共感タイプの男性にもその特徴が見受けられます。特に、お酒を飲んでいる場合です。ほろ酔い気分でリラックスする。意識が低下し、個人的無意識が首をもたげて来る。このような場合、彼の話に、起承転結はありません。話のオチもありません。いくつかの事例を挙げて、そこに共通する一般的な原則を述べるとか、そんなこともないのです。ただ、彼はひたすら自分の経験を述べるのです。聞かされる方はたまったものではないのですが。

いずれにせよ、共感タイプの寅さんが、愛すべき人物であることに疑いの余地はありません。

No. 58 心のメカニズム(その2)

まず、前回掲載致しましたチャート図の概要をご説明致します。

一つの前提として、人間の心というものは、経験などの外的要因に伴って、少しずつ発達していくのではないか、ということがあります。赤ん坊の状態を考えると、まず、感覚から出発する訳です。次に赤ん坊が何をするかと言うと、少しずつではありますが、言葉を覚える。この言葉によって状況を認識し、“思考”するという機能が、すなわち、意識ではないかと思うのです。更に、経験を積むに従って、他者とのつながりを求めると共に、心の中にわだかまりのようなものが生まれて来る。この、何か引っ掛かるもの、それがコンプレックスだと思います。コンプレックスとは、必ずしも劣等感だけを指す言葉ではありません。これら、すなわち共感を求める作用とコンプレックスによって、“感情”という機能が構成される訳ですが、これがすなわち、個人的無意識であろうと思うのです。誰しも、“思考”と“感情”という機能は有していますが、常に“思考”が優先して機能する人(チャート図の左側のルート)と、特定の場合において“感情”が“思考”を凌駕する人(チャート図の右側のルート)がいます。そして、解決することの困難な心の課題に直面する、別の言い方をすると心に圧力や衝撃が加えられると、人間の心的レベルは更に下降し、若しくは全体的に機能し、“直観”という作用に至る。このレベルが、集合的無意識だと思うのです。こう考えてみますと、ユングのタイプ論と分析心理学の双方を矛盾なく合体させることができると思うのです。

“感覚”と“直観”については、既にこのブログのNo. 43からNo. 48で述べましたので、今回は、“思考”と“感情”についてのみ考えてみます。

ところで、覚醒している間、すなわち眠っていない間、皆様の意識はどうなっているでしょうか。私の場合は、音楽が鳴っているか、そうでない時には言葉で何かを考えています。何故か、そうせざるを得ないんです。よく、座禅を組む時には心を無にしろと言いますが、ちょっと私にはできそうもありません。で、何を考えているかと言うと、大体、このブログに書いているようなことを考えている訳です。改めてそう考えてみますと、ちょっと異常な気もします。

このブログのNo. 3でもちょっと紹介致しましたが、記号論というのがある。人間は記号を通じて世界を認識し、思考しているという考え方です。そうだと思いますが、横断歩道を渡る時のことを例に、私は、人間は記号と現実の双方を見ている、と述べました。すなわち、路面に白色で描かれた横断歩道は記号ですし、信号機の色も記号です。しかし、記号だけでは心配なので、横断する前には実際に車が来ないか、左右を確認しますよね。これは、現実を直接見ていることになります。しかし、私のように四六時中、言葉で、しかもある程度抽象的なことばかりを考えているようなタイプの人間は、実はあまり現実を見ていないのかも知れない。そんなことを思っていると、最近、ショッキングな事例が2つありました。

数か月に1回、若い人との飲み会があります。私はいつも生ビールから始めて、日本酒に移行します。大体、それで終わるのですが、前回は飲み放題のお店だったのです。いい加減飲んだところでお店の人がやって来て、ラストオーダーの時間だと告げました。それじゃあ最後に何かもう一杯飲もうということになって、焼酎系のメニューを覗いていた時のことです。その時、隣に座っていた女性がこう言ったのです。「ウーロン杯ですか?」。その瞬間、私の意識は個人的無意識まで低下し、記憶を辿ったのですが、そう言えば数か月前にも同じような状況があって、その時、私は確かにウーロン杯を飲んだ。彼女は、そのことを覚えていたとしか、考えられない。これって、凄くないですか?

もう一つ。現役のサラリーマンだった頃、よく通ったクリーニングのお店がありますが、引退後はその必要もなくなり、かれこれ1年程、遠ざかっていました。しかし、オープンシャツが溜まってしまったので、先日、そのクリーニング店に行ったのです。お店の人は、多分、パートタイムで、曜日や時間帯によって代わります。お店に入るなり私は、1年もたってるので顔見知りの人はいなくなったんだなと思ったのですが、受付の女性が「ああ、山川さんですね」と言うのです。私の方は顔も覚えていなかったのに、その女性は私の名前まで憶えていた。これも、凄くないですか?

こんな話をして、私と同じように「それは凄いな」と思われる方は、もしかすると私と同じタイプなのかも知れません。一方、「そんなことは、往々にしてあり得る」と思う方は、多分、きちんと現実に向き合われているのではないか。

実は、ここに“思考”という機能の正体があるのではないでしょうか。言葉やその他の記号の世界に生きてる人は、現実をあまりよく見ていない。他人に対する感心が薄い。ロジックなどと言うと少し、偉そうに聞こえるかも知れませんが、ロジックとは、言葉そのもののことではないでしょうか。自分の知識や経験の中から一定の事柄を引っ張り出し、つなぎ合わせて、言葉で考える。これが、“思考”だと思うのです。ただ、“思考”と言うと偉そうに聞こえるかも知れませんので、このブログでは、このタイプの人を“観念タイプ”と呼ぶことに致しましょう。

No. 57 心のメカニズム(その1)

さあ、クリスマスだ。君はどうしてる?
So this is Xmas and what have you done?

我らがジョン・レノンの“Happy Xmas (War is Over)”は、このようにさり気ない歌詞から始まります。私は、クリスマスとは関係のない人生を送っていますが、例えば街の雑踏やレストランなどで不意にこの曲が流れてくると、ああ、今年もこの曲が流れているんだなと思って、嬉しくなります。

“イマジン”が発売されたのが1971年10月8日で、“Happy Xmas (War is Over)”はその直後の1971年10月28日、29日に録音されています。今から実に45年も前のことなんですね。この曲を聞いていると、ジョンが次のように語りかけて来るような気がします。

“君、本当は、文化は科学に敗北したと思っているんじゃないのかい? 例えば、ジャクソン・ポロックが死んだ1956年に君は生まれた。しかし、それから60年の間、絵画の世界でさしたる成果はなかった。そう、思っているんだろう? しかし、人類の歴史を考えれば、60年なんてあっという間さ。心配することはない。科学というのは、どんなに発達しても、傷ついた人の心を癒したり、感動させたりすることはできないんだ。それができるのは、文化なんだよ。そして、優れた文化は必ず継承されていく。ほら、今年だって、俺の歌が世界の街角で流れているじゃないか!”

では、気を取り直して本題に入りましょう。

これから記そうと思っていることは、このブログNo.44に掲載しました“芸術を生み出す心のメカニズム(チャート図)”をバージョンアップさせた内容です。「おいおい、その問題をまだやるのか!」とお思いの方がおられることは、重々承知しております。しかし、これは本当に大切な問題だと思うのです。文化というのは、人間の心が生み出すものです。従って、心の地図を書くことができれば、文化の地図も見えてくるに違いありません。また、人生において、喜びやトラブルの原因となりがちな人間関係についても、その理解が進むはずなんです。

バージョンアップの経緯を少し。ユングのタイプ論は、心が持っている感覚、感情、思考、直観の4つの機能を平面に置いて、検討するものでした。しかし、その後の分析心理学において、ユングは心の深さについて述べています。すなわち、意識、個人的無意識、集合的無意識などのことです。こちらは、立体的になっているんですね。しかし、この平面と立体の2つの概念は、融合させるべきではないかという疑問がありました。

次に、思考というのはロジックのことだと述べてまいりましたが、ロジックとは何か。それは言葉のことではないかと思うのです。言葉はすなわち、記号です。記号によって、世界を認識しようとする。これが、思考の本質ではないか。一方、感情というのは、他者に共感を求める心の働きと、個人的なコンプレックスによって構成されている。そして、この感情こそが、個人的無意識の本質ではないかと思うのです。そう考えると、私の人生経験において、理解不能であったいくつかの事象の説明がつく。ある時、突然、感情、すなわち個人的無意識がむっくりと首を持ち上げる。その時、人は、通常では考えられないような行動を取る。しかし、それは無意識のなせる業なので、何故そんなことをしたのか、本人にも説明ができない。極端な例で言えば、あのゴッホは、ゴーギャンとの相克に傷つき、自分の耳を切り落として売春婦の元へ届けたそうですが、何故、そんなことをしたのか。多分、本人も説明できなかったのだろうと思います。そこまで極端ではないにしても、個人的無意識に突き動かされる人々というのは、決して少なくない。そして、直観を働かせると集合的無意識に至る。概ね、そんな内容となります。では、バージョン3のチャート図をご覧ください。

 

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申し遅れました。私と致しましては、ジャクソン・ポロックを検討した経緯から、集合的無意識、もしくはそのようなものが存在すると結論づけました。従って、私はレヴィ=ストロースは支持せず、ユングの側に立たせていただく所存です。

No. 56 孤高の前衛 ージャクソン・ポロックー(その5)

ジャクソンの作品を見ていると、ああ、私にはとてもこんなことはできない、と思います。例えば”One”のような作品を見ていると、これでもかという程に、線が重ねられている。私だったら、精神的にそこまではできないというのが一つ。また、ジャクソンの生活を考えてみると、これまた私にはとても真似ができない。スプリングスに住んでからは、農家の納屋を改造してアトリエにしていたようですが、とにかく毎日ここで、塗料をタラタラッと垂らして、時折、ピシャっと叩きつける。この作業を、毎日、やる訳です。1週間位なら、私でもできそうですが、それ以上続けると、不安に駆られてしまいそうです。世間とも、絵画の歴史とさえ隔絶した作業を延々と一人で続ける。これはもう、驚嘆するしかありません。

ちなみに、前回の記事で1947年以降は、ジャクソンの作品が飛ぶように売れたのではないかと書いてしまいましたが、資料によれば1948年の時点でも、ジャクソンは経済的な問題に悩まされていたようです。ネットで調べてみると、ジャクソンの“ナンバー17A”という作品は、後年、2億ドルで取引されたそうです。1ドル100円換算で、200億円! 数字が大き過ぎて、ちょっとピンときませんが、私などは、せめてその100分の1でも、時給1ドル75セントで石切り工の仕事をしていた1935年のジャクソンに渡せないものか、と思ってしまいます。そう言えば、あのゴッホでさえ、生きている間に売れた絵画は、たったの1枚だったという話があります。

ところで、数年前に日本で“ポロック展”なるものが開催され、そのプロモーション番組のようなものがYou Tubeにアップされています。これを見て驚いてしまったのですが、ある女性評論家がこう言っているのです。「ポロックの絵は、例えば喫茶店で流されている軽音楽を聴くような気持ちで見るといい」。私は腹が立つのを通り越して、悲しくなってしまいました。この評論家の心には、芸術を理解する“直観”という領域がない。ジャクソンは前衛芸術家として、しかも世界のトップランナーとして、自らの無意識と対峙しながら、人生を掛けて孤高の頂を目指したのです。そんな男の作品を、喫茶店のBGMと一緒にするとは何事でしょうか。

ジャクソンの作品は本物の芸術であり、ニューヨークで衝撃を受けた私の眼に狂いはなかった。本物の芸術、それは解決することの困難な心の課題に直面した人間だけが獲得する直観という心の機能が生み出す、危うい結晶のことです。では、ジャクソンが直面していた心の課題とは何か。それは、単にアルコール中毒という症状のみによって、判断するのは誤りでしょう。そこには、もっと深い何かがある。うまく言えませんが、それは人間が、人間であるがゆえに抱えている、本質的な課題だと思うのです。例えば、人間は言葉を生み出してから、記号と現実の双方に向き合うという宿命を背負ってしまった。そこから生まれて来る不安定な何かが、時として、芸術家の心を突き動かす。

このシリーズを締め括るに当たって、最後にもう一つ。それは、ジャクソンの抽象画が、何故、人々の心を打つのか、ということです。もちろん、全ての人々という訳ではありません。前述の評論家のように、何も感じない人もいます。しかし、私が衝撃を受けたのは事実ですし、彼の作品が200億円で取引されたのも事実です。確実に彼の作品は、人々の心を揺さぶっている。それは、ジャクソンが掘り下げ続けた彼の無意識と、彼の作品から衝撃を受ける人々の無意識との間に、共通する何かがあるからではないでしょうか。そう考えないと、説明がつかないと思うのです。民族も世代も異なるジャクソンと私。しかし、無意識を掘り下げていくと、共鳴する何かがある。それは例えば、同じ音程の音叉が二つあったとして、震わせた音叉を近づけると、もう一方の音叉も震え出す。そんなイメージでしょうか。

ユング集合的無意識というのは、人々の心に悪い影響を及ぼす元型という概念によって説明されています。従って、少し違うのかも知れませんが、本質的には大差ないようにも思います。よって、例えばジャクソンと私の無意識に共通する何か、それを集合的無意識と呼んでも差し支えはないように思うのです。

No. 55 孤高の前衛 ージャクソン・ポロックー(その4)

1950年当時のジャクソンの精神状態はどうだったでしょうか。多分、猛烈なプレッシャーと凍えるような孤独感にさいなまされていた。私には、そう思えます。

かつては、遠くの方ではあっても、ピカソの背中が見えていた。しかし、ポアリングという技法を完成させたジャクソンの前には、誰の背中も見えていなかった。ジャクソンがピカソを超えたかどうかという問題は別にして、ジャクソンが進み始めた道の先には、誰もいない。何しろ、あのような絵を描いた人は、人類史上、ジャクソンが最初だった訳です。参考にすべき前例も、頼りにすべき理論も、ジャクソンには何もなくなってしまったのです。

また、世間のジャクソンに対する期待も高まる一方だったと思います。新しいものを生み出し続ける。それが、前衛芸術家の宿命です。周囲はジャクソンに、より新しい刺激的な作品を期待した。それは、ジャクソン本人も重々承知していたことでしょう。しかし、ポアリングという技法が完成の域に達し、例えば“One”のような作品を描いた後、一体、ジャクソンに何ができたでしょうか。

その後、ジャクソンは“ブラック・ペインティング”と呼ばれる時代に突入します。そして、主に東洋の書道のような、墨絵のような、黒を基調とした作品を発表します。また、ポアリングに加え、絵の具をチューブからキャンバスに直接押し付けるような技法も用い始めます。しかし、結論から言ってしまえば、世間の評価はさんざんだった。そこには、全盛期の絵画に見られたスピード感も、エネルギーも感じられません。評論家は、前衛芸術家であるはずのジャクソンが後退したと言って非難しました。

何故、そんなことになってしまったのでしょうか。ジャクソンの妻、クラスナーは次のように述べています。「1950年の個展の後、あなたならどうしますか。同じことをやりながらそれ以上進むことは彼にはできなかったのです」。

アルコール中毒と闘いながら、進んだり戻ったりしながら、それでもジャクソンは自らの無意識と向かい合い続けたのです。と言うよりも、むしろ、命を削りながら、自らの無意識と対決し続けたのだろうと思います。そして、1952年、ジャクソンは傑作“ブルー・ポールズ”を発表します。

 

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ジャクソンが生涯を通じて描いた作品の中で、最高傑作は何かと尋ねた場合、この“ブルー・ポールズ”を挙げる人も少なくないでしょう。そうかも知れませんね。ブルーとは言うものの、ここに描かれている8本の柱は、実質、黒で描かれています。すなわち、この絵によって、ポアリングとブラック・ペインティングが融合されているとも言えるように思います。

ちなみにこの絵は、私にはこう見えます。

エネルギーだけが充満している宇宙というカオスがある。まだ、そこには形というものが存在していない。そこに、邪悪な何かが生まれようとしている。それが、8本の柱上の物体である。それらは、人類に他ならない。

また、ゴッホが最後に描いた麦畑の絵には、不吉なカラスが描かれていました。この8本の柱とカラスの間に、共通する何かを感じてしまいます。

結局、ジャクソンのアルコール中毒が癒えることはありませんでした。

1956年8月11日夜、おそらくは泥酔していたであろうジャクソンは、無謀にもクルマを運転し、木立に激突しました。即死だったそうです。享年44歳。