文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 154 記号論の基礎知識(その1)

 

言葉も記号の一種なので、記号論記号学)は、言語学を含めた学術分野の一つだと言えます。しかしこれが相当、難解なんです。その理由は、この学問が相当長い歴史を持っているにも関わらず未だに完成されていない、という点にあるように思われます。記号論において、最も有名で多くの文献に登場するのは、スイス人言語学者であるフェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)だと思われます。しかしソシュールは、もう100年以上も前の人なんですね。だから、大変な功績を残したことは間違いないようですが、その後、いろいろ批判もされています。では、ソシュールを超えて、定説と呼ばれるに相応しい説を唱えた人がいるかと言えば、ちょっと見当たらない。加えて今日の記号論においても、解明されていない問題がある。例えば、意味の問題。「意味とは何かというのは現代の言語学でも非常に難しい問題で、誰もが認める意味の定義というのはまだ提出されていません」(文献1)更に、どの言語でも必ず時間の経過と共に変化することは分かっていますが、「現代言語学でも、コトバが変化する必然性の理由についての解明はできていません」(文献1)ということなんです。

加えて、抽象概念を扱っているせいか、言葉の定義が曖昧であるような印象も受けます。フランス語から日本語への翻訳の問題もあります。例えば、シニフィアンというフランス語が、“能記”と訳される。えっ、“能記”って何? 私などは、そう思ってしまいます。

そこで、今回の原稿では、記号論の基礎知識を、極力、分かり易く紹介したいと思います。

まず、記号とは何か、という話から始めてみましょう。記号とは、知覚される図形や音と、それらが指し示す意味から成り立っています。これを数式になぞらえてみます。なお、下段の表記は、フランス語です。

記号   =  知覚される図形や音  +  意味
シーニュ =  シニフィアン     +  シニフィエ

言葉には、話し言葉と書き言葉がありますので、“知覚される図形や音”の例としては、文字の“猫”(図形)と、発話される“ネコ”(音)があります。そして、これらのシニフィアンが、動物の猫を意味(シニフィエ)している。これが、記号だということになります。逆に言えば、意味を持たない図形や音は、記号ではないことになります。

ところで、同じ日本人でも言語に用いる音は、微妙に異なっているようです。方言を聞きますと、その傾向は顕著ですね。しかし、同じ日本人同士として会話が通じるためには、最低限、相手の人が発話した音が“ア”なのか“イ”なのか、判別できなくては困ります。そこでソシュールは、ギリギリ判別可能な発音の集合を“音素”として定義しました。例えば、日本語におきましては、英語のように“L”と“R”の発音を区別していません。よって、日本語においては、これらの発音は同じ“音素”に含まれることになります。他方、英語において、これらの発音は、別の音素に区分けされます。外国語を聞いたり話したりするのが難しいのは、そもそも使われている音素が違うからなんですね。ちなみに、日本語において使用されている音素は20個くらいで、英語だとその倍くらいあるそうです。日本人が英語を苦手とする理由は、覚えなくてはならない音素の数が多いからだ、とする説もあります。

次に、意味(シニフィエ)について考えてみましょう。そんなの簡単だ、と思われるかも知れません。では、日本語で“朝”と言った場合、あなたは何時から何時までの間を想定されるでしょうか。この答えは多分、人によってバラツキがあると思うのです。例えば、“花”と言っても、サボテンなどでは“花”のような“実”のようなものもある。このように、現実の世界には、境界が曖昧な事柄が多いのです。そこで、形容詞を使って“白い花”などと言ったりしますが、厳密に言えば白にも色々あります。従って、言葉によってある実態を100%正確に記述することは、不可能だと言わざるを得ません。

ところで、コミュニケーションを目的として言葉(記号)を使用する場合には、ある条件が必要となります。例えば、日本語で話しかけた場合、聞き手も日本語を理解できる能力を持っていることが必要となります。日本語を理解できるということの意味には、まず、個々の単語の意味が分からなければなりません。また語順など、文法的な知識も必要です。でも、それだけではないのです。例えば、Aさんがタバコに火を付けようとしました。そこでBさんが「子供がいるよ」と言ったとします。現代の日本人であれば、それは「子供がいるから、タバコを吸うのは止めてくれ」という意味だと理解するでしょう。しかし、昭和の時代であれば、子供がいようが女性がいようが、タバコを吸うことは許容されていました。フーテンの寅さんなどを見ますと、大人たちはどこでも平気な顔をしてタバコを吸っています。すると、昭和の時代に生きていた彼らには「子供がいるよ」と言っても、その真意は伝わらない可能性がある。そこでソシュールは、「ある個別言語を使うすべての人々が共通にもっている、同じ文が同じ事柄を表すようにするためのしくみ」を“ラング”と呼んだのです。

(参考文献)
文献1: ソシュールのすべて/町田健/研究社/2004