"憲法大好き人間"になってしまった私が、憲法の基本理念である立憲主義や民主主義の起源に興味を持ったのは、自然の成り行きだったのです。一体、どこの誰が、何故、このように素晴らしい思想を発明したのか。また、市民はどのようにして、絶対的な権力を持つ王様を倒したのか。
憲法学の第一人者、長谷部先生は、立憲主義の起源は、宗教改革にあったと述べられています。なるほど、カトリックの堕落を見かねたルターが提唱し、宗教改革の波は、ヨーロッパ各地に拡大した。これは宗教戦争に発展する。当時の人々は、本気で天国や地獄の存在を信じていた。しかし、残忍な殺しあいに嫌気の差した人々は、公的領域と私的領域を区別して考えるという思想を発明した。私的領域では、カトリックでもプロテスタントでも、好きな宗教を信仰すれば良い。ただ、公的領域には信仰を持ち込むな、ということだった。素晴らしいと思います。人類よ、良くそこに気が付いた! しかし、立憲主義や民主主義が社会制度として定着するには、更に時間が掛かります。それは、アメリカの独立戦争とフランス革命まで、待たなければならない。概ね、そのような見通しを立てたのですが、これはもう少し体系的に学ぶ必要がある。そう考えた私は、世界史の教科書を買ったのでした。
新 もう一度読む 山川世界史 / 「世界の歴史」編集委員会 / 山川出版社
読み始めると、冒頭の部分は、かなりシンドイのです。例えば、こんな記述があります。
「アーリヤ人がパンジャーブ地方に入り、半農半牧の生活を始めた。」
私には、 アーリヤ人がどのような人々なのか、パンジャーブ地方がどの辺にあるのか、知識がない。だから、この文章が表現していることの意味が分からない。しかし、これは、この教科書が悪い訳ではないことに気付かされます。すなわち、この時代にはまだ国家というものが、明確には存在していなかった。すると、特定の人間集団を、とりあえずアーリヤ人などと表現するしか方法がない。また、国家があるから国境が確定し、場所を特定することができる。国家というのは、人間や地域を認識するための記号であることが分かる。
世界史を概観しますと、まず、国家が存在する以前の混沌とした時代があった。仮にこれを「カオスの時代」と呼ぶことにしましょう。やがて、様々な武力闘争なり、経済的発展があって身分制が生まれ、王権が誕生する。そういった秩序を追求した結果、絶対王政が生まれる。この絶対王政という秩序が、人的にも地理的にも、国家を形成する要因となる。
絶対王政というのは、他国との戦争には有利に働く。また、国家を構成するためには、国家権力というものが不可欠である。当時の人々は、そのことを理解していた。しかし、権力の横暴は困る。そこで、折衷案として、王様の権力を一応認めながらも、議会で審議しようという考え方が生まれる。これが、「立憲君主制」です。どういう訳か、この立憲君主制においては、ナショナリズムが高揚するんですね。やがて、「主権者は国民だ、王様は政治に口を出すな」という考え方が生まれ、これが現在の日本などが採用している立憲民主制となる。
更に、国家そのものが息苦しいという主張なりメンタリティが生まれ、それが新自由主義なりグローバリズムとなる。
まだ、確定的には言えませんが、一応、上記のような仮説が成り立つのではないでしょうか。
- カオスの時代
- 絶対王政
- 立憲君主制
- 立憲民主制
- グローバリズム
ロシアや中国の独裁政治的な実態を見ておりますと、共産主義というのは立憲君主制の一つのバージョンに過ぎないような気も致します。いずれにせよ、もう少し、歴史を勉強してみようと思っております。