文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

戦争と文明(その8) カイヨワの戦争論

 

ロジェ・カイヨワは、1913年にフランスで生まれた。1948年には、国連の関連組織であるユネスコに加入する。ユネスコは、教育、科学、文化などの分野における国際協力を通じて、世界平和を目指す機関である。つまり、カイヨワは徹底した平和主義者だった。

 

カイヨワは多くの著作を残しているが、その主題は、神話、文学、社会学など多岐に及んでいる。1958年には「遊びと人間」が出版され、これは本ブログでも過去に取り上げた経緯がある。そして、1963年に出版された「戦争論」、これが本稿の主題である。気軽に取り扱える「遊び」というテーマに比べれば、「戦争」はその真逆であって、深刻で、デリケートな課題だと言える。

 

一体、カイヨワとは何者だったのだろう。

 

例えば、宗教に夢中になっている人は、宗教を客観的に語ることができない。それは、スポーツでも芸術でも、戦争でも同じだ。ある人間の営為を客観視しようと思ったら、まず、その営為の外側に出なければならない。プラトンが「洞窟の比喩」で語ったように、私たちは洞窟の外側に出なければならないのだ。

 

カイヨワの思想遍歴は、文化人類学から始まったように思える。やがて、その領域の外側を目指したカイヨワは、人間世界の総体を俯瞰して、その原理に迫ろうとしたのではないか。このような思想領域は、文明論としか呼びようがない。その方法論は、ミシェル・フーコーに通ずるところがあるように思う。フーコーとカイヨワ。この2人はフランスの同時代を生きたのである。

 

カイヨワ: 1913 - 1978

フーコー: 1926 - 1984

 

さて、カイヨワの「戦争論」について、その肝要な部分を取り上げたい。まず、中世ヨーロッパにおける戦争の形態から始めよう。封建制君主制が支配していた中世ヨーロッパにおいて、軍隊は君主が所有するものだった。騎士と呼ばれる貴族階級があって、彼らは経済的な、そして階級上の特権を有していたのである。当然のことながら、騎士は日々、剣術の鍛錬をし、鎧を着て馬に乗っていた。そして、一切の特権から除外された徒歩従者と呼ばれる平民がいたのである。

 

- 各隊には、原則として一人の戦闘員しかいなかった。それが、重装備をした騎士である。騎士には、二人の騎乗射手と三人の従者がつくが、この二人の射手も戦闘時には徒歩となる。中世の軍隊は、多数の徒歩従者にかしずかれた騎士たちの集団であった。文献1 P. 63 -

 

徒歩従者たちは、君主から雇われていた。そこで、当時の戦争には、ある抑止力が働いていたのだ。騎士たちは、剣術を競い合い、互いの名誉を重んじていたのである。もちろん彼らだって、本音では死にたくなかったに違いない。そして傭兵に至っては、いざ戦争が始まると逃げ出す者も少なくなかった。そのため、中世の戦争は時間が掛かった、という説がある。一方、君主にしても騎士や傭兵は高価な資産でもあったので、彼らを失いたくはなかった。つまり、熾烈な戦争を望んではいなかったのである。戦争は休み休みに行われ、相手方を殲滅するところまではいかなかった。

 

やがて、変化が生ずる。マスケット銃の登場である。初期型のマスケット銃は、火縄式だったが、その後、改良が進む。ここでは単に「鉄砲」と呼ぼう。鉄砲が登場すると、馬に乗った騎士の価値は、地に落ちた。馬に乗っていると狙われ易いし、鉄砲の前に剣術は太刀打ちできなかったからである。そして、戦い方に本質的な変化が訪れる。つまり、戦争の主役が、騎士から鉄砲を持った徒歩従者へと交代されたのである。この鉄砲を持った徒歩従者は、歩兵と呼ばれる。

 

この戦闘方法の変化は、やがて人々の意識にまで重大な変化を及ぼす。かつては騎士たちに蹂躙されていた徒歩従者たちは「何だ、俺たちの方が強いじゃないか」と思い始める。「騎士もへったくれもない。同じ人間ではないか」。こうして人権意識が芽生え、それが民主主義へとつながったと言うのである。

 

- マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだ。文献1 P. 62 -

 

次の変化を巻き起こしたのは、フランス革命だった。当時の圧政に対抗したブルジョアジーが革命を起こし、ルイ16世を処刑し、フランス人権宣言が発出された。これによりフランスは「王国」から「共和国」へと変貌を遂げる。共和制とは、その国が王様のものではなく、国民が主権者であることを意味する。そして、主権者である国民の権利を具現化するための基本的人権の尊重、自由権、平等権、多数決の原理、法治主義などを標榜するのが民主主義である。まず、ベースに共和制があって、その上に乗っているのが民主主義だと考えれば良いだろう。但し、ここでは同じようなものだと考えておいて、差支えはない。

 

さて、フランスの主権者は、王様から国民へと移行したのである。するとこれに喜んだ国民は、「この国は私たちの国だ」と思うようになる。そこで、愛国心が生まれた。

 

- 共和主義者と愛国者とが同義であったのも偶然ではない。文献1 P. 160 -

 

確かに米国の共和党支持者には、愛国者が多い。こうしてナショナリズムが生まれ、戦争の様式も容赦のないものへと変化した。使用される武器もその破壊力を増していったし、そして兵士たちのマインドも積極的に「自分たちの国を守ろう」という具合に変化したのである。こうして、全体主義と民主主義が奇妙な同居を続けることになる。これが「全体主義的民主主義」と呼ばれるものの正体だ。

 

- 民主主義のいろいろな長所のうちには、束縛をともなわぬものは一つとしてない。国家の野心が如何なるものかに応じて、その束縛がゆるやかであったり、きびしかったりするだけに過ぎない。国家が自分の計画を妨げられることを好まず、あらゆるものを犠牲にしてもその計画を成功させようとするのであれば、その国家が与えるもの、その国家が国民に行なうところのことは、圧迫の手段となり国民を隷属させるための道具となる。普通の場合であってさえすでに、学校において、職業において、自己の財産を守るために、また軍隊において、市民は国家の束縛をのがれることができない。市民は、子供としては教員から物ごとを教えこまれ、労働者となっては企業主に搾取され、機械化された労働の奴隷とされ、納税者としては国庫に収入の一部をさし出さねばならず、徴兵されては古参兵からいじめられる。

 民主主義は、戦争そのもののため、また戦争の準備のために、国民の一人びとりに対して金と労働と血を要求する。 文献1 P. 128 -

 

なんということだろう! 徴兵制は存在しないが、そのことを差し引くと、上の記述は現在の日本にもそのまま当てはまるではないか!

 

だったら戦争など、止めればいいのだ。しかし、これまた驚くべきことだが、過去の思想家の大半は、戦争を美化し、礼賛し、擁護してきたのである。まずは、ヘーゲル

 

- 個人がこのような孤立のなかに根をおろし、そこで固まってしまわないようにするため、つまりは全体というものがばらばらになり、精神が蒸発してしまわないようにするため、政府はときどき戦争を行ない、内輪な交わりのなかに安住している個人を揺り動かさなければならない。政府は戦争をすることにより、日常的なものとなってしまっている彼らの秩序を混乱させ、その独立の権利を侵害せねばならぬ。このような秩序にひたりきって、全体からはなれ、自分だけのための絶対不可侵な生活を願い、自己の安住のみを求めるような個人に対しては、政府はすべからく、ここに課された労働のなかで、彼らの支配者である死というものが如何なるものか、思い知らせてやる必要がある。 文献1 P.162 -

 

上記の引用は、ヘーゲルの著書「精神の現象学」からの引用である。

 

次はドストエフスキー

 

- そうだ! 流された血が偉大なのだ。われわれの時代には、戦争が必要である。もし戦争がなかったら、世界は瓦解してしまうだろう。あるいは少なくとも、壊疽にかかったからだから流れ出す血膿のようなものでしかなかったろう。 文献1 P. 183 -

 

上の記述は、ドストエフスキーが1876年に公表した「逆説的人間」と題された論文からの引用である。

 

ヘーゲルドストエフスキーも、狂っている。当然のことではあるが、彼らの死後、ヒロシマナガサキで何が起こったのか、彼らは知らない。戦争を防止する手立てを見つけることができず、逆説的に、それではいっそのこと戦争を肯定してしまおう、という開き直りが彼らの発想の基底にあるのではないか。しかしそれは、思想家としての敗北を意味しているに過ぎない。ヘーゲルドストエフスキーも、弱虫なのだ。

 

さて、最後にカイヨワは、もう1つの論点を提起している。それは、祭りと戦争との比較である。この2つには、多くの相違があることを認めた上で、カイヨワはその共通点について言及している。

 

- 原始社会において祭が果たしている役割が、機械化された社会においては戦争によって果たされている(後略) 文献1 P. 221 -

 

平時における閉塞感や息苦しさ、そのようなものから解放されたいと願うのは、人間の常である。原始社会においては、祭りにおいて、人間のそのような欲望を充足していた。そして、機械化、工業化の進んだ社会においては、戦争がその役割を果たしているとカイヨワは指摘しているのだ。戦場において、敵を殺戮する瞬間、兵士は恍惚を覚えるという。

 

- 震える機銃を握り締める私は、弾丸が、人間の体、生きた熱い肉体のなかに、突き通るのを感じるような気がした。何という悪魔的喜びだろう! 私は機銃と一体なのだ! 私自身が機銃であり、冷たい金属なのだ! 密集した群れのなかに、つぎからつぎと弾丸をたたきこむ。そこには一つの門ができた。それを通り越すものは、天国にゆくのである。いかなる武器といえども、こんな素晴らしい標的に出会ったことがあるだろうか。おや、弾帯が空になった。新しいのをつけなければならぬ。(中略)力尽きた私は、震えながら地上に横たわった。もう目をあげることもできない。 文献1 P. 230 -

 

上の記述は、エルンスト・フォン・ザロモンという兵士の体験談である。

 

このような陶酔は、文化人類学が解明してきたあの「トランス状態」に似ている。人間は、極限状況に陥ったとき、脳内にドーパミンが放出され、得体の知れぬ快感を覚えるのである。また、これはフロイトが指摘した「破壊欲動」にも通ずるところがあるだろう。

 

そして、人間が戦争を回避する方法について、最後に次のように述べて、カイヨワの戦争論は終わる。

 

- それには物事をその基本においてとらえること、すなわち、人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始めることが必要である。たとえ永い年月がかかろうとも、危険なまでに教育の欠如したこのような世界に、本来の働きを回復させる方法としては、わたくしにはこれしか見あたらないのである。とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さなければならぬのかと思うと、わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだ。文献1 P. 266 -

 

これはカイヨワの本音だろう。軽々な結論を避け、自らが抱く恐怖心を率直に吐露している。私は、カイヨワのこのような心根に共感を覚える。そして、上の記述にある「教育」という言葉は、かつての「啓蒙主義」やカントがその晩年に記した「啓蒙について」(訂正:啓蒙とは何か)という小論文にも通ずるところがあると思うのだ。

 

未成年から成人へ。野蛮から文明へ。私たちは、そのような飛躍を遂げなければならない。そして、そのために教育が、啓蒙が、必要なのである。現在の学校で、そのような教育がなされているとは、とても思えない。何を教えるべきか、まず、そのことを知る必要がある。

 

カイヨワの戦争論は、私にとっても、衝撃だった。特に、マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだというくだりは、圧巻である。しかし、戦争について考えるに際し、カイヨワの戦争論にも、フロイトの書簡にも不満は残る。いずれにおいても、権力についての考察が欠如しているからである。

 

ウクライナ戦争を見るがいい。開戦を決めたのは、権力者であるプーチンだ。確かに、ウクライナで無辜の市民を虐殺したロシア兵は、恍惚を覚えたかも知れない。しかし、プーチンが戦争を始めさえしなければ、そのような惨劇は回避されたはずである。人間には、狂気がある。狂気が戦争を生む。しかし、権力がコントロールされれば、戦争を回避することは可能ではないのか。

 

私が今考えているのは、幻想が権力を生み、権力が戦争を必要とする、ということなのだ。そして、戦争の舞台となる国家がある。幻想、権力、戦争、国家。これらのキーワードの中に、秘密を解く鍵が隠されているに違いない。

 

文献1: 戦争論ロジェ・カイヨワ/りぶらりあ選書/法政大学出版局/1974

文献2: ロジェ・カイヨワ 戦争論西谷修/100分de名著/NHK出版/2019