文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

今、この国で起きていること

先月、駅前にあった「串揚げ屋」が閉店してしまいました。とても美味しかったのと、いつ行っても満席ということはなかったので、私はしばしば通って、時には昼間からビールを飲んでいたのです。そういうお客は少ないということもあって、店員さんも私の顔は覚えてくれていたようです。

 

ある日、お店でビールを飲んでいると女性の店員さんがやって来て、言いました。

 

「実は、今週いっぱいで、閉店することになりました。今まで、本当に有難うございます。お客様には、いつも美味しそうに召し上がっていただいて、私たちの励みになりました」

 

突然のことだったので、どう返答して良いか分からず、私はこう尋ねたのです。

 

「するとこの先、このお店はどうなるの?」

 

「私たちには、分かりません」

 

私は、余計なことを聞いてしまったのです。少し動揺したせいもあって、私は、生ビールをもう一杯注文したのでした。

 

「いつもより、一杯多いですね。有難うございます」

 

にっこり笑って、店員さんはそう言ったのでした。彼女は、私が飲むビールの杯数まで憶えてくれていたんですね。そう思うと、妙に悲しくなってしまった。

 

その「串揚げ屋」さんが何故、繁盛しなかったのか、理由は明らかでした。ランチが千円だったのです。今の日本人にとって、ランチ千円は高過ぎるのだろうと思います。それとなく周辺のお店を見てみると、どこも850円以下なんです。

 

昨年の末頃には、アメリカン・ステーキのお店も閉店してしまったのです。ステーキだから、決して安くはない。しかし、和牛と違って、びっくりする程高くはないのです。それでも、今の日本人にとって、ステーキは高級品なのでしょう。この時は、勘定を済ませて店の外に出た私を女性の店員さんが追いかけて来て、閉店する旨を知らせてくれたのでした。彼女は、その後の就職先が決まっていないと言って、不安気な表情をしていました。

 

幸い私には、千円のランチや、たまにはアメリカン・ステーキを食べる位の経済力があります。しかし、それらのお店が無くなってしまっては、元も子もありません。すなわち私は、私一人だけで幸せになることはできない。社会全体が幸せにならなければ、そこに生きる個人の幸福も実現しない。いい年になって、そういう当たり前のことを実感している次第です。

 

但し、私たちは、世界中の人々と共に幸福になることは困難だと思います。例えば、北朝鮮の一般国民は、現在、大変な労苦に直面している。しかし、私たち日本人が彼らの幸福に貢献することは、極めて困難です。仮に彼らの幸福を願うのであれば、現在の独裁体制を打破する必要があります。では、そのために戦争をするのか。それはできません。人道的な観点から、恵まれない国々に援助をすることは大切です。しかし、そういう例外的な事項を除いて、まず私たちが考えるべきことは、日本国民の幸福ではないでしょうか。

 

滑ったり転んだりしながら、このブログでは様々なことを検討してまいりましたが、どうやら、人間が幸福になるためのモデルのようなものを提示できそうです。

 

まず、人間には「知りたい」、「認識したい」という本能に近い欲求がある。そして、かかる認識に基づいて、自律的に思考する必要がある。更に、この思考は、一つ所に留まることなく変化し、更新されていく必要がある。私はそう考えるので、この自由を制限する宗教とイデオロギーには、賛成できない。

 

そして個人は、セクハラ、パワハラ、DVなどが蔓延する集団ではなく、開放系の中間集団を構成すべきだ。その一例として、次の写真を掲載させていただきます。山本太郎さんはいつも「自分には、ほぼ肖像権はありません」と言っているので、著作権上の問題はないと思います?! それにしても、凄い人だかりです。

 

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 山本太郎事務所 ツイッターより 2019年6月16日 広島パルコ前にて

 

そして、自律的に思考する個人が、立憲主義、民主主義に基づく国家を形成する。国民はバカなので、民主主義は成り立たないという意見もあるようですが、そう結論づけるのは、まだ早い。

 

自律的に思考する個人 - 開放系の中間集団 - 民主国家

 

ところで、私が何故“れいわ新選組”に注目しているかと言えば、それは、滅多に起こらない社会現象だと思うからです。人間の歴史というのは、とてつもなく悲惨な出来事があって、その後に動く。例えば、欧州では宗教戦争という血で血を洗うような出来事があった。何しろ、殺し合いの末、ドイツの人口は3分の1に減ってしまったのです。このように悲惨な出来事があって、トマス・ホッブズジョン・ロックという思想家が生まれた。そして、彼らの思想を受けて、フランス革命が起こり、アメリカの独立戦争へとつながる。

 

日本で言えば、2011年に東日本大震災が起こり、津波で多くの人が流された。そして、福島原発の事故が続いた。これは、原発3基が同時にメルトダウンするという、人類史上、例を見ない出来事で、人々の不安を掻き立てた。これらの悲惨な出来事に触発されたのが、太郎さんなんですね。そういう関係にある。

 

そして、偉大な政治家というのは、エリート層からは生まれにくいという事情もある。東大を卒業して、財務官僚になっているような人たちは、序列のことばかりを考えるようになる。むしろ、太郎さんのような不良少年だった人間が、大きな仕事をするんです。

 

最後は、人間力だと思います。例えば、経済の専門家がMMTについて理路整然と語ったとしても、誰も感動はしない。太郎さんよりも経済に詳しい学者など、掃いて捨てる程いるに違いありません。しかし、彼らには、大衆に寄り添う優しさや、聴衆の心を揺さぶる情熱を持ち合わせてはいない。

 

このように考えますと、“れいわ新選組”という社会現象は、上に記したような諸条件が充足された結果、発生したものだと言える。これは、控えめに言って百年に一度あるかないか、そういう現象だと思うのです。

 

僭越ながら、日本人の皆様に申し上げたい。今、私たちは、そういう歴史的な現象を眼前に見るチャンスに恵まれているのです。“れいわ新選組”を支持するかどうかは別として、今、何が起こっているのか、これから何が起こるのか、それは見ておいた方が良いと思います。

 

追記)太郎さん、今日は新宿ですね。