文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 115 文化の現在(その1)

遊びや大衆文化というものは、大人たちや時の政権、軍部には、嫌悪されてきたのだと思います。その理由につきましては、50年戦争の期間、政府によってそういう価値観が国民に刷り込まれたからだ、という見方もあるようです。確かに、戦時中のモットーは「欲しがりません。勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」というものでした。遊んでいる国民は、けしからんということだったのしょう。しかし、本質的には、もう少し別の理由もあったのではないかと思うのです。すなわち、遊びとか大衆文化というのは、新たな秩序を生み出す可能性を秘めている。それが、時の政権側にしてみれば、どうにも嫌だったのではないでしょうか。類似する事例としては、キリスト教が、熱狂的な祭祀を禁止した、ということがあります。お祭りにおいて麻薬などを使用し熱狂していると、幻覚が生じ、自ら神の声を聴いてしまう可能性がある。すると、そこから新たな宗教が生み出されるかも知れない。既存のキリスト教徒は、かかる事態を避けなければならない。だから、熱狂する祭祀というのは、禁止されたんですね。更に、アメリカのFBIや入国管理局がジョン・レノンを嫌がった。これも同じ理由だと思うのです。正に自由人であったジョン・レノンは、何を言い出すか分からない。だから、ベトナム戦争を推進していた当時のアメリカ政府としては、ジョン・レノンの奔放さに対し、過敏に反応した。

 

近代以降、人間には個性がある、それを伸ばすべきだという考え方があります。しかし、日本の社会が認めてきたのは、言わば“管理された個性”だったように思うのです。例えば、「君は足が速いね。素晴らしいことだ。では、野球の1番バッターをやりなさい」という具合に。このように、その子の個性は、野球という既存の秩序の中に組み込まれていく。「君は、絵が好きなんだね。では、美術部に入りなさい」。これが、個性というものを記号化し、既存の秩序に組み入れていく方法だと思うのです。しかし、本当に自由な発想とか、個性というものは、既存の秩序の中で育まれることはない。それは、遊びとか、大衆文化の中でこそ、発揮されるのではないか。

 

現代社会に通底するメンタリティというのは、近代的な芸術というものを生み出さない。これはもう仕方がないと思うのです。時代が変わったんです。しかし、これから生み出される新しい何かが、人々に衝撃と感動を与えるのであれば、それは必ずしも近代的な芸術である必要はない。そしてその新しい何かというのは、必ず、大衆文化の中から生まれてくる。更に、その萌芽というものは、既に育ち始めているのかも知れません。例えば、それはスタジオ・ジブリが制作しているアニメーションかも知れません。CGという技術が、何か、使い古された文化に伊吹を与えるかも知れません。これから普及するロボットや人口知能が新たなリリーサーとなり、人々は全く新しい遊びを発明する。

 

全ての文化は、遊びから始まった。だから、遊びや大衆文化を否定することは、文化の起源を否定することに等しい。そう思いませんか? 遊びや大衆文化を肯定し、その中で、人生を謳歌していく。現代という時代には、そういう生き方が相応しいと思うのです。

No. 114 文化のダイナミズム(その4)

伝統文化の究極の形は、宗教ではないでしょうか。そこには、祈祷の方法、食事の作法、衣服、建築物の様式、葬送の執行方法など、あらゆる秩序が定められています。遊びから始まって、伝統文化に至るプロセスの詳細につきましては、このブログの冒頭で述べましたステップによるものと考えています。繰り返しは避けますが、項目だけ列記してみます。

 

1.遊び

2.言葉

3.アニミズム

4.物語

5.呪術

6.祭祀

7.シャーマニズム

8.宗教

 

こう並べてみますと、言葉の起源も遊びにあったことになります。私は、多分そうなのだろうと思います。ただ、それは痛いとか、腹が減ったというものではなく、古代人の好奇心を解放するリリーサーが動物であったことに鑑み、動物に関わる何らかの言葉が生まれたのが最初だという気が致します。また、分類としては、言葉から祭祀までを大衆文化として、シャーマニズムと宗教を伝統文化の区分に入れるのがすっきりすると思います。

 

ところで、深沢七郎の小説を読んでおりますと、遊びから宗教に至る一連の流れとは異なる、もう一つの秩序を形成する流れが見えてきます。まず、山奥の農村で間引きをする時には、かならず屏風を逆さまに立てて、その中で出産するという風習がありました。この屏風を逆さまに立てるということには、何か、呪術的な意味合いがあると思うのです。それと同時に、特定の屏風を逆さに立てなければならない、というルールにもなっていて、このルールは長年、その村では守られ続けていた。すなわち、慣習になっていたということですね。

 

また、他の農村では、長男が田畑を相続し、次男、三男は結婚することも許されず、下男のように働くという例(東北の神武たち)もありました。また、この例では、生まれてきた娘は、所定の年齢になると売り飛ばしてしまう。老婆を姥捨て山に捨てて、口減らしをするという風習もあります。このように深沢七郎の小説に出て来る慣習というのを見て行きますと、どうやらその目的は、一族が生き延びるため、食いつないでいくことが目的になっている。

 

その他にどんな慣習があるだろうかと考えてみますと、例えば農村で、田植えとか稲刈りなどを行う時には、互いに協力し合うということもありそうです。また、現在でも続いていると思うのですが、市場で取引をする時に、売主と買主が筒状になっている布に手を入れ、その中で値段を決める、というのもあります。

 

お盆や命日に墓参りをするという宗教上の慣習というのも少なくありませんが、明らかに宗教とは離れた、別の目的を持った慣習というものが存在する。慣習というのは、それを守ることに何らかの利益がある訳、これに価値を見出そうとするのは、自然の成り行きだと思うのです。

 

また、紛争解決の手段としての慣習というものも存在したのだと思います。アメリカでは、ピストルによる決闘という方法もあったようです。また、紛争が生じると街の住民が集まって、そこで当事者が意見を主張する。そして、皆で相談して結論を出すという仕組みもあったようです。この方法が、アメリカの陪審員制裁判の起源だという説もあります。このような文化的な背景があるので、アメリカ人は子供の頃からディベートの訓練を受けているんですね。

 

すなわち、宗教へ向かう一連の流れでは解決できない問題というのがあって、それを慣習が補完してきたのではないでしょうか。やがて国家が生まれ、慣習が法律となった。この慣習の成立時期は相当古いとは思うのですが、人間が農耕を開始し、定住してから発生したのではないかと思います。

 

この慣習から法律へとつながる流れも、文化の枠組みに含めて考えた方が良いと思うのです。そうでないと、なんとか飢餓から逃れよう、生き延びようとしてきた先人たちの知恵や、現代という時代が抱えている様々な法律上の課題を見落としてしまう。

 

さて、これにて私の考える文化の構造についてのご説明は、一応、完成したことになります。

 

次回は、この“文化の構造”をベースに、現代に生きる私たちが置かれている状況について、述べてみたいと思います。

No. 113 文化のダイナミズム(その3)

No. 111の原稿に添付致しました「文化の構造図」に従って、次は、大衆文化について考えてみます。これは遊びが普及し、ある程度体系化されたものということになります。決して、悪い文化、程度の低い文化、という意味ではありません。

 

大衆文化の本質を考えますと、これにはどうやら2種類あると思うのです。一つには、構築しかかった秩序を壊してでも、変化を求めようとするもの。例えば、アートの世界なんかは、典型的にこのタイプだと思うのです。現代アートというのは、秩序を破壊することによって、成立している。このブログでも取り上げました画家のジャクソン・ポロックもそうです。60年代に発生したフリー・ジャズもそうですね。身近なところでは、プロレスもこのタイプだと思います。プロレスにも一応、ルールはありますが、新たなルールを生み出すところにプロレスの面白さがあります。チェーンデスマッチと言って、選手の手首をと手首を鎖でつないで戦うとか、金網の中で闘うとか、凶器を使ったりもします。プロレスでは、およそ人間が考え得るありとあらゆるものが凶器として使用されてきました。変わったところでは、ピラニア(リングの中央にピラニアの入った水槽を置き、相手をその中に沈める)とか、マムシというのもありました。今、DDTという人気団体がありますが、この団体はリングでやるのがプロレスであるという概念に挑戦していて、街中、キャンプ場、本屋、電車の中などで試合をしている。先日は、東京ドームを借り切って、観客なしの試合をしていました。

 

この変化を求める大衆文化というのは、時として天才が現われ、これを前衛芸術の域にまで高める。ビートルズがそうでしたね。ロックンロールとモータウンサウンドという大衆文化から出発して、遂にはA day in the lifeのような芸術作品に至った。マイルス・デイビスもそうです。70年代のマイルスは前衛的なジャズの頂点にいましたが、体調を崩し1975年にシーンから消えました。そして、1981年だったと思いますが、突如として復帰したのです。復帰後のマイルスは、シンディ・ローパーのTime after timeとか、マイケル・ジャクソンのHuman natureなど、ポピュラーな曲を取り上げたのです。ある日、インタビュアーが、何故、そのようにポピュラーな曲を録音したのか尋ねると、マイルスは「驚くことはない。俺は昔、当時のポップスだった“枯葉”を録音したことだってあるんだぜ」と答えていました。つまり、マイルスはいつの時代でもポピュラー音楽から出発し、新たな音楽を創造していたということなんです。天才芸術家とは言え、その人がゼロから出発して、作品を生み出すのではない。無数の人々が長い時間を掛けて築いたジャズという音楽の、遊びから大衆文化に至る蓄積があり、その上に立脚していたからこそ、マイルスはあのような芸術作品を残すことができたのです。そして、そのことを一番知っていたのは、マイルス本人だったに違いありません。

 

ちょっと余談ですが、マイルスがシーンから消えていた頃、デイブ・リーブマンという若いサックス奏者がマイルスの自宅を訪ねたことがあったそうです。マイルスはまず、サッチモ(ジャズ草創期のトランぺッター)の写真を指さしてこう言った。“From him, to me”そして今度はデイブ・リーブマンの胸を指さしてこう言った。“From me, to you”。これはもう、私などはシビれてしまいます。

 

ところで、芸術というのは、前衛だからこそ芸術足り得るのではないでしょうか。未知なるものを生み出すからこそ、人々に衝撃を与える。しかし、それが永遠に続く訳ではない。人々はそれに親しみ、やがて、衝撃は薄れていく。するとその前衛だった芸術作品は、大衆文化という巨大な領域に飲み込まれていくんだと思います。

 

人間が芸術を生み出す仕組みについては、このブログの“芸術を生み出す心のメカニズム”に詳述したので、ここでは繰り返しません。

 

さて、大衆文化の二つ目の類型として、あくまでも秩序、様式の完成を目指そうというものがあります。例えば、ドラマの水戸黄門などは、ワンパターンなんですね。最後には必ず「この印籠が目に入らぬか」と言って、ハッピーエンドで終わる。そう言えば、最近、テレビの2時間ドラマがなくなりつつあるそうです。理由はいくつかあるのでしょうが、これもパターン化されていて、そろそろ飽きられてしまったのではないでしょうか。まず、事件が発生する訳ですが、その裏に20年前の別の事件が絡んでいたりして、最後は何故か、犯人が崖の上で真相を告白して終わる。ちなみに私は“男はつらいよ”(フーテンの寅さん)は、48作全部見ているのですが、初期の作品と後期の作品とでは、ちょっと違うんです。これもワンパターンではあるのですが、そのスタイルは少しずつ変わっている。そして、後期の作品の方が、完成度が高い。様式の完成を目指していたのだろうと思います。

 

この秩序、様式の完成度を高めて行こうとする大衆文化は、それが続いていくと、やがて伝統文化になる。分かりやすい例で、大相撲というのを考えてみましょう。まず、これは子供たちの取っ組み合い、すなわち遊びから始まったのだと思います。やがて、地面に円形を描き、その中で闘うというルールができる。そして様式を追求し、現在では呼び出しから土俵入りから、全てその型というものが決まっています。柔道、剣道、歌舞伎、古典落語などもそうではないでしょうか。これらの伝統文化というのは、主に中世が生み出したものだと思います。そして、そこには階級制がある。大相撲では横綱大関、関脇などの階級があり、柔道、剣道には段位がある。落語の世界でも真打になるとどうとか、その他の伝統文化でも免許皆伝なんてことがある。どうも、この様式を重んずる伝統文化というものには、中世のメンタリティが深く関係しているように思えます。

No. 112 文化のダイナミズム(その2)

少し前に、アメリカでゴジラという映画が作成されたのは、ご存じでしょうか。既に何作もの作品が上映されていて、日本人としては、ゴジラに少し飽きていた。しかし、アメリカ人の映画関係者にとって、ゴジラは新鮮だった。つまり、アメリカ人にとってゴジラにはリリーサーとしての価値が十分にあったということだと思うのです。そこで、最先端のCGを駆使して、ゴジラの新作を作って、これは大ヒットしたのです。このように、ゴジラという文化は、時代を超えてアメリカに渡り、復活したと言えます。こんな例は、枚挙にいとまがない。アメリカには、現在、忍者になるための訓練をしている人たちのグループがある。このように文化とは、ある時代にある地域で流行したものが、時代を超え、空間を超え、復活するケースがあるんです。少しオーバーかも知れませんが、文化というのは、時空を超えるダイナミズムを持っている。

 

以前このブログで、「文化は科学に敗北したのか」という記事を掲載させていただいたことがあります。その時点では、敗北しそうだけれども、文化には頑張って欲しい、という気持ちでした。しかし、今の私なら、こう言うことができます。多くの科学者が努力して、何か、新製品を生み出す。すると好奇心を刺激された人たちが集まってきて、首を捻り始める。「ふむふむ。これって何だろう。これで何か、遊べないだろうか」。そして、その新製品は文化という枠組みに取り込まれていく。例えば、科学者が自転車という乗り物を発明する。これも、ゴムや鉄などの材料があって初めて成り立つものなので、相当な技術の蓄積を必要としている。そして、自転車という新製品が生まれると、好奇心に駆られた無数の人々が、それで遊び始める。ハンドルはこういう形の方がいいとか、サドルはこうしよう、タイヤは細い方がいいとか、カゴを取り付けたいとか、それはもうありとあらゆる試みがなされる。最近では、高級な折り畳み自転車というのがあって、折りたたんだ自転車を持って電車で移動する。目的地で自転車を組み立てて、サイクリングを楽しむなんてスタイルまで確立されているんです。最近テレビ(イッテQ)で見たのですが、東南アジアのある国では自転車の前輪を取り外して、子供たちが楽しんでいる。正に、人間の好奇心に限りはないと思います。このように、文化と科学とは、必ずしも対立するのではなく、互いに刺激し合いながら、発展してきたように思います。(但し、兵器だけは別です。科学者が新兵器を生み出した場合、その使用を抑制する知恵を文化の側が持っているとは言い難い現状があります。戦争は、文化の敵です。)

 

さて、遊びについてですが、現代に生きる私たちにとって、遊びと仕事は明らかに異なります。ここでは遊びについて、次のように定義してみます。文化の基本原理の全部または一部のプロセスによって生み出される行為であって、未だ広く普及はしていないもの。

 

ところで、遊びの起源というのは、どうなっているのでしょうか。遊戯の起源(文献1)によれば、ニホンザルは次の遊びを行っています。

(1)  取っ組み合い

(2)  追いかけっこ

(3)  馬跳び遊び

(4)  雑巾がけ遊び(地面に両手をつき前進、あるいは後退する)

(5)  枝引きずり遊び(物を持っている子ザルを追いかけてそれを奪い、新たに物の持ち手になった方が逃げ手になる。)

 

また、ニホンザルよりも人間に近いチンパンジーでは、「何らかの物を使った遊びは合計229件の行動事例が観察された」ということです。

 

言葉を持たないサルでさえ、上記のように遊んでいる。そうしてみると人間の場合でも、遊びの起源というのは、言葉の発生よりも古いと言える。人間の文化というのは、言葉から始まったということを以前、このブログで申し上げましたが、お詫びして訂正させていただきます。文化の起源は、遊びにあった!

 

1938年にヨハン・ホイジンガという人が、その著書「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人という意味)の中で、次のように述べているそうです。(文献2

 

「人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきた」。

 

(参考文献)

文献1: 遊戯の起源/増川宏一平凡社/2017

文献2: 日本遊戯思想史/増川宏一平凡社/2014

No. 111 文化のダイナミズム(その1)

前回のシリーズでは、結局、遊びとは何か、それを定義づけることができませんでした。その理由は、古代まで遡ってみると遊びと仕事を区別することができなかったからです。例えば、狩猟採集民が野ウサギを捕まえたとします。面白いので、これに紐を付けてしばらく飼ってみた。やがて、野ウサギに飽きてしまい、これを食べてしまった。では、この野ウサギを捕まえるという行為は、遊びだったのか、仕事だったのか。どちらとも言えないのではないでしょうか。そもそも、飛び跳ねる野ウサギを捕まえるという行為自体が、楽しくもあり、仕事でもあったと考えるべきだと思うのです。

 

そうしてみると、遊びという枠組みで考えるのではなく、本質的には、別の枠組みで考えるべきではないのか。そこには遊びという概念を超えて、文化が誕生する仕組み、その秘密が隠されているのではないか。そして、次の結論に至った次第です。

 

1.(出会い)未知なる“何か”と出会う。

2.(好奇心)好奇心が触発される。

3.(働きかけ)創意工夫を凝らし、その未知なる“何か”に働きかけてみる。

4.(秩序)新たな秩序を設定し、その未知なる“何か”に意味を付与し、理解する。

5.(伝播)新たな秩序は、記憶され、伝播する。

 

少し、補足致しましょう。まず、未知なる“何か”ということですが、これは物体であることもあるし、何らかの仕組みであったり、動物や他人であったりすることもある。すなわち、人間の好奇心が触発される全ての事柄を意味します。これは、動物心理学で説明している“リリーサー”(特定の本能を解放するきっかけとなる外的な事象)という意味です。この仕組みは、人間にも当てはまるように思うのです。次に働きかけですが、これはその“何か”と自分との関係性を構築しようとする行為であるとも言えます。そして、秩序と言っているのは、例えば遊びのルールであったり、その“何か”を加工する方法であったり、文化の様式であったりする。様々な場合がありそうなので、最も概念が広いと思われる“秩序”という言葉を採用しました。秩序が設定されると、その中で“何か”の役割のようなものが明確になり、“何か”に意味が生ずる。意味が生まれれば、それを理解することができる。理解してしまうとその“何か”は、既に未知ではなくなってしまう。但し、その新たな秩序は、伝播する。伝播の形態としては、世代を超える時間的な広がりと、地域的な広がりがある。まだ、分かりにくいですね。

 

では、具体例でご説明しましょう。まずは、ビー玉の例にて。

 

1.(出会い)ビー玉に出会う。

2.(好奇心)綺麗だな、面白そうだなと思って、好奇心が触発される。

3.(働きかけ)触ってみる、転がしてみる、指で弾いてみる。

4.(秩序)地面に穴を掘って、そこを目指して指で弾くという遊びのルールを作る。ルールに従って遊んでいると、ビー玉は遊び道具として理解される。

5.(伝播)日本中、ビー玉自体は同じものだが、遊び方のルールは誤解されたり、簡略化されたり、工夫されたりして、変容しながら伝わっていく。

 

次は、ジャズの場合。

 

1.(出会い)白人の軍楽隊が捨てた楽器に、黒人が出会う。

2.(好奇心)見たこともない楽器に、興味を持つ。

3.(働きかけ)いろいろいじって、音を出してみる。

4.(秩序)白人の音楽を真似て演奏しているうちに、独自のフォービートが生まれ、ジャズという音楽様式が生まれる。

5.(伝播)ジャズは全米に広がり、遂には世界中に伝播する。

 

ファッションの起源。

 

1.(出会い)古代人が、美しい動物、例えば鳥と出会う。

2.(好奇心)自分たちとは随分違った形をしているし、何より、空を飛べるのは凄い。そう思って、好奇心が喚起される。

3.(働きかけ)鳥の鳴き声を真似てみる。動作を真似てみる。捕まえてみる。

4.(秩序)鳥の羽をヒモでくくって、帽子のように被ってみる。鳥と自分との特殊な関係性が作られ、その意味を理解する。(例えば、自分たちの民族の起源は、その鳥だったという物語を作る場合もあります。これが、トーテミズムとなります。)

5.(伝播)動物の何かを使って着飾るという様式が伝播し、やがて、ファッションへと進化する。

 

こんな例は、いくらでも思いつきます。言葉の場合。

 

1.(出会い)ある家庭で、子犬を飼う。

2.(好奇心)かわいいので、好奇心が喚起される。

3.(働きかけ)触ってみる。餌をやってみる。鳴き声を真似てみる。

4.(秩序)その一家の中では、犬の鳴き声を「ワンワン」と表現するという秩序が生まれ、やがて、その子犬を「ワンワン」と命名する。「ワンワン」と呼ぶことで、すなわち、言葉にすることで、犬という動物の意味を理解する。

5.(伝播)かかる慣習が伝播し、日本で「ワンワン」と言えば、犬を指すことになる。

 

上記の5つのステップによる文化の発生システムを、このブログでは、「文化の基本原理」と呼ぶことにしましょう。しつこいようですが、もう一例。仮に古代の狩猟採集民のAという部族が、木の先端を削って、ヤリを作ったとします。部族Aでは、それはもう完成された様式であって、そのヤリは人々の好奇心を喚起するリリーサーたりえなくなったとします。しかし、そのヤリを森の中で部族Bの誰かが拾ったとします。その人にとっては、生まれて初めて見るものなので、リリーサーとしての役割を持つことになります。

 

1.(出会い)森の中で、木のヤリを拾う。

2.(好奇心)先端が尖っていて、誰か人間が手を加えているように思える。そして、好奇心が沸いてくる。

3.(働きかけ)持ち上げてみる。投げてみる。これは、狩りに使えそうだと思う。そして、ヤリの先端に毒を塗ってみる。

4.(秩序)ヤリの先端には毒を塗るという新たな秩序が生まれる。

5.(伝播)新たな秩序が、次の世代へ、他の部族へと伝播する。

 

このように考えますと、文化の基本原理というのはシンプルなものですが、無限と言っても過言ではない程、拡大していく可能性を持っていることが分かります。もしかすると私たちホモサピエンスは、その20万年の歴史を通じて、この原理に従って遊び、文化を紡いできたのではないでしょうか。そのことを私は、文化のダイナミズムと呼びたいと思うのです。

 

なお、今回のシリーズ“文化のダイナミズム”におきましては、文化の構造に迫りたいと思っています。予め私の考えを図にしましたので、添付します。

 

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以上

No. 110 遊びとは何か(その10)/ネットが育む現代の遊び

夢に破れ、孤独に向き合っていた近代の人たち。しかし、そんな時期でも、庶民とその子供たちは遊ぶことを止めなかった。野球盤ゲームだとか、ルービックキューブだとか、子供たちは少しでも楽しそうなものを探していたんだろうと思うのです。大人たちも、芸能人が作り出すテレビの世界には、次第に飽きてきた。他人のすることを見るよりも、自分でやった方が楽しいに違いない。そこで、カラオケなるものが登場します。これが爆発的に普及したんですね。ここら辺から、現代のアマチュアリズムに立脚した大衆文化が台頭したのではないでしょうか。遊びは、一部の芸能人が作り出すものではなく、素人が参加して楽しむものに変わって行った。

 

遊びも多様化、細分化が進みました。若者たちは新しい遊びを求めて、秋葉原などに集まり始める。そこで、オタク文化というようなものが出てくる。その代表例は、AKB48ではないでしょうか。いつもテレビに出ているが、ほとんど会うことのできない芸能人ではなく、“会いに行けるアイドル”をキャッチフレーズとして、このグループが登場した訳ですが、これは現代の遊びを考える上で、象徴的な出来事だったように思います。AKB48というのは、アイドルでありながら、参加型の遊びだと思うのです。秋葉原に比較的小さな劇場があって、そこで毎週、コンサートが開催されているのだと思います。握手会というのがあって、コンサートの前後に、自分の好きなメンバーと握手ができる。総選挙というのもあって、ファンが投票して、メンバーの順位づけを行う。このように、ファンが参加するエンターテインメントというものが成立したんですね。

 

多様化、細分化という意味では、同様のことがプロレスの世界でも起こったんです。力道山日本プロレスを立ち上げたのですが、そこにいたアントニオ猪木新日本プロレスを設立する。そして、ジャイアント馬場全日本プロレスを立ち上げました。当時のプロレス団体というのは、この2つ位だったのではないでしょうか。しかし、男がやるなら女だってできるということで、全日本女子プロレスという団体が発足します。この団体は、ビューティーペアとか、クラッシュギャルズというスターを生み出し、一斉を風靡しました。試合の前に選手が歌い、若い女性ファンが熱狂したんですね。更に、男子の世界では、ジャイアント馬場の付き人をしていた大仁田厚が、FMWという団体を旗揚げしました。電流爆破デスマッチを行い、川崎球場を満員にしたこともあります。メジャー団体との反対概念で、インディー団体というものがありますが、このインディーというのはFMWが最初だったのではないでしょうか。メジャー団体の楽しみは、迫力であったり、華やかさであったりする訳ですが、インディーの魅力は「あまり世間には知れ渡っていないけれども、自分は知っている」というマニアックな喜びがあったりする訳です。現在、日本にいくつ位のプロレス団体があるのか分かりませんが、女子だけでも15団体はあるようです。今は、会いに行けるプロレスラーが沢山いるんです。試合の前後には、握手会、サイン会、グッズの販売、記念撮影などがあり、このような営業スタイルは、AKB48よりもプロレスの方が先だったのだろうと思います。

 

時代は進み、SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)なるものが登場する。その影響は、もうプロレスどころの騒ぎじゃありません。ネットを通じて、誰もが公に情報を発信できる時代になった。そこから発信される情報の種類というのは、千差万別ではないでしょうか。そして、SNSが可能とするコミュニケーションというのは、過去には見られなかった新しい遊びの一種だと言えるように思います。

 

かつて、どこかの誰かがビー玉を眺めながら、これで何か楽しいことはできないだろうかと思案した。現代人は今、インターネットという未知なるものと出会い、同じように思案しているのではないでしょうか。これで、何か遊べないだろうかと。そして、You Tubeが登場し、世界中の人々が、何か楽しいことを見つけようとしている。今は、そんな時代だと思うのです。

No. 109 遊びとは何か(その9)/近代の遊び

第二次世界大戦に敗れた日本では、大変な混乱が生じた。何しろ、広島と長崎に原爆が投下され、東京も焼野原になった。日本にやってきた米兵の行いも酷かったようです。「占領軍であった米兵の強姦、強盗、窃盗、略奪は、米軍上陸直後から多発した」そうです。また、「中国人は戦勝国の国民であり、朝鮮人日本帝国主義から解放された人たち」となりました。(文献1

 

ネットの情報によれば、当時、日本の警察が弱体化していたのをいいことに、在日朝鮮人穀物倉庫から食料を略奪するという事件が相次いだ。警察もこれを取り締まれない。怒ったヤクザの親分さんが、これらの朝鮮人を成敗したこともあったそうです。そんなこともあってか、未だにヤクザはいい人だと主張する日本人も少なくないようです。ヤクザの親分さんがいるからこの地域は平和なんだとか、飲み屋ではそういう話を聞くことがあります。

 

そんな中で、最初に遊び始めたのは、やはり子供たちだった。缶蹴り、ビー玉、メンコ、べーゴマなどが普及していった。一方、大人の世界はと言うと、力道山アメリカで学んで日本に持ち込んだプロレスが大ブームとなる。当時のプロレスを支えたのは、主に、力士出身者と柔道家だった。最初の熱狂は、元力士の力道山と柔道家木村政彦の対戦だったようです。(文献2)写真で見たことがあるのですが、当時、街頭テレビというのがあって、その前にとんでもない数の人々が集まっている。それ位、人々は熱狂してたんですね。他に然したる楽しみ、遊びはなかったのだと思います。街頭テレビの時代から、徐々に白黒テレビが家庭に浸透する訳ですが、それでもプロレスの人気は衰えることがなかった。力道山は、朝鮮の出身者ですが、そのことは極秘にされ、皆、日本人だと信じていた。そして、日本人である力道山が、体の大きな外国人レスラーを空手チョップでやっつける。こういう構図が成り立って、人々は熱狂したんです。

 

テレビの普及が進むと、次第に「遊びの職業化」ということが起こってくる。テレビ番組を作るためには、歌手、役者、芸人などの需要が飛躍的に高まったものと思います。中世、例えば江戸時代にもそういう人たちはいましたが、何しろ、生で演じる以外に方法はなかった。従って、それを楽しめる人の数というのは、極めて限定的だったはずです。それがテレビとなると、同時に多くの人々が楽しむことができる。そして一般国民は、テレビを通じてそれら芸能人が作り出す遊びの世界を見るようになった。従って、近代の人たちは、自らの発想力を駆使して遊びを作り出す、ということをしなくなったような気がします。テレビを見るというのは、あくまでも受動的な行為だと思うのです。しかし、それも無理のないことだったと思うのです。当時の人たちは、あの焼野原から、高度経済成長の時代に猛烈に働き、今日の日本の繁栄を作り出したのですから。多分、遊んでいる余裕は、あまりなかったに違いありません。

 

テレビと並んで日本人の遊びの質に影響を与えたのは、自動車だと思います。自動車はその利便性のみならず、移動すること自体が楽しい。遊園地のジェットコースターなどを含め、“身体感覚系”の遊びが発生したのも近代だと思います。

 

ところで、この近代という時代を振り返ってみますと、人々は夢を見て、夢に破れた時代ではないかと思うのです。例えば日本人は、大きな冷蔵庫があって、クルマがあって、自宅にプールがあるようなアメリカ人の暮らしぶりを知り、いつか自分たちもそういう生活をしたいという夢を持った。そして、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器などと言われた時代だった。確かに、それらはやがて自分たちの手に入りましたが、どうもそんなに楽しい暮らしにはならない。満員電車に揺られて通勤するサラリーマンの生活というのは、希望の持てるものではなかった。士農工商という身分制度はなくなりましたが、今度は学歴社会になり、母親たちは子供の教育に心血を注ぐようになった。社会主義思想というのも、一つの夢だった。その夢も急速に萎んでいった。団地ができて、マンションができて、人々の関係性も希薄になっていった。そんな風潮が、昭和の演歌を生んだのではないでしょうか。そこには、孤独と向き合う人間が描かれている。生活に疲れ、競争に疲れ、夢破れた人たちが演歌を聞き、自分たちの孤独と向き合ったのではないか。映画の世界も同じで、高倉健が男の哀愁を表現し、渥美清が男の切なさを演じた。しかし、例えば演歌を聞いていた人たちのメンタリティというものを考えますと、彼らは決して、孤独が嫌いではなかったような気がするのです。孤独を楽しんでいたという訳ではありませんが、孤独でいる自分を是としていたような気がします。

 

そして、ジャズの世界でも、同じようなことが言えるような気がするのです。ジャズのスタンダードに“聖者の行進”というのがあります。これは、明るくて、大人数で行進をする。そういう曲です。ジャズの起源というのは、そういう音楽だった。ジャズのそういうイメージを一気に転換したのは、1956年にマイルス・デイビスが発表した“ラウンド・ミッドナイト”だと言われています。その後ジャズは、都会の夜に、孤独な男が酒を飲みながら聞く音楽に変わったのです。

 

古代の人々の興味の対象は、自然だった。中世になり、人々の興味は人間に移った。そして近代になり、人々は自分自身、すなわち孤独と向き合い始めたのだと思うのです。

 

(参考文献)

文献1: 日本遊戯思想史/増川宏一平凡社/2014

文献2: 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也新潮文庫/2014