5.プリンス
考えれば考える程、前回の原稿に記しました“黒人教会”というのは、優れた社会システムだと思うのです。男でも女でも、大人も子供も、参加できる。学歴だとか会社における役職など、そこでは何の意味も持たない。おまけに、悪魔や魔術に関する楽しい話まで聞ける。現在の日本にそのような、あたかもセイフティー・ネットとして機能している共同体というものは、存在しないように思います。
さて、1980年にレッド・ツェッペリンが解散した訳ですが、遡ること2年、1978年にプリンス(1958-2016)という黒人のミュージシャンがデビューしています。プリンスは、大変才能に恵まれたミュージシャンで、自ら作詞、作曲を行い、歌い、踊り、加えてギター、ベース、ピアノ、ドラムを演奏できた。それもただ演奏できるというレベルではなく、いずれの楽器も超一流のレベルで、操ることができたのです。天才と言って良いかも知れません。しかし、ステージアクションは、どことなくミック・ジャガーに似ていた。踊りは、マイケル・ジャクソンに似ている。そして、ギターワークは、ジミ・ヘンドリックスにそっくりでした。(本人はジミ・ヘンドリックスよりもサンタナの影響を受けたと述べたそうです。)
聴衆としては、彼が一体何者なのか、なかなか理解できない。ちょっと、薄気味悪い感じすらしたのだと思います。彼がどのような音楽を目指しているのか、そのバックグラウンドは何か、そういうことが分からない。そのため、デビューはしたものの、すぐには売れなかった。デビュー直後、プリンスはストーンズの前座を務めたのですが、聴衆からのブーイングが酷かった。プリンスが演奏していると、キャベツなど、様々なゴミのような物がステージに投げ込まれたそうです。見かねたミック・ジャガーがステージに上がり、「お前たちには、プリンスの新しさが分からないのか!」と言ったそうです。そしてミックは、プリンスの肩を抱いて、バックステージに連れて行ったとか。デビッド・ボウイは、プリンスが楽屋のトイレで一人泣いているのを見たそうです。アメリカの聴衆というのは、気に入らないミュージシャンには厳しい。
そんなプリンスですが、デビューから2年程すると、徐々に売れ始めた。そして、1984年に発表したパープル・レインでブレイクした。これはCDと映画の双方が発売されました。1987年の年末に開かれたプリンスのコンサートには、マイルス・デイビスが特別参加しています。この画像をYouTubeで発見した時は、本当に驚きでした。かつてジミ・ヘンドリックスとの共演を夢見ていたマイルスは、プリンスの背後にジミの面影を見ていたのではないか。またマイルスは、常にポピュラリティということを重視していた。若者に受け入れられる音楽を目指していた。それは、彼の遺作がラップ系ミュージシャンとの共作だったことからしても明らかです。
当時、プリンスはPrince & The Revolutionと名乗って活動していましたが、この頃のライブ映像を見ますと、ロックが飽きられてしまった理由が分かる。記号密度のレベルが全然違うんです。ツェッペリンと比較してみましょう。
ツェッペリンのライブにおいて、ステージに上がるのは白人のメンバー4人だけです。彼らの服装は、あまり派手ではない。彼らは踊らない。長い曲だと、ジミ―・ペイジのギターソロが延々20分位続く。
一方、Prince & The Revolutionのライブでは、20人位がステージ上に上がる。ダンサーまでいる。プリンスも踊るし、楽器の演奏者までステップを踏む。メンバーには白人や黒人、その他の人種が含まれている。全員が個性的で派手なファッションに身を包んでいる。プリンスのギターソロは短い。短時間にカッコいいフレーズをキメるんですね。そして、踊りを挟むと、今度はピアノやベースを演奏する。そしてまた、踊る。視覚的な刺激が強い。こういうのが流行ってしまうと、ツェッペリンのステージが地味に思えてくる。より強い刺激を求める聴衆から、ツェッペリンは飽きられてしまった。それが自然の成り行きだったのではないか。
そして、プリンスの音楽を良く聞いてみると、あらゆる要素が含まれていることが分かります。例えば、彼のギターはロック系だし、ホーンセクション(サックスやトランペット)はジャズ系だし、コーラスや踊りはゴスペル系。そしてパーカッションは、ラテン系です。
すなわち、プリンスの音楽において、それまでのポピュラー音楽のあらゆる要素が融合した。別の見方をすれば、以後、ジャンルを融合させることによって、新たな音楽を生み出すことが困難となった。事、ここにおいて極まってしまったのではないか。
プリンスが子供の頃、黒人教会に行っていたかどうかは分かりません。ただ彼は、“エホバの証人”の信者だったと言われています。輸血を拒否するので有名な、新興宗教です。
6.音楽進化の原理
まず、ルーツとなる音楽がある。それは、アフリカ音楽だったり、そのリズムだったり、ブルースだったりする訳です。このルーツ・ミュージックには長い歴史がある。そして、その起源を遡って行くと、音楽を演奏せずにはいられない、踊らずにはいられない、強い衝動があるのだろうと思います。そういうメンタリティというのは、高度な教育を受け、科学的な知識を持つ人には、理解しにくいものではないでしょうか。悪魔や魔術の存在を信じ、ドラッグによって混沌とした意識状態になる。そういうメンタリティだけが、音楽へと向かう強い衝動を持ち得るのではないか。
ひょんなことから、ルーツ音楽が伝播する。それは人や物の移動によって、引き起こされる。そして、優れたミュージシャンによって、他のジャンルとの融合が図られる。こういうステップを踏んで、ポピュラー音楽は進化してきたのだと思います。そして、融合に至るプロセスは、プリンスにおいて完結した。それが言い過ぎだとするならば、1980年代において完結した、と言ってもいい。
では、現在は、どういう状況にあるのか。一つには、アマチュアのテクニックが格段に向上した。例えば、ベースを例にとってみますと、かつては神業で誰にも真似できないと思われていたベーシストがいます。ジャコ・パストリアスとかマーカス・ミラーなどがそうですね。しかし、現在、YouTubeを見ますと、彼らの演奏をコピーしている若者の画像が沢山アップされています。女の子がやおらベースを持って、ジャコのフレーズを披露している。その理由は、テクノロジーの進歩にある。プロの演奏を一定範囲に区切って、繰り返し聞くことができる。自分の楽器の音も合わせて聞くことができる。しかも、演奏スピードを半分にして再生することだってできる。こういう文明の利器が、例えば“ギター・トレーナー”として、比較的安価で購入できる。だから、難しいプロのフレーズを、素人がコピーできるようになったんです。こういう時代になりますと、プロの神業というのも、ちょっとありがたみが薄れてきます。
音楽というのは、比較的純粋な記号の世界ですから、これはコンピューターと相性がいい。例えば、コンピューターのプログラミングによって、容易にドラム演奏を再現することができます。既に、作曲用のソフトというものもある。もう少し進歩すると、誰でも作曲できるようになる。想像するに、こんな具合ではないでしょうか。
PC・・・ジャンルは、どうしますか?
人間・・・ロックがいいな。
PC・・・分かりました。8ビートですね。こんな感じでいかがですか。(デモ演奏が流れる)
人間・・・いいね。
PC・・・次はコード進行ですね。最初の和音は、どうしますか。
人間・・・Cでいいよ。
PC・・・分かりました。では、次に使える和音は、Am、F、Gなどがありますが、いかがしましょうか。
人間・・・ちょっと分からないな。
PC・・・では、ビートルズ風はいかがですか。
人間・・・いいね。
PC・・・(データーベースに直結し、ビートルズのパターンを確認する。)お勧めは、Amです。
こんな風に、新たな曲が生まれる日がやって来るに違いない。作詞の方も、人口知能が担当するでしょう。既に、人口知能は小説を書くレベルに達しています。
そのうち、ダンスロボットなるものが、誕生するに違いありません。人間の代わりに、ロボットがダンスをして、それを人間が見て楽しむ。冗談のようですが、既に“初音ミク”というバーチャルのアイドルが生まれています。