前回の原稿で、プロテスタントの起源までは理解できたと思うのですが、複数の文献によりますと、プロテスタンティズムを体系的に確立したのは、ルターではなく、ジャン・カルヴァンだということです。ルターが残した最大の功績は、現代の言葉で言えば政教分離ということだと思いますが、それを発展させてプロテスタンティズムが完成した。その過程で宗教戦争がヨーロッパ全土に広がる。そして、カトリックに留まる国と、プロテスタントへ移行する国とに分かれる。そういうプロセスにおいて、カルヴァンが何をどう考えたのか。私としては、どうしてもここは押さえておきたい。何しろ、後年マックス・ヴェーバーは、資本主義の原点はプロテスタンティズムにある、と主張している。しかし、適当な文献が見つからない。やっとの思いで、昨日、本屋に注文したところ、取り寄せには10日程かかるというのです。
ブログの更新をどうするかという問題は、別途考えるとして、やむを得ず、私は次のステップ、すなわちホッブスの検討に着手することにしました。
プロテスタントが台頭し、1642年にイギリスでピューリタン革命が起こる。そして1688年の名誉革命を経て、イングランドに世界初の近代国家が誕生した。(文献6)正にその頃、トマス・ホッブスが登場する。ホッブスについて憲法学会の重鎮、樋口陽一先生は、次のように述べておられます。
“主権を「その権力の頂点に達」するところまで導いたホッブスこそ「神学の世紀たる16世紀から形而上学の世紀たる17世紀への推移」「西欧合理主義の英雄時代」の中心に座を占める先達だったのである。”
私の言葉で言えば、カルヴァンまでが宗教者、すなわち“物語的思考”で、ホッブスからが“論理的思考”ということになりそうです。従って、ホッブスは、極めて重要な人物ということになります。
更に、ホッブスの考え方を進化させ、体系化したのが同じくイギリス人のジョン・ロック。どうやら、ここら辺までは間違いなさそうです。ちょっと、列記してみましょう。
・マルティン・ルター(1483~1546)
・ジャン・カルヴァン(1509~1564)
・トマス・ホッブス(1588~1679)
・ジョン・ロック(1632~1704)
ところで、ルターは人間の社会を2つの領域に分けて考えた。しかし、“領域”と言われると、私も黙ってはいられません。文化領域論の立場から、やはり人間が生きている世界の領域は、5つあると言いたくなります。
文化領域論では、主に文化とかメンタリティを対象に考えた訳ですが、宗教や政治の世界も、やはり5つの領域に区分できる、というのが私の説です。
まず、競争して勝敗を決し序列をつける“競争系”は、武力、軍事力という言葉に置き換えることができる。“物質系”は、経済力。記号系は、情報。共感を求める“身体系”は、誰かの意見に共感するだけで、自ら何かを発想したり発明したりすることはない。大衆と言っても良いと思いますが、民主主義との関連で言えば、ポピュリズムという言葉が近いと思います。問題は、“想像系”です。“想像系”とは、人間が想像力を働かせ、時間の流れに従って物語を生み出し、因果関係を考え、やがて原理を発見し、仮説を立てる。こうなっているのではないか、こうすればきっとうまくいくはずだ、という具合に考える。してみると、宗教上の教義も近代的な思想も、仮説であるという共通点を持っている。更に、この仮説は、個々人の内心に直接働きかけるという特質がある。未だ実証されたことのない仮説であって、人々の内心に働きかける、という点だけを取り上げれば、ルターの福音主義もマルクス主義も、同じ地平で捉えることができる。そしてこの仮説は、“法”という形式をもって社会の中に、そして私たちの眼前に現れるのだと思います。
本稿を推し進めていくと、やがてこの問題に行き当たるのだろうと、今は、漠然と思っています。ちなみに、思想家たちは、以下の著作を記しています。
1640年 「法の原理」 ホッブス
1748年 「法の精神」 モンテスキュー
1822年 「法の哲学」 ヘーゲル
ただ、人間の社会や政治に関して、これがベストだという仮説は、未だに発見されていない。従って、全ての思想家、全ての国家は、発展途上にあると思うのです。
(参考文献)
文献1: 新 もう一度読む 山川世界史/「世界の歴史」編集委員会/山川出版社/2017
文献2: 新・どうなっている!? 日本国憲法(第3版)/播磨信義 他/法律文化社/2016
文献3: ルター/小牧治・泉谷周三郎/清水書院/1970
文献4: プロテスタントの歴史(改訳)/エミール=G・レオナール/白水社/1968
文献5: 宗教改革と現代の信仰/倉松功/日本キリスト教団出版局/2017
文献6: ホッブス/田中浩/清水書院/2006
文献7: 抑止力としての憲法/樋口陽一/岩波書店/2017