文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

反逆のテクノロジー(その11) 直線の発見

古の哲学者たちは、三角形について考えるのが好きだった。最小限の直線によって、面を構成するのが三角形で、そこから幾何学が始まる。例えば、三角形の内角の和は180度であるとか、そういうことを考えた人がいる。三角形の2辺の長さの和は、残る一辺よりも長い。それは経験によらずして知ることができる。カントはそのような経験に基づかない知識を尊重した。

 

いいだろう。三角形は重要だ。そのことに、私も異存はない。ピラミッドの壁面だって、三角形で出来ている。しかし、三角形を構成しているのは3本の直線であって、私はその直線そのものについて考えることの方が、余程、本質的ではないかと考えている。何しろ、直線がなければ、三角形だって成立しないのだから。

 

そもそも、自然界にはほとんど直線は存在しない。地平線や水平線だって、よく見れば湾曲している。では、物を落とした場合は、どうだろう。確かに、手に持った石をそっと離すと、それは直線の軌道を描いて落下する。しかし、その軌道を肉眼で見ることはできない。杉の木は、確かに直線に近い。しかし、それは多くの枝で遮られている。滝はどうだろう。水が落下するのだから、その軌跡は直線であるに違いない。しかし、多くの場合、風の影響を受けるので、水が垂直方向に落下することはない。

 

では、人類はどのようにして、直線なるものを発見したのだろう?

 

私はとても長い間、この問題について考えてきた。そして、アイヌ文化と出会う。すると、こんなことが分かる。アイヌの人々は、特定の木の樹皮を剥いで、持ち帰る。それを煮ると、樹皮は分解される。そこから、繊維を取り出すことができるのだ。この繊維を手作業で結っていくと、糸ができる。その糸を織ると布ができて、布から着物を作ることができる。

 

そう、糸なのだ。糸の両端を引っ張ると、直線ができる。こうして、人類は直線を発見したに違いない。直線とは「2つの点を最短距離で結んだ線」と定義されている。もちろん、糸の両端を引っ張ることによって、最短距離を実現することができる。

 

直線は、人類の生活に多大な影響を及ぼした。それは幾何学のみならず、建築物や生活空間を一変させた。そして直線は、記号の世界にも入り込む。アルファベットのEやF、漢字の一二三などは、どれも直線によって描かれている。

 

直線や、三角形から作り出される平面が、人類の秩序化の歴史の発端だったのではないか。フーコーも人類の秩序化に向けて、「マテシス」なるものが一役買ったと述べている。

 

注)マテシス・・・数学の明証性と演繹性をモデルとした諸学の統一化、普遍化のくわだて。

 

いずれにせよ、人類が直線や平面を作り出すために岩を削り出し、樹木を伐採してきたことは明らかだ。例えば、直線の道を作ろうとする。そこに障害物があれば、人類はそれを取り除いてきたのだ。邪魔な物を取り除いて、秩序を作り出す。そして、この秩序を生み出そうとする力が人間に向いた場合、それが原始的な権力となったのではないか。

 

そもそも、人間の認識というのは言語に基づいている訳だが、この言語そのものが秩序の形成作用であると言える。例えば、虹の色は微妙に変化していて、私たちはそれが7種類だと認識している。しかし、それは連続的に変化している色彩を7つに切り取っているに過ぎない。実際、虹の色を5色だと認識している民族も存在する。連続している自然を切り取って、言葉による名称を付け、人間は自然を認識しているに過ぎない。

 

このように考えると、かつて人類が狩猟・採集を生業としていた時代は、現代人の目からすれば、カオスに近い状態だったのかも知れない。やがて、人口が増え、狩猟・採集では食料を賄うことができなくなる。そして、人類は定住を始め、農耕・牧畜を始める。ここら辺のタイミングで、秩序化は急速に進展したに違いない。そして、文字によって記載された経典を持つ宗教が生まれる。宗教も、人類の秩序化というプロセスの中にあるのだろう。

 

時代を経るにつれ、この秩序化は加速し、それはやがて複雑な構造を持つようになる。これを「システム」と呼んで差し支えないように思う。人類による自然破壊や、権力もシステム化される。貨幣経済もシステム化される。反射的な作用として、システムにとって邪魔になるもの、認識できない他者などが、排除されるようになる。そして、その排除すべき対象者を見つけるための監視システムが出来上がる。

 

西洋において、この秩序化、システム化に一役買ったのが、プロテスタンティズムではないか。プロテスタンティズムは、ルターが「万人祭司」と主張した所に起源がある。ルターは、人間である牧師などが、勝手に聖書を理解したり説教したりすることに異を唱えた。そうではなくて、真理は聖書そのものの中になるのであって、神の下に人間は平等である、という主張につながる。これが発展すると民主主義となる訳だが、プロテスタンティズムの中には、秩序化、システム化を促進するという危険が潜んでいる。神の下に平等だという考え方はいいが、あくまでも聖書を尊重するという立場から、人間の価値観を固定化し、人間を規格化し、秩序の維持、権力の維持を支持しようとする立場につながる。現代においても、福音派と呼ばれるプロテスタントは、アメリカで人口中絶や同性愛に強く反対している。

 

プロテスタンティズムは勤労を強く推奨していて、これが資本主義経済の発展に貢献したというマックス・ヴェーバーの説もある。

 

そうしてみると、「直線の発見」から、「宗教の出現」につながり、そこから「資本主義社会」へとつながっているように思える。

 

いずれにせよ、「直線の発見」というのは、人類史上特筆すべき出来事であって、それは2足歩行の開始、火の使用などと同列で語られるべき事柄ではないか。よく人類と他の動物との違いは何かという論議があるが、「直線を発見したのが人類」であって、他の動物との違いはそこにある、とさえ言いたくなる。