文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

領域論(その4) 原始領域 / 祭祀、呪術、神話、そして個人崇拝

 

誠に恐縮ながら、少し、修正させていただきます。

 

この原始領域を説明するには、冒頭に記した通り、祭祀、呪術、神話、個人崇拝の4段階に分けて考えるのが良いのではないか。過去の原稿との重複を避けながら、説明させていただきたい。

 

祭祀の構成要素としては、リズムがあり、動物信仰があり、人間のトランス状態ということがある。特にアフリカで打楽器が叩き出すとても速く、強烈なリズムに合わせて激しく踊っている人々を見ていると、これはもうそれだけで行為が完結しているように思える。すなわち、トランス状態を目指して、踊る。それ以外の目的はないように思える。

 

対して人間がトランス状態に入ること自体ではなく、他に目的を持っている行為類型がある。その目的とは、医療であり、悪霊払いであり、鎮魂などを措定することができる。

 

具体的なイメージを持っていただくために、少し古い文献から引いてみよう。(シャーマニズムの世界/桜井徳太郎 編/春秋社)

 

・太鼓、鈴、笛などの楽器が用意される。

・特殊な服装を身にまとったシャーマンが登場する。

・呪文などが唱えられ、音楽が演奏される。

・シャーマンは身体的変調を示す。

・シャーマンは動物的挙動を示したり、動物の鳴き声や精霊の音声を発したりする。

・シャーマンの錯乱状態が高まる。

・シャーマンは錯乱の極致に達し、失神状態に陥る。その際、特殊な言明や表明を行う。これが託宣(オラクル)と呼ばれるものだ。

・シャーマンはしばらく眠りにつき、その後、普通の人間に立ち返る。

 

上の事例において、シャーマンはトランス状態に入り、かつ、何らかの目的を持っていることが分かる。その目的は、託宣によって達成される。また、この事例において登場するシャーマンは、言わばプロフェッショナルなのであり、必要な時に意図的に自らをトランス状態へ誘導する技術を確立していると言えよう。

 

参考までにトランス状態に入っている人物の映像を紹介しよう。

 

トランス状態 45秒

アジアのシャーマン - YouTube

 

やがて、トランス状態に入ることなく、何らかの目的を達成しようとする行為類型が登場する。段階を経て、祭祀は呪術へと移行するのだ。そのステップを検討する際のチェックポイントは、トランスと行為の目的である。

 

ステップ1: トランス状態に入ること自体を目的とする。

ステップ2: トランス状態に入るが、他の目的も存在する。

ステップ3: トランス状態に入らず、他の目的を達成する。

 

目的を重視した場合は、ステップ1と2の間に線を引くことができる。反対にトランス状態を重視した場合、ステップ2と3の間に線を引くことになる。そこは考え方次第だが、ここでは、トランス状態を重視する立場を採ることにしよう。例えば、恐山のイタコとか沖縄のユタの場合、彼女たちはトランス状態には入らない。すなわち、ステップ3になるので、その行為類型は呪術であることになる。(古くはイタコもトランス状態に入っていたが、暫く前からそれを止めているらしい。)

 

ステップ1・・・祭祀・・・アフリカの事例など

ステップ2・・・祭祀・・・文献から引用した事例

ステップ3・・・呪術・・・イタコ、ユタなど

 

前回の原稿で、呪術の本質は「超越的因果関係」にあると述べた。例えば、お百度参りをすると願いが叶うなど。これはとてもシンプルな発想であることが分かる。そして、祭祀と呪術であれば、それは文字がなくても成立し得る点に注目すべきだろう。

 

次に、因果関係に注目する文化形態として、「神話」を挙げることができる。これも口頭によって伝承されたものはシンプルだが、文字によって書かれたものは、高度に複雑性を帯びて来る。また、書かれた神話においては、抽象的な概念が登場する。例えばギリシャ神話には愛と美と多産の女神であるアフロディテが登場する。愛とか美というのは、概念である。そして、神も。つまり、因果関係のみに着目する呪術に対し、そこに抽象概念を加えた神話が登場するのだ。こう言っても良いだろう。すなわち、文字が概念を生んだのだと。

 

呪術・・・因果関係

神話・・・因果関係 + 概念

 

そして、神話が権力の基盤を形成するようになる。ある国に王がいる。大衆は何故、彼が王なのか、疑問を抱く。すると王は誰かに依頼して、神話を作成させる。その神話に出てくる神の子孫が、自分だと主張する。このパターンは、西洋にも存在したし、日本の古事記や日本書記にも同じことが言えるのではないか。

 

ただ、神話というのは天上の物語なので、一般庶民からしてみれば、それは遠い所に存在する抽象的な話だ。もっと身近なところに、具体的な心の拠り所を求める。それは自然なことではないか。また、神話は1つの権力を創造しはするものの、発展性はない。換言すれば神話というのは静的であって、社会はもっと動的な何かを求めたのではないか。

 

そこで、個人崇拝という新たな宗教形態が登場したと考えるのはどうだろう。キリスト教を例に考えれば、まず、神話としての旧約聖書がある。そして次に、イエス・キリストをモチーフとした新約聖書が誕生したのではないか。

 

仏教はどうだろう。まず、古代のインドにバラモン教があった。これが後にヒンドゥー教へと変わる。そこら辺の事情は定かではないので、ここではヒンドゥー教に表記を統一しよう。ヒンドゥー教においては、動物の神が存在する。象の神様は、ガネーシャと言う。現在でもインドの人々がトランス状態に陥っている様子は、YouTubeで確認できる。すなわち、ヒンドゥー教も、動物信仰、シャーマニズムなどによって構成される「祭祀」から出発したに違いない。加えて、インドにおいても無数の呪術が存在するのは明らかだ。ネットで「インド・呪術」と検索すれば沢山の記事がヒットする。

 

ヒンドゥー教においても、無数の経典が存在する。それらの経典に何が書かれているのか私は知らないが、多くの神話を含むであろうことは想像に難くない。そして現実問題として、インドにはヒンドゥー教をベースとした階級制度、すなわちカースト制が存在する。カースト制の起源については、概ね、こういう事情があったらしい。インド地方には、先住民と新たな侵略民族が住んでいた。そしてある時、疫病が流行る。先住民は免疫を持っていたが、侵略民族は、それを持っていなかった。そこで、隔離政策が取られる。

 

ここから先は私の想像だが、単なる隔離政策であれば、そこは平等な、水平の区分であるはずだ。しかし、実際のカースト制はタテの、支配・被支配の関係である。それを支配される側の人々に納得させるため、神話が利用されたのではないだろうか。神話は後付けで、いくらでも書くことができる。そして、この神話において、輪廻転生という概念が用いられる。すなわち、人間は何度も生まれ変わるのであって、前世、今世、来世がある。前世の行いが悪かった者は、それが原因で低いカーストに位置づけられているのだ。そして、今世の行いが良ければ、来世においてはより高いカーストに位置づけられる。

 

やがて、ブッダ(釈迦)が登場する。ブッダカースト制には反対したが、輪廻転生という考え方は踏襲した。ブッダの教えは中国へ渡り、日本に渡来する。ブッダの発言を記したものが仏教の経典である。ブッダ自身は厳しい修行を積んだが、晩年、それを否定した。しかし、日本において、その修行が復活するのである。有名な所では、比叡山延暦寺において行われている千日回峰行ではないか。これは比叡山の峰々を千日に渡って歩き回り、8日程度、飲まず、食わず、横にもならないという厳しい修行のことだ。これは命がけで行われるが、それを達成した者には大阿闍梨という僧侶としては最高峰の役位が与えられる。

 

何が言いたいかと言えば、ヒンドゥー教の長い歴史においても、大きな流れとしては、祭祀(動物信仰)から始まり、呪術があり、神話が生まれ、ブッダに対する個人崇拝があり、崇拝の対象となる大阿闍梨(個人)を繰り返し生み出す「修行」というプロセスがあるということなのだ。